第2話:『ダンジョンクローラー』(6)
朦朧とした意識のまま、いつの間にか暖色系の灯りに照らし出された部屋にいた。
壁掛け燭台の炎が揺らめくたびに、ほの暗い室内にも次第に目が慣れてきて、自分が何もので、今どこにいるのかも思い出す。
ここは自分が所属している探索隊の詰所だ。
主人に命じられた仕事が自分の手に負えなくなって、命からがらここまで逃げ帰ってきた。
「――……ああん? おめえ今、なんつった」
奥のソファで尊大に足を組んでいる痩せぎすの男が、ギロリとこちらを睨むと、葉巻の臭い煙を吐きだしながら怒気をはらんだ声で言った。
「……だからよ、ファッジの兄貴が死んだ。
今回の獲物に踏まれたら……きゅ、急に塩になって、死んじまったんだ。おれの目の前で」
そして、男に跪いている少年の姿。
そう呼んでも違和感のない顔立ちで背丈も小柄ながら、細腕から大きく隆起した筋肉が、鍛え上げられた体躯をありありと主張している。
少年の名はギンネ。ドワーフ族と凡種の混血児で、〈修道院〉に捨てられた孤児で、今は〈迷宮〉探索のために隊で使役される戦闘奴隷だ。
そうか、この少年は自分だ。そう奇妙な実感を得た途端に、頭のモヤが取り払われた気分になる。
目の前の男こそは我が探索隊〈荷馬車引き〉の隊長、名をダミロワと言う。
ギンネたち奴隷の主人でもあった。
ダミロワは侮るような眼光を送りつけて、ギンネの報告を品定めしている。
ダミロワの傍らには、しなだれかかる大人の女がひとり。ギンネには名も顔もわからないが、どうせダミロワの新しい情婦だろう。
「獲物はどうせ〈修道院〉絡みだとは俺も踏んでたが…………まさかの塩かよ。塩ねえ。
聖女伝承なんぞ信じたくもねえが、依頼人が回収しろとか抜かしやがったのは〈天使〉だからなあ。
――おい、おめえ……その獲物を追ってるとき、ほかになんか見てねえか?」
「いえ、なんにも……おれがはっきりこの目で見たのは、ファッジの兄貴の最期だけで……」
嘘は言っていないはずだ、とギンネは動揺を必死で圧し殺した。
確かにあの時、自分は〈天使〉と呼ばれた獲物の傍らに奇妙な女を見た。
でも兄貴分には「見間違えだ」と否定された。
兄貴分に言われたように、〈聖女〉が現れたのに〈天使〉がまだ生きているなんて、聞かされてきた聖女伝承とは矛盾しているからだ。
それに兄貴分だって、あの娘に酷い仕打ちをしようとしていた。
あの場面で止められなかった自分も同罪だ。
だから、状況を拗らせるような報告は控えるべきだとギンネは考えてしまった。
「ああ、今さら思い出しちまった。あの話はそういうことかあ。
たしか依頼人の野郎、〈天使〉には指一本触んなだの、縄で縛って檻に入れてこいだの、しちめんどくせえ要求ばかりぬかしていやがったなあ。
ありゃあ、てっきり女だから味見しねえよう釘刺しやがったなとムカついてたが、ただの脅しじゃなかったってわけかよ」
「そ、そんな……隊長、おれ……そんな話ぜんぜん聞いてねえよ……」
ギンネとしては、動揺を隠せない話だった。
〈天使〉には指一本触れてはならないという情報さえ与えられていれば、自分たちはこんな結末にはならなかったはずなのに。
「獲物にゃ傷ひとつ付けんな――って、ファッジのやつにちゃあんと命じてたんだがなあ」と悪びれもせずに独りごちると、苛立ちを隠せないのか大きく舌打ちして、
「まったく〈塔〉の生臭坊主どもめ、逃げたガキひとり攫ってくるだけの仕事とか、適当ぬかしやがって。
獲物が珍妙な異能持ちだったってこたぁ、獲物のガキは人間じゃねえ。よりにもよって〈忌種〉じゃねえか」
「〈忌種〉って……あの白いのはやっぱ魔物だったのか……」
〈忌種〉という呼び名には、ギンネも聞き覚えがあった。
何らかのきっかけで特別な異能を得ることと引き換えに、人の言葉と心を宿した魔物――それが〈忌種〉だ。
隊の大人たちが話していたのを思い出す。
〈忌種〉は魔物でありながら人の言葉と心がわかるからこそ、人から忌み嫌われる存在であろうと望み、魔物より邪悪であろうと体現し、人を貶め、陥れようとする。
この〈迷宮〉で最も恐れるべき脅威なのだと。
「くっそ。〈忌種〉狩りなんぞ割に合わねえぞ……だがまあ、連中に貸しを作んのも悪かねえな。
まあよ、ファッジのおかげで獲物の捕獲作戦が立てやすくなったってもんよ」
兄貴分の死など何でもないことのように、煙を吐き捨てて情婦の腰に手を回すダミロワ。
「で、おめえら〈ゴブリン隊〉は何人帰ってきた?
