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第一話 約束

陽子さんは笑わない人だった。

素っ気ない口調と振る舞いが好きだった。

最初は知るために、そして忘れないために、僕は彼女の話し方や考え方を真似た。

日を追うごとに僕はそれに馴染んだ。彼女に近付き、他の人々から遠くなった。

その事で母は悲しみ、大人達は苛立ち、友達は離れていった。

構わないと思っていた。

正しいとか間違いとかじゃなくて、僕がそうしたかったから。

五年の間、僕は陽子さんのように振る舞い続けた。

思えばそれは意味のないことだった。

僕は陽子さんのすべてが好きだけど、陽子さんは自分自身を好きな人ではなかった。


中学を卒業した翌日、僕は陽子さんと再会した。

ひどくやせ細ってはいたけれど、彼女は変わらず美しかった。

深く傷付き、傷付いてなお、救いを求める事を知らなかった。

そのくせ気の毒なほど不器用な手段で僕を救おうとしていた。

「うん。電話する」

最後に陽子さんは約束をくれた。

陽子さんに約束を守るつもりがないことは初めから知っていた。

僕が待ち続けるのは信じているからではなくて、約束を死なせないためだった。


高校生になった僕は、学校以外の大半の時間を自分の部屋で過ごした。

本を読み、勉強し、彼女の残した九枚のレコードを繰り返し聴いた。

時折絵筆を取った。宛先も分からない手紙を書いた。

つまりは電話を待ち続けていた。



県立高校に進学した僕は、新しいクラスに馴染もうと苦心していた。

しかし少年期の五年間を費やして身につけた習性は、すでに本性になりつつあった。

気をつけて愛想良く振る舞ってはいたが、所詮は僕にとっての「愛想良く」でしかなく、ほんの数日のうちに、誰も用がないかぎり話しかけてはこなくなった。

関真梨子だけが例外だった。

彼女は僕と出席番号が同番で、クラス分けの後しばらく席が隣だった。

「木立君、お久し振り」

「ああ、久し振り」

僕は彼女を憶えてなかった。顔は見たことがあるような気がした。

「偶然だね、うちの中学少ないのに同じクラスになれるなんて」

「そうだね」「これで三年連続か。ねえ、他に誰か見た?」

「さあ」彼女はめげなかった。その後も度々話しかけてきた。

「消しゴム貸して」

「分度器持ってる?」

「シャーペンの芯分けて」

「次、自習だって。ラッキー」

僕はその度に「うん」とか「そうだね」を繰り返すだけだった。

正直なところ、鬱陶しい女だと思っていた。


昼食の時は仲の良い者同士で机を寄せ合うのがクラスの慣例だった。

僕は昼食を摂らないので、いつも給湯場の自販機コーナーでコーヒーを飲んでいた。

その時、僕は間違えて買ったコーヒーを流そうとしていた。

「捨てちゃうの?もったいない」

知らないうちに後ろにいた真梨子に声をかけられた。

「甘いの買ったんだ」

「わたしにくれない?」

「一口飲んじゃったよ」

「良いの良いの。わたしそういうの気にしないから」

僕は気にする方だが、彼女にカップを渡した。

彼女は一口啜ると「美味しいね」と言った。

美味しくないから捨てようとしたのだが。

敢えて何も言わず買い直したコーヒーを飲み始めた。

「ねえ」

「何?」

「いい天気だね」

「そうだね」

「ねえ」

「何?」

「わたし、うるさい?」

「少し」と言いそうになったが、咄嗟に「別に」と言い換えた。

その日から、真梨子は昼休みを僕の隣で過ごすようになった。

真梨子はいつも勝手に話して、勝手に納得して、勝手に笑った。僕も次第に真梨子が傍にいても気に障らないようになった。

半月と経たないうちに僕と真梨子が付き合っていると噂され始めた。

真梨子は否定も肯定もしなかった。僕には誰も訊かなかった。

五月の連休が始まる頃にはほぼ「公認の仲」になっていた。

「連休中、予定ある?」

「ないよ」

「どっか行かない?」

「行かない」

「なんで?」

「混んでる」

「なら、連休明けの日曜ね」


こうして僕と真梨子の初デートが決まった。騙されたような気がした。

初めてのデートは美術館に浅井忠展を見に行った。二度目は映画。三度目が植物園の「世界の食虫植物展」、その次は水族館にラッコに会いに行った。いつも気が付いたら約束させられていた。

