Act5-28 シリウスの慟哭
本日より更新祭りを始めます。
まぁ、今日は前夜祭みたいなものなんですけどね←笑
まぶたを開くと、俺の胸を枕にしているレアがいた。
レアは静かな寝息を立てて眠っている。山吹色の光に染まるレアはどこか神秘的だった。思わず触れてしまうのを躊躇うくらいにきれいだった。
正直な話を言うと起こすことなく、レアが自分から起きるのを待っていたい。それまでレアの寝顔を見つめ続けたい。そんな思いが沸き起こる。それだけいまのレアはきれいで、いつまでも見ていたいと思わせてくれる。
けれど、その思いに突き動かされるわけにはいかないんだ。というかいつまでも寝ていられないと言いますか。
「レアまま?」
ほら、アジュールから寝ぼけ眼のシリウスが出てきてしまった。シリウスは目元をこすりながら、かわいく鼻をすんすんと動かしている。足取りはちょっと重めだ。完全に寝起きみたいだから無理もない。しかしどうするかな? このままだと確実に──。
「わぅ、いたの」
シリウスは匂いを嗅ぎとり、ゆっくりとこっちに向かってくる。特にやましいことをしていたわけではないんだけど、それでもシリウスに現状を見られるのはどうなのかな? 俺もレアも裸ってわけじゃないから問題はないと思うんだけども。
「わぅ? ぱぱ上と一緒なの?」
こてんと首を傾げながら、シリウスはついに俺とレアのところまで来てしまった。とっさにまぶたを閉じたので、シリウスには俺が起きていることを知られてはいない。白と黒の尻尾がふわりふわりと振られている様を薄く目を開きながら見守っていく。そんな俺に気付くこともなく、シリウスは相変わらず尻尾を振りながら、俺とレアをしばらくの間見つめると──。
「わぅ、ずるいの」
そう言うや否やシリウスは、レアの腕の中に潜り込んできた。レアを起こしてしまうんじゃないかなと思ったのだけど、レアは意外と眠りが深いようでシリウスが腕の中に潜り込んでも静かな寝息を立てるだけだった。
「わぅ。これでいいの」
シリウスは嬉しそうに笑っている。尻尾を勢いよく振っている。さすがにいつものようなフルスロットルというわけではないけど、近いところまで尻尾を振っているみたいだ。ずいぶんとご機嫌みたいだ。大方レアの胸に朝から触れられて嬉しいってところなんだろうけどね。本当にシリウスはどうして胸なんかがそこまで好きなのかな? ぱぱ上は理解できません。
「……ぱぱ上の匂いだぁ」
そう言ってぐりぐりとシリウスは俺の胸に顔を押し付けて来る。思わぬ言動に唖然となってしまった。レアの胸にではなく、俺の薄っぺらな胸に顔を埋めるとか、いままでになかったことなんだけど、いったいどういうことなのかな?
