第97話 運命の狭間で(2)
アランたちが泊まる宿屋には、未だにたくさんの見張りが付いている。
そのため、ルカの透明魔法で姿を隠した3人は、見つからないように窓から外に出た。
彼らを照らす月は大きく、全てを暴くかのように神秘的に街を見下ろす。
その月に少しでも近付くように、レティシアが浮遊魔法で浮上すると、3人の足元には街並みが広がる。
「ルカとレティシアも、それじゃ絶対に寒いと思うぞ?」
レティシアとルカの服装を見たアランは、白くなった息を見つめながら言った。
しかし、2人は体の周りに魔力を纏い、過ごしやすいように調節している。
その結果、2人は「大丈夫」と告げたが、そのことを知らないアランは、疑うような視線を2人に向けた。
「あっそ、おれはちゃんと忠告したからな」
アランは呆れたように言うと、少しだけ2人の元から離れた。
耳の奥で聞こえる鼓動は、胸が苦しいほどに脈を打つ。
それは焦りからなのか、それとも不安からなのか、今の彼には分からない。
しかし、彼は深く息を吐き出すと、全身に魔力を巡らせた。
肌には鱗が浮かび上がり、手の爪は鋭く尖り始める。
大きく開けた口には、牙が姿を現し、顔の輪郭が形を変えていく。
体は徐々に大きくなり、彼はみるみるうちに姿を変える。
そのあまりの大きさに、レティシアが一歩後退ると、彼は2人にブルーグリーンの瞳を向けた。
赤いドラゴンに姿を変えたアランは、頭で背中をたたいて彼らに言う。
「背中に乗れよ」
言われるがまま、レティシアとルカがアランの背中に乗ると、アランは不安げな瞳をルカに向けた。
「ルカ、悪いけど、レティシアが落ちないように頼むな」
「ああ、言われなくても分かってる」
アランはルカの言葉に頷くと、大きく翼を広げた。
彼の翼は風を切り裂き、力強い風の音が響き渡る。
レティシアとルカは彼の背中にしっかりと掴まり、彼らの様子を窺っていたアランは飛び始めた。
アランの赤い鱗は月光を反射して輝き、彼のブルーグリーンの瞳は目的地を見据えている。
ある程度の距離を進むと、大丈夫だと判断したのか、彼はスピードを上げた。
「アラン! アランはドラゴンになれたのね!」
「ああ、普通のハーフは中途半端にしか姿を変えられないみたいだけど、おれは魔力量が多いから、完全に姿を変えられるんだよ。このことがバレないように、普段この力は使わないけどな。――前に、ルカがおれの護衛をした時は、まだ力の制御ができなかったから、力の制御もルカに教わったんだよ」
獣人族同士の子どもなら、必ずどちらかの性質を持って生まれることが多い。
けれど、極たまに両方の性質を持って生まれてくる子どももいる。
そして、アランは竜人と人族との間に生まれた子どもだ。
人族と獣人族の子どもは、両方の性質を持って生まれてくる。
そのため、両方の性質を持って生まれた子どもは、姿を変えることが難しいとされているのだ。
「そうだったのね!」
「それより、レティシアはドラゴンを見ても、驚かないんだな」
レティシアは、アランの質問の意味が分からず、首をかしげた。
「なんで驚く必要があるの?」
「えっ? だってドラゴンなんて、初めて見ただろ?」
レティシアは繰り返した転生の中で、ドラゴンを見たことがある。
しかし、その時の彼女もドラゴンを見て驚くことはなかった。
むしろ、ドラゴンを見て彼女は興奮してドラゴンに抱き付いている。
その結果、その行動が逆にドラゴンを驚かせ、暴れさせる結果を招いた。
そのため、今回はできるだけ落ち着いた対応をしたが、それが裏目に出たようだった。
「あっ……ほ、ほら! 私にはステラがいるから!」
アランに言われ、普通は驚くのだと知ったレティシアは慌てて誤魔化した。
だが、レティシアのことを支えていたルカの腕には力が入り、レティシアは誤魔化せなかったことを悟った。
(ルカ、誤魔化したことに気付いたよね……そりゃあ、気付くか……)
「ふーん。すっげぇ~怪しいけど、まぁいいよ。――後さ、城まで行かないから。城の近くには降りるけど、その後はレティシアに頼むよ」
「わ、分かったわ。アランありがとう」
偽りのブラウンの瞳は、通り過ぎる風よりも早く前を見据えていた。
ブルーグリーンの瞳はわずかに揺れ動き、赤い瞳は腕の中にいる人物を見つめる。
アランは、急ぐようにさらに速度を上げた。
それでも、ルカが器用に魔法を使っていたため、アランの背中に乗る2人が振り落とされることはない。
通り過ぎていく風は、空が自由だと叫び、冷たい空気は彼らに寄り添う。
3人の視線の先には、地平線が見え、王都を目指す彼らを待っているかのようだ。
不安も焦りも、戸惑いも恐れも、全てを乗せた赤いドラゴンは、大空を優雅に羽ばたく。
城が見えてくると、アランは徐々に速度を落とした。
このまま進めば、降りる場所がないことを彼は知っているからだ。
彼はゆっくりと羽ばたき始めると、高度が少しずつ下がり始める。
だが、そんなアランを、レティシアが慌てて止めた。
