第96話 運命の狭間で(1)
真っ暗な部屋に、深いため息が響いた。
月は分厚い雲に姿を隠し、まるで真実までも隠している気さえしてくる。
ステラが城に向かって、今日でちょうど1週間だ。
王妃の所に送り込んだ黒蝶からは、相変わらず女性の許しを請う声と、王妃の罵倒や怒鳴り声が聞こえてくる。
ステラが王妃を監視していた時も、毎日のようにレティシアは聞いていた。
だが、それは感覚を共有していた時だけの話だ。
しかし、黒蝶に変わってからは、常にあの部屋の会話が聞こえ苦痛に変わった。
人の悪口や、相手を見下す発言を、毎日聞くこと。
それが、こんなにも不愉快でいやなことだと、レティシアは改めて知った。
レティシアは痛む頭を押さえると、部屋に満ちる静寂を背に、ステラと共有していた城での出来事を思い返していた。
彼女は城に移動したステラに、一通り城内を見て回ってもらっていた。
そして、この国の行く末を握っているリビオ国王陛下の様子も、その時に確認してもらっている。
リビオ王の容体は、レティシアが想像していた以上に悪かった。
だけど、なかなか起き上がれないことが、彼女には理解できなかった。
なぜなら、城の中には教会に所属している、聖女がいたからだ。
レティシアの知識にある聖女は、ある程度の病は治せた。
例えばだが、風邪や感染症、解毒薬で治せない毒でも、簡単に治せるのが聖女だ。
それが治せない毒となると、毒ではなく呪いも考えられる。
しかし、たとえ呪いだとしても、聖女なら解呪が可能だ。
そのことを考えると、レティシアはさらに理由が分からなくなった。
レティシアが過去の転生であったことがある聖女もそうだったが、今世でも本に書かれていた聖女は、解毒も解呪もできると記載されていたのだ。
考えれば考えるほど、レティシアは迷路に迷い込んでいくような感覚に陥る。
彼女はおもむろに立ち上がると、暗い部屋の中をウロウロと顎を触れながら歩き回った。
(今、この国で起きている出来事を、1度整理した方がいいわね)
そう思ったレティシアは、その場に座ると陰影魔法を使い、手元を明るくするために灯光魔法を使った。
彼女は空間魔法の中から、羽根ペンと紙を取り出し、時系列を書いていく。
・魔物の狂暴化。
(これは、魔物が操られていると考えて、間違いないわね)
・リビオ王が倒れる。
(これは、倒れた明確な答えが出ていないわね。ステラは毒だと思うって言っていたけど……本当のところは、まだ分からないわ)
・アランが討伐隊に組み込まれる。
(この件だけど……これは明らかに、アランの命を狙いやすくするためだと、考えて間違いなさそうね)
・噴水広場で女性の遺体。
(女性の遺体は、魔物にやられた傷跡が残っていたし、近くに魔導師であることを証明するバッジが落ちていたわ。でも、そのバッジが変なのよね……争った痕跡はなかったから、あんな場所に普通は落とさないと思うし……もし仮に落としても、すぐに気付くはずだわ。そのことを考えると、魔塔の犯行だと思わるための細工か……どちらにしても、わざとあそこに置いたと考えて間違いないわね)
・ガルゼファ王国と戦争が起こる可能性。
(女性の遺体の近くに、バッジが落ちていたから、魔物も女性も魔塔の仕業だと思われているのよね……そのため、エルガドラ王国では、戦争に備えて戦力を集める流れが起きているわ。このまま、リビオ王が亡くなったりでもしたら、確実に戦争が始まってしまいそうね……)
・魔の森と街の中でステラが見た、不審な男たち。
(魔導師のローブを着た男性……そして、ステラが見かけた不審な男性たち。これも、ただ奪ったローブを着ていたのか、それとも本当に魔導師だったのか、定かじゃないわね)
・王妃殿下。
(人族を城の地下牢に閉じ込めているけど、王妃に仕えているなら、彼女たちも貴族よね? あんなことをしても、大丈夫なのかしら?)
