第100話 王国の陰
薄暗く寒い階段を、静かに下りる足音が響く。
眉間にシワを寄せたレティシアは、アランとルカと共に地下牢へと向かっていた。
あの後。
重苦しい空気を払拭するかのように、リビオの一声で3人の諜報員が部屋に現れた。
彼らを使うようにリビオ王が言うと、レティシアは空間消音魔法を使い、諜報員に指示を出していた。
しかし、彼女の口元は隠され、彼女がどんな指示を出していたのか、知ることはできなかった。
彼女に聞けば、もしかしたら教えてくれるかもしれない。
けれど、ルカとアランは何も言わず、ただ彼女の行動を静かに見守っていた。
魔法が解かれると、諜報員たちは部屋に現れた時のように、サッと姿を消す。
今後の予定を話したアラン、ルカ、レティシアの3人は、ディーンに聖女と精霊師を呼ぶように頼んだ。
ディーンはその頼みを快く受けたが、彼らは「疲れている」という理由でリビオ王の元には現れなかった。
今後の予定もあるため、3人は城に残ることができず、宿屋に戻らなければならない。
そのため、3人は悩んだ末、ディーンとルークに聖女と精霊師が来る際には事前に知らせるようにと伝えた。
そして、アランの提案に従い、レティシアはリビオ王に許可を得ると、隣の部屋に転移魔方陣を描いた。
これにより、3人はいつでもリビオ王の元に来ることができ、王の安全もより確保されることになった。
薄暗い階段を下りきった先には、冷たい石壁と鉄格子が並ぶ廊下が広がっていた。
空気は湿り気を帯び、壁から滴る水の音が、不気味なリズムを奏でている。
鼻をつく悪臭が広がる空間に、アランは鼻を押さえた。
「こんな所に、なんの用があるんだよ」
何も聞かされていなかったアランは、鼻声でレティシアに尋ねた。
けれど、固く口を閉ざしたレティシアが、彼に答えることはなかった。
いつもとは違い、先を進む彼女の足元は、カツカツと靴音を鳴らす。
靴音が鳴るたび、通り過ぎる牢屋の中からは、脅えたような女性の声が聞こえた。
彼女たちの首には、首枷がされており、その首枷には罪人が逃げられないための、魔力封印が施されている。
しかし、ある牢屋の前でレティシアが立ち止まると、彼女は静かに牢屋の中を見つめた。
牢屋の中にいる女性は、他の女性たちと同じように、鉄製の首枷がされている。
だが、この牢屋から悪臭が広がっているのは、強まった臭いで理解ができた。
「アラン、ここを開けられるかしら?」
「ああ、開けられるけど、中にいるのは罪人だぞ?」
何も説明がないまま、ここに連れてこられたアランは、怪訝そうな顔で尋ねた。
だが、レティシアは牢屋の中にいる女性から目を離すことはなかった。
「開けてちょうだい」
アランは諦めたようにため息をつくと、「……分かったよ」と答えた。
この牢屋は付与術が施されており、鍵がなくても王族の限られた者の魔力で開く。
そのことを知っていたことが、彼女の発言からも分かる。
アランは魔力を使い、牢屋の鍵を躊躇いもなく開けると、レティシアが牢屋の中に入って行く。
彼女は女性に近付くと、しゃがんで女性に優しく話しかける。
「来るのが遅くなってしまって、ごめんなさい。いま、手当てをしてあげるわ」
レティシアの言葉を聞いた女性は、振り返るとボロボロと大粒の涙を流した。
しかし、彼女の胸元を見たルカとアランの表情は、一瞬にして険しいものへと変わる。
なぜなら、女性の胸元には、魔物の爪で傷付けられたような、大きな傷跡があったからだ。
さらに傷口は、適切な処置などされておらず、虫が湧いている状態。
普通の令嬢なら、傷口を見ただけで気を失っていたところだろう。
(虫が壊死した組織を食べてくれて、感染症を防いでくれたのね)
レティシアは傷口を見て、冷静にそう思った。
「……ありが……とう……ございます……」
涙を流しながら女性が言うと、レティシアは女性に優しく微笑みかけた。
そして、彼女は傷口を水魔法で清潔にすると、空間魔法から道具を取り出した。
魔法で虫を取り除くことも可能だが、その場合、虫を無理に取り除いてしまうかもしれない。
そのため、彼女は様子を見ながらピンセットで、傷口に湧いた虫を注意深く取り除く。
その様子を見ていたルカとアランは、顔を見合わせると頷き合い、辺りを警戒した。
彼らには、理由もなくレティシアが罪人を治療するとは思えなかったのだ。
完全に傷口から虫を取り除いたレティシアは、再び水魔法で傷口を清潔にする。
そして、彼女は深呼吸を1つして、手を女性の傷口の上にかざした。
手のひらからは、ほのかに光る粒子が舞い上がり、やがてそれは女性の傷口を優しく包み込む輝きとなる。
解消が使われた傷口は瞬く間に、その癒しの力で肌を再生させていく。
女性の傷跡は、目に見えて閉じていき、女性の表情は痛みから解放される。
傷口が完全に塞がったことを確認したレティシアは、女性に柔らかく微笑みかけ「もう大丈夫よ」と告げた。
その瞬間、女性は安堵したような表情を浮かべ、緊張の糸が切れたように体が傾き始める。
