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第三章 幻影恋人との再会

 胸の奥で、見えない熱が弾けた。

 快感の波が喉を突き上げるように駆け抜け、俺は思わず膝を折る。

 だが、その波は絶頂に届く寸前でふっと途切れた。

 残されたのは焦燥と羞恥。


 「……っ、はぁ、はぁ……」


 呼吸が荒い。心臓は早鐘のように暴れ、額には汗がにじむ。だがその汗すら、妙に甘い匂いを帯びている気がした。

 耳元で、微かな囁きが響いた。


 ――「まだ、終わらせない……」


 振り返るが、そこには誰もいない。

 それでも確かに、耳朶を掠める温かな吐息を感じていた。


 顔を上げると、娯楽室の光景はさらに歪んでいた。

 青空を映していた天井はひび割れ、ところどころに黒い宇宙の虚無が覗いている。

 卓球をしていた若い男女は、互いにラケットを投げ捨て、虚ろな瞳で抱き合っていた。

 老人は茶室の縁側で笑っている。だがその笑みは心ここにあらずで、まるで何かに操られているように硬直していた。

 子供たちでさえ、遊具から降りて芝生に座り込み、誰に向けるともなく両手を伸ばしていた。まるで幻影を抱きしめているかのように。


 「これは……幻覚か?」


 俺は震える声で呟いた。


 やがて、芝生の中央に十人ほどのシスターが並んだ。

 白いミニスカートの制服を揃って揺らし、同時に一礼。


 「皆さま、リラックスしてください」


 合唱のような声が響く。

 次の瞬間、娯楽室全体に甘い風が吹き渡った。

 風のはずなのに、頬に触れた感触は指先のように生々しく、背筋を撫でていった。

 その瞬間、俺の身体はまた熱を帯び、絶頂寸前まで追い込まれる。

 だがまた、寸前で快感はすり抜け、焦燥だけが残る。


 「やめろ……俺を弄ぶな……!」


 叫んだ声は、誰にも届かない。


 芝生の端で、ひとりの女性クルーが立ち上がった。

 その目は虚ろだが、彼女の前には何かが見えているらしい。


 「あなた……やっと会えたのね……」


 誰もいない空間に向かって両手を伸ばし、涙を流しながら笑っている。

 別の男のクルーも、「母さん……」と呟きながら空を抱きしめている。

 老人たちは若かりし日の恋人を、子供たちは失った兄姉の幻を。

 全員が、それぞれの「最も欲していた人間」に再会していた。

 そして、俺の前にも――。


 視界が揺らぎ、ひとりの影が浮かび上がった。

 長い黒髪。柔らかな笑み。

 俺が地球に残してきた、あの恋人。

 忘れるために、ここに来たはずの存在。


 「……っ」


 心臓が潰れそうに痛む。

 彼女は噴水の縁に立ち、懐かしい仕草で髪を耳にかけ、ゆっくりと歩み寄ってきた。


 「久しぶりね」


 声は確かに、彼女のものだった。

 甘く、震えるほど懐かしい響き。


 俺は立ち尽くした。

 脳裏に警鐘が鳴っている。「これは幻影だ、信じるな」と。

 だが、胸の奥の渇望が理性を圧倒する。


 「どうして……ここに?」


 掠れた声が喉から漏れる。

 彼女は答えない。

 ただ手を差し伸べる。

 その指先が俺の頬に触れた瞬間、全身に快感の電流が走った。


 「……っあ」


 膝が崩れる。寸止めの快感が再び押し寄せ、俺の身体を痙攣させる。

 彼女は微笑み、耳元に囁いた。


 「まだ、果てないで……一緒に、もっと……」


 吐息が首筋を撫で、胸に温かな重みが落ちる。

 香水の香り、指先の温度、脈打つ鼓動までもが生々しい。

 幻影のはずなのに、すべてが現実以上に鮮烈だった。

 俺は抗えず、彼女の肩を抱き寄せてしまった。

 その瞬間、寸止めの快感はさらに深まり、理性は白く飛んだ。


 「……やっと、また会えたね」


 彼女は泣き笑いの表情で俺を見上げる。

 懐かしさと歓喜と恐怖がないまぜになり、心はぐちゃぐちゃにかき乱された。

 俺は理解していた。

 これは現実ではない。

 だが、その現実感は、現実以上に俺を支配していた。


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