rev3-41 陽炎の声
「──人捜しも一段落したようですので、私はそろそろお暇させていただきますね」
ベティの思わぬ発言のおかげで、一触即発となったルクレとイリア。
そんなふたりに挟まれていた俺だったけれど、そのふたりは現在ようやく落ちついてくれた。……若干問題はある形だけども。
それでも穏やかな口調で睨み合うという状況よりかははるかにましだった。
そう、ましではあるけれど、俺の胃腸的には大問題が起こっている。
それでも先ほどよりかはましな状況であることには変わらないためか、ルリは俺を助けようとはしてくれない。むしろ、率先して無視してくれている。
それは発端であるベティも同じだ。まぁ、ベティの場合は、ルリから渡されたチョコバナナであっさりと釣られてしまったということもあるのだけど。
俺を助けてくれる人は誰もいない状況だった。
そんな状況に陥ったところで、アスランさんはここでお別れだと言ってきた。
あくまでもアスランさんは、ルリが俺たちを探すのを手伝ってくれていただけの他人だった。まだアンジュは見つかっていないけれど、ルクレからおおよその居場所は聞き及んでいるから、わざわざ探すこともなかった。
だからこそ、自分の役目は終わりだということで、アスランさんは別れを切り出したようだ。
理屈のうえでは、アスランさんの言うことは理解できるし、納得もいく。
あくまでも彼女は、善意の協力者でしかない。
その協力するべきことに終わりが見えたのであれば、離れるというのは理解できることだ。
うん、理解するし、納得もしている。
ただひとつだけ、しておきたいこともあった。
「お礼がまだなので」
「いえ、さきほども言いましたが、もう十分ですよ」
アスランさんは笑ってお礼を辞退してしまった。
そう、俺がしておきたいことは彼女へのお礼だった。
なんのお礼もなしに協力してくれていたアスランさんと分かれるというのは、さすがにダメだろうと思ったのだけど、そのお礼をアスランさんはやんわりと断られてしまった。
「ですが、こちらとしては善意で協力してもらったのですから」
「善意の協力とは言っても、そこまで大それたことはしておりませんから。せいぜい、ルリ殿と街中をぶらりと歩いていた程度ですし。その程度のことでお礼をいただくというのは、かえって申し訳がなく」
「それはそうかもですが」
ルリにも話を聞いていたけれど、アスランさんは人捜しを手伝ってくれていたけれど、本人も言う通り、フェスタの会場となったリヴァイアスの街を練り歩いていただけだった。
とはいえ、それだけでも十分すぎるほどに協力をして貰っている。リヴァイアスは、リヴァイアクスの首都だけあって、とても大きな街だ。その街中をルリと一緒に練り歩いてくれた。
内容としてはそれだけだったとしても、実情を踏まえたら、それだけとは言い切ることはできない。
ちゃんとしたお礼をするべき人だった。
それでも、アスランさんはお礼を固辞してしまった。ここまで固辞されてしまうと、無理にお礼をするというのはかえって失礼になる。わかっているのだけど、なにもお礼をしないというのは申し訳がない。
かといって、本人がお礼はいいと言っている以上は、こちらからするべきことはほとんどなかった。
どうしたものかなと頭を捻っていると、アスランさんの外套がなぜか下に引っ張られていた。視線を下げると、ベティがいつのまにかアスランさんの外套を掴んで、アスランさんはじっと見上げていたんだ。
「どうなさいました、ベティちゃん?」
「ばぅ。おねーさん、いっちゃうの?」
ベティはアスランさんをじっと見つめていた。そんなベティと目線を合わせるように、アスランさんはその場でしゃがみ込んでいた。アスランさんがしゃがみ込むと、ベティは掴んでいた外套から手を離したが、その分アスランさんに一歩近付いていた。
「私がするべきことは終わりましたし、これからは家族水入らずで過ごされるとよいでしょう。その点私はあなたがたとは接点、んー、関わりがあまりないので、お邪魔虫になりますからね。お邪魔虫はさっさといなくなるべきでしょう」
アスランさんは、ベティにわかりやすいように話をしてくれている。口調だけではなく、その声色もとても穏やかだった。ふたりのやり取りを見ていると、不思議とアスランさんがサラさんと重なって見えてしまう。
相手はベティだけど、ベティの姿はかつてのシリウスやカティを想わせてくれる。だからなのかな。まだ魔大陸にいた頃のことを思い出しそうになってしまう。
ふたりが預かり知らぬことではあっても、それでも、かつてを思い出しそうになってしまった。
「おじゃまむしさんじゃないよ? ベティ、おねーさんといっしょにいたいの」
「それは嬉しいですが、少しやることがありますゆえ」
「そーなの?」
「はい、そうなのです。私の主というべき方から用事を言いつけられておりましてね。その用事を済ませなければならないのですよ。ルリ殿のお手伝いをしていたのもその一環でしたから。なので、ここからは私は私の用事を済ませておきたいので、申し訳ありませんが」
「……ばぅ、わかったの」
残念そうにベティは頷いた。背中の尻尾は垂れ下がって、見るからに残念さを現していた。
そんなベティを見て、アスランさんはおもむろにベティの頭に手を乗せて撫で始めた。
「ごめんなさいねぇ~。どうしてもやることがあるんですよぉ~」
それまでの固い口調が急に柔らかくなった。その口調はとても懐かしいものだった。思わず、言葉を失ってしまうほどに憶えがあった。
