第93話 お気楽なお姫様
眩しさのあまり、思わず目を瞑ったレティシアは、光が弱まると目をゆっくりと開けた。
目の前に広がる風景は、指定された宿屋に来た時の何もない部屋だった。
彼女は辺りを見渡すと、来た時とどこか変化がないか目を凝らしてみている。
アランは隣に立っていたルカの肩をそっとたたくと、彼に耳打ちで話し始める。
しかし、どんなに耳を澄ませようとも、巧みに空間消音魔法が使われた会話を聞き取ることなどできない。
アランはルカに対し透明魔法を頼むと、ルカは快く引き受け魔法を使う。
透明魔法で姿を隠した3人は、部屋のドアから出ると左右を見渡した。
そして、早歩きで来た道をたどるように、タイル張りの床を鳴らさないように廊下を通り過ぎる。
シャンデリアが揺れるエントランスを抜けて外に出ると、今度はレティシア浮遊魔法を使う。
みるみるうちに、3人は地面から遠ざかり、建物よりも高い位置まで上昇した。
上昇したことにより、ラウルが指定した宿屋の周りに複数の見張りがいることがハッキリと分かる。
さすがに、上からの情報だけでは、彼らの人相まで確認できるわけもなく。
3人は人数だけを把握した後、道を歩く人々の様子を注意深く見ながら、宿屋の方に向かった。
宿屋の前にたどり着いたレティシアは、ゆっくりと地面に降りていく。
そして、3人は宿屋の表で息を潜め、扉が開くのを静かに待った。
通りを歩く者は、3人の存在に気付くわけもなく、時間だけが刻一刻と過ぎる。
しかし、彼らは喋ることもせず、周りを警戒しながら、その瞬間を待っている。
茜色の空は、次第に星々が輝き始める深い青色に変わっていく。
風が吹き抜けるたびに、落ち葉が舞い上がり、そのサラサラとした音が耳に心地よく響く。
初冬を予感させるような冷たい風は、落ち葉や家々の家庭の匂いを運ぶ。
街灯がぽつりぽつりと灯り始めると、待ち望んでいた扉が開いた。
その瞬間、3人は足音を立てないように、宿屋に駆け込んだ。
けれど、宿屋に入った後も、3人は警戒しながら進み、階段を上がる。
静かな廊下の床は、今にも音を立てたそうに彼らを出迎えた。
それでも、3人は音を立てることもなく部屋の前に着くと、周りに人の気配がないことを確認して、部屋の中に入って行く。
部屋に入った瞬間、レティシアは部屋全体を覆う大きさで空間消音魔法をかけた。
そして、3人は息を止めてたかのように、口から息を吐き出すと、ホッとしてやっと肩の力が抜ける。
「いすぎだろぉ、どんだけの人数で見張ってるんだよ」
アランが投げやりに言うと、レティシアは冷静に答えた。
「私たちを見失ったから、人を増やしたんだと思うわ」
「にしても、あの数はねぇだろ」
「確かにな、あの数はいすぎだ。それにしても、隠れる気がないのかと思った」
ルカが呆れたように言うと、2人は先程この宿屋を見張っていた人たちのこと思い浮かべた。
3人は顔を見合わせると、思わず乾いた笑いがこ零れる。
それほど、宿屋を見張っていた人たちの、見張りとしてのレベルが低かったのだ。
ソファーに向かう3人は、疲れた様子で歩き、それぞれがよく使う場所に腰を下ろす。
アランは深いため息をつきながら、ソファーにもたれ掛かると天井に視線を向けて尋ねる。
「それで、ラウルのことを2人はどう思った?」
「俺は、まだ何か隠してると思う」
「私も、ルカと同じ意見よ」
「おれも、同じように感じた。それと……レティシアに対して、興味を持ったと思うよ」
「ああ、俺と話していた時に、通信魔道具をレティシアに渡してもいいか聞いてきたよ……だから、魔塔と関わりたくなかったんだよ……」
ルカは重いため息をつくと、ソファーに深くもたれ掛かり天井に視線を向けた。
しかし、すぐに腕を目に当て、彼は視界を塞いだ。
魔塔で働く魔導師たちは、研究職が多い。
そのため、気になったことは徹底的に調べたいと思う性分の人たちも多い。
そして、彼らはほしい物を入手するために様々な手段を使う。
ルカは何度か仕事で行ったオークション会場で、魔塔で働いている魔導師と会ったことがある。
その時、魔導師たちが巧みに品物を落札していた姿に対し、ルカは舌を巻いてしまったこともあった。
「無理やり私を連れて行ったら、ステラがあの国で暴れると思うから、心配はいらないと思うわよ?」
レティシアの言葉を聞いたアランとルカは、深く息を吐き出した。
そして、アランは頭を左右に振ってから、呆れた様子で話し出す。
「やれやれ、本当にお気楽な姫さんだよなぁ」
「本当にな」
アランが言ったことに対し、ルカも同意したように答えた。
そのため、レティシアは眉を顰めると、2人を交互に見て口を開く。
「どういうことよ?」
「あのな……仮にも、相手は王子なんだぞ? 無理やり連れて行くよりも、婚姻を申し込んだ方が確実だ。それに、王族からの婚約を申し込まれたら、侯爵でしかないレティシアが簡単に断れるわけがないだろ? ルカだって、それについては口出しができないし、ガルゼファ王国がヴァルトアール帝国に対し、交友の証に~とか言い出してみろよ……皇帝陛下も断りにくい状況になった場合、遅くてもレティシアは学院を卒業と同時に結婚だ」
アランの話を聞いていたレティシアの顔からは、サァーッと血の気が引いた。
政略結婚があることを、忘れていたわけではない。
