それで幸せなのである。
「ときおー、またおねぼうしてるー」
「ひょっひょっひょっ、鴇尾はいつもお寝坊なのかのう?」
「そうだよー!いっつもねんねーばっかりー!」
「ひょひょっ、そりゃぁいかんのぅ!どれ、ちぃっと驚かしたら起きるかもしれん!何か良い案はないかのぅ?」
「じゃぁじゃぁ!ときおのうえに、どぉぉんってするのー!」
「成る程!そりゃぁ良い案じゃ!よし、やってみぃ!」
「……っちょっとまてぃっ!」
何やら頭の上から聞こえた不穏な会話に、慌てて飛び起きる。
殺す気かっ! と険しい顔で後ろを振り向いた鴇尾は、そこに居た人物に思わず口を開けた。
「……栄次っ!………と誰だこのじじぃ」
ニコニコと元気そうに笑う栄次と、その横に並ぶ好好爺に目を据わらせる。確か自分は地下牢に居た筈だが、これはどういう事だ。
「ときお、おねぼうさんー!」
「まったくじゃのぅ、夜飛がヤキモキして、機嫌がわるぅて仕方ないんじゃぞ!お前さんが寝坊したせいで、国が二個ほど無くなったぞぃ」
ひょっひょっひょっと変な声で笑った爺は、なんとも物騒な事をなんとも軽く言い放った。思わず聞き流してしまいそうになったが、やけに引っ掛かる台詞が聞こえ、頭の中で反芻する。……国が二個ほど無くなった? その言葉を噛み締めた鴇尾は、暫しの間固まってしまう。
このじじぃ、今さらっと何を言った? と呆然とする鴇尾に向かって、爺はニンマリ笑みを作った。
「よしよし、栄次や、鴇尾は起きたようじゃしな。後はお若い方同士で~って奴じゃ!」
「おわかい~?なぁに、それ~」
「ひょっひょっひょっ、栄次にはまだ早い話じゃ~」
またもや変な笑い声を上げ、栄次を引き連れ部屋を出る爺。何者か最後まで分からなかった爺が閉めた襖が、まったく見覚えの無い絵柄だと気付き、ようやく此処が見知らぬ場所だと理解する。
「え、此処どこ。え、なんで栄次がここに?」
っていうかあの爺誰だよっ! と苛立ちのあまり頭を掻きむしった鴇尾は、そこでまた新たな発見をする。
「あ、目が……」
頭に巻かれた包帯が指に引っ掛かり、それが己の左目に繋がっているのを確かめた鴇尾は、ゆっくりそこを撫でてみる。
「……うっ、ぅう」
触ったその感触から、目をくり貫かれて居なかった事に安堵し、あの時の痛みと恐怖を思いだし、涙が溢れた。
あれは現実だった、あの時の恐怖と痛みは、夢などではなかった……。
そして何故自分が手当てをされ、何故見知らぬ場所にいるのか、何故栄次が元気そうにしているのか。起きたばかりの鴇尾には、今この状況が、さっぱりわからない。
だが、唯一開く右目に写ったその人に、ボロボロと涙と恋心が溢れるのを、止める事はできなかった。
「や、と?……っやとっ!」
「あぁ、来い、鴇尾」
柔らかく笑うその男は、綺麗な紅に染まった目を細め、両腕を広げた。
「うぅっ、やとぉっ」
躊躇うことなくその腕の中に飛び込み、涙を流す。そんな鴇尾を、夜飛は優しく抱き締めた。
「俺の可愛い可愛い鴇尾、もう怖いことは無い」
甘い声で囁かれ、その胸に顔を埋めたままぶすりと呟く。
「うそ、夜飛、私を始末しろって東助に言ってた」
ぐっと握り締めた指に、夜飛の手が重なる。
「俺が愛しい鴇尾を始末しろなんて、言う訳ないだろ?」
「い、としい?」
「ん?あぁ、愛しいな」
くつりと笑ったその顔には、いつも着けているあの烏面が無い。初めての素顔と愛の言葉に、胸の中から夜飛を見上げていた鴇尾は、ぽっと頬を赤く染めた。
「……なんでお面ないの」
なんだか無償に恥ずかしくて、目線を合わせる事ができない。
「あぁ、あれな。鴇尾とは夫婦になるから、もう付けなくて良いんだ」
「っ!?」
まさに寝耳に水、いきなり爆弾発言をされた鴇尾は、開いた口が塞がらない。先ほどから訳の分からない事ばかりで、口の筋肉はもはや使い物にならないようだった。
「あぁ、お前の家族も無事だ。まあ日江の国は滅んで、いまは箕雲の国だがな」
