25.美少女騎士(中身はおっさん)と青ドラゴン その03
パブの窓から港へ飛んだウーィルは、まったく迷わなかった。
自分でも何故なのかはわからない。そもそも、なぜ自分が空を跳べるのかもわからない。しかし躊躇はない。彼女には、声が聞こえていたのだ。必死に助けを求める声が。ウーィルは、その声に抗う気などまったくなかった。
そう、……向かうべきは埠頭。やるべきは声の主を助けること。倒すべき相手は水の法則を司る守護者、青ドラゴンどもだ。
空から見下ろす埠頭の上、人間がふたり小型ドラゴンの群に囲まれている。毛むくじゃらのでっかい男はよーく知っている。そしてその背中に庇われる少年。
いったい何カ所負傷しているのか。血だらけのオオカミ族の青年がついに剣を取り落とす。膝をつく。その場に崩れ落ちる。絶望的な状況。とどめのブレスを吐くべく、ドラゴンが大きく口を開く。
間に合わない。
ウーィルは、乗っかっていた剣から跳び降りる。落下の勢いのまま柄を握る。空中でそのまま剣を振り下ろす。
切っ先が空を走った軌跡そって、空間に黒い筋が走る。それがドラゴンめがけて飛ぶ。
ああ、だめだ。身体が動かない。俺、まだ一人前ではないみたいだ。……ごめん、おっさん。
それは、力尽きたジェイボスが目を閉じようとした瞬間だった。
スパッ。
ほんの数メートル先、ジェイボスにとどめのブレスを吐こうとしたドラゴンが、唐突に動きを停止した。
ゆっくりと、ゆっくりと、ドラゴンの首が落ちる。切断面から噴水のように鮮血が吹き出し、頭上から降りそそぐ。
……救援の騎士? 間合いの外から斬ったのか?
ジェイボスは、一瞬遠くなりかけた意識を強引に現実に引き戻す。最後の力を振り絞って顔をあげる。目を見開く。
誰だ? 誰の剣だ?
彼の真上、眩しい太陽の光の中に人影が踊る。だらしのないシルエット。冴えない服装。黒くて長い剣。不敵な表情。
おっさん?
……そうか。おっさん、やっぱり生きてたんだな。死んだなんてウソだったんだな。あんたが来たのなら、安心だ。
ジェイボスの身体の力が抜けた。
「……んんんん、あれれ、じぇいぼす? なんれあんたがここにいるのら?」
ちょっとかん高く、ちょっと鼻にかかったロリボイス。その姿はとにかく小さくて、華奢で、細くて……。人とドラゴンの血と肉片が飛び散るその場にはまったくそぐわない。
「き、騎士様?」
そんなウーィルをキラキラした目で見つめているのは、ジェイボスの大きな身体の下から這い出してきた少年だ。
さっきの助けを求める声の主、だよね? オレはこの少年を助けるために来た、はずだ。……でも誰だっけ、この少年。
メガネ。耳が長い。全体的に線が細い。
ウーィルは頭を捻る。自分は確かにこの少年を知っている。でも、思い出せそうで思い出せない。くそ、頭の中にモヤがかかったかのようだ。ついでに胸が気持ち悪い。……酒のせいだな、これは。
「あ、あぶない騎士様!」
叫んだのは少年だ。
どすんっ
背中に振りおろされた爪を、ウーィルはほんの三センチ身体をずらし、余裕で避ける。
おそい!
振り向きざま、のろのろと動くドラゴンの首の下から剣を振り上げる。一閃。二頭目の首が飛ぶ。
そのまま上に飛ぶ。自分でも信じられないほど飛べる。剣も身体も羽のように軽い。体重が無いかのようだ。
空中でドラゴンと正対、驚いた顔のトカゲ野郎を正面から縦に割く。
うっぷ!
また酸っぱいものがあがってきた。
うぇぇぇ、気持ち悪い。これ以上空中を跳びまわるのは、いろいろとまずいような気がする。……ええい、めんどくさい。まとめて斬ってやる。
落下する前に別の個体を踏み台に、背の上に仁王立ち。そのままトカゲ共が密集する空間めがけて再度、空間を斬る。裂け目を飛ばす。三頭まとめてバラバラの肉片にする。
「騎士様! うしろ!!」
またも少年の声。振り向けば、踏み台にしているドラゴンが首を後ろに向けている。自分の背中の上にいるウーィルに向け冷凍ブレスを吐こうとしている。
「そのまま体重をかけて潰しちゃえ!!」
自分でもどうやったのかわからない。とにかくウーィルはもう動きたくなかった。だから少年の声に従っただけだ。
がくんっ
ウーィルが背中を踏み台にしているドラゴンが落ちる。翼は健在だ。必死に羽ばたいている。しかし垂直に落ちる。まるでウーィルの体重が一瞬にして山のように重くなったかのように。
へぇ。不思議だなぁ。
ウーィルは他人事のようにつぶやく。ドラゴンの様子を見るに、ウーィルが重くなったのは確かなのだろう。そういえばさっき空を飛んだときは、身体が軽くなったような気がしたな。もしかしてこの身体、体重を自由に変えられるのか?