レティシアは人差し指と中指で羽根ペンを挟むと、クルクルと回しながら考えた。
だが、一向に考えがまとまらない。
ラウルと会った日から今日まで、ラウルからの連絡は何もない。
そのため、向こうの進行状況も分からず、レティシアはさらに頭を抱えた。
(あーー、もう! 一体なんなのよ!! このままでは、本当に戦争が起きてしまうわ)
焦りからか、レティシアは苛立った様子で頭をかきむしると、そのまま後ろに倒れて大きなため息をついた。
(何かが足りないのよ、でも……その何かが分からないわ)
レティシアはそう思うと、静かに目を瞑り、気持ちを落ち着かせようとした。
深い闇は彼女の思考すら、闇に沈ませる。
時計の針は心地よいリズムを刻み、夢の中へと誘う。
しだいに、重たくなる瞼を、彼女は開けることも困難になり、スーッスーッと寝息が聞こえ始める。
静かな夜は、暫しの休息を人に与え、心の迷路から救い出す。
月は次第に姿を現し、華麗にリグヌムウルブの街を照らし始める。
しかし、そんな静かな夜を、引き裂くような声が、レティシアの頭に響いた。
『レティシア! レティシア!』
「……なに……よ……うる……さい……」
『レティシア! 起きて!』
「……もう……今何時よ……」
レティシアは寝ぼけながらも、あくびをして陰影魔法と灯光魔法を解いた。
『日付が変わって夜明け前よ! そんなことよりも、王様の様子が変よ!』
王様と聞いたレティシアは、勢いよく起き上がると、ステラの視覚と聴覚の感覚機能を繋げる。
『リビオ王の様子が変って、どういうこと?』
『詳しくは分からないわ。でも、ステラが城内を探索していたら、王様の容体が急変したって、兵士が言っていたの!』
ステラは赤い絨毯が敷かれた長い廊下を走りながら、今の状況を説明した。
そして、彼女は人が集まっている部屋に、扉が閉まる前に急いで入って行く。
ステラは人々の足元をすり抜け、王が眠るベッドに近寄った。
周りがステラに気付かないのは、彼女が気配を消しているのもあるが、首輪にも秘密があった。
レティシアがステラに渡した首輪には、透明魔法が付与されている。
その付与を、ステラは器用に使っているのだ。
「陛下! しっかりしてください!!」
部屋の中では、男性がリビオ王の側で手を握って必死に声をかけ続けている。
その隣には、騎士が立っていたが、服装や装飾から見て、リビオ王の護衛騎士なのだろう。
ステラは部屋を見渡せる場所を探していたが、結局いい場所が見つからなった。
そのため、猫ではないのに、カーテンレールの上に登った。
そこからは、ベッドで眠るリビオ王の姿が良く見えた。
リビオ王の顔色は土のような色をしており、とても息苦しそうに息をしている。
この部屋には、聖女と思われる女性と精霊を連れている男性、王の従者と思われる男性。
そして、4人の近衛兵と6名のメイドの他にも、なんらかの役職に就いていると思われる貴族までもが、野次馬のようにリビオ王の音室に集まっていた。
ステラと視覚を共有で見ていたレティシアは、この状況に頭が痛くなった。
普通なら、一国の王が寝込んでいるところに、常識を持った貴族やメイドは、こんなに集まらないからだ。
1部だけ黒い髪をした男性は、悔しげに下を向くと灰色の髪を左右に揺らした。
彼はリビオ王の手を握り、振り返ると片方だけかけているメガネに部屋に居た者たちが写る
彼はキッと黒い瞳で彼らを睨むと、冷静に指示を出す。
「聖女様と精霊師様だけこの部屋に残って、後は退室してください。必要があれば、私がお呼びしますので。――それと、ルーク殿、悪いがこの場に残ってくれ」
ルークは呼ばれた灰色の髪の護衛騎士は、狼特有の耳をピンと上げ、灰色の瞳で前を見据える。
背筋を真っすぐ伸ばした彼は、胸に手を当てながらはっきりとした口調で答える。
「ディーン殿、分かっております。自分が陛下の側を離れる時は、死ぬ時だけでございますので、ご安心ください」
他の者たちは、ディーンと呼ばれた男性の指示に従い、小言を言いながらもゾロゾロと部屋から出て行く。
その様子を見ていたディーンからは、ため息がこぼれた。
きっと彼もレティシアと同じく、野次馬のように国王の寝室に来た彼らの行動に、呆れてしまったのだろう。
「ルーク殿、すまないな。――それでは早速ですが、聖女様、精霊師様、どうか陛下の容体を見ていただけませんか?」
「分かりました。では、ワタシから先に見ますね」
ピンクのウェーブした髪が弾み、聖女と呼ばれた少女は軽い足取りでリビオ王の近くに向かった。
彼女の淡いピンクの瞳がリビオ王を映し、横たわるリビオ王の上に手を向ける。
彼女はレティシアでも聞き取れないほど小さい声で何かを呟くと、リビオ王の周りに淡い光が広がっていく。
そして、その光が消えると、聖女は口を開く。
「先日と同じ見解です。回復魔法をかけておきますか?」
ルークは口を開いて話し始めるような行動を取ったが、その前に精霊師が口を出す。
「その前に、じぶんも陛下の様子を確認します」
「はい! お願いします!」
ルークではなく聖女が答えると、深い緑色の髪の男性が動いた。
精霊師は聖女と同じように何かを呟きながら、リビオ王に手を向けた。
すると、先程と同じようにリビオ王の周りには、淡い光が広がりその光が消える。
「じぶんも、聖女様と同じ見解です。聖女様、回復魔法をお願いします」
精霊師は茶色の瞳に聖女を映しながら言うと、聖女は頬がほんのりピンクに染まる。
そして、彼女は嬉しそうに彼に向かって微笑んだ。
「分かりました!」
床に膝をついた聖女は、祈るように手を組むと唱える。
「天使の羽」
その瞬間、レティシアは驚いてしまった。
その驚きは、今世で初めて聖女の祈りを見たからではない。
レティシアが考えていた回復魔法を、聖女が使わなかったからだ。
(信じられないわ……あれは、回復効果の低い魔法よ! まさか、聖女はあの回復魔法しか使えないの!? だから、リビオ王の容体も、未だに回復しないの?)