僕は真梨子を誤解していた。彼女は必要なら「黙っていられる」女の子だった。

そのかわり帰りがけに喫茶店によると真梨子は火がついたように喋りはじめた。

勝手に喋ってころころと笑った。そういう時はちょっと可愛いなと思った。

決まって夕方になると真梨子は「もう少しだけ」と帰るのを嫌がったが、

「電話、待たないといけないんだ。ごめん」そう言うと、素直に納得してくれた。

僕はいつも帰る理由に「電話を待たないと」と言ったが、真梨子は「誰から」とか「どんな」とか、僕が答えたくない事は訊かなかった。

彼女は賢明だった。

真梨子に恋愛感情は一欠片も持ってはいなかったが、僕は彼女との交際を楽しんでいた。


夏休みに入ると真梨子と会う機会はなくなった。

たまに電話を掛けてきたが、僕は長電話を極端に嫌った。

真梨子にしてみれば口実を見つけないと掛けられない雰囲気を感じていたらしい。

少し真梨子から離れてしまうと、一人の方が気楽に感じられるように戻っていた。

孤独な状態を好んでいたわけではなくて、僕にはそのほうが自然だった。

つまりは電話を待ち続けていた。


夏休みの終わる三日前、真梨子が電話を掛けてきた。

「すぐ終わるから、ちょっとだけ」

と、真梨子は言った。明日会いたいというだけの話だった。

翌日、待ち合わせた喫茶店で真梨子と会った。真梨子は髪にパーマを掛けて化粧をしていた。僕は、雰囲気の変わった真梨子にいささか戸惑った。

「明日には戻さないといけないでしょ。今日中に見せたかったの。どう?」

「どうって、似合うよ」

「そうじゃなくって、大人っぽく見えない?」

「そう言えば、そうだね」

「ごめん失敗」

「何が?」

「これハワイのお土産」

そう言ってマカダミアナッツチョコをくれた。

旅先での話を色々してくれたが僕は内心退屈だった。それは真梨子にも伝わっていたらしく、話し続けるために話してるみたいで辛そうに見えた。


二学期に入り真梨子との交際は再開した。

前のように一緒に出掛けることは少なくなったが、登下校や校内ではいつも一緒に行動するようになった。クラスでは完全にカップル扱いされるようになり、席替えの時二人の席はまた隣り合わせた。

僕はその状態に満足した。

真梨子は不快に感じさせるタイプではないし、僕にとってはただ一人の親しい友人だ。真梨子が嫌がっていないならクラスの連中がどう誤解しても僕たちには関係ない。真梨子のおかげで僕は少しだけ周囲に馴染めるようになり、「話しやすくなった」と言われたこともあった。