ファッジのやつに同行させたガキども二人がいたろ。
あいつの犬っころも連れてりゃあ、獲物一匹追い立てんのに難儀しねえだろうが」
ダミロワは自分たち戦闘奴隷を、〈迷宮〉に巣くう悪鬼に喩えてゴブリンなどと呼んでいた。
ずっと蔑まれ続けてきて、惨めで悔しくても、もう何かに抗う気力すらない。
「だからよ、全滅だって言ったんだ……おれひとりじゃ、どうすることもできなかった」
あの白い〈天使〉が、ネズとレイニの首輪を自分に見せつけてきやがった。お前もそうなりたくなければおめおめと逃げ帰れと。
指一本触れただけで塩にさせられる異能持ちなのであれば、きっと兄貴分の飼い犬だって同じ末路を辿ったのだろう。
役立たずの下っ端として踏みにじられるしかなかったギンネには、決してファッジたちへの信頼があったわけではない。
だが、これではあまりにも彼ら奴隷たちの死が報われないと、言葉にならない感情が溢れて胸が押しつぶされそうになる。
もうあの光景なんて思い出したくもなかった。
ところがダミロワは、ギンネの吐露にククッと喉を鳴らすと、
「おもしれえ。自分の隊が壊滅して、一匹だけ生き残って死にもの狂いで帰ってきたとかよ。
おめえ、ガキの割にあんがいツキがあんじゃねえか。
こういう死線を何度もくぐり抜けてきたやつだけが、大物の探索士になれんだって覚えとけ」
さも嬉しそうな声色でそう言った。
「――ああ、なんだ。おめえ名前はなんつった?」
無精髭を鬱陶しそうに掻く彼の指に意識が奪われる。
彼の五本指に収まっている悪趣味な指輪のひとつ――血のような真紅の指輪をわざとらしくギンネに見せつけてきているのがわかった。
「――……ギンネ、です……隊長………………ご主人、さま」
あの指輪は、ギンネの首にはめられた呪詛の首輪を解き放つためのものだ。
そして、ダミロワの気まぐれで、奴隷であるギンネの首を落とすことさえも。
「そうかい、ギンネ。面白えことを思いついたぜ。
おぉい、〈抜け殻〉のやつをここに連れてきてやれ――」
ダミロワが部屋の奥にそう呼びかける。
ほどなくして現れたのは、用心棒などと呼ばれても様になりそうな太っちょの大男と――彼が手にした鎖で首輪を繋がれた、赤黒いローブ姿の少女だった。
ギンネより少しだけ背の高い少女は、ヌッとこちらの背後に立つと、童話の魔女めいたつばあり帽子の下から感情の読めない視線で見おろされてしまう。
闇色の髪に浅黒い肌をした少女は、自分自身を拘束する大男やダミロワではなく、何故かギンネを――今にも獲物を捕らえようとする肉食動物のように、その琥珀色の瞳で静かに睨みつけている。
「ギンネよ、おめえ、たしかこいつが隊に来たころ世話してたから、多少は知ってんだろ?
