第三話「屋根裏騒動」
蜘蛛の巣に張り付いた蝿が糸の様な足をジタバタとさせ、藻掻いていた。小さな窓から微量の光が漏れる。光に照らされたハウスダストが姿を現し、あちこちを浮遊していた。度々、隙間風に揺られながら屋根裏部屋の空気に交じって存在していたハウスダストが突然、無茶苦茶に舞った。それと同時にバタンっと肋骨が痛みそうな音が鳴る。実際に肋骨が痛んだ。
「うぅ……ゴホッゴホッ!」
床に叩きつけられた衝撃と、その際に舞った埃を吸い込んでしまい涙目で咳き込んだ。ついでに目にも入ったらしい。のろのろと立ち上がると、左手で口を押さえながら右手で魔力の痕跡を消した。
「毎回、毎回……なんで空中に飛んじゃうかなぁ……ああでも、壁にめり込まなかっただけマシか」
「瞬間移動魔法」の利便性は高いが、失敗した時の代償が大きかった。最悪の場合、壁や地面の中に移動してしまい窒息死する。移動したい場所の正確な位置と、移動した後のイメージが最も重要なのだが、アルマリンは移動した後のイメージが少々欠けていた。何故か毎回、移動した場所の1m程高い位置に飛ぶのだ。そして着地も毎回失敗する。
「僕もまだまだ……」
___コツ、コツ、コツコツ、コツ
二人分の足音。
今日は一息つく暇もない。厄日なのだろうか。というか、逃亡生活が始まってから良い事なんて指の数しか無かったが。
巣の主が帰ってきたのか、蝿が張り付いている場所へ蜘蛛が這う。アルマリンのせいで舞った埃が蜘蛛の巣に付いていた。その張本人はというと、段々と近づいて来る者達からどう身を隠すのかで一杯一杯だった。
「あばばばば」
気が動転しているアルマリンは手を高々と掲げると雲隠れを使った。掌から出た星屑の混じった煙を全身に被ればアルマリンの影だけが残される。木箱の山の影に隠れ、口を押えたまましゃがみ込んだ。
___コツ、コツ、コツ____キィ
グルニエ扉がゆっくりと開かれ、ボーラーハットを被った男が入ってきた。テールコートに身を包んだおり、身長は185cmくらいだろうか。天井の低い屋根裏部屋は些か窮屈そうに見える。口周りには珈琲色の髭がびっしりと生え伸ばされており、立派なローマ鼻を持っていた。切れ長の淡褐色の目が屋根裏を見渡すと眉間に皺を寄せた。
「随分とまぁ……愉快で探索心を擽る場所ですなぁ」
男はアルマリンのすぐ傍に置いてあった木箱にふぅっと息を吹きかけた。アルマリンは思わず目を瞑った。危うく声を出しそうになったし、口を塞いでいなければ埃で噎せていた。
「無駄に吹き掛けるな。余計愉快になるだろう」
苛立ちが籠った中性的な声。
男に続いて部屋に入ってきたのは外套のフードを被った人物だった。身長はアルマリンとあまり変わらず、男と並ぶと随分と小さく見える。フードを深く被っているせいで顔の造形が殆ど分からない。だが、異様な存在感と高尚な雰囲気を纏っていた。
「おっと、これは失礼。これ以上貴方様に埃を吸い込ませる訳にはいきませんねぇ……もっとも、この場所を指定したのは貴方様であるが」
「今すぐその口説い嫌味を止めろ。不愉快だ」
苛立ちが増した様子の人物とは逆に、男は楽しげだ。自分より年下?の者を揶揄うのが面白いのだろうか。男はわざとらしく咳払いをすると、フードの人物と向き合う。すると、男の空気が一変した。
表情は変わらず笑顔だ。だが、淡褐色の目に暗い影が落ちた。逆光のせいなのか、それとも男のナニカが影を生み出したのか。
「現在、ロンドンで相次いでいる__」
「待て」
自信げに話し出そうとしていた男に静止の言葉が掛けられ、髭塗れの口がひくついた。フードを被った人物は男の立っている床に顔を向け、そして木箱の山へ向ける。すると、奴の足元に一匹の鼠が現れた。そのまま素通りしようとしていた鼠にフードの人物は懐から取り出したナイフで一突きした。
鼠の悲痛な鳴き声と、生々しい肉を刺した音。返り血が着くのも構わず、躊躇無く刺した奴は鼠ごとナイフを持ち上げた。腹を貫通した刃に鼠の血が伝い、ポタポタと落ちる。埃が血を吸い込むと濁った赤色に染まった。