どうやら「変人」から「無口な人」に昇格したようだ。冬が近付く頃、不意に真梨子に訊かれた。

「わたしといて楽しい?」

僕は「もちろん楽しいよ」と答えた。真梨子は淋しそうに笑ってみせた。

その頃から、僕は陽子さんの事を少しずつ真梨子に話すようになった。

「木立の好きな人って年上だよね?」

真梨子が訊いたことが切っ掛けだった。

「そうだよ」

「何歳くらい?」

「僕らより、ちょっと上かな」

「先輩なんだ?」

「そうじゃなくて、僕と君を合わせたより、ちょっと上」

真梨子は驚いていた。

「随分離れてるんだ」

「まあね」

僕はちょっと得意だった。

彼女の美しさや価値観、話した言葉や、描いた絵について語るのは楽しかった。

陽子さんの話題の時だけ、僕は雄弁な話し手になった。

真梨子は他人に話してよい話題とそうでない話題の区別がつく女の子だと解っていたから、安心して大抵のことを話せた。

真梨子も好んで陽子さんの話を聞きたがった。


クリスマスが近付く頃、不意に真梨子が訊いた。

「電話の相手って、陽子さんって言うんだよね」

たまに零れる陽子さんの名前を真梨子の耳は拾っていた。

「そうだよ」

「そっか。毎晩、掛けてきてくれるんだ。いいなあ遠距離恋愛……」

少し迷ったけど、陽子さんとの約束について話した。


中学一年生の春まで陽子さんの元に通っていたこと。

本を借りたり、レコードを聴いたり、陽子さんの気が向いた時には絵を教わったり、ピアノを教わったりしたこと。

そして彼女から遠ざけられた事。

三年近く経った今年の春、彼女が引っ越す直前に呼び出された事。

その時「電話する」と言ってくれた事を話した。

真梨子はしばらく言葉に詰まった。

「三年ぶりに会えたのが、今年の春?」

「うん。三月十一日。半年ちょっと前だね」

真梨子は怒っているようだった。

「木立は待ってるんだよね。毎晩」

「うん」

「あのさ、怒らないで聞いてね」

「何?」

「多分、掛けてこないよ。待ってても」

「そうだね。僕もそう思うよ」

「なんで待ってるのよ?」

「約束したから」真梨子は泣きそうな顔をしていた。

「わたしね。陽子さんの事、ちょっぴり嫌いかも」

「まあ、そんな誰からも好かれる人じゃないから、でも、ほら、僕だってそんな感じだし真梨子も……」

真梨子は顔の形が歪むほどきつく目をとじて首を傾けた。

「そういう話じゃなくて……」

真梨子は口を噤んだままで、それ以上何も言おうとはしなかった。


その後も真梨子は何かにつけ陽子さんについて僕に訊ねた。

僕はその度に、彼女の人となりや口癖や仕草について話した。

「陽子さんならこんな風に言う」

「こう思うだろう」

「こう感じるんじゃないか」

そんな言い方をする事もあった。

僕は真梨子に陽子さんを知って貰えるのが嬉しかった。

そして、その度に真梨子は傷付いた。

僕は真梨子の気持ちに気付いていたし、彼女も隠さなかった。

僕は陽子さんの思い出を話せる相手を求めていたし、それは真梨子の他にいなかった。話すことで僕は癒されたが真梨子は傷付いていた。

それは傷を移し替えるだけの残酷なカンバセーションだった。

僕は真梨子を利用していた。


次第に真梨子は口数が少なくなり、沈みがちになった。心配した真梨子の友人から「木立君が二人になっちゃったみたい」と冗談まじりに抗議された事もあった。

そして真梨子は笑わなくなった。陽子さんのように。

僕はそんな真梨子に初めて異性として惹かれ始めていた。

酷い話だと思う。

「わたし、会ってみたいな。陽子さんに」

「うん。僕も会いたい」

「会いに行っちゃいなよ」

「無理だよ。待つって約束したから」

「そっか。ごめんね」

「ごめん」

その頃の僕たちは互いに謝ってばかりだった気がする。


約束から一年が過ぎた。

僕たちは二年生に進級した。

僕は、つまりは電話を待ち続けていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

本作は昭和の終わりから平成の始まりにかけて、不器用な三人の若者が過ごした3年間+αを綴った物語です。

スマホもSNSもなかったあの頃、受話器の向こう側の声を待ち続けるということが、どれほど残酷で、どれほど切実な祈りだったのか。そんな空気感を感じていただければ幸いです。

全五話、すでに完結まで書き終えております。

本日中に全話更新予定です。もしよろしければ、この三人の行く末を最後まで見守っていただけると嬉しいです。

面白い、あるいは続きが気になると感じていただけましたら、ブックマークや評価などで応援いただけると執筆の励みになります。

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