こいつは〈魔女の抜け殻〉だ。〈迷宮〉で俺が拾った。名前は、ユーペフタだったか」
〈魔女の抜け殻〉などという、正体不明な出自の少女。
ユーペフタ。ユピ。そういう、不思議な名前の少女。
同じ戦闘奴隷の扱いだが、軟弱者で、ドジばかりしでかし、ファッジたちのように戦闘で活躍した噂なんて聞いた記憶がない。
「……おい近えぞユピ。こ、こいつなんて連れてきて、おれはなにすればいいんすか?」
このように、ギンネの顔色をジロジロとうかがうだけで何も話さない、薄気味悪い女。
というか、不自然なまでの距離感でじとっと顔を覗きこんでくるので、この女が何を考えているのかわからなさすぎて怖かった。
最初は一人で食事すら満足にできない役立たずだったから、ギンネが渋々世話してやった覚えがある。
でも、この前の仕事で、こっ酷い失敗をやらかしたと聞いた。
隊で姿を見かけなくなったから、もしかしたら〈修道院〉の飾り窓にでも売られてしまったか、最悪なら隊の性奴隷扱いにされてしまったのかと心配していたのだ。
「ギンネよ。おめえ、たしか例のトカゲ女を助けてやりたくて、てめえ自ら奴隷落ちを選んだ大間抜けだったな」
言われたのは事実だった。
間抜けな生き方だと、嘲りを受けても否定できなかった。ギンネには、黙って頷くしかない。
この〈迷宮〉で人が奴隷に落ちる理由は、貧困か、後ろ盾をなくしたか、あるいはひ弱な自分自身では叶えられない目的があるかのどれかだから。
「賭けに勝ちたくって奴隷落ちしたんなら、なあギンネよ。
獲物から逃げ帰ってきやがった負け犬にもう一度、寛大な俺が挽回のチャンスをくれてやる。
そこの〈抜け殻〉にもな」
ニタリと口角を歪めたダミロワは、見せつけるように指輪を向けると、こう言い放った。
「――〝我に隷属する十七番を解放せよ。期限は永遠とする〟――」
その呪文を耳にした途端、心臓が跳ね上がるほどの恐怖が内から溢れ出て、ギンネは失禁してしまった。
だがギンネが恥さらしになることはなかった。
待ってくれ――そう悲鳴を上げることすらできなかった。
何故なら、ギンネの首輪に刻まれた紋様が光を帯びた直後、それは瞬く間に指輪大に収縮してしまい、ごきりと鈍い音を立てて、首根からもげ落ちた頭部が床に転がったからだ。
首なしギンネの胴体が、天井に届かんばかりの血飛沫を上げながら頽れる。
傍らで血を浴びたユーペフタは、涙に濡れたギンネの、苦悶の表情を見すえてからこう呟く。
「――〝等価置換/一〇本〟――」
途端、ダミロワも、〈抜け殻〉の鎖を掴んでいた大男も、目が眩むような感覚を覚えた。
この違和感が元に戻ったと気づいたのは、床に転がった金属片――収縮した呪詛の首輪が音を立てたからだ。
ギンネの死体に首が戻っていた。あたり一面に飛び散った血が、まるで何も起きなかったかのように一滴も残らず消え失せていた。
「――……へえ。〈抜け殻〉と仲よくしとくもんだなあ。
なあギンネよ、まんまと賭けに勝てたじゃねえか」
ダミロワがそう嘯く。
床に手を付いたギンネは脂汗を垂らして、今にも破裂しそうな鼓動にぜえはあと息を切らせて、顔を上げるどころか、それ以上何も言うことすらできなかった。
ユーペフタは拘束する鎖を引きずりながらダミロワに近寄ると、
「おまえきらい。ユピで遊ぶな」
初めて言葉を発して、テーブルにあった酒瓶を思い切り投げつけた。
ダミロワは咄嗟で避けきれず、叩きつけられた瓶が砕け散り、顔面が血に染まる。
「――〝等価置換/二枚〟――」
再度、奇妙な呪文を唱える。
すると血まみれになったダミロワの傷が消えてなくなり、代わりに怒り狂った表情が向けられると、鎖を持つ大男に片手で吊り上げられる。
「はな……せ――ぅぐ…………が………………」
さながら絞首刑のような状態になり声を奪われたユーペフタを、立ち上がったダミロワが殴り飛ばした。
「等価だあ? おい、誰が、かわいそうなおめえらの価値を買ってやったと思っていやがる」
顔面がひしゃげるほどの力で床に叩きつけられ、彼女の前歯がギンネのところまで弾け飛んできた。
ギンネにはわかっていた。ユピが無茶をして、自分を庇ってくれたのだと。
隊長もそうなることを見越して、けしかけたのだ。ギンネの死をダシにして。
理解できなくて、ただただ恐ろしくて、おぞましくて、一刻も早くどこかに逃げ出したい気分だった。
「ギンネよ。もうわかったな?