「っ!?」
「それとさっきの爺だが、箕雲の国の主、箕雲寛貞だ」
「……っ!?」
「ついでに、俺と鴇尾の結納は、あの爺が取り仕切るそうだ。良かったな」
「………っ!?」
いや良くねぇしっ! と内心叫んだ鴇尾は、この時只ひたすら言葉の通じる人が欲しかった、それも分かりやすく説明してくれる人が。……夜飛に言ったら、その人が殺されそうだが。
「……夜飛、さっぱりわからない」
抱き締められていた胸に手を突っ張って、右目だけで睨み付ける。そんな鴇尾の右目をいとおしそうに見つめた夜飛は、包帯に包まれた左目に手を這わせ、話はじめた。
「なに、簡単な事だ、凰間に裏切り者がいてな。それが阿山の所にお前の情報を売った。俺が始末しろと言っていたのは、こいつの事だろう。で、お前は捕まって、左目を失った。俺は裏切り者と保賀宇津時を倒し、ついでに日江と阿須狭も滅ぼした。それだけの話だ」
ほら簡単だろ? と首を傾げた男は、全くもって使えなかった。そんな男に白い目を向け、やれやれと首を振る。
「……取り合えず、栄次達はもう安全で、夜飛は私の事が好き?」
鴇尾の青い瞳で見詰められ、たちまち顔を蕩けさせた夜飛は、その目に口を寄せる。
「あー、可愛い。当たり前だろう?こんなにも、愛しているのはお前だけだ」
その言葉を聞いた鴇尾は、もう一度やれやれと首を振った。結局話の半分もよく分からなかったが、栄次や玉緒達が安全ならいいか、と諦めた鴇尾は、ズシリと体の力を抜く。
夜飛は自分の事を好きだと言っているのだし、多分成るように成るだろう。もう真剣に考えるのも面倒になった鴇尾は、ゆっくりと目を閉じる。やっぱりこの腕の中は落ち着くんだよなぁ、と呑気な事を考えながら。
『それで?ぼーーーっとしてたらいつの間にか結納が終わってて?ぼーーーっとしてたら何故かこんな屋敷に来てて?ぼーーーっとしてたら子供が出来ましたってかこの野郎っ!』
ふっざけんなっ!!! っと叫ぶのは、かれこれ何ヵ月かぶりに見たブチである。
『そうよそうよ、私たち結納にも参加出来なかったのよ?なんっか無駄に厳重な警備のせいでっ!』
ダンダンと床を叩くのは、これまた相変わらず福々しいクロであった。そんな二匹を前に、少し膨らんできたお腹を撫でた鴇尾は、うーんと唸った。
「そんな事言われても、私も分からないし」
『だぁぁっ!なっんでお前はっ!そうっ!なんでもかんでもっ!すぐ面倒臭がってっ!だぁぁぁぁっ』
ゴロンゴロンと床をのたうち回るブチは、このままではいずれストレスのせいで禿げるかもしれない。
『もう、どうせ鴇尾の事だから、面倒臭がって何もあいつに聞いてないんでしょ?』
仕方ないんだから、と溜め息をついたクロは、チラリと周囲を伺う。
『それにしても、すごい警備ね。まさに籠の中の鳥ってやつかしら?』
『まったくだぜ。今日はいきなり此処に放り込まれたからお前に会えたが、これまではどんなに頑張っても、鼠一匹入る隙が無かったんだぜ?』
『そうよ、今日になっていきなり会えるなんて、どういう風の吹き回し?』
心底不思議そうに聞いてきたクロに、鴇尾も首を傾げて考え込む。少しの間思考に耽っていたが、ふと顔をあげ手を叩いた。
「昨日夜飛に、暇で暇で死ぬって言ったから?」
己の考えに頷いた鴇尾は、呆れてものも言えない二匹に向かって小さく笑う。
「だから二人とも、明日からも遊びにきてね」
『お、ま、えってやつはぁぁぁっ!』
とうとう堪忍袋の緒が切れたブチが、猫パンチを繰り広げる。その何とも威力の無い可愛い攻撃に、鴇尾が相好を崩した時だった。
「おい貴様、誰の嫁にさわってる」
突如伸びてきた腕に首根っこを掴まれ、宙ぶらりんになるブチ。なにやらギャーギャーと騒いでいるブチから視線をずらし、その腕の持ち主を見上げる。
「おかえり、夜飛」
「あぁ、ただいま鴇尾。ほら、土産だ」
