第98話 運命の狭間で(3)
(肝臓は完全に毒にやられているわね……それに、これは……)
レティシアはリビオ王の全身に魔力を流し終えると、彼から手を離した。
それが合図だったかのように、ルカとステラもレティシアに魔力を流すのを辞めた。
しかし、アランだけが震える手で、彼女に魔力を流し続けている。
「アラン、悪いけど、もういいわよ」
「悪い、こういうことやるの初めてで……」
レティシアは軽く首を振り、「気にしていないわ」と柔らかい声で答えた。
彼女の手がリビオ王の右上腹部にゆっくりと降りていき、その指先からは冷たく澄んだ水属性の魔力が滲み出し始めた。
そして、水属性の魔力を使い、丁寧に毒抜きをしていく。
聖女の力が使えれば、こんなに苦労することもなかった。
だけど、レティシアは聖女ではない。
そのため、地道に処置していくしかないのだ。
「悪いけど、この部屋にたらいはないかしら?」
レティシアが尋ねると、ディーンがベッドの下からたらいを出した。
「こちらに……これでよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわ、ありがとう」
レティシアは、先程毒抜きに使った水をその中に捨てると、またリビオ王の体の上に手を置いた。
魔力を流し、完全に毒が抜けたことを確かめた彼女は、今度は右胸に手を乗せた。
レティシアが魔力を流し始めると、額に最初の一滴の汗が浮かんだ。
そいて、集中が深まるにつれて、汗は徐々に増え、表情も緊張に満ちたものへと変わっていく。
その変化は、彼女の魔力の流れと同じく、静かでありながらも確実に進行していた。
けれど、流れた汗を肩で拭きながらも、彼女は手を止めることはなかった。
だが、それでも彼女の顔には、疲労の色が見え始める。
ルカとステラは、目を凝らしてレティシアの手元を見ていた。
そのため、魔力の流れから、彼女が何をしているのか分かっている。
しかし、魔力が見られない他の3人には、彼女が何をしているのか、分からなかった。
暫くすると、リビオ王の顔色は徐々に戻り、呼吸も落ち着き始めた。
その時、レティシアはやっとリビオ王の右胸から手を退かすと、彼の表情を見て安堵したように微笑んだ。
彼女はそのまま「生命の水」と唱えると、疲労からその場に座り込んでしまう。
生命の水は、光属性と水属性を合わせた回復魔法だ。
その性能は高く、重傷を負って生死の境を彷徨う者にすら使われる。
ただし、消費する魔力量が多く、何度も安易に使えない欠点も持ち合わせている。
「大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫だと思うわ」
ルカはレティシアの体調を心配して尋ねたが、彼女は代わりにリビオ王の容体について答えた。
その予期せぬ返答に、ルカは呆れたようにため息をつき、それを見たステラも、同じくため息を漏らした。
レティシアを見つめるルカの瞳は、どこか寂し気に映る。
それは、どこまで彼女が自分を犠牲にすれば、自分を大切にしてくれるのかと考えてしまった結果なのだろう。
しかし、今の彼女に何を言っても、彼女がそれを正当化させることを彼は分かっている。
「少しだけでもいいから、寝て休め。後は俺が説明しておく」
「それなら、リビオ王が目を覚ましたら、起こしてちょうだい」
「分かった。ゆっくり休んでくれ」
ルカの言葉を聞いたレティシアは、そのまま後ろに倒れるように意識を手放した。
だけど、彼女が床に倒れる前に、予想していたかのようにルカはレティシアを支えた。
その場で寝てしまったレティシアを、ルカは優しく抱き抱えてソファーの方に運ぶ。
彼の足取りは静かで、彼女を見つめるルカの瞳には、深い憂いが宿っている。
彼女をソファーに寝かせた彼は、彼女を優しくなでていたが、その表情はどこか悲しげにも見えた。
今回、レティシアにばかり負担が掛かったことと、彼女が彼を頼らなかったことが、彼にそんな顔をさせたのかもしれない。
ステラはレティシアが眠るソファーに飛び乗ると、まるで彼女を守るように腰を下ろしてルカの方を見た。
