啓示
きっかけは――そう、よくある話。
農民にとってはありふれた話。
支配者の暴力に屈し、涙する。
どこにでもある話だったんだ。
でも、君は、シュリエは、特別だったね。
◆
「放して! ジェランが!」
「行くな。お前まで殺される」
「誰か、ジェランを助けて!」
「もう、どうにもならねえ……」
「シュリエ、諦めるしか……ないよ」
少女――シュリエは、腕をつかまれて強引に引き戻された。
「シャル兄……」
「無理だ。無理なんだ。行っても、助けられない」
彼女を引き止めた青年シャルールは、顔を背けてつぶやいた。周りの大人たちも、彼女から目を逸らして押し黙った。
少年が、兵士たちに取り押さえられている。
兵士たちは何か叫んでいるが、異国語なので内容は分からない。だが、少年を罵り、脅し、非難していることは分かる。
牛糞を台車に乗せて運んでいた少年――ジェランは、兵士たちの前を不用意に横切った。避け損なった兵士の一人が牛糞の中に突っ込んでしまい、激怒している。
ジェランは逃げ出したが、あっという間に捕まってしまった。髪の毛をつかまれて、牛糞で汚れた兵士の前に引き出された。
ジェランは泣き叫びながら詫びている。
だが、兵士たちに寛容のそぶりはない。
村人たちは、遠巻きに眺めている。
牛糞まみれの兵士は剣を抜くと、ジェランの頭に振り下ろした。
ジェランの叫びは止まった。
脳天から顎まで真っ二つに頭を割られ、ドサリと倒れた。
「ジェラン!」
シュリエは駆け寄ろうとして、再びシャルールに腕をつかまれた。
「シュリエ、ダメだ!」
「目立つことするな。お前まで目ぇ付けられるぞ」
「ジェランは助からねえ」
「お前は見ねえ方がいい」
一人の兵士が、近くに居た村人に何かわめいている。
村人は、「すぐに片付けます」などと言いながらペコペコと頭を下げた。
「ああジェラン……どうして……」
シュリエは、大人たちに引きずられてその場から連れ去られた。赤黒い血の色と一瞬だけ鼻に届いたその臭いが、彼女にとってのジュランの最後の記憶になった。
おっとりした性格で、乳搾りがとても上手だったジェラン。
花冠を作ってくれたジェラン。
一緒に野山を駆けまわった日々。
雷鳴に怯えて、震えながら抱き合って過ごした夜。
これからもそうだと思っていた。
そんな日々が続くと思っていた。
かわいいかわいい弟。
ジェランが、どうして……。
◆
シュリエたちが暮らすラ・ペ村に彼ら――異国の兵士たちが一カ月ほど前にやって来た。
彼らは我が物顔で村を占領し、支配者として振る舞った。
彼らは食料と酒を要求し、若い女を差し出せと村長に命じた。
人を殺すことに抵抗がない人間は、怖い。
村人たちは、彼らに抵抗できないことを一日目にして思い知らされた。
大人たちは、
血が出る程に歯を食いしばり、
爪が食い込むほどに手を握り締め、
涙を流し、
嗚咽を漏らしながら、
抵抗することなく異国の兵士たちに従った。
ただ、従った。
領主は、助けに来てくれなかった――。
◆
シュリエは、村の礼拝堂でうずくまっていた。
三、四十人分の長椅子が祭壇に向かって設置されているが、今はシュリエしか居ない。
弟を殺されても、大人たちは助けてくれなかった。
棺を用意する間もなく、村はずれに埋葬されて、全て終わりになってしまった。
ジェランの死は、片付けられてしまった。
シャルールは何か言いたげだったが、シュリエは「一人にしてほしい」と言ってその場を離れた。
理屈では分かる。
大人たちには、一つの死にこだわっている余裕がないのだ。
そして、シュリエはさらに無力だった。
だから、祈ることしかできない。
フェンエルス王国の守護神フェンディアナの木像が祭壇の上部に掲げられている。出来が良いとは言えない木像だが、シュリエにとっては心の拠り所だった。フェンディアナは、シュリエをいつものように優しく見下ろしている。
「女神フェンディアナ、どうしてジェランは殺されなければならないの? 彼をなぜ連れて行ってしまったの? なぜ村人は苦しめられているの? フェンディアナ、村を助けて」
シュリエは、あふれ出る涙を拭いもせず、指を組んでフェンディアナに問いかけ、祈りを捧げた。
「フェンディアナ、村を助けてください」
だが、フェンディアナの木像は、そこにあるだけだった。
いつしか日は沈み、そして朝日が上った。
祈り続けた。
「フェンディアナ、なぜ応えてくれないの?」
喉は渇き、もはや言葉にならない。耐え難い飢餓感が襲ってくる。
祈りは神に届かない。いや、届いても応えてくれないのか。
祈りなのか怒りなのかも分からなくなってきた。
だが、彼女は祈るのをやめなかった。
三度目の日没を迎え、夜も深まった頃……。
窓から、月明かりがほのかに差し込んでいる。
シュリエ以外に誰もいない。
礼拝堂は静謐に包まれている。
沈黙の圧力に押しつぶされそうなほどに。
シュリエは、朦朧とする意識の中で、フェンディアナの木像を見上げた。
月明かりは木像を照らさない。
今は暗闇に溶け込んで、見えない。
「フェンディアナ……村を……助けて……」
祈り続けた。
喉がひどく渇いている。
眩暈がして、全身がだるい。
自分がどこに居るのかも分からなくなっていた。
目が、かすむ。
力が抜けて、がくりと首が落ちた。
「シュリエ……少女シュリエよ」
自分を呼ぶ声に、シュリエは顔を上げた。
美しい音楽が聞こえてきた。
埃っぽかった礼拝堂内に、甘く優しい香りが漂っている。
正面の燭台に立てられたろうそくに火がともり、フェンディアナの木像がほんわりと浮かび上がる。
そして――。
木像から美しい女性がゆらりと現れ、シュリエに向かって舞い降りてきた。
彼女は、床から二メルほどの高さに浮かんでシュリエを優しく見下ろしている。
彼女は――フェンディアナ。
「シュリエ。王を救いなさい。王国を救いなさい」
「フェンディアナなの!? 私にどうしろと言うの?」
「王を救いなさい。王国を救いなさい」
「そんな、私なんかにできるはずない!」
「神は乗り越えられない試練を与えません」
「フェンディアナ。ああフェンディアナ!」
「少女シュリエよ、これをあなたに授けます」
フェンディアナが何かを差し出す。
シュリエは、神の名を叫びながら手を伸ばし、
意識を失った――。




