包囲網
アゲノー伯アインデは、フェンディアナ軍がブーザンを包囲したという報告を王都に向かう途上で知った。
「餌に食いついたか」
「計画通りですな」
「狂信者は『自分の価値観に反するもの』に後先考えずにかみつく習性があるのだ」
「短絡的な連中ですな」
「狂信的になるほど、視野は狭くなり大局が見えなくなる」
「さて、ヤツらはどう動くか……」
「攻め滅ぼされるもよし、自らの大義を捨てるもよし、信じるものに殉じるもよし、好きにするがいい」
「まさに、見ものでございます」
「偽の救援要請をヤツらに送ったブーザン領主に褒美を取らせろ」
アインデは、馬に揺られながら哄笑した。
◆
フェンディアナ軍首脳部は、驚愕と恐怖に満たされて沈黙している。
北に放った斥候が、接近してくるエルゲント軍数千を発見したのだ。
南に後退することを検討し始めた直後、南にもエルゲント軍が展開していることが判明した。東にも所属不明の軍勢がいるという。
「罠だ……」
ダルボーズが顔をしかめてつぶやいた。
「罠?」
「ブーザンは、我々をおびき寄せるための餌だったのだ。我々がこの街の包囲に気を取られている間に、逆に包囲されたというわけだ」
「我々がブーザンに気付かずに王都に直行する可能性もあっただろう」
「そのための救援要請だ」
「そういえば、領主は居なかった……」
「アゲノー伯の庇護下でどこかにいて、偽の要請を書いたのだろう」
「すぐに移動していればともかく、我々はここで時間を浪費したからな……」
フェンディアナ軍はシュリエの希望でブーザン近郊にとどまり、戦死者の埋葬と弔いの儀式を行っていた。
シュリエはこの戦いで多くの犠牲者が出たことに強い衝撃を受けて、埋葬と儀式が終わると自分の天幕に引きこもってしまった。
「過ぎたことを言っても始まらぬ。ともかく、ここに留まれば三方から包囲されて袋だたきだ。選択肢は二つ。いずれかの敵軍と戦って突破するか、西に転進するか」
ダルボーズが論点を絞った。議論に時間をかけている猶予はない。
「我が軍は四二〇〇といったところ。どちらに進んでも、優勢な敵と戦うことになる。しかも手間取ると挟撃される恐れがある」
「となると、西に逃げるしかないか」
「さらなる罠なのではないか」
ラ・ジョーム伯が板の上に広げた地図を指でカンカンとたたく。
「断定はできぬが……。敵もこれ以上兵力がないのだろう。そして、どうしても行かせたくない南北と東を最優先で押さえた」
「西ならばよい、か。そうだろうな――」
西には、アゲノー伯領が広がっている。
アゲノー伯、つまりエルゲント王の本領。
「自領に追い込めばどうとでもなる、と。敵ながらあっぱれ!」
「ふざけている場合か!」
余計な賞賛を口にしたフォリンも、いちいちかみつくラ・ジョーム伯も、問題解決に役立たないという意味では同等である。
アーデランが二人を無視してダルボーズの目を見た。
「選択肢は一つ。アゲノー伯領に逃げ込むにしかず。南北と東には明確な危機がある。まだ見ぬ危機の方がいささかましであろう」
「そうだな。アーデラン卿の言う通りだ。暗闇を恐れていては先に進めぬ。先のことは後で考えるとしよう」
一同は一抹の不安を抱えながら、西のアゲノー伯領に進軍することにした。この情勢下ではアゲノー伯への敵対行為と取られる恐れもあるが、背に腹は代えられない。
そして、すぐに問題が発生した。
アゲノー伯領最西端の街に到着したが、この街はフェンディアナ軍に対してあらゆる物資の販売を拒否したのである。
食料は尽きかけている。
街は食料を売らないという。
周辺の村も同様だった。
「売らぬというなら、略奪するまでのことだ」
ラ・ジョーム伯が頭から湯気を出す勢いで顔を紅潮させて怒鳴った。ラ・ジョーム伯ほど過激ではないが、「フェンエルス王に敵対するアゲノー伯の領地でなら許されるのではないか」という雰囲気も一部にはあった。
軍議の様子をシャルールから聞いたシュリエは、本陣の天幕に乱入して抗議した。
「街や村を襲うなど、やめてください!」
「だが、ここはアゲノー伯の領地ですぞ?」
ラ・ジョーム伯が反論した。
「アゲノー伯の領地もまた、フェンエルス王国の一部。フェンエルスの地と民を害することはフェンディアナが許すはずがありません!」
そう言って、シュリエは「おおフェンディアナよ、不逞な考えを持つ者をお許しください」と祈り出した。
ダルボーズは顔をしかめつつ、シュリエの正しさを認めないわけにはいかなかった。
アゲノー伯領の民などどうでもよいが、フェンディアナを大義として掲げる以上、フェンエルス王国の民を害することはできない。それは、自分の足元に落とし穴を掘るようなものである。
「ではどうしろというのです?」
ラ・ジョーム伯がシュリエに問うた。
「食べ物がないなら、我慢するしかないでしょう」
「何を当たり前なことを」という顔で、シュリエは首をかしげている。
「私たちは、いつもそうしています。税を納めたら、小麦なんてあまり残らないもの」
「……」
「食べ物がないからって、人のものを取ったらだめです。どろぼうは鞭打ち刑なんでしょ?」
彼女からは悪意も非難の色も感じられない。ただ、自明の事実を語っただけなのだ。
だが、貴族たちは痛烈な弾劾を受けたような気分になって顔を伏せた。
誰も、シュリエに言い返せなかった。
「窃盗犯は鞭打ち刑に処す」
それは、ダルボーズがラ・ペ村をはじめとする領内に定めた法律だった。