予想していなかった状況に、レティシアは慌てた様子で女性を支えようとした。
しかし、あまりにも突然のことで、レティシアには女性を支えることはできず、女性はゆっくりと床に横になった。
女性の顔色や、脈をとり始めたレティシアに、ルカは「大丈夫そうか?」と尋ねると、彼女は振り返った。
「大丈夫よ、緊張の糸が切れたみたいで、寝てしまったみたい」
そのように言って微笑んだレティシアの顔は、ホッとしているようにも見えた。
「さて、ここから忙しくなるわよ。ステラ、彼女たちのことを頼むわ」
『分かったわ』
どこからともなく、姿が見えないステラのテレパシーが3人の頭に響いた。
レティシアは立ち上がり、牢屋から外に出て行く。
「アランもういいわ、牢屋の鍵を閉めて宿屋に戻りましょ」
レティシアはそれだけ告げると、今度は足音も立てずに来た道を戻り始めた。
ステラは城に来てから、先程の女性が怪我をした状態で運ばれたのを目撃していた。
そのことを報告されたレティシアは、女性に証人になってもらおうと考えた。
そのため、レティシアが彼女を助けたのは、ただの善意からではない。
彼女とステラが話し、彼女が証人になると言ったから助けたに過ぎないのだ。
「どうやって戻る? アランに乗せてもらうか?」
静かにルカが尋ねると、レティシアは首に振る。
「いいえ、姿は隠さずに早馬を使って帰りましょ」
レティシアがアランを見ながら答えると、ルカは考えるような仕草をした。
そして、思い当たることでもあったのか、彼は納得した様子で口を開く。
「なるほどな、分かった。それなら、後はリグヌムウルブに戻ってから様子見だな」
「そうなるわね」
ルカとレティシアに視線を向けられたアランは、静かに今の状況を考えているように見えた。
そして、彼は「ふーん、そういうことか」と言うと、レティシアを追い越して先頭を歩き始める。
「こっちだ、着いてこい。それと、妬くなよ?」
アランがルカに対して言ったが、レティシアは呆けたように首をかしげた。
薄暗い地下牢につながっていた階段を上がり、外に出た彼らを太陽が守護者のように照らす。
白い城壁は太陽の光を浴び、より一層白く輝いて見えた。
しかし、その近くを通る3人の影は、何かを企んでいるかのように怪しく伸びる。
馬小屋への道は、城の裏手にある小さな門を抜け、石畳の道を進む必要があった。
ただ、遠くで時折聞こえる馬のいななき声が、彼らの足取りを急がせる。
馬小屋にたどり着くと、3人は2頭の馬を選び、馬に乗らずに手綱を引いて歩きだした。
彼らが向かう進行方向の先には、城の正門がある。
途中から3人の足取りは重く、彼らの顔には影が落ちている。
アランが城に戻って来ていたことを知らなかった者は、馬の手綱を引くアランを目撃すると、驚いたように目を丸くする。
そして、ハッとした様子でアランに近寄ると、彼に話しかけていた。
暗い表情を浮かべ、アランは対応していたが、1人2人とその人数は次第に増えていく。
その中には、リビオ王の容体が急変した時、寝室に来ていたメイドや貴族たちの姿もあった。
けれど、正門の近くまで行くと、アランは足を止めて神妙な面持ちで告げる。
「ごめん、リグヌムウルブに戻らないとだから、親父のことは……頼んだ」
アランの言葉を聞き、心配するように話しかけていた優しげな貴族は傷付いた表情をした。
彼のアランに対する態度や、言動の内容からアランを心から心配していたのが分かる。
しかし、アランはそのことを気にする様子はなく、隣にいたレティシアに手を差し出した。
彼女がアランの手を取ると、アランは彼女を大切そうに抱き上げ馬の背中に乗せ、彼も同じ馬の背中にまたがった。
そして、脅えている様子のレティシアに対し、先程までとは違い、アランは優しい声で言う。
「絶対に、君を落としたりしないから安心してね」
「ありがとう、アラン」
レティシアがそう言うと、アランは彼女の頭を1度なでて馬を走らせた。
それに続くように、ルカも馬を走らせると、2頭の馬は正面門から次々に出て行く。
その場に残った人々からは、様々な声が上がっていた。
アランは、魔の森の討伐が予定されている。
その彼がリビオ王の容体の知らせを受け、城に帰って来ていた。
それですら驚きな状況にもかかわらず、婚約者が決まっていないアランが大切そうに女の子を扱っていた。
そのことが、集まっていた人々に様々な憶測を想像させる。
「あの子は誰なのかしら?」
「あのアラン殿下が、愛馬に人を乗せているところを初めて見たぞ」
「リビオ王の容体を考えると、婚約者なのか?」
「女性と距離を置いていたアラン殿下が、大切そうに扱っていたのを考えると、そうかもしれないな」
集まっていた人々からは、そのような話まで上がる。
だが、隠れて彼らの話を聞いていたステラは、不敵な笑みを浮かべる人物を見逃さなかった。
『さてさて、ここからレティシアの思惑通りになるのかしらね』
誰にも届くことないテレパシーで呟いたステラも、不敵な笑みを浮かべた。




