第99話 リビオ王の目覚め
長かった夜は明け、小鳥のさえずりが1日の始まりを知らせる。
青い空には白い雲が薄っすらと流れ、憂鬱な気分までも運んでいくようだ。
カーテンが開けられた窓からは、眩しいと感じる程の日差しが差し込む。
ソファーで寝ていたレティシアは、その明るさで目を覚ました。
「ん……ぅ……まぶし……い……」
「起きたか? 今、レティシアを起こそうとしたとこだ。リビオ王陛下が目を覚ましたぞ」
ルカに言われて、レティシアは目を瞑ったまま体を起こした。
彼女はソファーから立ち上がると、あくびをしながら歩き始めた。
リビオ王の元に向かう彼女を、ルカとステラは静かに見つめる。
ステラはやれやれいった様子で頭を左右に振ると、ルカはステラに向かって眉を下げて笑った。
それから、2人はレティシアの後を追う。
リビオ王のベッドの隣に置かれた椅子にレティシアは座ると、「……ねむ……」と言いながらも、リビオ王の手首に触れて脈をとり始めた。
「――大丈夫そうね」
「ああ、ありがとう。小さなお医者さん」
リビオ王は優しい声色でレティシアに言ったが、今世のレティシアは医者ではない。
彼女は過去の人生で得た知識を、ただ使っているだけだ。
「……医者じゃありません」
「そっかそっか、それはすまなかった。――では、お嬢さん、君は一体何者かね? 聖女かね?」
首をかしげたリビオ王の赤い髪は、ウェーブが少しかかり、まるで赤いドラゴンを連想させる。
彼は黒い瞳に、まだ眠たそうに目を擦る少女を映し、優しい眼差しを向けている。
「違いますよ? でも……そうですね、この国にいる聖女と比べたら、聖女に近いのかもしれません。――それより、今この国で起こっている出来事は、お聞きになりましたか?」
「ああ、聞いたよ。すまなかったね……お嬢さん、予を助けてくれたことに感謝しているが、このお礼はどうしたらいいかね?」
「そうですね……それでは、理由を聞かずに、いくつか私のお願いを聞いてください」
リビオ王の近くで控えていたルークは、レティシアの言葉を聞いて強い怒りを感じた。
彼はこめかみに青筋を立てると、腰に下げている剣に触れながら一歩前へと踏み込んだ。
「貴様!!」
しかし、ルークが怒鳴るように言うと、レティシアは彼に対し、冷たい視線を向けた。
(私、あなたに貴様と呼ばれる筋合いはないわ。どうせ、前にも同じようなことがあったのでしょ?)
リビオ王は、ルークを止めるように左手を上げ、静かに首を左右に振ると柔らい口調で話す。
「ルーク、良いのだ。――小さなお嬢さん……そなたの願いを聞こう」
「ありがとうございます。では……1つ目ですが、リビオ王陛下は、まだ体調が悪いふりをして、今までのように寝込んでいてください。2つ目は、信頼できるこの国の諜報員を数名、私に貸してください。3つ目ですが、くれぐれも私が陛下を治療したことは、誰にも言わないでください。私からのお願いは、この3つだけです」
レティシアが言い終わると、リビオ王とルークは驚いたように目を見開いていた。
彼女が申し出た願いが、彼らには信じられなかったのだ。
一国の王の命を彼女は救っている。
それに対し、彼女が述べた願いはあまりにも彼女の功績に見合っていない。
「なんだ? それだけで良いのか?」
「ええ、他に何かありますか?」
「いや、前にも1度こうやって助けてくれた者は、様々な権限を与えてくれと言ってきたからなぁ。そのため、ルークもお嬢さんを警戒したのだ」
(やっぱりね……良いと言った手前、後に引けなくなったのね。それで、権限を与えたの?)
