Ⅸ
『貴女にお願いしたいことがあってきました』
あの少女がやって来たのは日が昇るか、昇らないかのまだ日が明け切れていない頃だった。
彼女は宮廷騎士として、城で働いており、許可がない限り、城の中から出ることが出来ないことになっている。それなのに、どうして、私の家まで来ることが出来たのか不思議で仕方がなかったが、この子の常識が一般の尺度で測れるものではない。
『明日の夜、空間魔法を使って欲しいのです』
私は彼女の言葉を聞いて、驚愕の表情が出てしまう。彼女は空間魔法を何に使うつもりだろうか?
『………あの人から逃げる為か?』
もしそうだったとしたら、協力しないわけにもいかない。あの少年やこの少女を城と言うシステムにぶち込んだのは他ならぬ私だ。私がこの少女達を逃がした後、あの人に殺されることになっても、私は文句を言うことはできない。これは自業自得なのだから。
『確かに、それで逃げると言う方法もありますが、その場合、一生逃げ続けなくてはいけない羽目になります。それは私も彼も望みません。だから、私達は自由を勝ち取る為の賭けをしました。鏡の中の支配者、いや、“蒼狐”と』
この少女の言葉に、私は絶句するしかなかった。私はあいつの実力を嫌と思うほど知っている。どう考えても、この少女達があいつに敵うはずがない。
『明日の夜、彼と蒼狐が一対一で闘います。その時の場所に移動する為に、貴方の力が必要です』
『お、お前、何を言っているのか分かっているのか!?あいつ相手に、お前ら二人でも敵うはずがないのに、黒犬一人ではもっと無理だ』
勝負が決まっているとしか言いようのない賭けをする必要がある?
『………彼が負ければ、私は宮廷騎士を辞めて、教会側に入るつもりです』
この少女の言葉に、私は目を見開く。
『彼を助けるにはハイリスクがあっても、やらなければならないのです。そうしなければ、彼を助けることができません。ですが、私は諦めません。私達は逃げてはいけないのです』
―貴女はこのまま逃げたままで、後悔しませんか?―
あの時、この少女が私に向けて言った言葉が蘇る。この少女と初めて会った日、気分が乗らず、あの少年の修行を取りやめたら、この少女が家にやってきて、そう言ったのだ。
逃げたままで後悔するなら、何か行動を起こして後悔する方がいいはずです。過去はもう戻らないのだから、を後悔しないように生きることが大切です、と。
時々、この少女は私より年下のくせに、私より大人びたことを言ってくる。
私は逃げません。それなのに、貴女は逃げるのですか?
そう言っているようで、腹が立ってくる。この少女のことを好きにはなれない。だが、嫌いにもなれない。
それはこの少女がいろいろな人に幸せを呼ぶ鳥であり、私が守りたいと思う少年に幸せを与えてくれる存在だからである。
だから、渋々、あの少年の傍にいることを黙認していた。
おそらく、この少女はこの賭けに負けたら、彼の傍にいる価値がないと考え、自ら彼の傍から去るつもりなのだろう。
もしそうなれば、あの少年は壊れてしまうだろう。あの少年にはまだこの少女が必要なのだ。
だから、私が協力することによって、勝率があがるなら、喜んで協力しよう。
『………分かった。その代わり、場所は私に決めさせてくれ』
私がそう言うと、この少女は驚いた様子を見せる。
『別に構いませんが、何処にするつもりですか?』
『………アレフと言う村があった場所だ』
私がそう言うと、この少女は目を見開いて、こちらを見る。この少女が表情と言うものを見せるのは滅多にない。ということは、それほど驚くべきことだったのだろう。
『………そこを頼もうとしていましたが、貴女からそう言いだすとは思いませんでした。どういうつもりですか?』
この少女はそう尋ねてくる。
『……別に、黒犬を勝たせる為だけにそこを選んだんじゃねえよ』
そう、この少女やあの少年が逃げないと決めたのなら、私達も逃げたままにしてはいけないのだ。
そう、これはあの少年の為の闘いでもあるが、あいつの為の闘いでもあると思うから………。
***
戦いの合図と同時に、鏡の中の支配者は挨拶代わりにと、俺に業火を浴びせる。咄嗟に、俺は水の防御壁でその炎を相殺する。
これが彼の本気と言うわけではないだろう。おそらく、俺がどれくらいできるかの様子見程度のはずだ。
俺はそこまで攻撃魔法に特化している方ではないので、攻撃魔法は数えられるくらいしか覚えていない。攻撃は青い鳥に任せっきりだった為、覚える必要性を感じなかった。その上、あの魔法があった為、そこまで強力な魔法を覚える必要もなかった。だが、この戦いは青い鳥は参加できないし、召喚獣を使うことを禁止されている。