でも、それは俺が思うことであり、ベティにとってはいきなり口調が変わったことで、不思議そうに首を傾げていたのだけど、すぐにベティは面白そうに笑っていた。
「おねーさん、しゃべり方がへんなの。でも、そっちのほうがおねーさんらしいきがするの」
ベティが笑う。その言葉にアスランさんは慌てて咳払いをしたが、すでにベティどころか、この場にいる全員に聞かれてしまっていた。
「……いまのは、その、私の一族がわりとする話し方でしてね。気を抜いてしまうとああなってしまうのです」
「じゃあ、さっきのしゃべりかたが、ほんとうのおねーさんのなの?」
「……まぁ、そういうことになりますかね」
「じゃあ、ベティ。さっきのがいいの。いまはなんだか、おねーさんがとおくにいるみたいでいやなの」
「いや、そう言われましても」
「ダメ、なの?」
肩を落としてアスランさんを見上げるベティ。その姿にアスランさんが「うっ」と声を漏らしながら動揺していた。
「……ダメ、というわけではないですが、私はここでお別れしますので」
「……そっか、そーだよね。じゃあ──」
「ええ、残念ですが──」
「──じゃあ、つぎにあったときは、さっきのしゃべりかたにしてね」
「──ええ、次にお会いしたときに……ふぁ?」
ここでお別れする以上、素のしゃべり方はできないとアスランさんはいい、ベティも納得したように思えていたら、まさかのことを言われて、アスランさんは気の抜けきったような声を上げてしまった。
そんなアスランさんにベティはおかしそうに笑いつつも、右手の小指を差し出した。
「やくそくなの。つぎはさっきのしゃべりかたなの!」
にこやかに笑うベティ。そんなベティに押されるようにして、アスランさんはベティの小指に自身の小指を絡めていた。アスランさんが出したのは右の小指。その手は真っ白なロンググローブで覆われていた。
外套と着ている服でちゃんとは見えなかったが、手首よりも先も完全に覆われていて、地肌は完全に見えなくなっていた。そこまで地肌を隠す理由はなんなんだろうと思いつつも、ふたりのやり取りを俺は見守っていた。
「……あの子たちに見た目だけじゃなく、中身もそっくりですねぇ~」
アスランさんはぼそりとなにかを呟いていたけど、声が小さすぎて聞こえなかった。ルリを見たけれど、さすがに聞こえなかったみたいだった。
「そうですね。次にお会いできれば」
「やくそくなの!」
「……ええ、約束です」
アスランさんは穏やかな声で笑った。
その声はさっきの口調とは違っていたけれど、やはりサラさんを思い浮かべさせてくれた。
「それでは、私はこれで。またお会いできることを祈っています」
アスランさんはベティから離れると、俺たちに向かって一礼をした。
そこで完全にお別れとなった。
見送るべきなのだろうけれど、アンジュをリヴァイアスの支部まで迎えに行くことになっていた。
ルクレが言うには、アンジュはリヴァイアスの支部のマスターに呼ばれてしまったとのことだった。
なんでも用事があるということだったのだけど、その用事がなんなのかはわからない。
ただ、そろそろ用事が終わっているだろうからということで、迎えに行くことになったんだ。
だからこそ、アスランさんもここでお別れを言い出したんだろうね。
「では、母神様のお導きがありましたら」
そう言って踵を返し、俺たちに背を向けるアスランさん。
そんなアスランさん同様に、俺たちも背を向けて、リヴァイアスの冒険者ギルドへと足を向けた、そのときだった。
「……またお会いできて嬉しかったですよぉ~、旦那様」
はっきりとその一言が聞こえてきた。
俺はとっさに振り返った。両側をイリアとルクレに固められていたけれど、振り返ることはできた。
けれど、振り返った先にはアスランさんの姿はなかった。
さっきまでたしかにいたはずだったのに、いまはもう影も形もなかった。
まるで蜃気楼や陽炎のような幻だったかのように、その姿は忽然と消えてしまっていた。
「旦那様? どうされましたか?」
「……なんでも、ない」
なんでもないわけじゃなかった。
それこそいますぐにアスランさんを探したいという欲求に駆られていた。
だけど、その姿はもうどこにも見えない。
それにいまの声だって、本当にアスランさんのものなのかもわからない。
声も口調も少し前に聞いたアスランさんのそれと同じだったと思う。
でも、アスランさんはサラさんとは明らかに違っていた。
それでもたしかにあの人は俺を「旦那様」と呼んでいた。
ただ、確証はない。
あくまでも状況証拠は揃っているというだけのこと。
確実な証拠はなにもないんだ。
あの人がサラさんである証拠はなにもない。
いまの声だって、俺の頭がそういう風に誤認して聞こえた幻聴という可能性だって捨てきれなかった。
だからあの人を探すということはできなかったし、いまはアンジュを優先したかった。
もういなくなってしまっているはずのサラさんを重ねてしまったというだけで、姿がみえないアスランさんを探すことを優先することはできなかった。
立ち止まるのをやめて、俺は前に振り返った。いつのまにか、ルリとベティは少し先を歩いていた。このままだとまたはぐれてしまいそうだった。
「行こうか、またはぐれてしまいそうだ」
「そうですね。少し急ぎましょう」
ルクレが頷くのを見遣りながら、俺たちは前方を行くルリとベティに追いつくべく、足を速めた。
後方に消えたアスランさんに後ろ髪を引かれながらも、いまはただ前を見つめて歩くことしかできなかった。




