第101話 宝石店と深層
城から4日掛けてリグヌムウルブの街に戻ったレティシアたちは、1日だけゆっくり宿屋で過ごし今後について話し合った。
そして、翌日から本格的に3人は行動を開始し、ルカとアランは別行動をとることになり、レティシアとアランは2人で街に出掛けるようになった。
晴れた空は冬の始まりを知らせるように、冷たい風と共に木の葉を運ぶ。
だけど、宝石店の店内は暖かなランプの光に照らされ、ゴシック調の彫刻が施された壁が、訪れる者を歓迎している。
奇麗に磨かれたタイルの床は、軽快にリズミカルな音を心地よく響かせ。
大きな木製のカウンターは、精巧な装飾が施され、その上には宝石が美しく並べられている。
店内には、落ち着いた色合いのタペストリーや、細工された家具が配置され、高貴な雰囲気を醸し出していた。
カランッと出入りを知らせるドアベルが鳴ると、赤髪で長身の青年と幼い少女が仲むつまじく店内へと足を踏み入れた。
店員は扉の方を向いて一瞬だけ顔を顰めたが、ハッとした様子でパタパタと青年に駆け寄る。
彼らの服装は、宝石店に似つかわしくなく、庶民のようにしか見えない。
だが、駆け寄った店員は2人の服装を気にする様子はなく、手をこすり合わせて媚びを売るようにして話しかけている。
しかし、青年が店員と一言二言言葉を交わすと、店員は肩を落として店内にいる他の客の接客に当たった。
店員の様子からして、少なくても長身の青年は貴族のようだ。
その証拠に、店内にいた貴族は赤髪の青年に気付き、コソコソっと彼の話をしだし、興味津々に聞き耳を立てている。
けれど、青年はそのことを気にする様子はなく、少女は店内の雰囲気に目を輝かせていた。
宝石店に置かれているインテリアは、どれも1つ1つ丁寧な仕事がされた物ばかりだ。
そのため、インテリアだけでも目を奪われそうなほど美しいが、どれも落ち着いた雰囲気を醸しだし、宝石をより美しく見せている。
それにもかかわらず、明らかに2人の存在は、この宝石店では浮いた存在にも見えた。
赤髪の青年は、木製のカウンターから赤い宝石が付いた髪飾りを手に取ると、隣にいた幼い少女の髪に髪飾りを当てた。
「ララ、これララに似合うと思うんだ」
優しい眼差しでアランはレティシアを見つめると、照れたように彼女は頬をほんのり染めた。
しかし、次第に彼女の表情は曇り、俯いてか細い声で答える。
「そ、そうかな、私にはまだ早いと思うわ」
「そんなことないよ、ララは何を着けても素敵だよ」
優しく微笑みながらアランが言うと、彼は俯くレティシアの髪に触れ、顔を隠してしまっている髪を彼女の耳に掛けた。
彼の指が触れた耳は次第に赤くなり、彼女の頬がまた赤く染まり始めると、アランは嬉しそうに微笑んだ。
2人の様子を見ていた若い貴族らしい女性たちは、アランの行動に釘付けになり熱い眼差しを向けている。
いつも大人びた彼が、このように外で誰かに対して微笑みかけ、親しげに女性に接する姿は珍しい。
だが、アランの隣にいるレティシアに対しては、批判的な眼差しを向けていた。
そのことに気付いたのか、申し訳なさそうに眉を下げたレティシアがアランの方に顔を向ける。
「ね、ねぇ……アラン、私ここに来ても良かったのかな? みんな見ているわ……やっぱり、私じゃ不釣り合いだよ……」
「そんなことないよ。おれがララをここに連れてきたくて、連れてきたんだ。ララは何も心配することないから、自信もっていいよ」
「そ、そう言われても……」
「ララ、見た目は大人びて見えるおれだけど、おれと君は年が1つしか変わらないんだ。8歳の君がこの宝石店に相応しくないなら、9歳のおれも相応しくないよ? ここには、誰もおれたちの年齢に対して何か言ってくる人はいないよ」
「年齢は気にしていないわ、でも……この服じゃ……」
「……そうだよね……君が断ったからドレスは見に行かなかったけど……服装が気になるなら、ここを出て他の所に行こうか」
「うん……わがままばっか言ってごめんね……」
「気にしなくていいよ、おれはララの笑顔が見たいんだから」
アランがふわっとレティシアに対して微笑むと、彼女も安心したようにわずかに微笑んだ。
その時、上品なドレスを身に纏った年配の女性が近付き、手にしていた扇子をゆっくりと閉じた。
彼女の耳には特徴的な狼の耳があり、目は優しさと強さを兼ね備えた黄緑色に輝いている。
彼女は再び扇子を広げると、アランに声をかける。
「アラン殿下、お久しぶりです。突然のお声がけ、お許しいただけますか? まさか、こちらのお店でお目にかかれるとは思いもしませんでした。よろしければそちらのお嬢さんにも、ぜひご紹介いただけないでしょうか?」
アランは彼の後ろに隠れたレティシアを見ると、クスッと笑って年配の女性の方を向く。
「どうやら、彼女は少々照れているみたいです。彼女はまだ公の場に慣れておらず、おれも彼女を守りたいと思っております。彼女のことは、改めて公式の場で皆様にご紹介させていただくことになると思います。ですので、本日はどうか私たちに少しの時間をください」
