3回目の依頼(魔獣の討伐)
武官派閥からの依頼を短期間で成し遂げたロズヴェータは、休暇を一日挟むと、組合で再び依頼の受領がないかを確認する。いつものように副官である女受けの良いユーグを伴う。
この時、組合は常とは違ってどこか浮ついたような空気が漂っていた。なにがどう、とは言えないのだが、どこかしら皆が何かを気にしているような、そんな気配だ。【学園】にいたころ、常に他者からの視線に晒されていたロズヴェータとユーグにしてみれば、その空気の変化には敏感にならざるを得ない。
「おはようございます。本日もお奇麗ですね。特に耳元の耳飾りが良く貴方の瞳の色にお似合いだ。そういえば、何か、あったんですか? いつもと皆さんの空気が違うようですが……」
依頼の張り出されている掲示板をロズヴェータが確認している間に、ユーグは女性職員に話しかける。容姿の醜い男から言われれば不快な言葉だが、理想の男から言われるそれは彼女達にとって天使のかき鳴らす弦楽器の調べのようなものだった。
つい口が軽くなり、聞いている以上のことをユーグに教えてくれる。
「戦争ね、南の水の女王の影響下にある都市国家シャロンと三日月帝国が戦争をしたみたいなの。といっても小競り合い程度で終わったという話だけど。でも国軍の方で動員がかかるかもしれないって噂があってね。それでみんな浮き足立っちゃってるのよ」
「それはそれは……僕らも招集が掛かれば行かねばなりませんね」
「そうね。騎士の務めというやつね」
「でも、珍しいですね。専ら水の女王という国は商売を重視しているのかと思っていましたが」
「ええ。なんでも一部の過激派が暴走したって話なんだけど……実はね」
声を潜めて女性職員はユーグの耳元に顔を寄せる。それだけで若干頬が赤くなっていた。
「裏に伝統派がいるんじゃないかって噂よ」
「ええ!? それは……」
大げさに驚くユーグの顔に、女性の顔がさらに近づく。
「そう、おかしいじゃない? 私たちから見たって商売を追求する水の女王と木を植えることをライフワークにしているような気狂いの三日月帝国よ? で、考えたわけ。誰が一番得をするのか」
「……それが伝統派?」
「そう、そうなのよ!」
なおも嬉々として語り続ける女性職員の話は、唐突に聞こえた咳払いと男性職員の厳しい視線で咄嗟に顔を離す。
「あら、やだ。私ったら!」
熱くなった頬に手を当てて仕事に戻る彼女を見送って、背中に男性職員の厳しい視線を受けながらユーグは悠然とロズヴェータの側に歩いていく。
「いかがです?」
「ああ……受けれそうなのは、この三つかな」
王家派閥からの依頼は、式典の警護。名誉に重点を置いた依頼である。
文官派閥からの依頼は、辺境地域における魔獣の討伐。名誉に重点を置いた依頼である。
武官派閥からの依頼は、重要人物の護衛。報酬に重点を置いた依頼である。
「式典の警護は、少し時間的な余裕がありますね」
ユーグは考えるように確認する。
「そうだな。例えばほかの二つの依頼をこなした後でも、何とか間に合うかもしれない。魔獣の討伐依頼は、前回に引き続きだな……出しているのは違う場所だが、もしかして魔獣の活性化とかあるのか?」
「今のところ、これといった情報はありませんね」
同じくエリシュの出身地に近い地域からの依頼だった。もしかして、エリシュの実家であるルフラージ地域は魔獣の活動が活発なのだろうか、とロズヴェータは考える。
「三つめは少し拘束時間が長いかもしれませんね。ただ報酬を求めるなら今回はこれになりますか」
「依頼を出しているのが、武官派閥の誰かにもよるが……」
ニャーニィなどはこの依頼に飛びつきそうではある。以前の借金取りの依頼のことを考えると、彼女たちの資金も決して潤沢な状況ではないだろう。