鴇尾の言葉にゆるりと口を緩めた夜飛は、ブチをぽいっと後ろに放り投げ、懐から何かを取り出す。娶った後もせっせと貢ぎ物を持ってくる己の夫に、首を傾げて手を伸ばした鴇尾は、たちまち顔を綻ばせた。
「金平糖!」
喜色満面で喜ぶ姿を眺め、クロは呆れた声をだした。
『あなた達ったら、相変わらずなのねぇ』
『全くだぜ!夫婦そろって俺の扱いが悪すぎるっての!』
ブツブツと文句を言いながらクロの横に戻ってきたブチは、小さく溜め息をついた。そして鴇尾の顔を見て、目を細める。
『その傷は、治らなかったのか?』
『そうよ、栄次に治してもらわなかったの?』
「治して貰ったんだけど、傷だけ残ったみたい。目は見えるよ」
普通なら酷い傷を気にしそうなものを、何とも思ってなさそうな様子に顔をしかめる。
『でも、女の子なのに……』
「いいの、もうお嫁には行けたし。それに夜飛は気にしてないしね」
『そりゃそうだけど。でもその傷を見たら、栄次がすごく落ち込みそうね』
「うん、だから会わない事にしてる。栄次達は元気なんでしょ?」
『ええ、箕雲の国の主はいい人だし、栄次も玉緒達と元気に暮らしてるわ!』
『お前も顔を出したらどうだ?玉緒達にも会いたいだろ?』
そう言われ、うーんと唸る。確かに会いたいのは会いたい、しかし、やはり栄次を落ち込ませたくないと思ってしまう鴇尾は、強く首を振った。
「いいよ、手紙があるし。それに、やっぱり栄次悲しむだろうから」
『っかー!いいのか?それで寂しくないのか?』
ジトッと見つめてくるブチに向かってキョトンとした後、鴇尾はふんわりやわらかく笑った。
「うん、私結構幸せだし」
そんな言葉を聞いた二匹は、やれやれと首を振った。閉じ込められてさぞ鬱々としているのかと思ったら、これである。そういえば元々引きこもりだったわ、と遠い目になった二匹は思う。
閉じ込めておきたい旦那と閉じ込められてもへっちゃらな嫁、どうなる事かと思ったが、案外これ以上ないほどお似合いなのかも知れない。
ふふふっと幸せそうに笑う鴇尾と、それを満足そうに見詰める男を見て、二匹はそろって深い溜め息をついた。
そんな光景を屋根裏から見ていた東助は、一つだけになった目を細め、くすりと笑った。
これで凰間も安泰、ますます繁栄するだろう、と。
使えぬ古狸どもは一掃され、里の空気も良くなって万々歳。いや、その時に片目を失ったのは痛かったが、それよりも大変だったのは、最愛の妻と揃いになった東助が気に食わぬと、残ったもう片方の目を潰さんと追いかけてくる夜飛から逃げる事だった。
かつてないほど必死になって逃げていた東助を助けたのは、そんな夜飛の妻となった人の、鶴の一声であった。
曰く、そんな人と遊んでないで、はやく甘味を持ってこい、と。
甘味と奥方に救われた東助は、それからせっせと全国津々浦々の甘味情報を仕入れ、夜飛に報告するのが趣味になった。もちろんそれは、最終的に奥方に届くのだろうから、東助の行いは恩返しに当たるのだろう。
直接恩を返せないその人に、僅かばかりの感謝の気持ちだった。
そして今日も今日とて、奥方の護衛及び監視の役に就いていた東助は思う。
人ならざる人から人になり、人であるが故に最強の忍になった己の主。心底崇拝するその人の手中の玉たるあの方には、終世幸せでいてもらわねばならぬ、と。
……だから、知らぬでいい事は知らぬ方がよいのだ。
わざと裏切り者を泳がせ、保賀宇津時と接触するように、夜飛が仕向けていた事。
事あるごとに、夜飛が裏切り者に、あえて鴇尾の情報を聞かせていた事。
鴇尾が安心するよう、わざわざ日江の国と阿須狭の国を滅ぼし、箕雲の国にした事。
子が出来た事を受け、もう逃げぬだろうと、動物達が近付くのを許した事。
そして、栄次の治療を途中で止めさせ、あえて傷を残した事。
やれその所業の惨く恐ろしい事よ、と嗤った男は、目下繰り広げられる幸せそうな光景に、ニンマリと目を細めたのだった。