賭けに勝った餞別に、おめえを奴隷から解放してやったんだ」
首輪だったなれの果てを蹴っ飛ばすと、ダミロワはギンネの前に屈みこんで続ける。
「これで晴れておめえは人間サマ、おれらとおんなじ隊の一員ってこった。
おめえは今日から新しい〈ゴブリン隊〉のリーダーとして、〈天使〉捕獲をやり遂げろ。
そのために、そこの〈抜け殻〉を連れていけ。
いいか、こいつは女としてすら使い道がねえ、ホンモノのクズだ。
だが、さっきのヘンテコな力だけは特別だ。
おめえで知恵しぼってうまく使いこなして、ふざけた〈忌種〉を見事ねじ伏せてこい」
震えが止まらなかった。
死の淵に片足を突っ込むどころか、蹴り落とされた後だというのに。
「ああ、あと〈抜け殻〉に余計な気なんて起こすなよ?
なんつったってこいつも〈魔女〉の端くれだからなあ。
股から気味わりい牙を生やしていやがるから、てめえのタマごと噛み千切られっぞ?
おめえがこいつの牙ぜんぶ引っこ抜いてみせるんなら、女の価値復活かもな――っくくっ」
などと言い捨てた途端に、大男とともにゲラゲラと笑い転げるダミロワの声。
なのにユピの子どもめいた呻き声がそばから聞こえて、そんな彼女を助けるだなんて無力な治癒術士風情の自分にはおこがましくて、もう耳を塞ぎたくなった。
そんな、惨くて理不尽で、感情のやり場すらない出来事が、ただただ他人事のように、〝わたし〟の目の前で繰り広げられていた。
どうしてだろうか? 〝わたし〟はこの場にいなかったはずなのに。
でも、少しだけ嬉しいという気持ちがなくはなかった。
ギンネ君は、〝わたし〟のことをおっさんには秘密にしてくれたからだ。
だから、今度会えたら、お礼くらいは伝えようか。
どうしてあんなことしたのって、叱ってやりたい気持ちも同程度にはあるけれど。
そんな無邪気すぎることを考えているうちに、〝わたし〟のまどろみは晴れていく――
***** あとがき *****
作者です。
本作『ダークファンタジーになんてさせない、絶対させない。』をここまでお読みくださり感謝申し上げます。
今回は告知になりますが、4月に入ってから私事でしばらく執筆時間が取りづらくなるため、二ヶ月程度、連載を休載することにしました。
六月中には連載を再開します。
それまで、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。
もし本作を気に入っていただけましたら、是非とも作品のブックマーク、レビューや評価、リアクションをお送りいただけますと励みになり、執筆のモチベーションも大幅向上しますので嬉しいです。
また、休載中に、作者の他の長編作品もご覧いただければ、なお嬉しいです。
それではまた。




