第五話「ちっぽけなプライド」
瞬間移動とは時空の不具合である。
または時空の凝縮とも呼ぶ。例えば、A地点からB地点に行くまで一分かかるとする。だが、魔法を使い、時空を凝縮することで一分を一秒に変えることができる。進んでいる速度も物理的な距離も変わらない。ただ、A地点とB地点の間の時空が歪み、凝縮されることで瞬間移動を可能にするのだ。
内臓がふわっとする。耳鳴りがする。度の合わない眼鏡をかけた時みたいに視界が不鮮明になる。心做しか身体が軽い。寒くも暑くもない。不透明な感覚。だけど、頭だけは冴えている。
一秒にも感じるし、一時間にも感じる。時空を超えるのは夢の中を歩くのと似ていた。
上も下もわからない。否__これは下へ向かっている。
下へ___
下へ___
下へ___
下へ_______
(あ……駄目、床にめり込んじゃう)
アルマリンは目的地へ着く前に少しだけ設定を弄った。すると、いつもの良好な視界に戻り、見覚えのある天井が現れた。
だが何故か__近い。
一瞬の浮遊感。重力に従ってアルマリンは地面に落っこちる。
「うわぁぁぁ!」
「ああ、またかよ……」と悔し涙を流し、迫り来る衝撃に耐えようと目を力一杯瞑った。重みで頭がガクンと下がる。無事とは言えぬ形で床に着地したが、思っていたよりも痛みを感じなかった。
アルマリンは立ち上がろうと床に手をついた。ほのかに温かくて、異様な柔らかさがあった。
「ん……?」
恐る恐る自身の手元を見る。
先ず、紺色のブリーチズから色白い生足が覗いているのが目に入った。くしゃくしゃに広がった黒の外套には灰色の埃が付いていた。そして、二本の華奢な太腿の間にアルマリンの手は置かれていた。
生々しい感触だ。己が男の象徴、しかも他人のモノに触れていたなんて理解し難いだろう。一瞬宇宙の真理を考え、現実に戻ってきた。現実逃避のつもりで真理にダイブしたが、状況はなに一つとて変わっていなかった。
「おい」
アルマリンの身体が大袈裟に跳ねた。この禍々しい圧と中性的な声の持ち主は一人しかいない。錆びた機械の様にぎこちない動きで正面を見た。
そこには美少年が居た。
肌荒れを知らぬ漆器の様な白肌。サラサラとした黒曜石の髪。大きなアーモンド型の目と大きな鉛色の瞳。長い上睫毛が伏せがちに生え並んでおり、妖麗な雰囲気を醸し出している。その目が、表情が、アルマリンを強く嫌悪していた。
「退け」
彼の言葉通りのままに、アルマリンは脱兎の如く速さで退いた。後退りに後退ればアルマリンは小麦粉の袋が収納された一角に激突した。後頭部を強打して声にならない悲鳴を上げた。
フードの人物__改め美少年は立ち上がると服に付いたゴミを払い、口辺りまで伸ばされた横髪を左耳に掛けた。彼の髪と同じ色をした黒曜石のピアスが豆電球の光を反射する。
「どどど、ど、どうして君が居るの!?」
問うてみたが、アルマリンの頭の隅にしまっていた知識が蘇った。瞬間移動魔法の発動者に触れた者も一緒に飛んでしまう場合があると。触れた者は時空から外れやすく、移動中に発動者とはぐれてしまい壁や床の中で窒息死する可能性が高い。
(あっぶなっ!!)
最悪の事態を無事回避することができたが、新たな危険がアルマリンの前に立ちはだかる。
「勝手に質問をし、勝手に一人で納得して悦に浸るとはいい度胸だな」
アルマリンと対して身長は変わらぬのに、山の頂上からドブに埋まった者を見下す様な目がギラりと光った。この美少年、ほんの数秒前まで命の危険に晒さられていたも同然だったのに、何故こうも我が物顔なのかアルマリンは理解できなかった。
すると、美少年の身体が微妙に揺らぐ。
「はァ……状況を考えるに、今起きたのは「瞬間移動」か。心底気分が悪い」
「そ、そりゃあ……時空を超えたからね。身体への負荷が掛かるのは当たり前……」
美少年はまたアルマリンを強く睨んだ。
「貴様の当たり前が俺の当たり前と同じと申すか?押し付けも甚だしい……不愉快だ」
アルマリンの堪忍袋の緒が切れかける。
本当に命の危険があったのだ。一応心配していたが、元気にアルマリンを嫌味倒そうとしてくる彼への心配は塵と化した。こうなれば、ヤケクソだ。
「あっそ……そーだね、そーだったね。非魔術師と魔術師とじゃ自分達の常識が噛み合うわけないか」
アルマリンは自身の胸に手を当て魔力の痕跡を消した。そして、掌を美少年に向けると彼にも付いている痕跡を消した。星屑がアルマリンの掌に吸い取られる。その様子を目の当たりにした美少年の眉間の皺が更に濃くなり、お馴染みのナイフを取り出した。
「怪しい動きをするな」
「安全対策だよ。もう終わったから、少しぐらい肩の力を抜きなって」
「貴様自身が俺にとっての危険物だ。いいから大人しくしていろ」
