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rev3-43 精神世界

「──君が産まれた場所?」


 遠くから声が聞こえていた。


 その声はとても懐かしいもの。


 けれど、すぐには誰のものなのかはわからなかった。


 とても落ちついた声。


 女の人の声じゃない。


 男の人の声。


 とても低く、でも、とても落ち着ける声。


 いつまでも聞いていられる声。


 優しい、優しい声。


 誰の声だったかな。


 大好きな人だったというのは憶えているけれど、それが誰なのかまではわからなかった。


「急にどうしたんだい? いきなりそんなことを聞いて?」


「だって、わたし、みんなとはちがうもん」


「違うって言うと?」


「みんな、ここでうまれたのに、わたしはちがうもん。だから、わたしはどこでうまれたのかなっておもったの」


「……もしかして、また男の子に虐められたのかい?」


「ううん。あいつは、おかあさんにいっぱいおこられて、おんなのこはこわいっていつもビクビクするようになったもん」


「……そ、そうか。ディアナにはあとでやりすぎだと言っておこうかな。本当に彼女は困った人だ」


 男の人はそう言って笑っていた。


 その笑い声と内容で「あぁ」とようやく思い出せた。


 逆になんですぐに思い出せなかったのかと自分でも不思議だった。


 だって、この声は──。


「おとうさん、なんでわらっているの?」


 ──子供の頃に亡くなった父さんの声だった。


 父さんは活動的な母さんとは違って、いつも家にいた。村では、簡単な読み書きを教える教師みたいなことをしていたらしい。


 らしい、というのは、私自身その姿をほとんど見たことがなかったから。


 父さんの授業を受ける子は、私と同い年の子たちの中にはいなかった。


 私よりももっと年上の子たちは受けていて、中には村の大人の人も受けているくらいだった。


 寒村で、僻地にあるコサージュ村での識字率なんて、考えるまでもない。それは同じ辺境にあった他のいくつかの村々でも同じ。だから、父さんの授業を受けに他の村から来る人もそれなりにいた。


 父さんは物静かな人で、いつも難しい本ばかり読んでいた。当時の私ではもちろん、いまの私でも理解できないほどに難しいものだった。


 読み手がいなくなったら、それらの本はなんの意味もないわけなのだけど、母さんは父さんのだからと言って、父さんの遺した本を捨てることはせず、いまも私の家には父さんの遺した本は父さんの書斎に保管している。


 コサージュ村を出るまで、持ち帰った仕事はいつも父さんの書斎で行っていた。


 ほとんど難しいものばかりだけど、探せばギルドの仕事でも使える資料とかもそれなりにあったというのが理由。あくまでも建前ではだけど。


 本当の理由は、父さんの書斎で仕事をしていると、不思議と仕事がはかどるからだった。まるで父さんが仕事を手伝ってくれているかのように。父さんが後ろからアドバイスしてくれているみたいって思うようになったからだ。


 そんな父さんの声を忘れていた。


 父さんが知ったら、残念がると思う。


 怒ることまではしないだろうけれど、「そっか」とほんのわずかに眉尻を下げて、悲しそうに笑うと思う。父さんはよくそんな顔をしていた。特に私の産まれのことを聞くと、いつもそんな顔をしていた。


 思えば、この会話のときも、父さんは悲しそうに笑っていた。当時はどうしてそんな顔をするのかがわからなかったけれど、いまならわかる。


 父さんはきっと私の産まれ故郷に置いてきてしまったお姉ちゃんのことを思い出していたんだと思う。


 父さんはとても優しい人だった。


 私を愛してくれていた。まるでお姉ちゃんの分までというように、私にとことん愛情を注いでくれていた。


 そんな父さんだから、お姉ちゃんのことも気になっていたのだと思う。


 いや、気にしていないわけがなかった。


 だって、あの父さんだったら、産まれたばかりの娘のひとりを置いて行くなんて、耐えられなかっただろうから。


 けれど、父さんは、いや、父さんだけじゃない。母さんも最終的にはお姉ちゃんを置いていった。


 その理由がなんであるのかは私にはわからない。


 どうして私とお姉ちゃんを引き剥がしたのかもわからない。


 わかるのは、苦渋の決断だったんだろうなっていうことくらい。


 そうしなければならない事情があったってことくらいはわかる。


 でなければ、レンさんと同じくらいに親バカな父さんがお姉ちゃんを手放すわけがないもの。


(あぁ、そっか)