「もちろん、アラン殿下。ご配慮、大変ありがたく存じます。公式の場でのご紹介を心待ちにしておりますわ。今日は、御二人のご様子を伺うだけで失礼いたします。どうぞ、お好きなようにお過ごしくださいませ」
「ご理解いただき、ありがとうございます。今日は、おれたちの大切なひと時を楽しむ時間をいただければ幸いです」
先程までとは違うアランの対応に、レティシアが驚いたように目を見開いた。
彼女はアランの服を掴みながらも、アランの真似をして軽く会釈した。
しかし、レティシアを連れてアランが背を向けると、年配の女性はサッと扇子で顔を隠し、苦虫を噛み潰したような顔でレティシアの背中を睨んだ。
カランッと音を立てて宝石店からアランとレティシアが出て行くと、店内にいた貴族たちはコソコソと話し出した。
貴族たちの興味は、目先の宝石よりも小さな少女に注がれているようだ。
「お婆様、先程の少女は誰でしたの?」
青い髪をした狼獣人の少女が年配の女性に近寄ると、扇子で口元を隠しながら静かにそう尋ねた。
黄緑色の瞳はアランたちが出て行ったドアを静かに見つめ、スーッと瞳が細くなる。
「分からないわ、アラン殿下は改めて公式の場で紹介すると言っていたわ……」
「そうですか……アラン殿下は、きっとあの方を大切に思われているのですね。とても幸せそうな表情をなさっていましたわ」
「!! あなたはもう少し危機感を持ちなさい! 王妃の座をあんな小娘に奪われるのよ!!」
年配の女性は興奮気味に言ったが、少女はうんざりしたようにため息をついた。
「お婆様、私はアラン殿下のことをお慕いしておりません。それに殿下のことを考えれば、私やお兄様は殿下の幸せを1番に望みますわ」
「あなたという子は! それでもアッシャー家の一員なの!?」
「お婆様、お婆様こそ獣人族にもかかわらず、もうあのお方の存在をお忘れですか?」
微かに聞こえる声で少女が冷たく言うと、年配の女性はバツが悪いように顔を逸らした。
「……忘れたわけじゃないわ」
「そうですか、なら良かったですわ。では……温かく殿下のことを見守りませんか? 私は殿下の伴侶にはなることも、その覚悟もありませんの」
少女はそれだけ告げて扇子をカチンと閉じ、カツンカツンとタイルの床を鳴らした。
ドアを開けて店の外に出ると、彼女はクンクンと匂いを嗅いで静かに歩き出す。
人で賑わう通りは、彼女の行く手を阻んでいるかのようにすら感じられる。
ある程度の距離を進んだ彼女の視界の先には、赤髪で長身の少年と幼い少女が仲むつまじく歩いていた。
アランに手を引かれて歩くレティシアの姿は、この国の王子が誰なのか知らない者から見れば、2人が仲のいい兄妹のようにも見える。
しかし、知っている者からすれば、レティシアの存在は気になる存在でもあった。
そのため、アランのことを知っている者は、2人を見かけると話しかけている。
彼らの目的は、レティシアのことをアランに紹介してもらうことだ。
けれど、彼らが彼女のことを尋ねると、レティシアは恥ずかしそうに頬を赤らめ、アランの後ろに隠れた。
その都度アランは、隠れているレティシアを視界の端に映しながら「恥ずかしいみたいだから、また改めて公式の場で紹介するよ」と言って、その場で彼女を紹介することはなかった。
「ララ、何かほしいものとかある? もしあるなら言ってくれたら、なんでも買うよ?」
「アラン、ありがとう」
「いいよ、あっ! あれ食べよう!」
アランはレティシアの手を握り、楽しそうに歩き出した。
彼女と2人で出掛けている時、アランは王子ではなく、ただの子どもとして彼女の隣に居られる。
そのため、レティシアに対して、彼は無邪気に笑いかけていた。
そのことが余計、アランのことを知る者たちからすれば、レティシアの存在を無視できない原因を作っている。
2人の姿を離れた場所から見つめていた青い髪の少女は、静かに踵を返すと来た道を戻り始めた。
彼女の背中はどこか儚げで、獣人族としての威厳は感じられない。
しかし、足取りだけはしっかりとしていて、まるで明日を見据えているようにも見えた。
彼女は突然駆け出すと、彼女と同じ髪色をした狼獣人の少年の腕に嬉しそうに飛びついた。
「お兄様!」
「なんだ、おまえか。嬉しそうだけど、何かあったのか?」
「ええ、とてもいいことがありましたの」
「そうか、それなら良かったよ」
「帰ったらお話ししますわ、きっと私の話をお聞きになりましたら、お兄様も喜びますわ!」
「それなら、楽しみにしておくよ」
青い髪の少女は、少年の腕から離れて楽しげに歩き出した。
彼女の背中は先程とは違い、獣人族としての威厳が感じられる。
彼女は小走りに走り出すと、1度だけ満面の笑みを浮かべて振り向いた。
その一方で、アランとレティシアは、街の中を楽しそうにき続けていた。
アランはレティシアに、街の名所や美味しい食べ物の店を紹介している。
「アラン、ありがとう。すごく楽しかったわ」
「おれも、ララと一緒にいられて楽しかったよ。また、明日も一緒に出掛けようね」
2人は、夕日が街をオレンジ色に染める中、手をつないで宿屋へと戻っていった。




