6th
数週間後の金曜日、夜。
駅の化粧室で鏡の中の自分を確認して、わたしは頷いた。
黒のワンピースに、ピンクのアイシャドウ。チークはオレンジを強めに、口紅はナチュラルベージュ。
普段、わたしは仕事ではスーツで通しているし、メイクもベースメイクくらいしかしない。平日ではあり得ない格好に、少しばかり心が浮ついた。
「さて、約束の時間は、と――」
スマホを確認して、時間が迫っていることに気付いて慌てて踵を返す。待ち合わせはいまいる駅の東口だ。
中学の頃の友人から、飲みの誘いがあったのは数日前。もともと仲の良い相手だから、わたしがあっさりと頷いたのは当然の流れだった。
『ゆきー、ついたー?』
『ごめん、いま行く!』
友人からのメッセージに返信して、待ち合わせ場所に向かう。数人の見覚えある男女が集まっている。その中の一人に眼をとめて、わたしはこっそりと息を飲んだ。
ほとんど無意識に、普段は着けることを忘れっぱなしなネックレスのトップに触れる。黒いワンピースに赤いネックレスだから、不自然ではないはずだけれど。
「ゆきー、あんたのダンナ呼んどいたよ! 教えてあったよね?」
「うん、聞いてたよ」
余計なことをと言えば良いのか、よくぞ誘ってくれたと言えば良いのか。距離感が判らなくて、中途半端な位置で足が止まる。
立ち止まったわたしにわざとらしく爽やかに手を上げて、川瀬亮は笑った。
「よう、この前ぶり」
「………」
き、気まずい。
飲み会で、わたしと亮は当然のように隣同士にされた。『元夫婦』の認識はこんなところでも有効らしい。
隣に座る亮に、わたしはどうにも居心地の悪さを感じていた。この前二人で会ったときにはそんなもの感じなかったのに。
といっても、居心地が悪いと思っているのは自分だけのようだ。亮はわたしの隣で普段と変わらない様子で元同級生と話し、ときおりこちらに話題を振ってくる。
前に会ったときは、向かい合って座っていた。だから彼と同じテーブルに着くことを気にもしなかったのだけれど。
今回は隣にいるせいで、身じろぎするとときおりわたしの右腕と亮の左腕が触れる。本当に勘弁して欲しい。気付かれない程度に亮から体を離した。
亮と隣同士に座ることがこんなにも落ち着かないことだとは。
「ゆきー、聞いてる?」
「あぁ、うん、聞いてる聞いてる」
女友達の声かけにおざなりに頷いて、ジンジャーエールを喉に流し込む。味はろくにしなかったけれど、炭酸が喉を通り過ぎたのは辛うじて認識できた。
「そういえばさー、夫婦はどうなの、最近会ってんの?」
「あー、」
横合いからの問いに答えかけて、言葉を止める。迷って、ちらりと亮を盗み見た。
亮はといえば、わたしなら一発で救急車を呼ぶハメになるようなお酒をこともなげに飲み干しながら顔色の一つも変わらない。変わらない顔色で、常と変わらない表情で、何でもないように。
「この前会ったなー、奢って貰おうと思って」
奢ってくれなかったけどなー、けちー。冗談混じりの言葉に、周りは一斉に湧いた。彼らときたら、中学の頃からこれっぽっちも成長できていないらしい。
「奢るわけないでしょ! こんな可愛い子とデート出来て、むしろわたしが奢られる側じゃない?」
準備していた言葉を口にして、わたしはからりと笑った。わたしの声に合わせるように周囲も笑う。
「えー、でもよー」
言い出したのは、誰だったか。
「それって浮気じゃね? 川瀬お前、彼女とラブラブじゃんー」
からかうような言葉に、わたしは一瞬、息が詰まった。
「バーカ、こいつと会って浮気になるかよ」
笑いながら亮が返す。当たり前だ、わたしたちの間には何もないんだから。
咄嗟に崩れそうになった笑顔を立て直す。大丈夫、崩れてない。思い込んでいなければ、周りを見られなくなりそうだ。
ジンジャーエールに伸ばした手が震えていることに気付いて、わたしは勢いよくグラスを引き寄せた。
「あったりまえじゃん、わたしと亮だよー? ってか彼女いるとか教えてくれても良いじゃん、オメデトー! はいカンパーイ!」
乾杯、とグラスを持ち上げれば、周囲も合わせてグラスをぶつけてくる。いつも理解出来ない飲み会のノリだけれど、こういうときは便利だ。
意識していつも通りに振る舞った。そうしなければ本当に、何かが崩れてしまいそうだ。
うつむいて、周りの視線を遮断して、そのまま逃げ出してしまいそうだ。
「あ、終わっちゃった。わたしも何か飲もうかなー」
飲み干したグラスを置いて、メニューに眼を通す。並んだ写真の一つに興味を惹かれて、わたしは迷わずその名前を注文した。
わたしの天使のような友人がたまに頼むから覚えていた。はちみつのようにとろりとした色に、杏の実が沈んでいる。
アプリコット・フィズ。