ずしん。
ドラゴンが地面に落下。埠頭のコンクリートにめり込む。それでもドラゴンはあきらめない。この世界最強の生物としての矜持をかけて、渾身の力を込める。背中のウーィルを振り落とそうともがく。
あきらめのわるいドラゴンだな。
ミシ、ミシ、ミシ
だが、ドラゴンは動けない。背中に乗る少女の圧迫。地面がさらにめりこむ。いったいどれだけの重量がドラゴンの背中にかかっているのか。
ぎゅぎゃあああああああ!!
ぐしゃ!
イヤな音。そして断末魔の咆哮。最後のドラゴンが、ウーィルの体重によって潰れたのだ。
さいご?
視線を上にむけると、取り囲んでいたはずの無数の小型青竜どもはみな上空へ逃げていく。港にいる軍艦の機銃や大砲が、いままで撃てなかった鬱憤を解放するかのように轟音をたてて空中のドラゴン達を狙って撃ちまくる。……しかし、飛行機と比較しても小さな目標がバラバラの方向に逃げていくのを狙っても、そうそう当たるものではないが。
海軍、警察、騎士団。さまざまな制服の武装集団が現場に集まったのは、ドラゴンが去ってから30分ほどたってからだった。まずジェイボスなどのけが人が病院に搬送された後、それぞれの集団による現場検証がはじまった。殿下の前で自重はしているが、あからさまにお互いを牽制し合いながら。
公都の港での突発的な大規模な戦闘、しかも連合王国海軍を巻き込み、よりによって狙われたのは殿下だ。後始末は政府をあげての大騒ぎになるだろう。
「また助けてもらうことになるとは、おもっていませんでした。本当に、本当に、ありがとうございます」
大人達の喧噪をよそに、ドラゴンの血にまみれた少年が頭をさげる。相手は、サイズがあっていないブカブカの服装に長い剣をもった少女だ。
「はっはっはっはっは、きにすることはないれすよ。わらしはきしですからぁ」
……で、だれだっけ、このしょうねんは?
声を出さずにバルバリ爺さんに尋ねる。
爺さんは呆れ顔で教えてくれた。なんと、オレの目の前にいる線の細い少年は、ルーカス公王太子殿下なのだそうだ。
えええ? オレだって騎士だ。殿下の顔くらい知っていたはずだ。護衛任務とかで何度も顔を合わせた事だってあるはずだ。なのに、すっかり顔を忘れているなんてことがあるのか? オレってそこまでアホだったか?
ちなみに、もともと殿下が仕切る予定だった連合王国の戦艦の出迎え式典は、明日あらためて行うことになったそうだ。だから、殿下はもうお帰りになっても良いはずなのだが、なぜかまだ現場に残っている。わざわざオレに礼を言うためらしいが、助けてやった事なんて気にしなくてもいいのになぁ。
「……騎士ウーィル・オレオ。私はあなたに謝罪させていただきたいことがあります」
ん? ジェイボスが殿下を護って死にかけたことかな?
大丈夫。気にしないでいいよ。あいつ、重傷だけど命には別状ないって。ホント頑丈だよな、オオカミ族。
「ち、ちがいます。……いえ、騎士ジェイボス・ロイドには、別の機会にお礼をさせていただきますが、私がいま謝りたいのは騎士ウーィル・オレオ、あなたです」
真剣な顔の殿下。ちょっとかっこいいかも。
「……あなたは覚えていないのでしょう。でも、だからこそ、私はあなたに謝らなければならないのです」
殿下が必死に言葉を選んでいるのがわかる。だが、まったく心当たりがない。パブで気持ちよく寝ていたのを、殿下の声で起こされた件か? そもそも、あの時なぜ殿下の声が聞こえたんだ? なぜオレは彼を助けなきゃと思っちゃったんだ? ドラゴンと戦闘中にもいろいろ声をかけられたような気がするし。……うーーむ、わからない。
「お礼と、そしてお詫びを、あらためてさせてもらいたいのです。できれば公王宮にお招きして、事情をすべてご説明した上で。……よろしいですか?」
殿下がウーィルに問う。おそるおそるといった体で、ちょっと上目遣いで、……なんというか、こういうところはちょっと女の子っぽいなぁ。ていうか、形式だけとはいえ騎士ってのは公王家に仕えてるんだから、言いたいことがあるんなら呼びつければいいんだよ?
「ああ、もちろ……」
胸をたたいたウーィルが、突然その場にしゃがみ込んだ。
おえっぷ!
「ど、どうたんですか? 騎士ウーィル。顔色が真っ青! だいじょうぶですか?」
き、気持ちわる、……おええええええ。
騎士ウーィルは、胃の中のものをすべて埠頭から海に向かってリバースしたのだ。よりによって殿下に背中をさすられながら。
2020.02.09 初出