『座らないの? ルカのことだから、レティシアに膝枕くらいすると思っていたけど』
「いや、今はこれでいい。ここも安全だとは言えない。それなら、すぐに動けた方がいい」
『……そう。ルカは、いろいろと気にし過ぎなのよ』
ステラがレティシアのおなかの近くで丸くなると、ルカは鼻で笑い空間消音魔法を使った。
意識を手放す前に、レティシアは魔法を解いている。
それは、残っていた彼女の魔力量も関係があったからだ。
城に来た経緯を話しながら、アランはディーンを連れてルカたちの方へとやってくる。
彼はあらかた話し終えると、ディーンに対し座るよう促した。
そして、ディーンは空いている場所に座ると、真剣な面持ちで口を開く。
「ルカ様、お久しぶりでございます。このたびは、リビオ王陛下を助けていただき、ありがとうございます」
ルカはレティシアに視線を落とすと、彼女の頭を優しくなでた。
触れた髪の柔らかさと細さが、まだ彼女が幼いんだと訴える。
けれど、大人のように振る舞う彼女を、彼は幼いと思っていない。
そのため、周りが彼女のことを幼いと判断し、功績を認めないことは見過ごせない。
「俺は何もしてないですよ……礼を言うなら、レティシアに言ってくれると助かります」
丁寧に答えたルカの声からは、何も感情が読みとれない。
しかし、彼がレティシアに向ける視線の奥に、ディーに対する苛立ちが潜んでいた。
「そうですか、それで、もう陛下の容体は大丈夫なのでしょうか?」
ディーンがルカに尋ねると、ステラは明らかに不機嫌な様子で顔を顰めた。
命の危険を冒し、それでもレティシアはリビオ王を助けた。
それにもかかわらず、ディーンの様子から、まるで彼がレティシアの言っていたことを、信じていないようにステラは感じたのだ。
そのため、ステラはディーンを睨むと、体を起こした。
『レティシアが、大丈夫だって言ったから大丈夫よ』
ピリピリとするような怒りが、ステラの声には含まれていた。
そのことで、ディーンは一瞬だけステラに怯んだものの、彼はまたルカに話しかける。
「大丈夫なことは、分かりました。それで、一体陛下の体に何があったのでしょうか?」
「先程レティシアが抽出した物を調べれば、何か分かりますよ。俺も、あれがなんだったのか、分からないので。ただ……その後にレティシアがしていたのは、明らかに解呪です。リビオ王は誰かに、呪いを掛けられていました」
「まさか、そんな……」
信じられないっといった様子で、ディーンは口元押さえると言葉を失くした。
『間違いないわよ? ステラもこの目で、ハッキリと見たからね』
「レティシアが起きれば、俺とステラが分からないことも、彼女に聞けば答えてくれると思います。その時、彼女に気になることは聞いてみてください」
「……分かりました。――では、後は陛下が目を覚ましてからお聞きします」
「そうしてくれると、俺も助かります」
ディーンはルカに頭を下げると、寝ているレティシアに一瞬目を向け、リビオ王の元に戻って行く。
「なぁ、ルカ」
目を伏せたアランは、ルカに話しかけたが、彼の声はいつもよりも暗く沈んでいた。
「なんだ?」
「さっきレティシア、怒ってたよな……」
そう言ったアランの視線は、彼の足元を映し出す。
答えが分かっていても、聞かずにはいられなかった。
様々な不安が、彼の足元には広がっている。
「ああ、あれは完全に怒ってたな。でも、アランにも理由があるんだろ? その理由を、レティシアにも話してやれ」
「分かった……でも、ごめん……大切な時に迷って……」
「それも俺にじゃなくて、レティシアに言うんだな」
「……そうだな」
ルカは、レティシアが怒った理由も、アランが悩んだ理由も理解している。
立場が違えば、ルカもアランのように悩み、レティシアのように投げ出したかもしれない。
しかし、仕事だと割り切っていた場合、彼はどうしていたのか考えてしまう。
そのため、彼女を見つめる彼の表情には、少しの迷いや不安が見られた。
ディーンがルカに尋ねると、ステラは明らかに不機嫌な様子で顔を顰めた。
命の危険を冒し、それでもレティシアはリビオ王を助けた。