同じエリシュの出身地域に近ければエリシュがいそうではある。そういう意味では、王家派閥からの依頼では、リオリスか。
しばらく考えたロズヴェータは、文官派閥からの依頼を受ける選択をする。
「……一通り依頼を受けてみるという意味では、文官派閥から王家派閥の流れが望ましいからな」
「本音は?」
「毎日毎日バリュードが煩くてかなわない」
苦笑するユーグに恨みがましい視線を向けて、さらに口を開く。
「我慢のできない犬か何かかと」
ため息をついたロズヴェータは、昨日の様子を思い浮かべていた。
小柄で童顔、整っている割に、その性癖のせいで女性からは敬遠されている彼は、ロズヴェータやユーグの一回りも年上であった。昨日も、寄ると触ると人を斬れる依頼を受けてきてくださいよ、とまるでおもちゃを投げてほしい犬のように吠えて吠えて吠えまくっていた。
「魔獣で満足しますかね?」
「してもらうしかない。このままだとどこかに飛んで行ってしまいそうだからな」
「……想像できすぎて、なんとも困りますね」
最後には二人揃ってため息をつくと、依頼を受けるためカウンターへ向かう。
「あ、そっちは避けた方が良いかと」
「ん?」
視線を向けるのは未だに厳しい視線を向ける男性職員の前。
「……なるほど」
ロズヴェータはその忠告に素直に従った。
◇◆◇
「今回は、魔獣の討伐になった」
「……魔獣? 人じゃなくて?」
「そうだ」
「イィィヤァァッホォォオウウゥ!!」
まるで神選籤で大当たりを出したかのような大声を上げて、両腕を空に向かって突き上げ、喜びを表現するバリュードに苦笑する。ほんとにこの人は自分達より一回りも年上なのかと。
「それ、場所はどこなんだい?」
比較的冷静な巨躯な女ヴィヴィが、赤い髪をかき上げながら問いかける。
「王都から南西にあるルフラージュ女伯爵領だな。詳しくはこの後、依頼の内容を確認するが」
最近髪を伸ばし始めたのはお気に入りの娼館の男娼のためらしい。いまだに叫び続けるバリュードにうるさいと一喝して、彼女は頷く。
恐らく往復する日数を計算していたのだろう。字が書ける隊員──フィノンを呼び出していたから間違いない。娼館に手紙を出すつもりだろう。
「おいらは魔獣の種類とかが知れればありがたいな。こっちはどんなのがいるかよくわからんし」
斥候を得意とする三日月帝国出身のナヴィータが、自身の長く尖った耳に触れながら言う。
「グレイスからは何かあるか?」
「そうですね。若様、あっしも辺境伯領の外ではほとんど活動がありませんので、そのところを是非」
元狩人で寡黙な性格のグレイスも同意する。背が低く、長年の弓の修練によって右肩の筋肉が異様に発達している。バリュードや、ましてやユーグに並べば、その容姿は天と地程に違うが、まるでその容姿を恥じ入るように常にフード付きのローブを常用している。
「ガッチェは?」
辺境伯領出身の分隊長ガッチェに意見を聞く。
「私からは特に、しかしルフラージ女伯爵領ですか」
「ん? 何かあるか?」
「あ、いいえ。確か遠い親戚が商売をしていたな、と」
「……なるほど。実は八日前に依頼を確認した時にも、魔獣討伐の依頼が出ていたんだ。もしかして活性化の兆候があるかもしれないから、それとなく情報収集してくれないか? 手紙の代金はこちらで出す」
未だに叫び続けるバリュードにげんなりした視線を向けながら、ガッチェは了承の返事をする。
「最後に何かあるか?」
何もないのを確認してロズヴェータは、解散を指示する。
「ねえ、隊長! 稽古しましょ! 稽古!」
腰の長剣を引き抜いてロズヴェータの回りを飛び跳ねるバリュードの様子にため息をつくと、ヴィヴィとガッチェに視線を向ける。
