邪神ヴォールの使い
ガリャール城攻城戦で、農民に二六人の犠牲者が出た。
シュリエは、負傷者一人一人に「ご苦労様でした」「ご無事でなによりでした」と声を掛けて回り、応急処置を手伝った。「早く直りますように」と、フェンディアナへの祈りを捧げた。
次いで、泣きながら墓穴掘りに参加し、埋葬が終わると自ら花を手向けた。
「ペジュッテさんちのエルエン。よく遊んでもらったっけ。ポーデルさんは、ウチの畑の作業を手伝ってくれた……。ジョッテルさんとは、シニョン村で初めて会って、優しくしてくれた……」
それぞれの墓の前で、犠牲者との思い出を口にする。再びあふれてきた涙を袖でゴシゴシと拭きながら。
農民たちは、彼女の姿に涙した。
ダルボーズ麾下の兵の中にも、彼女の姿勢に心打たれる者が出始めていた。
「それがよ、矢が雨のように降り注いでるのに、聖女様には当たらねえんだよ」
「俺は矢が避けるのを見た」
「矢の方が、避けてくんだよ」
「聖女様の歌を聴くと、力がみなぎってくるんだ」
「怪我の痛みも和らぐんだぜ」
農民たちは、シュリエの活躍を口々に褒めそやす。その噂は、家臣を介してダルボーズの耳にも入った。
「矢が避ける? 痛みが和らぐ? そうか、それは頼もしい。さすが聖女様だな」
ダルボーズは愉快そうに笑った。
「そのようなことがあるのでしょうか」
「知らん」
「……」
「矢が聖女を避ける、聖女の歌を聴くと強くなる。そのようなこと、事実かどうかなどどうでもよい。兵たちがそれを信じることに意味があるのだ」
「どうでもよいのですか」
「『矢が避けるわけがない』と否定して、何の意味がある? 兵が意気消沈するだけではないか。相変わらず、お前たちはつまらぬことにこだわるな。そこに居る農民の方が分かっていよう。シャルール……と言ったか? そうではないか?」
「ご領主様の仰せ通り。『聖女らしさ』こそが重要と心得ます」
「だが、今のままでは不十分だ。もう少し体裁を整えるとしよう」
「体裁でございますか」
「聖女は聖女らしくあらねばならん」
◆
ダルボーズは、居城に帰還した。
フェンディアナの使いも、解散させずに城下に伴った。
シュリエとシャルールは、城の謁見室で待たされてる。
「私たち、これからどうなるんだろう……」
「ご領主様は悪いようにはなさらないだろう」
「それもあるけど、私は王様と王国を救わなくちゃいけないし」
「具体的には?」
「それは、分からないけど。乗り越えられない試練は与えられないはずだよ!」
「……」
二人の言葉が途切れた。
それからしばらくして、ダルボーズが現れた。
「待たせたな」
「とんでもありません」
「ん。まあ楽にせよ。二人と、今後のことを話そうと思ってな」
「今後、でございますか」
「聖女殿は、フェンディアナからどのような啓示を受けたのか」
「それが……『王を救いなさい。王国を救いなさい』と」
「王を……なるほどな」
「領主様! 私はこれからどうすればいいんでしょうか。どうすればフェンディアナの望みをかなえることができますか?」
「……そうだな。まずは国王に会いに行く、か」
「こ、国王に!?」
「国王は王都パスフィールにおわす。今、王国は難しい局面にある。国王に会うことで、成すべきことが分かるのではないかな」
シュリエの目に、新たな活力がみなぎる。
成すべき明確な目標ができた。
国王に会いに、王都パスフィールに行く――。
「はい! がんばります!」
ダルボーズは微笑すると、「パンッ」と手を打ち鳴らした。
女官が前に進み出る。
「聖女殿に沐浴とお着替えを。娘たちの昔の服が残っていよう」
「かしこまりました」
女官に伴われて退室するシュリエを、シャルールは不安げに見送った。
自分が手を差し伸べ、導いてきたシュリエに、ダルボーズの色が加わっていく。シュリエがシュリエではなくなっていくような、ほろ苦い喪失感を覚える一方で、シュリエに自分の色を乗せていたことに、シャルールは無自覚だった。
「さて、これからが本題だ。フェンディアナの啓示。お前はどう思うか」
「それは……文字通り王と王国を救うことを望まれているのでは」
「王とは誰のことだ?」
「えっ!?」
シャルールは、考えたこともない問いに頭が真っ白になった。何を問われているのかすら分からない。
「啓示が示す王とは誰か。エルゲント王か、フェンエルス王か」
「そっ、それはもちろんフェンエルス王国の王かと」
「フェンエルス王が、今後も真の王とは限らないとしたら?」
シャルールは再び硬直した。ダルボーズの言葉の意味を図りかねた。
「お前にはこれからも役に立ってもらわねばならん。そのためには少しこの国の状態も理解しておかねばな」
「はい」
「フェンエルス王の名はフェルノフェシス五世。だが王領地は北部に限られており、南部と中部は大貴族の領地になっている。厄介なのが、王国中部に広大な領地を持つアゲノー伯アインデだ」
「アゲノー伯……」
「そして……アゲノー伯はよりによってエルゲント王位を獲得したのだ」
「それでは、我々が戦っていたエルゲント軍とは、我が王国のアゲノー伯の兵だと?」
「複雑だが、やや違う。アインデは、フェンエルス王の臣下としては何もしていない。ただし、エルゲント王“ヘインデト”として、エルゲント王国軍を動かしてフェンエルス王国と戦争をしている」
農民に過ぎないシャルールにとって、封建制や主従関係の世界は理解を超えていた。アゲノー伯はフェンエルス王の臣下だが、エルゲント王としてはフェンエルス王と同格で……。
「この戦争でフェルノフェシス五世が敗れることになれば、アインデがフェンエルス王に取って代わる、という可能性もある。フェンエルス王を助けるのはフェンディアナの正義だろう。だが、誰をフェンエルス王として助けるべきか――」
「それは、正統な王を……」
「アインデもな、継承順位は低いがフェンエルス王家の血は流れている。彼の祖母が、確かフェンエルス王女だったはずだ。現王と他の継承者がいなくなれば、アインデが正統な国王となろう」
「……」
「フェンディアナはフェンエルス王国の守護神。王家の、ではない。王が変われば正義も引っくり返る」
シャルールは眩暈を感じた。そんなシャルールを、ダルボーズは微笑をたたえて見つめていた。
一体、あの微笑はどのような意味なのか。
人の価値感に揺さぶりをかけて迷わす、邪神ヴォールの使いのようだ。
王都パスフィールに行くことが、本当に正しいのだろうか。
シャルールの肥大した矜持は急速にしぼみ、代わって不安が膨らみつつあった。
アゲノー伯「アインデ」とエルゲント王「ヘインデト」。
フェンエルス語とエルゲント語の違いによるものです。
フランス名アンリ(Henri)=英名ヘンリー(Henry)と同じです。




