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海に来たの!

コミカライズ版「私、聖女。いま監禁されているの」一周年記念番外編です。

楽しんでいただけるとありがたいです!



 その匂いを嗅いだとき、思わず足を止めてしまった。

 もうすぐ目的の街に着くというのに、わくわくしていた気持ちが萎んでしまうほど、不可解な匂いが鼻腔をくすぐったのだ。


「……どうした?」


 すぐに、ナナシは私の歩みが止まったことに気づいた。珍しくキャスケット帽を被った彼は、わずかに帽子のつばを上げて尋ねてくる。


「疲れたか? あと1時間もしないうちに着くんだが……休む?」

「違うの。なんだか変な匂いがして……ほら、また!」


 風が強く吹きつけてくるたびに、いままで嗅いだことのない匂いが漂ってくる。まるで、この匂いは風に乗ってくるようだ。そう思って、風の吹いてくる方向に視線を向ける。


「次の街から漂ってくる匂いです! もしかしたら、街で事件があったのかもしれません!」

「事件、ねぇ……」


 ナナシはほんの一瞬だけ考えるような仕草をしたが、すぐに意地悪そうな笑みを口元に浮かべた。


「ファイ。その変な匂いについて詳しく教えてくれるか?」

「なんというか……錆びた鉄のような匂いというか、ちょっとしょっぽい匂いというか……って、ちょっと笑ってませんか?」


 ナナシの肩が揺れ始め、どこか笑いを堪えているように見える。

 私、そんなおかしなことを言っただろうか? そう悩んでいると、ついにナナシが噴き出した。


「っくっく、いや、おかしいってわけじゃないんだ。ただ、そうだよな……初めてだからな」


 ナナシはそう言うと、私の手をゆっくりと引いた。


「これは潮の香りだよ。海が近いってことだ」

「潮の香り……?」

「だから、あと少しだ。海、初めてなんだろ?」


 ナナシに問われ、私は大きく頷いた。彼と手を繋ぎながら、海の街に向かって再び歩みを進める。匂いの原因が判明したこともあり、だんだんと歩調が速くなる。少し萎んでしまっていた気持ちも復活し、心が弾み出していた。


「海の匂いは森の匂いとは全然違いますね!」


 ナナシに向かって語りかける声も一段と明るくなっていた。


「森の匂いは土や草や木の匂いでしたけど、海は違うんですね! だって、これは水とも雨とも違う匂いですよ!」


 海に関する知識は、図鑑で学んだ程度にはあった。


「海水は塩水って書いてありましたけど、塩水の匂いともちょっと違いますよね? だからといって、魚の生臭さもないですし……どうしてこんな匂いがするんですか?」

「それは……知らねぇな。街に着いたら、図書館で調べるか?」

「海です! 図書館にも行きますが、まずは海です! 浜を歩いて、海を泳いで、魚釣りをして、それから――」


 ナナシと繋いでいない方の手で、海についてやりたいことを指折り数えていく。


「海って絵でしか見たことがないんです! 湖よりも水が多くて、ずっとどこまでも広がっていて、大きな船で四日も進んだ先に別の国があって……」


 ここで一度、私は口を閉ざした。これから念願の海と対面することができる。その興奮が昂り、何度も何度も話したことを繰り返している。ナナシは口を挟むことなく、ときどき相槌を打つ程度。私ばっかり話していることが、無性に恥ずかしくなってきたのだ。


「それで、その……ナナシさんは、海に行ったことがあるんですよね?」

「仕事でな。今回みたいに観光するわけじゃない」


 ナナシと旅をして数か月経つが、過去に行った仕事の話は頑なにしない。

 彼にとって思い出したくもない過去なのか、それとも――と、考えながら道を曲がった、その瞬間だった。


「あ……っ!?」


 前方には木々が生い茂って良く見えなかったけど、道なりに角を曲がったところで、その先に広がる光景が目に飛び込んできた。


 眩いくらいの白と青。

 夏空の雲を想起させる白い家々が崖沿いに建ち並んでいる。四角い形の家の合間には狭い道が続き、その先に目を向ければ、目が覚めるほどの青が広がっていた。一瞬、空の青かとも感じたけど、それ以上に深く、ときどき白い線が横に流れている。陽光がちらちらと輝き、宝石が散らばっているようにも見えた。