 ふと気づいた。


 ううん、わかったことがある。


 私は前々からどういうわけか、レンさんのことが気になって仕方がなかった。


 その理由の一端がいまわかった。


 私はレンさんと父さんを重ねていたんだ。


 同じ親バカで、娘にこれでもかと愛情を注いで、そしてどこか影を背負い、時折悲しそうに笑うあの人を、父さんと無意識に重ねていたんだろう。


 そうしてしまうほどに、レンさんは父さんと似ている。


 見た目は全然違うし、性別だって違う。


 それでも、レンさんと父さんは似ているところがある。


 そんなレンさんに私は──。


『惹かれたのだろうね。大好きな父親を重ねてしまうほどに、君は彼女に惹かれた。それは彼女も同じ。愛した女によく似た君に惹かれている。お互いに影を重ねながら、惹かれ合う。まるでどこぞの恋愛小説のようだね? それも悲恋系によくあるものだ』


 ──不意に耳障りな声が聞こえてきた。


 父さんとの思い出の中で響く、不協和音。


 どこからと思っていると、その声の主は現れた。


「やぁ、アンジュ。ご機嫌いかがかな?」


 目の前に突如としてひとりの女性が現れる。いや、女性というよりも少女という方が正しいだろうか。


 目の前に現れた少女は、異形だった。


 見目はいままで見たことがないほどに美しかった。


 そう、顔の作り自体はとても美しい。


 けれど、その顔を台無しとまではいかないけれど、印象を変えてしまいそうなほどの異物が彼女の体にはあった。


 全身の至る部分を覆う鱗、爬虫類のような縦に裂けた金色の瞳、口から見える尖った牙、そして蛇を思わせるような長い尻尾。


 見目が整っている分だけ、異形が目立ってしまう。


 そんな異形の少女が私の目の前に突如として現れた。


「あなたは?」


「おや? さっき挨拶したと思ったのだけどね。……あぁ、そうか。さっきの姿とは違うからか。さっきの姿は本来の僕のものじゃない。この姿が本来の僕なのさ。と言ってもすぐにはわからないよね。わかりやすく答えようじゃないか。我が名はリヴァイアサン。さきほど君と会った海王その人さ」


 にやりと少女は笑う。その名前を聞いて、すぐにはさきほど会った彼女と結びつけることはできなかった。


 さきほどとはまるで違っていた。


 さきほどの姿は、ルクレティア陛下そのものだった。


 ルクレティア陛下よりも色素が濃いめであることと、髪の長さが違うくらいしか違いを見いだせないほどに、ルクレティア陛下そっくりだった。


 でも、いまの姿はルクレティア陛下とはまるで違っていた。それどころか、ルクレティア陛下の要素を見いだすことができない。


 同時に、あの姿で神獣様であると言われてもすぐには納得はできなかった。


 けれど、いまの姿であれば、神獣様だと納得することはできた。それくらいにいまの姿は──。


「獣じみているかな?」


「──っ」


 私の思考を読み取っているかのように、神獣様ははっきりと言われた。


 私の考えていたことは不敬と取られても致し方がないことだった。


 だというのに、神獣様はこれと言って気にされている様子はない。


 むしろ、当たり前であるのかのように振る舞っておられた。


「それはそうさ。僕たちは神獣と敬われてはいるが、しょせんは獣だもの。獣が獣であることをなぜ気にする必要がある?」


 神獣様は笑っていた。


 そう、ただ笑っている。


 笑っているだけなのに、重圧のようなものを感じられた。悲鳴をあげてしまいそうなほどに。


「まぁ、いいさ。さて、いま僕が本来の姿で君とこうして会話をしているわけだが、その理由はわかるかい?」


「理由、ですか?」


「あぁ。とは言ってもいきなり言われてもわからないだろうから、言っておこう。ここは現実ではない。かといって夢の世界というわけでもない。ここは君の内面の世界だ。君の精神世界と言った方がいいかな?」