だが、レティシアの中で勝手に王族との婚姻はないと考えていた。
しかし、彼女が置かれている状況を考えれば、なんら不自然なことではない。
これまでレティシアは、帝国で皇族が開催するお茶会に呼ばれたことは1度もない。
そのため、婚約者リストからも外されていると、彼女が考えるのは無理もない。
さらに、エディットが亡くなったことによって、余計に王族との婚姻話が出てくるとは、少しも頭になかったのだ。
「その様子からして、王族との政略結婚は自分と無縁とでも思ってたのか? んなわけないだろ……ヴァルトアールの皇后陛下だって、元は辺境伯令嬢だぞ? しっかりしてくれよ」
「まぁ、エディット様のこともあるから、今すぐにそういった話はこないと思うけど、レティシアも今後は十分に気を付けろよ。本当に王家との婚姻の話が出た場合、レティシアがどんなにいやだと言っても、俺にはどうすることもできないからな……」
「……分かったわ」
レティシアが答えると、3人の間には重苦しい空気が流れた。
誰も口を開こうとしないのは、3人とも思うことがあるからなのだろう。
静かに時計の針だけが時を刻み、静寂にならないように音を出し続ける。
緊張感が高まる中、突如としてリビングの壁に3回ノックする音が響いた。
その音は、静寂を切り裂くようで、一瞬、時間が止まったかのようにさえ感じられた。
「今、少しだけ良いでしょうか? お茶菓子とお茶を持ってきました」
ジャンはそう言って歩いて来ると、3人の前にあるテーブルに切り分けられたケーキを置いた。
そして、彼が紅茶を入れ始めると、心を落ち着かせるように紅茶の香りが部屋に広がる。
ティーカップとソーサーが小さく音を出し、3人の前に出されると、3人はお礼を言って香りを楽しんでゆっくりと味わっていく。
話し合いをしている時、お茶菓子と紅茶を出すと、ジャンはすぐに下がる。
けれど、ジャンがその場に留まっていることを、疑問に思ったルカは彼に声をかける。
「俺たちの留守中に、何かあったのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが……。少しだけオレの話を聞いていただけないでしょうか?」
ルカは確認するようにアランとレティシアの方を向くと、アランは「構わないよ」と言いながらティーカップをテーブルに置いた。
そして、どこかいつもとは違う様子のジャンが気になったのか、レティシアもケーキを食べながら頷く。
「ああ、構わない。座ってくれ」
「ありがとうございます」
ジャンは頭を下げてレティシアの正面に座ったが、下を向いた彼はなかなか話をしない。
そのため、促すように、ルカは彼に対して話かける。
「それで、話ってなんだ?」
「実は……、レティシア様が、魔の森から戻られた日にルカ様が見せてくれた破片を、オレは前にも見たことがある気がしたんです……その時は、はっきりとした記憶ではなく、曖昧な記憶だったのですが……確かに、記憶を失う前にあの紫の破片を見たのです」
「ジャン? もしかして記憶が戻ったの?」
「はい。記憶を失う原因になったところの記憶は、まだまだ曖昧ですが……他の記憶はだいたい思い出しました」
その言葉を聞いた瞬間、レティシアは自然に涙が込み上げた。
ジャンは長年フリューネ家で働いてきた。
だけど、記憶を失っていた彼の本名も年齢も誰も知らない。
エディットが生きていた頃は、ジャンにいろいろ出掛けるようにも言っていた。
そして、レティシアが生まれてる前は、思い出すきっかけになればと、エディットがいろんな場所に彼を連れて行った。
そのことを、レティシアは時折エディットから聞いていた。
「そう……良かったわ……お母様が生きていたら、きっとお母様も喜んでいたと思うわ」
「レティシア様、ありがとうございます。エディット様は身元が分からず、行く当てのないオレのことも大切にしてくれました。感謝してもしきれません。エディット様亡き今、エディット様から受けた恩はレティシア様にお返しできるよう、オレも頑張ります」
ジャンもエディットとの記憶を思い出したのか、薄っすらと目に涙が溜まった。
けれど、彼は泣くのを我慢するかのように、膝の上で拳を握りしめている。
しかし、アランは思い出話を聞くために、彼の同席を許したわけではない。
彼の異変を感じて、この話し合いの席に同席を許したに過ぎないのだ。
「思い出に浸ってるところで悪いんだけど、思い出せたところまででいいから、どこでそれを見たのか、おれたちに教えてくれないか?」
「……そうですね。そこら辺のことは、あまり思い出せていないのですが、オレが捕まっていた場所で、男が魔族だと思われる方の胸をナイフで切りつけ、あの紫の破片を入れていたところしか、実は思い出せてないんです……」
ジャンがそう言うと、レティシアは驚きのあまり目を見開いた。
過去に魔族が絡んでいたと思われる事件があったことを、今日ラウルに聞いたばかりだ。
そして、その事件にジャンが巻き込まれていたかもしれない事実に、彼女は驚きを隠せなかった。
(確かに、お母様がジャンを屋敷に連れてきた時期と、ラウルが話していた事件との期間は、だいたい同じ……もしかしたら、ジャンは皇弟殿下がどうなったのか、見ていたのかもしれないわね)