「はぁ、それは災難でしたね」
呆れたようにレティシアが言うと、リビオ王は自嘲するかのように声を出して笑う。
「あの時は、予が軽率だったのだ。ルーク、ディーン、話は聞いていただろう? 後は頼むぞ」
ルークとディーンが「かしこまりました」と言うと、リビオ王は柔らかく微笑んだ。
彼はもう1度レティシアの方を向くと、包み込むような声で彼女に語りかける。
「――お嬢さん、これは予からの願いなのだが、息子がお嬢さんと話があるようなんだ、どうか聞いてやってくれないか?」
リビオ王は、レティシアからゆっくりアランに視線を移した。
下を向くアランは、気まずそうに少しだけ手をモジモジとさせている。
「あ、あのさレティシア……さっきは悪かった……その、どうしてもすぐに決断ができなかったんだ……」
「……」
「その……正直に話すと、怖かったんだ……。レティシアは、おれの仲間だ。できれば、仲間には危険なことはしてほしくないって思ったら、すぐに許可できなかった。それでも、結局レティシアを危険な目に合わせた……ごめん」
「そんなことを気にしていたの? 危険性も分かった上で、私がアランに聞いたと思わなかったの?」
「分かってたよ! 分かってたけど……それでも、怖かったんだ。人族と竜人は魔力が違うから、もし何かあったら、親父だけじゃなくて……レティシアも死ぬかもって考えたら、怖かった」
「確かに人族と竜人は、魔力の流れも性質も違うわ。だけど、その対策も考えないで、私がやると思ったの?」
「いや、考えてたのは分かってたけど、それでも怖かったんだ……レティシアのことを、信じきれなくてごめん」
レティシアは頭に手を置くと、深いため息をつきながら首を左右に振った。
そのため息は、単純に呆れたから出たわけではない。
彼の気持ちも考えず、説明を怠ったことに対する、彼女の反省も含まれている。
なぜなら、時間が足らず、説明不足だったことは確かだ。
そして、城に来る途中、彼女が彼に説明する時間は十分にあった。
しかし、説明を怠ったため、彼女の説明不足が彼の判断を迷わせ、許可できないと彼に言わせた。
実際、人の体内に直接魔力を流す行為の重大な欠点に焦点を当てれば、魔力暴走を起こす可能性がある “危険行為” だ。
そのため、周辺地域や城にいる者の安全を考えれば、アランは次期王として正しい判断をしたとも言える。
「もういいわ。アランの気持ちは、よく分かったから。それに、私は気にしていないわ、私だって来る時にちゃんと説明すればよかったのよ。そうすれば、状況はまた違ったはずよ。でも、あなたのお父様が助かったのなら、それでいいじゃない」
「本当にごめん。それと、親父のことを助けてくれてありがとう……この恩は、絶対に忘れないから」
「言ったわね? 私、記憶力だけは良いのよ。だから、アランが忘れないでね」
「ああ、ちゃんと守るよ」
いたずらっぽくレティシアが笑うと、先程まで落ち込んだ様子だったアランもやっと笑顔を見せた。
「俺が言ったことは、大抵忘れるけどな」
「うぅ、ごめんなさい……」
「いいさ、もう諦めてる」
暫くの間、ルカ、レティシア、アランは顔を見合わせると、我慢できなかったのか小さく吹き出し、3人は声を出して笑う。
それぞれが、違う立場にいるからこそ彼らは衝突し、時には言い争うこともある。
しかし、今までレティシアは、他人の顔色を窺い、己の気持ちよりも周りの立場を優先してきた。
そのため、協調性はあったが、それは彼女が己の気持ちを押し殺したことで成り立っていたようにも感じられる。
だが、今の彼女はルカ以外にも頼ることを覚え、ルカ以外の意見ともぶつかることを学び始めた。
それは、自分の力だけで何とかしてこようとしてきた彼女が、少しずつ変わり始めてきたのかもしれない。
優しい眼差しで3人の様子を見守っていたリビオ王は、わざとらしく咳をすると、3人は揃って彼の方を向いた。
「楽しそうなところを邪魔して、すまないな。先程、ディーンから報告を受けたのだが、予は呪われておったらしいな?」
リビオ王が尋ねると、レティシアは静かに頷いた。
「はい、確かに陛下は呪われていました。ですが普通の呪いとは、少しだけ違います。陛下、もし人の体内に、継続的に他人の魔力が流れていたら、最終的にどうなるかご存じですか?」
「普通は魔力が乱れる前に、体が拒否反応を起こし、その行為を辞めさせるか、相手に魔力を流して相殺させるな。だが……それができないとなれば、体が先に悲鳴を上げることになるな」
「そうです、私は意識がない陛下の体内に魔力を流しました。しかし、その時は陛下の体内を巡る魔力に合わせて、できるだけ魔力の流れが乱れないように、魔力を流しました。ですが、それを無視した状況で流し続ければ、先程陛下が言ったように体が拒否反応を起こし、体内の魔力は乱れていき、免疫効果を下げることに繋がります」
「ほう? それでは、今回の毒とは別ということか?」
「いえ、私は同じだと考えております。ですが、これはあくまで私の推測です。そのため、もう1度だけ陛下に容体を偽ってもらい、事実を確かめたいのです」
「ふむ、予はただ寝ておれば良いのか?」
「はい、お願いします」
「良かろう。――予は騙されておったのだな……」
右胸を押さえたリビオ王は、悲しげに呟いた。
彼は治療してくれた者を、信じていたのかもしれない。
そのことを考えれば、レティシアは悪態をつく気にはなれなかった。
「……それは、まだなんとも言えません。実際のところ、継続的に魔力を流す治療法が、確かに存在します。ですが……それは、魔力が枯渇する病の延命治療です」
「やはり、予は騙されておったらしいな……一時期、魔力が使えなかったのだよ……その時、これで助けてもらったのだ」
悔しそうに右胸辺りの服を強く握りるリビオ王に対し、レティシアはかける言葉が見つからなかった。
予想していたことだが、実際に彼の口から告げられると、彼の気持ちを考えてしまう。
彼女はやっとのことで「そう、ですか……」と言うと、顔を伏せた。
治療は医師と患者の信頼関係で成り立つことを、レティシアは過去の経験を通じて知っている。
そのため、患者が医者に命を預ける恐怖も、不安も、彼女は理解しているつもりだ。
治療してくれた者に裏切られた彼の心情は、計り知れない絶望に満ちてるのかもしれない。
窓から差し込む朝日は暖かいはずなのに、室内は寒く感じられた。
閉じられた窓は、風によってガタガタと音慣らし、時折小鳥のさえずりが聞こえる。
けれど、誰1人口を開こうとしない室内は、重苦しい空気で溢れていた。