「私の、精神?」


 抽象的な言い回しではないけれど、かえってよくわからなくなってしまった。


 私の精神世界。だからこそ、かつての父さんとの思い出が蘇ったというのはわかる。


 けれど、ならなんでその世界に神獣様がおられるのかがわからなかった。私はそれだけこの人に大きな比重を傾けているのだろうか。


「ふふふ、違う違う。君は決して僕に比重を傾けているわけじゃない。単純に僕が君の中にお邪魔しているというだけのこと。僕の目的のためにね」


 にこやかに笑いながら、神獣様がどこかに手を伸ばした。


「──まさか、双子とはな」


 すると、今度は聞き慣れない声が聞こえてきた。


 父さんよりももっと低い声。


 それどころか、嗄れているような声。


 でも、父さんと同じくらいに安心できる声。


 その声の持ち主を探していると、見慣れない老人がいきなり現れた。


 それも普通の人じゃなかった。


 その人はとても特徴的な見目をしていた。


 真っ白な髪と、分厚い胸板、引き締まった体躯、そして頭頂部には髪と同じ色をした長い立ち耳があった。見れば背中にも長い真っ白な尻尾が見えた。どう見ても獣人だった。


 その獣人の老人は、ふたりの赤ん坊を両手に抱いていた。かなり困惑しているのがわかる。

「……先祖帰りか。まさか、我が孫娘たちがそうなるとはな」


 老人はなんとも言えない顔をしている。困惑と悲しみが感情の大部分を占めていた。でも、決して喜んでいないわけじゃない。喜びをも覆い尽くすほどに困惑と悲しみが大きいみたいだった。


「父様。ごめんなさい」


 そんな老人に向かって、聞き慣れた声が申し訳なさそうに謝っていた。その声は聞き間違えるわけがない。母さんの声だった。


 でも、目の前に現れた母さんは、私が知っている母さんとは違う姿をしていた。


 母さんの体に私が知らないものがあった。老人とは違う耳と縦縞の尻尾があった。虎の獣人のようにしか見えなかった。


「母さんが、獣人?」


 ありえないと思う一方で、納得してしまいそうになる自分がいた。たしかに母さんは普通の成人女性にしては、やけに身体能力が高かった。子供とはいえ、片手で目線の高さまで持ち上げることなんて普通はできないことを平然とやっていた。


 他にも縦横無尽に雪山を駆ける姿を見たこともあるし、ゲイルさんと一緒に御山の動物や魔物を狩っていたし。こうして考えると、母さんは普通の成人女性にしては身体能力が高すぎた。それこそ獣人じゃないと納得できないくらいには。


 でも、そうなると、私は獣人と人の間の子ということになる。けれど、そんなことはいままで一度も聞いたことがなかったし、母さんに頭の上にある耳と長い尻尾のことは知らなかったし、見たこともなかった。


 けれど、目の前にいるのはたしかに母さんだった。私が知っている姿よりも若い頃の母さんだった。


「……おまえが謝ることではないぞ、ディアナ。しかし、どうしたものか。先祖帰りの双子はただでさえ、災いとなるというのに、まさか獣人と人の双子とはな」


 老人、いや、おじいちゃんは腕の中の赤ん坊たちを見遣りながら言う。その言葉の通り、おじいちゃんの腕の中にいたのは、銀色の髪をした双子の赤ん坊だった。ただ、片方はおじいちゃんと同じ形をした立ち耳と尻尾があるものの、もう片方にはそれらのものはなく、普通の人間の赤ん坊だった。


「……双子だというのはわかっていた。だからこそ、名前を考えていたのだが、まさか、このような形でだとは、な」


 おじいちゃんは泣いていた。泣きながら双子の赤ん坊を、私とお姉ちゃんを見つめていた。その涙とともに、私は目の前の光景をぼんやりと眺めていることしかできなかった。 

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