「あれが……海?」


 海に目を向けたまま、私は口から言葉が零れる。


「そうだ。あれが海だ。もっと、近くで観に行くか?」

「はいっ!」


 白い街に足を踏み入れる。

 こんなに白で統一された街は初めてだった。太陽の光を白い壁が反射し、少し眩しい。ちょっとだけ目が眩んでしまうと、ナナシがすぐに気づき、自身の被っていた帽子を被せてくれた。


「あ、ありがとうございます!」

「こんな帽子しかなくて悪いな。あとで麦わら帽子を探そう」

「い、いえ! けっこうです!」


 ぶんぶんっと首を横に振って断った。ナナシの匂いが帽子から薄っすら漂ってくるのが心地よいとか、口が裂けても言えるわけがなかった。

 ナナシは「そうか?」と不満そうに口にする。


「そりゃ、お前はなんでも似合うけどさ……もっと可愛い帽子がいいだろ」

「これがいいんです! ナナシさんの帽子を買いましょうよ!」

「俺はいいよ」

「よくありませんよ! ナナシさん、ぜんぜん自分の買い物しないじゃないですか!」


 私が指摘すると、ナナシはぷいっと顔を逸らした。


「その反応、図星ってことですよね! 海で遊んだら、帽子を買いましょう! 私、ナナシさんにふさわしい帽子を選びます!」

「だから、いいって! それより、さっさと海に行くぞ。ちょっと遊んだら、宿をとらないといけないからな」

「いま、話を逸らしましたね! 私、もう誤魔化されませんよ!」


 じゃれあうように会話をしていれば、あっという間に海まで辿り着いた。

 整備された道の先に、砂浜が広がっている。手で触ってみると、さらさらとしていた。砂のなかには、小指の爪よりも小さな貝殻が混じっている。どれもこれも同じ形はない。貝殻に意識を取られていたが、さあっと風と似た音が耳に入ってきた。

 弾かれたように顔を上げれば、海の波が砂浜に押し寄せては引いていく。


「……綺麗」


 ゆっくりと一歩、一歩、海に向かって歩いていく。足を進ませるたびに、砂に靴が囚われる。思ったより砂が深く、くるぶしくらいまで砂で覆われてしまった。もう少し海に近づけば、波を受けた砂になるので大丈夫だと思うけど……。


「これ、靴脱いだ方がいいですよね」


 私は足元を一瞥する。

 人前で裸足になるのは、ほんの少しだけ抵抗があった。


「そりゃそうだろうな。嫌なら手だけで浸してみたらどうだ?」

「それは……ちょっともったいないような」


 ここでようやく覚悟が決まり、右の靴を脱いだ。そのまま靴下も脱ぎ、白い脚が露になる。……ブルータスによって囚われていた塔から逃げ出したとき、裸足で走り出したことを思い出す。あの頃より体力がついたし、傷もだいたい治ったけど、いまでも足の裏にはうっすらと白い傷痕が残っていた。右足をふらふらさせながら、おっかなびっくり砂浜に足を降ろす。

 砂浜は、神殿の廊下よりざらざらしていた。


「よーし!」

 

 もう片方も裸足になり、さくっさくっと乾いた音を立てながら海に近づいた。最初は砂に足が埋まっていたけど、波で固まった砂はぺたぺたとして冷たかった。それでも、波が近寄ってくると後退してしまう。


「怖いのか?」

「こ、怖くないです!」


 湖畔や川で足をつけたことはある。それと変わらない。なにも変わらない。だけど、海だ。普通の水ではなくて、塩水。いや、塩水とも異なる。それに、寄せては返す波はなかった。


「え、えいっ!」


 ぴょんっと前に跳んだ瞬間、波が足首までかかった。


「つ、冷たいーっ!!」


 足をバタバタさせているうちに波は引き、また押し寄せてくる。ぱしゃぱしゃと水が跳ねる音が楽しくて、何度も何度も波を蹴り上げた。そのうち、スカートの裾が海面につきそうになって、少しだけ捲り上げた。裾を軽く結わくと、ちょっとだけ足が露になったけど、問題ない長さだ。太ももくらいまで海に漬かり、しばらくばしゃばしゃと遊んでいるうちに、ふと後ろを振り返る。