それでも、聖女が回復魔法を使ったことで、先程まで苦しそうに息をしていたリビオ王の呼吸は落ち着いた。
しかし、それはステラがこの部屋に来た時と比べた時の話だ。
リビオ王の顔色と息苦しさが、多少良くなっただけで、もう大丈夫だと言える状況ではない。
「これで、ひとまず安心です。では、ワタシはこれで失礼します」
「では、じぶんもこれで失礼します」
「ありがとうございます」
聖女と精霊師の2人は頭を下げると、ディーンも彼らに頭を下げた。
そして、聖女と精霊師は、満足げに部屋を出て行った。
「また、回復効果の低い魔法しか使わなかったな」
悔しそうにルークが震えながら拳を握ったが、ディーンは鼻で笑った。
「ああ、使わなかったんじゃなくて、実は使えなかったりしてな」
2人とも、聖女が回復効果の低い魔法を使っていたことは分かっている。
しかし、彼らは聖女に対し、何も口出しができない。
『レティシア、どうする? 近付いて王様の様子を見る?』
レティシアは先程のリビオ王の容体を考えると、ゆっくりしていられないと思った。
今の状況は、一刻を争い、次にまた同じ状況になればリビオ王は助からない。
これまでの経験から、彼女は瞬時に結論を出した。
『ステラ、少しだけ待ってて。ルカとアランに状況を報告してから、私もそっちに行くわ』
『あ~レティシア、ステラの首輪に、転移魔方陣を仕組んだの? この首輪、ステラだけじゃ取れないよ?』
『転移魔方陣じゃないわ、だけら安心してちょうだい』
『そう、それならいいわ』
レティシアは立ち上がると、急いでルカとアランが眠っている部屋へと向かった。
慌ただしく動く彼女の心臓とは違い、月明かりが照らす室内はとても静かだ。
けれど、今すぐに伝えないと思うと、気持ちが焦り、無意識が働く。
部屋の前に着いたレティシアは、ドアを勢い良く開けると喉にチクッとした痛みが走る。
突然、喉に突き付けられたナイフが、より彼女の心臓を激しく動かした。
暗闇に中で重たいため息が聞こえると、ナイフはスーッと喉元から離れていく。
ルカは、無意識に気配を消していたレティシアを、刺客だと思ってナイフを喉元に押し付けたのだ。
彼はレティシアの首にできた傷にハンカチを当てると、呆れたように話す。
「レティシア、前にも言ったけど、気配を消して勢いよくドアを開けないでほしい……こういうことが起きるから」
「ごめんなさい。急いでいたから、何も考えていなかったわ」
「何があった?」
ルカは部屋の明かりを点けると、アランがガウンを羽織りながらベッドから出てくる。
明らかにレティシアの様子が違うことに、2人は気付いた。
しかし、慌ててしまえば、状況はさらに悪くなる可能性がある。
そのため、2人はできるだけ冷静を装った。
レティシアが真っすぐアランを見ると、彼女は真剣な面持ちで話し出す。
「リビオ王の容体が急変したの」
アランは、レティシアの言葉を聞き、一瞬だけ手を止めた。
けれど、彼はベッドの脇にあった水差しから、コップに水を注ぎ、水を一気に飲んでいく。
「なんで、レティシアがそれを知ってるの?」
アランはレティシアの方を振り向かず、優しい口調で彼女に尋ねた。
彼の中で、動揺がないわけではない。
所詮、普段大人のように振る舞っていても、体の成長が速いだけで、彼はまだ子どもである。
だけど、彼はこの国の王子であり、その自覚が彼を冷静にさせた。
「気になることがって、城にステラを向かわせたのよ」
「ふーん。それで、親父はどうなった?」
「聖女と精霊師が見たけど、あまり良いとは言えないわね」
「そっか……。報告してくれてありがとう」
アランがガウンを脱ぎ始めると、レティシアは慌てて話す。
「あ、あのね! それで私、浮遊魔法を使って、1人で城に行こうと思うの。ダメかな?」
「ダメだ。俺がいいって言うわけがないだろ」
ルカは苛立った様子で言ったが、レティシアは引き下がらなかった。
いや、引き下がれないのだ。
今リビオ王が亡くなれば、間違いなく国民は暴動を起こす。
その流れで戦争が始まってしまえば、ヴァルトアール帝国はエルガドラ王国に手を貸さない。
そのことを考えれば、レティシアは引き下がるわけにはいかない。
「でも、リビオ王の命がかかっているのよ? 私は、このまま見殺しになんてできないわ!」
「ルカ、いいよ。おれが2人を城に連れて行くよ」
アランは服を着替えながら、いつもより弱々しい声で言って振り返った。
「悪いんだけど、できるだけ暖かい格好してくれると助かるよ」
レティシアが見たアランの顔は、いつもよりも頼りなく、今にも泣きそうな表情だった。