「むっ、あのさぁ……なんで君はさっきからそんなに偉そうなの。危険物扱いもちょっと傷付くんだけど……大体、僕は君に怪我の一つ、脅しの一つをしたかい?」
「貴様はあの場で「追っ手から隠れている」と申したな。そもそも、何故貴様に追っ手が居る。理由は二通り__追っ手共の逆鱗に触れたか、貴様が悪漢だからか。後者の場合、警戒せぬ方が愚かだろう」
____目敏い
お尋ね者のアルマリンは下唇を食んだ。美少年にとって奇怪千万な状況だった筈なのに、こうも的確な判断ができるとは。言われっぱなしなアルマリンは彼から視線を逸らすと聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。
「気が小さいんなら、アソコも小さいの納得だな」
すると、アルマリンの頬に鋭利な物体が掠めた。
ピリッと頬が痛んで、無意識に押さえる。アルマリンの直ぐそこにある小麦粉の袋には所々錆びた果物ナイフが突き刺さっていた。果物ナイフが飛んできたであろう方向を見れば、澄まし顔の美少年が己のナイフで弄んでいた。
「害虫が居った故、殺そうとしたのだが……どうやら失敗だったようだ」
小麦粉の袋を子蝿が這っていた。本当に子蝿を殺そうとしたのか__そもそも、彼の言う害虫とは本当に子蝿だったのか。
答えは否であった。何故なら、火の玉の光を間近で見た彼が豆電球が一つしかない部屋で子蝿を認識できる訳なかったからだ。つまり、害虫とはアルマリンの事である。
アルマリンは元々赤っぽい頬を更に赤くさせ、膨らませると美少年に叫ぶ。
「暴君!!!鬼畜野郎!!」
「喚くな害虫」
「なっ!遂に直球で言いやがった……そんな可愛くない事ばっか言うからあの男の人に「大人ぶってて面白い」って扱いされんだよっ!」
「アーロンは元々人を煽りたがる傾向にある。貴様にも同じ様な対応をしていたであろう」
「ハッ!煽られてた自覚はあったんだ!ざまー見ろ!」
「貴様……見た目は害虫で中身は鶏か。一々奴の言動に噛み付けば奴の思う壺だ。貴様の様に脳味噌が小さく、皺も少ない者は格好の餌食だろうな。哀れ極まりない」
「誰が鳥頭だ!!」
ああ言えばこう言うとは正にこの状況であった。威嚇する犬の様なアルマリンと、気高い猫の様な美少年の言い争いは暫く続いた。どちらも相手より先に白旗を揚げるつもりは毛頭なく__正反対な彼等だが、お互いのちっぽけなプライドだけ同じくらい燃え上がっていた。
____それから数分後
「はぁ……はぁ、君って……案外しつこいね」
「貴様に言われたくないわ。なんでもかんでも噛み付きおって……鬱陶しいにも程がある」
「君もなにかと噛み付いてるけどね」
お互いがお互いに呆れていた。すると、言い争いの間で視力が回復していた美少年は辺りを観察し始めた。
「……何処の地区のパン屋だ」
「……え?」
「「え」という名称の地区はロンドンには存在せぬぞ。はよう答えろ」
「え、えっと……多分、ウェストミンスター?って名前だっけ……その地区の端っこにあるパン屋さん。というか……よくここがパン屋さんって分かったね?」
美少年は呆れた目でアルマリンを見た。
「己が無様に激突した場所を見よ。大量の小麦粉を扱う所はパン屋か菓子店以外なかろうが。そして木箱に「London bakery」と記されたラベル貼られていた。石床……この気温からすると地下倉庫であろうな」
「ほぇ……ついでにもう一つ気になってたんだけど。なんで、あの時僕に気付いたの?」
「………はァ、誰がどう見ても不自然な払われ方をした埃が床にあった。もう長いこと誰も足を踏み入れていなかった屋根裏部屋だ。誰かが不法侵入したのは明白。その愚か者の行動パターンを推測し、埃が払われた場所を辿れば……薄汚い鼠を発見、という訳だ」
「君は人を馬鹿にしないと生きていけないのかな?」
「愚か者」「薄汚い鼠」どちらもアルマリンの事を指している。苛立ちは込み上げるが、段々と耐性がつきつつあった。冷静になって彼をよく観察する。
第一印象はお金持ちそう。サラサラの髪、綺麗な手、少々華やかさは欠けるが上品な服装__随分と裕福な家庭のお坊ちゃんなのだろう。なにより態度や言葉遣いが「The 貴族」という感じなのだ。
(そんなお坊ちゃんが……あんな場所で何をしようとしてたんだ?)
「情報提供」「札束」アーロンが言っていた言葉を思い出す。美少年は情報を買おうとしていた。アルマリンを拷問してまで(未遂だったが)あの場に居た理由を聞き出そうとしたのは、それなりの機密情報だったからだろう。
「さて」
美少年はアルマリンに近寄ると形の良い口を開く。また嫌味を言うつもりなのかとアルマリンは身構える。
「あの場所から数十m離れた地点へ飛ぶぞ」
「____はい??」