そして、ナイフを木箱の山へ向かって振った。その勢いで刃から鼠の身体が抜けるとあろう事かアルマリンの目の前にボトリと落っこちた。
「…………ッ!」
喉の奥がひくついた。予想外の出来事と、痙攣する鼠への嫌悪感で身体は後ずさった。軋めく床と埃の動きを見逃さなかったフードの人物はナイフを持ち直し、アルマリン目掛けて銀と鮮血煌めく刃を突き立てた。
ナイフはアルマリンの脳天一直線だ。人生史上一番速い動きで頭を横に振った。だが、それも予想していたかの様に奴の左手がアルマリンの顔を掴んだ。
「……捕まえた」
「捕まった」と何処か客観的なアルマリンの心の声とフードの人物の声が重なる。アルマリンはそのまま頭を床に叩きつけられ、フードの人物が覆い被さってきた。
「姿を現せ。さもなくば、死より痛い目を見ることになろう」
奴の握ったナイフがアルマリンの親指スレスレの所に突き刺さった。冷や汗が一気に全身を濡らす。
痛いのは嫌だ。太い血管を刺されたり切られたりすれば後遺症が残る上、最悪死ぬ。アルマリンは奴に従い雲隠れを解いた。解かれた直後、アルマリンの口元を押さえていた左手は一瞬で首元へ移動した。
「うっ……ぐっぅ……」
「貴様が今し方解いた手品はさて置き、目的を吐いてもらおうか?」
アルマリンはフードの人物を凝視した。中性的な声とは不似合いな言葉遣いに彼の口が驚愕を抑えられぬまま開く。だが、アルマリンと同じく驚きを隠せない男が口を開いた。
「一体、何処から……否、そもそもどうやって姿を……」
「その事は置いておくと言ったのが聞こえなかったか?貴様は黙っていろ、アーロン」
高身長の男__トーマス・アーロンはあからさまに口を尖らせた。見た目に反して、随分と可愛い動作である。
「さて」とアルマリンに意識を戻した奴は首を絞める力を少しだけ強めた。覆いかぶさられているというのに、矢張り顔がよく見えない。
「何が目的だ?」
「も……もく、目的なんて無いよ……」
「ほう……誤魔化すか」
刃が床板を削りながらアルマリンの指へ近付いた。
「ほ、本当!君が納得いく目的も、悪巧みも無い!僕はただ……」
これといった目的も悪巧みも無いと主張するくせに言葉に詰まったアルマリンを見たフードの人物は冷めた溜息を零した。
「俺達が入ってきた時、この屋根裏部屋の扉の鍵は閉められていた。そして、部屋の中から鍵をかけることはできない。貴様の体格でも抜けられる窓も無い。本来ならば貴様はここに存在しない」
「だが」とナイフでアルマリンの頬を撫で、額に突き立てた。
「先の手品……貴様には異質な力があると見た。であるならば、密室の屋根裏部屋に存在するのも不可能な事ではない」
アルマリンは固唾を呑む。その振動が奴にバレてしまい、三日月型の口がフードの中から薄らと見えた。蝿の捥がれた羽がはらりと床に落ちた。蜘蛛の口には動かなくなった蝿が咥えられていた。
「近頃のロンドンは物騒だ。貴様が魑魅魍魎の類ではないと主張するのならば、それ相応の言い訳があるのだろうな?」
「…………ッ」
「俺は気が長くない。三度も言わせるな。この指削ぎ落とされたくなくば嘘偽り無く答えよ」
「貴様の、目的はなんだ?」三度目の問いは、黒魔術の様な禍々しい圧を感じた。だが、これっぽっちも魔力の匂いがしなかった。
(魔法で正体を暴いたのかと思ったけど、攻撃方法がナイフだし……なにより全然匂いがしない)
非魔術師__ならば、魔法で捩じ伏せられる。「魔法警察と魔法公安に追われているから隠れていた」なんて言っても精神病院へ送り込まれるだけだ。なにせ、魔術師やスカイウルフ、生まれ故郷である「魔法界」は非魔術師で言うファンタジーなのだから。鼠をナイフで刺すような奴だ。弁明の最中に殺されても可笑しくない。
アルマリンは意を決すると、掌に魔力を集中させた。
____ガシャアンッッ!!!
突然の轟音に集中の糸が途切れた。窓硝子の破片が無造作に床に散らばる。
濡烏の様な光沢を帯びた毛並みを持つ狼、スカイウルフが橙色の眼を静かに光らせていた。