「待って待って! 地面に降りなくても大丈夫よ。ちゃんと浮遊魔法は使えるから問題ないわ」
「そっか、なら元の姿に戻りたいから、降りてくれる?」
レティシアとルカがアランから降りると、彼はみるみるうちに人の姿に戻り始めた。
鋭く尖った牙も爪も消え、先程までの光景が幻のようにすら感じられる。
アランが完全に人の姿に戻ると、浮遊魔法を使ったレティシアたちは、急いで城に向かった。
「レティシア、あそこに見える部屋に向かってくれ」
アランに言われ、レティシアは彼が指定した部屋に向かう。
そして、バルコニーに降りると、彼女は浮遊魔法を解いた。
「悪いな、ここおれの部屋なんだよ」
アランは淡々とした様子で言うと、魔力で窓を開けた。
3人は気付かれないように気配を消し、そのまま室内へと入って行く。
アランの部屋はあまりにも殺風景で、彼の性格からは遠かった。
レティシアが部屋の中を見ていたことに気付いたアランは、悲しそうな声で言う。
「物が少ないだろ? いつ襲われてもいいように、あまりこの部屋では過ごさなかったんだよ」
カーテンが付けられていない部屋には、王子に相応しくないテーブルとソファーが置かれ。
壁の至る所には、鋭いもので切り付けられた跡が残っている。
どんな環境で彼がこの城で過ごしたのか、レティシアには分からない。
しかし、置かれている数少ない家具を見れば、頻繁に襲われていたことは容易に想像できた。
アランはドアを開けると、先頭に立ち廊下を歩き始めた。
白い壁からは冷たさが滲み、赤い絨毯は血を連想させる。
彼は一瞬顔を顰めると、「おれは、城の壁と絨毯が嫌いなんだよ」と小さく呟いた。
かつて暗殺者から逃げる際、傷を負った彼はこの廊下を通っている。
その時に負った心の傷は、今も深い爪痕を残していた。
暫く城の中を進むと、リビオ王の部屋の前にたどり着いた。
辺りは静寂に包まれ、白い壁はより冷たく感じられる。
アランはノックすることもなく、勢いよくドアを開けた。
その瞬間、レティシアが空間消音魔法の魔法を部屋全体にかけた。
突然開かれたドアに驚き、ルークは剣を抜いて走って向かってくる。
けれど、レティシアの後ろからアランが姿を見せると、彼の動きがピタッと止まった。
「ア、アラン殿下?」
「ああ、おれだ。親父の容体が急変したと聞いて、帰ってきた」
「え、えっと……一体どなたから、お聞きになったのでしょうか?」
カーテンレールの上で見つからないように部屋の様子を見ていたステラは、動揺したルークの声を聞いて透明魔法を解いた。
そして、自分の存在を示すかのように、彼女は『ステラだよ』と発言した。
彼女はカーテンレールから飛び降りると、そのままリビオ王のベッドへと向かう。
突然現れた存在に、ルークとディーンは驚き、困惑した表情を浮かべる。
けれど、レティシアはそのことを気にする様子もなく、リビオ王の元へ向かうと、アランとルカも彼女に続く。
「詳しい話は、後でおれからする。だから、2人は少しだけの間だけでもいいから、黙って見ててほしい」
突然のことに状況が理解できていない2人は、アランの発言にただ頷くことしかできない。
室内は張り詰めた空気が流れ、理由が分からない緊張が走る。
リビオ王の近くに向かったレティシアは、彼の手首から脈をとり始めた。
険しい表情で彼女が手首から手を退けると、今度は彼の胸に耳を当てる。
急いで起き上がった彼女は、指から魔法で小さな灯りを出すと、リビオ王の目を開き、指を左右に動かした。
(急がないと危ないわ、本当に使えない聖女ね)
「ねぇ、ディーンさん。この国で他者に魔力を流し込む行為は、違法かしら?」
ディーンはレティシアに名前を呼ばれ、驚いた表情をした。
しかし、彼はすぐにアランの方を向くと、アランは静かに頷く。
「それは、度合いによります。魔力の流れを感じさせる程度でしたら、全く違法行為にはなりません。ですが、全身を巡るように魔力を流し込む行為は、王の許可がなければ、違法行為になります」
「そう、それならアラン。今すぐ許可してちょうだい。今、リビオ王は許可が出せないわ、だからあなたが代わりに許可して」
レティシアはリビオ王の脈を見ながら言うと、アランは眉間にシワを寄せる。
「悪いけど、それは許可できない」
まさか断られると思っていなかったレティシアは、アランの言葉を聞いて思わず手を止めた。
沸々と湧き上がる怒りは、どうしようもない現実を彼女に突きつける。
けれど、怒っても仕方ないと思うと、彼女は静かに目を閉じ、深呼吸を繰り返した。
この国の、次の王が出した決断だ。
もうこれ以上、レティシアにはどうすることもできない。
「あっそ、ならこのまま自分の親が死んでいくのを、その目で見ておくのね。私は、もう何もできないわ」
レティシアは両手を上げて言うと、リビオ王に背を向け歩き出した。
(このまま、ここに残ってもなんの意味もないわね。助けたくてここまで来たのに、アランは違ったの?)
