第103話 記憶の断片
鳥のさえずりが、新しい朝を告げる。
カーテンを照らす朝日は微かに漏れ、室内をほのかに照らす。
けれど、ベッドの中にいたレティシアは、横になって天井を見つめていた。
彼女はジャンの話を聞き、いろいろと考えて眠れずに夜を明かした。
時計の秒針は時を刻み、時は過ぎ去っていく。
しかし、誰も彼女の部屋を訪れないことを考えれば、ジャンが何かしら言ったんだと彼女は思った。
思考を続けた頭は重く、休息していない体は気怠く、ずっしりとしている。
それでも、彼女は深いため息をつくと、重たい体を起こして支度を始めた。
ジャンはレティシアがリビングルームに着くと、彼女に笑いかけた。
だが、彼女はぎこちなく笑顔を作り、笑って見せる。
その姿が、彼には痛々しく感じられた。
先にリビングルームでくつろいでいたルカとアランの2人は、いつもと雰囲気が違う彼らを静かに観察していた。
そのため、ジャンとレティシアのやり取りを見て、2人は怪訝そうな表情を浮かべる。
「レティシア様、本日はアラン様とルカ様にも一緒に来てもらおうと思いまして、勝手ながら御二人にも声をおかけました」
ジャンはそう言ったが、レティシアは何も言わずにソファーに腰掛けた。
そして、彼女はため息をついた思うと、重たい口を開く。
「どこに行くのか知らないけど、2人にも話しておいた方が、私はいいと思うわよ? 2人の様子からして、ジャンは2人には何も話していないんでしょ?」
「……はい……」
「私がジャンのことを疑った時、2人はジャンの味方をしたから大丈夫よ」
ジャンは目を伏せていたが、レティシアの言葉を聞くとアランとルカを交互に見た。
その目はまるで信じられないと思いつつも、どこか安堵の色が見える。
「そうですか……本当は出掛けた先で、話そうと思っていたのですが、レティシア様がそのように言うのでしたら、話しておくべきことなのかもしれませんね」
ジャンはそう言いながら、レティシアにお茶を入れ始めた。
彼の手は微かに震え、不安からルカとアランの様子を窺っている。
しかし、お茶を入れ終わると、レティシアの向かいに座り、膝の上で手を組んだ。
そして、気持ちを落ち着かせるように目を瞑り、深く息を吸い込んでゆっくり吐き出した。
彼はゆっくり瞼を開けると、組んでいた手を見つめながら話し出す。
「昨晩、レティシア様には全てお話ししましたが、ある程度の記憶が戻りました。記憶を思い出すきっかけとなったのは、レティシア様が魔の森に入った時の夜のことでした」
ジャンが話し始めると、ルカは足を組み直し、肘掛けに頬杖をついた。
長くきれいな指はトントンと一定のリズム刻み、肘掛けをたたく。
赤い瞳は冷たく、真っすぐにジャンを見つめ、真意を探るような視線を向ける。
しかし、彼の赤い瞳に映る男性は、頼りなく不安そうに見えた。
「あの日、ロッシュディ皇帝の声を聞き、聞き覚えがあると思ったのです……それから、レティシア様と魔の森に入り、彼女の様子を見ていたら、操られている魔族の姿と重なって見えました……その魔族の姿が、オレの記憶だということは、すぐに分かりました。それから、1人で魔の森から帰った後、飛び飛びでしたが、少しずつ思い出しました……でも、その記憶が自分の空想なのか、はたまた夢なのか判断ができず、ルカ様がレティシア様を連れて帰ってくるまで、確信がなかったのです。しかし、ルカ様が紫の破片を見せてから、確信を持ちました。そのため、レティシア様が目覚めてから、皆様に少しだけお話ししました」
アランはルカと同じく足を組み押すと、椅子に深く座り、おなかの上で手を組んだ。
彼がジャンに向ける視線は、王子としての威厳さえ感じられる。
けれど、ルカと同様に、真実を見極め得ようとブルーグリーンの瞳はジャンを視界に映す。
彼の瞳に映るジャンはひと時の孤独に揺れ、それでもジャンは言葉を続ける。
「若い頃のオレは、ヴァルトアール帝国に住んでいました。研究や魔法が好きで、魔塔で働きたいと思い、家族にそのことを話しました。家族はそれに対し、条件付きでしたが、魔塔に所属することを認めてくれると、オレは1人でガルゼファ王国へと向かい、留学を終えてから魔塔で働き始めました。そのうち、ガルゼファ王国での功績が認められ、オレはヴァルトアール帝国にある魔塔で働くようになりました。ですが、当時はまだ帝国民の中に、魔塔に対する不信感があったため、姿と名前を偽りながら生活していました。その時に、出会った女性と結婚し、子どもにも恵まれて順風満帆な人生を歩んでいました」
ジャンの手は震え、手の色から彼の手が冷たいことが分かる。
しかし、彼が話し始めて以降、この場にいる3人は口を堅く閉ざしている。
そのため、ジャンは顔を上げて3人の顔を見ることもできず、声は震えはじめていた。
嘘を話しているわけではないのに、アランとルカの立場から向けられる視線は冷たい。
しかし、ジャンはただ、ルカが彼の話をどう受け止めるのか分からず、恐怖がじわりじわりと彼の心を支配する。
「――オレの家族が出した条件は、昔……ヴァルトアール帝国で起きた、魔族が起こした事件の解明……。そのことを調べるために、オレはある程度の魔力を封印し、敵のアジトに潜入した、だが、ヴァルトアール帝国民だとバレると、オレは即座に逃げ出した。だけど、魔力を封印していたオレは逃げきれず、捕まると酷い暴行を受けて、何度もこのまま死ぬんだと覚悟もした……そして……次はお前の番だと言われて、紫色の破片を魔族の男性に入れられるのを、オレは見ていたんだ……」
