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そうだ、肉体言語で語ろう ②〜幸薄乙女の不本意なインファイト〜

「Victory!!」


ビリーがポーズを決めて叫んだ後、加護の光に包まれた慈美が見ていた景色は、もう現実の部屋ではなかった。


見渡す限りの、乾いた砂漠。照りつける太陽と、地平線まで続く熱風。まさに、あの伝説のエクササイズビデオそのままの光景だった。


「よし!慈美覚悟は良いな。さっき食ったワシの豚汁で得た加護の力で、現実に訓練の成果を持っていける!

やるんだ、慈美!」


「はい! ありがとうございます、豚汁様!」


何が起きてるのか正直よくわかっていない。だけど、周りが「やれ」と言うから、やる。それでいい気がした。DVで疲れた心は思考を放棄していたため、慈美は流されていた。


「すごいわディーン!! 流石だわ!」


砂漠の熱気にも負けない眩しい笑顔で、オリビエが手を叩く。


「これでたくさん鍛えられるわね!」


「え? ……やり過ぎは、体に良くない、かな?」


ディーンが一瞬真顔になったが、その声はもう誰にも届いていなかった。


「え?たくさんって言われても!じ、時間が! 私、仕事しなきゃ……!」


慈美が青ざめて叫ぶ。だが、オリビエはあっけらかんと笑うだけだった。


「大丈夫! ここは人の世と時間の流れが違うから、長く訓練しても、外じゃ一瞬くらいだって!」


「どんだけやるんですか!」


いつの間にか、ビリーが、砂漠の真ん中でストレッチを始めている。やる気満々な様子から、止める気なのかやらせる気なのかは不明だ。


「マジですか! 永遠に戦えるまでやらせるんですか! 鬼でしょそれ!!」


やる気満々なのに、突然常識人サイドに回るビリーの豹変ぶりに、慈美は涙目で頷くしかなかった。まあ、そういうものなのだろう。流されるまま、慈美はただ拳を握った。

永遠って、何時間なんだろう?

なんて、恐怖から少し逃げてしまっていた。


「……いや、さすがに寝ずの休まずの永遠は、慈美の精神が保たん。オリビエ、ひとまず――」


見かねたディーンが割って入ろうとした、その瞬間だった。


「――駄目よ」


オリビエの声が、一段低く、鋭くなった。


「女の敵を倒さなきゃ、この子、また殴られるのよ」


その一言に、ディーンもビリーも、口を噤んだ。


砂漠の熱風の中、オリビエだけが静かに、けれど揺るぎない目で慈美を見つめている。誰も、それ以上何も言えなかった。


「……さあ行くぞ、慈美! ワンツー、そこだ、もう一回!」


かくして、時間の流れが狂った砂漠の特訓地獄で、慈美は何百回、何千回とも知れない拳を突き出し続けることになった。倒れても、殴られても、ビリーの「もう一本!」が飛んでくる。数えることをとうに諦めた頃、ようやく体が、勝手に動くようになっていた。


「慈美、君ならやれる!Victory!」


「はい!Victory!」


慈美はちょっと流されすぎて、ガンギマってしまっていた。


――この日から彼女は変わった。


豚汁を貪り食ったあの日から、慈美の中で何かが変わっていた。

キックボクシングの型も、ローキックの軌道も、確かにビリー仕込みの付け焼き刃だ。だけど、それだけじゃなかった。

腕を上げるだけで、以前とは違う。骨の芯に、鉄でも通ったみたいな重みと硬さがある。


あの日、精神世界で無我夢中で貪った豚汁――あれは確かに、ただの空腹を満たすものじゃなかった。加護と一緒に飲み込んだ何かが、今も体の奥でじわじわと燃えている。


――ああ、そっか。私、ずっと「殴られても仕方ない」って思い込んでたんだ。


だって私が至らないから。私がちゃんとできないから。そう思い込まされていたことに、豚汁を飲み下した瞬間、なぜか妙にクリアな頭で気づいてしまった。

弱いと思われてるから、軽く扱われる。だったら答えは単純だ。


――舐められなきゃ、いいだけの話じゃん。


難しい理屈はいらなかった。ただ、"今の自分ならもう、殴り返せる"という確信だけが、彼女の魂に刻まれた。そしてオリビエの、女の敵は倒すのよ!と言う言葉も脳内でリフレインしていた。


慈美の脳内に、ダイレクトに「キックボクシングのワンツー」と「骨を砕くローキックの軌道」、そしてビリー教官の「nice fight!」という幻聴が刷り込まれた。


望まれるまま体を動かす!