俺の召喚獣がどれだけ強かろうと、鏡の中の支配者の特異能力はそれ以上に厄介なものだと、あいつが判断した結果だと思うが、それでもかなり厳しい。
魔法使い同士の戦いでは魔力量とどれだけ魔法発動の時間を削れるかがカギとなる。魔力量はほぼ互角としても、発動時間はわずかながら、鏡の中の支配者の方が上だし、そもそも、彼は戦い慣れ過ぎている。正攻法ではどうあがいても、彼に勝てるはずがない。
鏡の中の支配者は次に突風を起こしてくる。俺は土の盾でこれも分散させる。このままでは埒があかない。
「………黒犬君、反撃しないと、お兄さんには勝てませんよ?」
鏡の中の支配者はつまらなそうに俺を見る。
「そんなこと言われたって、下手に攻撃したら、俺の負け決定だ!!」
攻撃魔法を使えば、その一瞬、俺は無防備になり、そこへ一撃でも攻撃を入れられたら、俺のKO負けだ。断罪天使や青い鳥のように、俺はタフではない。一撃でももろに食らったら、その時点で終わる。
「まあ、貴方が攻撃魔法を使っている姿はあまり見たことはありませんけどね」
彼は皮肉を言ってくる。青い鳥と言う相手を引き寄せてくれる前衛がいてくれるから、攻撃魔法がさほど得意でもない俺が攻撃に撃って出ることが出来た。
だが、今は青い鳥の助けは当てにすることが出来ない。つくづく、俺は単独で戦うことに対して、不得手である。一方、彼はほとんどの仕事を単独でこなしているそうなので、そこから見ても、俺の不利がよく分かる。
「なら、お兄さんの能力使用を許可してくれれば、君のところの犬君を出してもいいですよ?」
彼は魅力的なことを言ってくるが、
「騙されないでください!!彼に能力を使わせたら、その時こそ、貴方はこの世界に存在しない人になります」
青い鳥からの野次が飛んでくる。本当に、鏡の中の支配者の能力はどんなに恐ろしいものなのだろうか?気になるが、知らない方が幸せだろう。おそらく、俺が知った途端、天に召されていることだろう。
「貴方から来てくれないのなら、こちらから行かせていただきます。長引かせるとこちらの不利ですから」
なんせ、一時間が過ぎれば、貴方の勝ちですし、と、鏡の中の支配者はそう言うと、無数の氷の矢が俺目がけて降ってくる。
「うわっ」
俺は呻き声を出し、素早く魔法陣を展開し、突風で氷の矢を吹き飛ばした瞬間、
「………ぐっ」
何かが俺の脇腹をかする。その正体を見てみると、地面から大きな棘のような突出物があった。十中八九、鏡の中の支配者の仕業だろう。次の瞬間、俺に目がけて地面から棘が出てきて、俺を襲ってくる。
俺は歯を噛みしめて、避ける。間髪入れずに、鎌鼬が襲ってくる。腕や足は勿論、身体も傷だらけで、洋服は血塗れである。
このまま、鏡の中の支配者の猛攻撃に倒れるのも時間の問題である。このままだと、俺の負けが決定する。そしたら、俺はあのシステムの中、一生出ることができなくなるし、あいつは教会から逃げられなくなってしまう。
あいつは再生人形のお陰で、戦いとは無縁の世界に生きることを許された。なのに、俺を助ける為に、その平和が奪われることになってしまう。
そして、俺は一生、あいつと会うことがないことだろう。あいつは不幸を撒き散らしてはいるが、それ以上に、あいつに助けられた部分も多い。そして、今回も俺の為に文字通り自分の人生まで懸けて、俺を助けようとしてくれている。このまま負けてしまったら、あいつの信頼を裏切ることになってしまう。
それは駄目だ。やっと、あいつの背中を預けられるまで信頼してくれた。だから、俺はいつが誇れるような相棒になろうと思った。人々が俺をどうしようもないお人好しと言おわれようと構わない。
俺は滅多に笑わないあいつの笑顔を見てみたい。あいつが幸せなところを見てみたい。
そうすれば、俺はあらゆる意味で、あいつに恩を返せたと思うから。
このまま離れ離れになるようなことはしたくない。あいつに、八年前、自分の故郷を離れることになった時のように、寂しい想いを二度とさせたくない。
俺は大剣を抜き、自分の血で大剣に魔法陣を描き、に向かって、走って行く。彼は俺に向かって、炎を浴びせるが、避けられないなら、多少のダメージを覚悟して、突っ込む。
最初から、魔法の専門家を相手にして、魔法勝負に挑んだのが間違いだったのだ。
俺はある程度、彼との距離を縮めると、大剣を地面に刺し、魔法陣を発動させる。すると、砂嵐を起こし、鏡の中の支配者の視界を奪う。
