最終話 ゆうすげびとの席
卒業式の後は「しばらく忙しい」と言って二人を避けていた。
僕には地元の大学に進む気はすでになくて、隣県の大学にこっそり願書を出していた。
後期日程の受験日は卒業式の翌日だった。
二次試験対策は何もしていなかったが、共通一次のリーチだけで逃げ切れる自信はあった。
何も手続きをしないままで三月十五日を見送り地元国立の入学を辞退した。
僕と一緒にキャンパスライフを過ごすため勉強に打ち込んできた真梨子にとってはだまし討ちかも知れない。
合格発表日の夜、佐久間の家を訪ねて事情を打ち明けた。
話し終えると佐久間はムンクの「叫び」のような顔で固まっていた。
現実逃避だろう。
知っているか?ムンクの叫びとは叫びから耳を塞いでいる姿なのだよ。
僕も少しばかり現実逃避しているようだ。
知っているか?今の僕に働いている心理状態を「正常性バイアス」って言うのだよ。
僕も少しばかり現実逃避しているようだ。
佐久間が真顔に戻った。再起動に成功したようだ。
まだ目に光がないが話を続けよう。
「真梨子、怒るかな?」
「はい。マリちゃんは怒ります」
「泣くかな?」
「泣くに決まっとろうが、お前はアホかあ!」
珍しく本気で罵倒された。
「そいで、言いたいことはそれだけか?」
「引っ越しを手伝ってくれ」
「解った。荷物まとめとけ。運ぶのはわしがなんとかする」
「夜逃げみたいに言うなよ。それから」
「夜逃げやろうが。それからってまだあるんか?」
「真梨子に説明しといてくれ」
佐久間はムンクの「叫び」に戻っていた。
翌々日、免許をとったばかりの佐久間は、わざわざレンタカーを借りて、僕を引っ越し先まで荷物と一緒に運んでくれた。
「助かったよ。気を付けて帰れよ」
「和彦、お前には借りがえらい沢山残っとるが、これで一個は返したで」
「貸しなんてないよ」
「マリちゃんのことでは借りだらけや」
「まあ、そうかもな」
「お前がこっちの学校選んだのも、わしとマリちゃんに気い遣ってのこっちゃろ?」
「それもあるな」
「わしには、解っとる。お前はフェアな奴や」
僕が志望校を替えたのは、実は他にも理由があった。
陽子さんを育てた町で暮らしてみたいと思っていた。
その町には陽子さんの実家がある。後から陽子さんのお母さんを訪ねて教えて貰ったのだが、僕のアパートからほど遠くないところに陽子さんのお墓はあった。
その町は僕の愛する人の眠る町でもあった。
僕はその町で四年暮らし、卒業後は地元に帰った。
真梨子と佐久間は、大学一年の終わり佐久間の嫉妬が原因で一度別れたが、僕の執り成しで復縁した。その時佐久間は「また一つ借りだな」と言った。つくづく墓穴を掘るのが好きな男だ。
卒業から三年後、二人は結婚した。
式の始まる前に、僕は二人から控え室に呼ばれた。
ウエディングドレスを纏った真梨子は美しかった。
非常識にもなぜかその場に佐久間もいた。
タキシードを纏った佐久間は、……ただの佐久間だった。
「花婿の控え室はあっちだぞ」
「いや、お前なら絶対、先にマリちゃんに会いにいく思うて先回りしたんや。どや、マリちゃん綺麗やろ。おまえ惜しいことしたよな。人生悔いとるやろ。どうしても、それが訊きとうてな」
佐久間はグヒヒといやらしく笑った。
「紳士協定は憶えてるよな」
「お前こんな時に何考えとんなら!?」
「自信ないの?」
「んなことあるか。しかし、だな……」
「いつでも一度だけは良いんだよな?」
「そうや。いつでん構わん。いつでん構わんけど、今は困る」
「じゃ、しょうがないね。代わりに肩でも揉んでもらおうか」
僕はタキシード姿の佐久間に肩を揉ませた。
「わたしも揉んだげるね」
ウェディングドレス姿の真梨子も一緒に肩を揉みはじめた。
僕は友人代表として真梨子のためにスピーチをした。
高校時代のエピソード。ユーモアに冨み慈悲深く愛らしい天使のような真梨子と、空回りで騒がしくてそそっかしい黒歴史製造機のような佐久間の話をした。
十二分間に及ぶ心のこもったスピーチは真梨子の招待客を号泣させ、佐久間の招待客を大爆笑でテーブルに沈めた。
「佐久間はすでに幸せなので米でもぶつけてやりましょう。真梨子さんが世界一幸せな花嫁になれるよう、皆さん今一度盛大な拍手をお願いします」
そう言ってスピーチを結んだ。
披露宴の後佐久間は「いいもんいいもん俺の勝利だからいいもん」とキャラが崩壊したままで抱きついてきた。当然真梨子と一緒に「この銅メダル!」と蹴りをくれてやった。佐久間は意味も解らず喜んでいた。
確かに佐久間の言うとおりかも知れない。
三年後、真梨子は母になった。
二人との付き合いは今も続いている。佐久間は昔と同じように、いやそれ以上にアホで空回りで騒がしい良い奴だ。紳士協定を匂わせると驕ってくれる気前の良さも昔のままだ。僕に彼女が出来る度に心から喜んで「今度は結婚まで行け!」と激励してくれる。
真梨子は毎年バレンタインには「栗の甘露煮」を作ってくれる。
今年のカードには「今でもあなたが好きです。ちょっとだけ」と書いてあった。
チョコレートでなければ人妻でも何を書いても許されると思っているらしい。
誕生日とクリスマスにはカードを交換するし、休みが合えば一緒にドライブに出掛ける。
僕にも恋人が出来た。
恭子という善良な娘だ。三年来の付き合いだが今年のバレンタインから正式に付き合い始めた。真梨子に対抗して「栗の甘露煮」をくれたが、まだまだ出来は真梨子に及ばない。僕が開業独立したら、公私ともにパートナーになる約束をした。恭子の寛容と善良さが、今の僕にとって最も大切な物だ。
僕は相変わらず電話を待っている。
それはこれからも続く。
陽子さんの居場所は僕の中に残り続ける。
陽子さんの死を真梨子は知らない。
佐久間と恭子は、陽子さんという人がかつてこの世に存在したことすら知らない。
それでいいのだと思う。
僕は今でも陽子さんを好きだし、
真梨子のことも「ちょっとだけ」好きだ。
*おしまい*
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
昔書いた物語を少し手直しして掲載しています。
続編もありますので、いずれこちらで発表したいと考えています。最終章にちょっとだけ現れた「恭子」の物語です。
もしこの物語があなたの心に少しでも「刺さる」ものがありましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価やご感想をいただけますと、作者としてこれ以上の喜びはありません。
また別の物語でお会いできることを願っております。