笑みをこぼす彼女にビリーが語りかけるOne Moreと。

逆立ち腕立てをしながらオリビエが語りかけるOne Moreと。

豚汁は、美味しい豚汁を用意していた。


数日後。


いつものように部屋に押し入ってきたDV彼氏の前に、立ちはだかる慈美の姿があった。いつも不安げに震えて怯えて、すがるように自分を見ているはずなのに、彼女はさっぱりとした何かを吹っ切ったような笑顔を見せている。

苛立った。日々いい人を演じている自分にも、暗い部屋に立つ異様な雰囲気の彼女にも。


「てめぇ、生意気な目を――」


彼氏が放った渾身の右拳。だが、慈美はそれを避けない。あえて、笑顔でその肉撃を正面から受け止めた。


――だって、これは彼の『間違った愛』だから!!

彼の歪んでしまった愛情表現を、私がただしてあげるのだ!!


「あなたの気持ち、伝わってるよ」


「は?」と彼氏が恐怖に顔を歪めた瞬間、神の豚汁で完全覚醒した慈美の「お返しの愛(物理)」が炸裂した。


「あなたに伝えたい!! 私の愛を!!」


ドッゴォオオオン!!!


内臓を直接揺るがす、エグすぎる角度のレバーブローが彼氏の脇腹を捉える。

あまりの激痛に崩れ落ちようとする彼氏。だが、慈美の圧倒的フィジカル、スタンディングの神速ワンツーが、倒れることを許さない! 顎を交互に正確に跳ね上げ、倒れることすらさせずに直立のままキープする!!


一撃ごとに、狂おしいほどの愛が繰り返される。


立ったまままるでサンドバッグのように揺れる彼氏。

慈美の魂は、豚汁でナチュラルハイだ!

脳内は勝たねばならぬ、女の敵は倒さねばならぬと誰か……、オリビエの声援が響いている。


「私の気持ちと痛みを、全部受け取って!!」


ドスゥウウウウン!!!


最後の一撃がみぞおちに突き刺さり、ようやく重力に従って床に崩れ落ちた彼氏は、もはや原型を留めないほど号泣していた。恐怖で全身をガタガタと震わせ、床に額を全力でこすりつける。


「た、たたのむ……! 別れてくダシャアアアアアイ!!」


床に涙と鼻水の海を作るDV彼氏。

そんな彼を、慈美は拳に付いた返り血を(※愛の証)優しく拭いながら、不思議そうに見下ろした。


「……え? なんで?」


――お互い、これで痛み分けとなり、遂に私たちは対等になったはずなのに、なぜ男が泣いて別れを乞うているのか、筋肉の使徒となった慈美には1ミリも理解できなかった。



――数年後。


そこには、四角いリングの上で、ライトを浴びてチャンピオンベルトを掲げる慈美の姿があった。

叩き込まれた格闘技術と強い精神力を持て余した彼女は、うっかりキックボクシングジムへ入会し、戦闘時には圧倒的なインファイトを重ねてしまうために、遅咲きの女子キックボクサーとしてデビューし、ビリー仕込の圧倒的なインファイトしかも、一撃ボディで連戦連勝を重ねた、新時代の女王の誕生である。


遠く離れた山の裾野ののどかな場所では、半袖短パンの飯井くんと元レンジャーの衛府くんが、飯井くんお手製の豚汁を食べながら「いいワンツーだ」とスマホの向こうで熱い拍手を送っていた。


ああ、筋肉。筋肉は、全てを解決する――。



10代の頃、ちょっとDV系彼氏に出会った時のこと。

ガチで殴り勝ったら、別れを告げられた。

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