すると、彼は魔法陣を発動させ、突風を起こす。そのタイムラグはおよそ二秒。その間に、
「おりゃあ」
一度地面にブッ刺した大剣を引き抜き、投擲の原理で鏡の中の支配者目がけて、投げつける。すると、彼は驚いた表情を浮かべ、咄嗟に、風を起こし、軌道を逸らして、鏡の中の支配者のいるところから軌道が逸れて、地面に刺さる。その時、ピシッと大剣の刃にひびが入った音が聞こえた。だが、今はそんなことを気にするほど余裕はない。
俺はその間に彼の懐までに入りこみ、血塗れになった手に魔力を力一杯込めて、彼の腹に一撃を入れる。
「………っがは」
流石の鏡の中の支配者もこの至近距離では反応できなかったようで、バキッと音を立てて、もろに直撃し、後方へと吹き飛ぶ。
ただ魔力を込めてぶん殴るという荒業だが、特別製の棺や立派な扉を粉砕させてしまうほどの威力はある。それを人体に叩きこまれたのだから、無事で済むはずがない。
このまま倒れてくれれば、俺の勝ちなのだが、彼がそんな生易しい相手でないと言うことは分かっている。
「………よくもやってくれましたね。黒犬君」
彼はいつも通りの口調だったが、目は血走っていた。
「お兄さんにこれほどの痛みをお見舞いしたのですから、覚悟はできていますよね?」
その瞬間、俺は得体の知れない恐怖に駆られる。頭の中で危険信号が鳴り響く。本能的に悟る。逃げないと殺される。
その刹那、俺がいた空間が歪む。何が起きているのか?何が起きようとしているのか分からない。
「黒犬、あいつを止めろ!!」
赤犬さんはこの後起きることに気付いたようで、切羽詰まった様子で叫び、俺に近寄ろうとするが、その瞬間、結界のようなものが邪魔する。そこから見て、俺は彼の結界魔法の類の中にいるようである。異質な魔力を感じ取れる。この魔法がどんなものか分からないが、このままでは、俺の身が危険である。
俺は彼を止めようと、魔法陣を発動させて、彼目がけて炎をぶつけるが、彼の目の前で消失してしまう。
何が何だか分からなくなり、頭の中ではパニックを起こす。何とかしないと、殺される。そう思い、魔法陣を発動させるが、どれも、彼の前で効力をなくす。
俺の頭を絶対的な死への恐怖が支配し、身体中は震えが止まらず、動くことが出来なくなっていった。
俺はこのまま死ぬのか、そう思った刹那、
「貴方は絶対死にません。私が死なせません。だから、奇跡を起こして下さい!!」
あいつの声が俺の耳に響く。こんな絶望的な展開になっても、あいつは俺を信じている。どうして、あいつは起きるはずもない奇跡を待ち続けるんだ?
「貴方はあの時言いました。私なら、奇跡を起こすと信じています、と。だから、今度は貴方が奇跡を起こして下さい」
私がいるから、奇跡が起こります、とこいつの叫びが木霊する。確かにそうだ。俺には幸せを呼ぶ鳥が付いているのだ。他の連中が信じなくても、俺は信じてやろうと思った。
だから、今までどうにか生きてこれた。今まで信じて来たのだから、今回も信じるしかないだろう。
お前がいれば、奇跡なんていくらでも呼び出せる。そうだろ、青い鳥?
今、俺が修得している魔法では彼を止められない。なら、可能性に賭けて、勝負に出るしかない。
俺は魔法陣を描く。展開しようとしている魔法は今まで失敗し続けた複合魔法。失敗した組み合わせは消去し、逆転の一手となり得る組み合わせをピックアップして、展開するが不発に終わる。
彼の魔法を打ち消せるような魔法が望ましいが、今、魔法を生み出そうとしているのだから、贅沢は言ってられない。
あの時、青い鳥と一緒に起こした青い不死鳥を出せればいいが、あれは青い鳥との奇跡の結晶だ。青い鳥に助けを求められない以上、出すことは困難を極める。
すると、視えない何かに攻撃されているのか足、腕、腹などから出血が起こる。
それでも、俺はやめられない。やめるわけにもいかない。
俺はいくつ目か分からないが、魔法陣を完成させ、発動させる。すると、眩い光が広がり、パリンと鏡が割れるような音が聞こえてくる。
俺はどんな魔法を組み合わせたのか?何の魔法を使おうとしていたのか?分からないまま、俺の視界は暗転した。
意識が途切れる前に、
「貴方ならやれると信じていました」
あいつの声が聞こえたような気がした。
誤字・脱字等がありましたら、よろしくお願いします。
次回で《青い鳥と彷徨いの犬》が最終話となります。よろしければ、お付き合いお願いします。
次回投稿予定は9月29日となります。