「ナナシさんっ! こっちに来ませんか?」

「俺は遠慮しておく」


 ナナシは波がこない絶妙な位置に立っていた。


「あの、一緒に遊びたいです!」

「……」

「ナナシさんと、水をかけあったり、足をばしゃばしゃさせたりしたいです!」


 駄目ですか? と目で訴える。

 ナナシは困ったような顔をしていたが、やがて天を仰ぎ、大きく肩を落とした。


「分かった。分かったから、早く戻って来い。一度、宿をとって、ちゃんとした水遊び用の服に着替えてから遊ぶぞ」

「やった!」


 喜びのあまり、その場で飛び跳ねる。だけど、次の瞬間、波に両足を取られてしまった。


「あ……!?」


 まさかの事態に、目が白黒なってしまう。後ろ向きに身体が倒れるのが、異様なまでにゆっくり感じた。


「ファイっ!?」


 だけど、海に身体が完全に沈む前、背中を強い力で支えられる。すぐに、しりもちをつく直前、ナナシが助けてくれたのだと気づいた。ナナシは相当慌てたのか、頬を蒸気させ、荒い息を繰り返していた。私を助けるため、一心不乱に駆け寄って来たのか、私よりも海水で濡れている。

 そんなに心配しなくてもいいのに、と伝えようと口を開く前に、強く抱きしめられる。硬い胸に頭をおしつけられ、心臓が激しく脈打つ音がすぐ近くに聞こえた。


「……波に……攫われるかと思った」


 苦しそうな声が降ってくる。


「あまりにも綺麗で、儚くて……海に消えてしまうかと思ったんだ」

「え?」

「また、この手から離れて、どこかへ行ってしまうような……」


 ナナシの腕に力がこもる。気を抜くと、身体が折れてしまうくらい強い力。それだけ、ナナシが抱えていた不安が痛いくらいに伝わってきた。


「そんなわけないですよ」


 私は濡れた手を伸ばし、彼の傷だらけの頬に添えた。


「ナナシさんを置いてどこかへ行くなんて……ありえません! どこへ行くにも、2人一緒です!」


 仮に海の底へ行くのだとしても、そのときはナナシと一緒だ。

 私たちは、もう二度と離れないと決めたのだから。

 ナナシは虚を突かれたように目が点になっていたが、ややあってから眉尻が下がった。困ったような嬉しいような表情に変わる。ナナシの髪から海水がぽた、ぽたと垂れ、頬から私の手へと伝った。


「……そうだよな。そうだったよな」

「はい! だから、遊びましょう!」

「それとこれとは別だ」


 ナナシはひょいっと私を担ぎ上げ、波など気に留めずに砂浜へと歩き出した。


「だいたいそんな足丸出しの格好で遊ぶな。ちゃんとした水着や羽織るものを買って、それから遊ぶぞ」

「……はいっ!」


 私は大きく頷いた。

 念願の海に来たことよりも、彼と一緒に海で遊べることも、彼が自分を手放すことがないと確信したことが嬉しくて胸がいっぱいになった。


「いつまでも、どこでも一緒ですから」


 彼の胸に頭を寄せ、目を閉じる。

 いまはただ……胸を飛び出しそうなほど激しい鼓動を耳元で感じていたい。



 他の誰でもない、私のために昂る鼓動を。





 次の日は一日中、海で遊んだ。

 その結果、身体が日に焼けて白と黒の模様ができてしまい、ナナシは笑った。彼から「東方大陸の熊みたいで可愛い」と指摘され、赤面したのは、また別の話……。





先日、「私、聖女。いま監禁されているの」(出版社:電子版マーガレット)が無事にコミカライズ完結しました。

大久間ぱんだ先生を始め、出版社の皆様や関係者の皆様の尽力により、とても素晴らしい作品に仕上がり、とても感動しました。本当にありがとうございました。

読者の皆様も今作を楽しんていただき、感謝が尽きません。いつもありがとうございます。

もし、まだコミカライズ版をお読みでない方がいらっしゃりましたら、ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。


今後も聖女とナナシの物語が降りてきたら、番外編を書こうかなとも考えております。

そのときは、再び楽しんでくださるとありがたいです。



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