「……ぱぱ上、シリウスは悪い子だよね」
シリウスが口にした言葉にどきりと胸が高鳴る。起きていることに気付かれたかなと思ったけれど、シリウスは俺を見上げることなく続けていく。
「本当はね。わかっているの。カルディアままを殺した奴らに復讐なんてしても、カルディアままが喜ばないのは、シリウスもわかっているの。シリウスは知っているよ。ぱぱ上が時々夜中に起きて、お手手を見つめて震えているのを、シリウスは知っているよ」
言葉が、声が出そうになった。それだけ衝撃がある言葉だった。知られていたんだって思うと、ちょっとだけ気恥ずかしい。
我ながら情けないことではあるけれど、時折俺は悪夢を見る。それは決まって殺す夢だ。人や魔物の括りはない。命を奪う夢を見てしまう。最初に見たのはモーレを襲っていた盗賊たちを殺したときのこと。次に見たのはモーレが殺されるきっかけになったダークネスウルフを殺したときのこと。その次はシリウスの両親であるガルムとマーナを殺したときのこと。俺がいままで手に掛けてきたことを、命を奪ったときのことを俺は何度も何度も夢に見る。
そのたびに飛び起きる。ひどいときには武器を手にすることだってあった。武器を手にしないときでも、たいていはすぐに掌を見つめる。血まみれになっていないかを確認してしまう。生暖かな血に染まっていないのかを確かめてしまう。
確かめ終るとだいたい吐き気を催す。よほどひどくない限りは我慢できる。けれど我慢できないほどの吐き気に襲われるときもあった。
我慢できないときは、トイレに速足で向かい、胃の中のものを吐き出していた。吐き出しても、吐き出しても、吐き気は止まらず、最終的には胃液さえも吐き出してしまう。胃液を出してようやく吐き気は納まるんだ。その後は部屋に戻ってぼんやりと星空を眺めることにしていた。悪夢を見た日はそれ以上眠れなくなるから、長い夜を越すための俺なりのやり方だった。
ただまさかそのときのことをシリウスに知られているとは思っていなかったよ。ここ最近はカルディアのふりをしていたマーナが見せた悪夢ではあったけれど、誰かを殺すよりも殺される悪夢の方がまだましだった。
「ぱぱ上は、復讐がどういうことなのかを知っているんだよね。誰かを殺すってことがどれだけ重たいものを背負うのかを知っている。だからシリウスに復讐をさせたくなかったんだよね?」
俺の気持ちをシリウスは理解してくれていた。この子は本当に聡い子だ。ちゃんと俺の本心を理解している。それでもその心は怒りに染まっている。カルディアを殺したアイリスへの怒りに染めつくされている。いまの俺がそうであるように。シリウスの心もまたどす黒い感情に染めつくされているんだ。
「それでもシリウスは復讐がしたいよ。カルディアままの仇を取りたいよ。なによりもぱぱ上の手だけを汚したくないの」
その言葉は、本当に予想外のものだ。考えてもいなかった言葉がシリウスの口から発せられた。
「復讐が怖いって知っているよ。誰かを殺すことが怖いってことも知っている。ぱぱ上が夜中に起きているのを見て、シリウスは知っているよ。カルディアままがそんなことを望んでいないことだってシリウスは知っている。それでも、それでも悔しいんだ! カルディアままが、なにも悪いことなんてしていないカルディアままが、あんなにもボロボロになって殺されちゃったことが、シリウスは悔しいの!」
胸が冷たかった。涙が、シリウスの流す涙が服を濡らしていく。なにを言えばいいのか、なにをしてあげればいいのか、俺にはわからなかった。
「だからシリウスは強くなりたいの。カルディアままの仇が討てるくらいに強くなりたい。もう子供のままは嫌なの。なにもできない、なにも知らない、なんの力もない、子供ではもういたくないの」
シリウスが叫ぶ。心の底からの慟哭。その体を抱き締めてあげたい。けれど体は動かなかった。動いてくれない体の中で、頭だけが動いている。思い出すのはガルムに言われた言葉だ。
「魔物の進化には、強さを欲する心が必要になる」
「強さを欲する?」
「うむ、心の底から強くなりたいと、いまのままではいられないと思う心が、その身を進化させる。むろん、心だけではダメだ。進化するに足る経験と魔力が必要になる。そのうえで強さを欲する心が噛み合わさることで、魔物は進化を果たす」
「いまのシリウスは心から強さを欲している。でもまだ経験と魔力が足りない。けれどその経験と魔力があれば、あの子はいつでも進化するでしょう。特殊進化個体であるグレーウルフの次の段階シルバーウルフへと」
シルバーウルフ。それがシリウスの進化先の種族。シリウスの強くなりたいという想いは嫌と言うほどに理解できた。
でもまだこの子には足りないものがある。その足りないものを補ってあげるべきなのか、見ないふりをするべきなのか、俺にはわからない。わからないまま、シリウスの慟哭を聞き続ける。
胸を衝く心の底からの慟哭をいつまでも聞き続けることしかできなかった。
続きは二十時になります。