レティシアはそう思うと、悔しさから握った拳に力が入った。
リビオ王の生死は、この国の将来を左右するかもしれない。
しかし、レティシアがアランに知らせたのは、彼に自分と同じように後悔してほしくなかったからだ。
「ステラ、帰るわよ。乗せてってちょうだい」
なんとか気持ちを落ち着かせようとしたレティシアだったが、やり場のない怒りはなかなか収まることはない。
名を呼ばれたステラは、リビオ王のベッドから飛び降りて窓の方へと向かう。
だが、彼女はふと足を止めると、振り返ってアランの方を向いた。
そして、レティシアにだけ聞こえないようにテレパシーを使う。
『良かったね。自分のお父さんの死に際に間に合って』
それだけ言ったステラは走り出し、レティシアが開けた窓からバルコニーへと出た。
その瞬間、彼女は一瞬にして元の大きさへと姿を変える。
ステラの姿を見たディーンとルークは、驚きのあまり口を手で塞いだ。
それは、決してステラの大きさに驚いたのではなく、フェンリルがこの場にいることに驚いたのだ。
「待って! 状況をちゃんと説明してくれ。それから許可するか、もう1度考えるから」
「もういいわ。そんな時間もないもの」
アランの言葉を聞いたレティシアは、振り返らなかった。
だが、レティシアが答えた直後、リビオ王の呼吸は荒くなり咳をしだした。
「陛下!」
ディーンは慌ててリビオ王の様子を確かめると、リビオ王は口から血を吐いている。
ついに始まったんだとレティシアは思うと、近くにいたステラをなでた。
それが合図だったのか、ステラは姿勢を低くし、レティシアが乗りやすいようにした。
「なぁ、頼むよ……説明してくれよ」
泣きそうな声でアランが言うと、レティシアは大きなため息をついた。
「分からないわよ。だから、魔力を流して、その原因が知りたかったのよ」
「……許可する。許可するから……親父を助けてくれ……」
(そういうなら、なんでさっき許可しなかったのよ!)
アランの今にも泣きそうな声がレティシアの耳に届くと、彼女の感情が複雑に絡み合った。
『レティシア、行って。今ここで帰ったら、きっと後悔するわよ?』
レティシアが怒っていたことなど、ステラには分かっていた。
だからこそ、怒りに任せ、帰ってしまったら、彼女が後悔することもステラは分かっている。
「分かったわ……だけど、私が何を言っても質問しないで、指示に従ってほしい。それができないなら、きっぱり今ここで諦めてちょうだい」
「ああ、分かった……従うよ」
「……ねぇ、ステラ、ステラも力を貸してちょうだいね……」
『いいわよ』
レティシアは両手を広げステラを抱きしめ、白い毛並みに顔を押し付けた。
そして、ステラから離れると、彼女は足早にリビオ王の元へと向かう。
小さな姿に戻ったステラも、レティシアの後に続く。
「これから、私の魔力をリビオ王の全身に流し込むわ。だけど、その後の処置も考えたら、私の魔力だけじゃ足りないの。だから、ステラは私の手に触れて、魔力を流してちょうだい。アランはリビオ王の負担を少なくするために、私に魔力を流して」
『分かったわ』「分かった」
ステラはレティシアの左手に手を乗せ、アランはレティシアの右肩に左手を置いた。
「それなら、俺も手伝うよ」
ルカは冷静な声で言うと、レティシアの左肩に右手を置き、魔力を流し始めた。
精霊と契約しているルカの魔力には、精霊の魔力が混ざっている。
そのため、精霊と会話ができるレティシアには、とても扱いやすい魔力だ。
「アランとステラも、徐々に魔力を流してちょうだい」
アランとステラは、レティシアの指示に従い、彼女に魔力を流し始める。
すると、レティシアは彼女の中にある魔力を、目を凝らして見つめた。
彼女以外の魔力が体内に入ったことで、魔力の湖は荒々しく渦を描くように荒れ狂う。
大きな波を立て、今にも湖からは魔力の波が溢れようと押し寄せる。
だけど、レティシアはできるだけルカの魔力に集中し、魔力の湖を整えていく。
次第にレティシアの中にある魔力の湖は、渦を描くのをやめ、穏やかに波紋を描く。
けれど、それも最終的には収まり、彼女の中でひと時の静寂が訪れる。
そして、一滴の雫が水面に落ち、波紋が広がっていく。
波紋が通った後には、水面が鏡のように波1つもない状態に変わる。
その瞬間、レティシアはリビオ王の右手から、血流に混ざぜるように魔力を流し始めた。