レティシアは昨晩この話を聞き、ある仮説を立てていた。
それは、極度の緊張状態と恐怖で、ジャンが魔力暴走を起こしたと考えたのだ。
それなら、記憶をなくしたことも、犯人や捕まっていた人たちのことを、覚えていないのは罪の意識からだと考えれば説明がつく。
そのため、彼女は結論を出した。
ジャンが魔力暴走で周りの命を奪い、その時、頭に強い衝撃を受けて、記憶をなくしたのだと。
ルカもアランも何も言わずジャンの話を聞いていたが、ジャンが話し終わるとルカが口を挟んだ。
「話は分かった。それで、本当の名前はなんだ?」
ルカの声はどこか冷たく、それでいて一線を引いているようにすら感じられる。
そのため、ルカの言葉にジャンとレティシアはビクッと体を震わせた。
ジャンは静かにレティシアに視線を向けると、その様子を見ていたルカはさらに言葉を続ける。
「その様子だと、すでにレティシアはジャンから名前を聞いてるようだな」
ルカがジャンの名前を知りたいと思うのは、彼の立場を考えれば当然のことだろう。
ヴァルトアール帝国に住んでいたのなら、ルカは名前からあらゆることを調べられる。
そのため、ルカはレティシアの安全も考えれば、名前を知ることによって安心できる。
しかし、彼の声は冷たく、まるでジャンを警戒しているように感じられた。
「……ライアン……」
レティシアがポツリと呟くように言うと、ルカは眉間にシワを寄せて聞き返す。
「悪い、聞き取れなかった、もう1度頼む」
だが、その言葉にレティシアは答えることはなく、彼女は目の前に座るジャンに対して大きな声を出す。
「ジャンが自分で言いなさいよ!!」
「……そうですね……。オレの本当の名前は、ライアン。ライアン・リック・アルファールです」
暫くの間、リビングには沈黙が流れると、今度はアランが口を開く。
「ん? んで、誰だよ」
「ライアン・リック・アルファール。26年前に魔族の事件に巻き込まれたと、ラウルが話ていたヴァルトアール帝国の皇弟殿下だ」
ルカは深いため息をついてから、アランに告げた。
彼の表情から、どこかでこのことを予期し、密かに調べていたことが窺える。
しかし、アランは口を開け、ルカとジャンを交互に見ていた。
アランが驚くのも無理はない。
皇帝やラウルが密かに探していた人物が、実はずっとフリューネ家にいたのだから。
「いやいや、さすがにそれはねぇだろ」
アランの言葉を聞いたライアンは、諦めたように自分に掛けた魔法を静かに解いた。
オレンジブラウンの髪はスーッとホワイトブロンドに変わり、オレンジブラウンの瞳は黄金に姿を変える。
黄金の瞳は、ヴァルトアール帝国では皇族の証でもある。
目を見開いたアランは、驚いた様子で口元を右手で隠した。
「……金色の瞳って……マジかよ……」
驚いているアランとは対照的に、ルカはとても落ち着いて見えた。
彼は目を細めると、静かにライアンを見つめて尋ねる。
「ジャン……いや、ライアン皇弟殿下。なぜ、このことを話そうと思ったのですか?」
「ライアンで大丈夫ですよ。今さら皇弟と言われるのは、違和感がありますので。――この話をしようと思ったのは、昨日ラウルからレティシア様に、婚約の打診が届いたからですよ。それが届いていなければ、ヴァルトアール帝国に帰った後、家族と会ってからも何食わぬ顔をして、そのままフリューネ家で働こうと考えました」
ラウルからレティシアに、そんな手紙が届いていたことを知らされてなかったルカは、キッと鋭い目つきでレティシア見た。
しかし、彼女はサッと顔を逸らすと、ルカの目はさらに鋭さが増す。
「でも、あれだな……レティシアは分からなくても、他の人は分からなかったのか?」
「――アラン様が疑問に思うのは当然のことですね。アラン様から見ても分かりますように、この金色の瞳と髪色はとても目立ちます。そのため、色が変わってしまえば、パッと見ただけでは分かりません。それに、元々オレは兄上と違って、表にあまり出ることもなかったので、遠目からでしかオレの姿を見たことがない人がほとんどでした。なので、近くでオレのことを見たことがなければ分かりませんよ。そして、不運なことに当時のオレは、皇弟として公の場所に出る際は、後々魔塔で働くために、認識阻害の魔法も使っていましたので……」
ライアンは淡々と言うと、いつもの見慣れた髪色と瞳に変える魔法を使った。
魔法の気配はあまりにも自然で、それを見ていたアランはまた驚いたように目を大きく開けた。
「さて、話もしたことですし、そろそろ出掛けないと遅くなってしまいます。3人には悪いのですが、オレに付いて来てもらえますか?」
静かにレティシアが立ち上がると、アランもそれに続いた。
しかし、ルカは静かにライアンを見つめ、動こうとしない。
時を止めたかのように、その場には静寂が訪れる。
ルカが何を考えているのか、誰にもには分からない。
けれど、ライアンに向けられた視線は、先程とは違ってどこかやり場のない感情があるように見えた。
だが、ルカは深く息を吐き出すと、立ち上がって歩き始めた。
その瞬間、レティシア、アラン、ライアンに透明魔法の魔法が使われる。
紛れもなく、この魔法はルカが使用したものだ。
それに気が付いたのか、3人は微かに笑い、ルカの後に続いた。