「おら、隊長は今から依頼を確認しに行ってくるんだ。こっちに来い。相手ならあたしらがしてやる」
「はいはい、こっちだよ」
前衛の分隊長二人に拘束されたバリュードは、それでも奇声を発していた。完全な変人であった。
「……ご苦労様です」
もはや何も言う気力もなく、ロズヴェータはため息をついた。
◇◆◇
その執務室は、主の趣味を反映して落ち着いた色合いに整えられていた。
年齢を重ね重厚さがにじみ出ている。長年愛用した特有の落ち着いた色合いの仕事着を身にまといながら、物腰柔らかに、依頼主たる女性はルフラージ女伯爵の大叔母に当たる人物だった。
場所は、宰相府渉外担当の一室。
「どうぞおかけになって」
勧められるままにソファに座ると、自然と侍従が紅茶を差し出し二人の前に置く。
自身の前に置かれたティーカップを上品に口元に運び、優雅にほほ笑む。
「どうぞ、遠慮せず」
茶うけに差し出された菓子も、香り立つ芳香は、心身を寛がせる効果でもあるのだろうか。自然と二人が聞く姿勢になったのを確認してルフラージ女伯爵の大叔母──エトワール・ド・ブリュエド女子爵は口を開く。
「応募頂き感謝に堪えません。この依頼は民草の被害を最小限にするもの。危険を冒す貴方達に、無理をせよなどというつもりは毛頭ありませんが、その身に宿る誇りにかけて是非とも成し遂げていただきたいと思います」
静かな声音でありながら、その芯の強さを感じさせる声だった。
年齢はまだ老年というには早すぎる。
優しさを思わせる外面とは裏腹に、内面には厳しさを伺わせた。
「端的に言って、報酬には期待するなということでしょうか?」
「ふふ、直截的な質問ですね。他の……例えば、同じ時期に出している依頼に比して報酬が低いのは致し方ないと考えて頂きたいですね。なにせ、直接的に金銭を出せる者達が依頼者ではないのです」
「……辺境地域の魔獣討伐と伺いました」
「ええ。あなた方なら……カミュー辺境伯の領内のご様子をご存じなら、開拓村というのがどのような経済状況なのか、ご存じでしょう?」
頷く二人を確認して、ブリュエド女子爵はさらに続ける。
「ならば説明の必要はないでしょう。あなた方のご想像の通りの開拓村からの依頼です。そこに魔獣が出ました。領主の対応は、後手に回っています」
「……今そこにある危機というものですね」
「ふふ、流石カミュー辺境伯の第三子ですね。よくご存じのようで安心しました」
恐らく開拓村は、崩壊の危機を迎えている。迅速な対応をしなければ、開拓村は崩壊し、対応を間違えても壊滅する。そんな危機的な状況。
二人の脳裏に去来するのは、国境から少しリオングラウス王国側に寄った開拓村だった。国境最前線は要塞化がなされるため、むしろ安全とさえ言えた。少なくとも、北方草原の国側は。三日月帝国は、そうとも限らないが。
そんな共通認識があるからこそ、報酬が少ないことに文句を言い辛い。開拓村を抱える領主の懐事情は基本的に苦しい。今手元にある資産だけで、やっていくことが苦しいから、開拓村などというものに手を出すのだ。
「それに、報酬が少ないのは、何も依頼主側だけの理由ではありません」
そういうと、手元の鈴を鳴らす。
「エリシュ・ウォル・ルフラージ参りました」
音もなく開かれた扉から姿を現したのは“同期で一番やべー奴”エリシュ。わずかに目を見開くロズヴェータ。彼の姿を見とがめた彼女は、一度ウィンクして見せた。
「貴方がたは同期でしたね、一緒に行って魔獣の被害を食い止めなさい。報酬は分割するため一つの騎士隊に対して低めに抑えてあります。期限は示した通り。開拓村の崩壊を、そして領地の崩壊を防げるのは、貴方がただけです。細部の必要なことは、侍従が用意した資料を確認なさい」
退出を促され、二人揃って退出する。
部屋を出ていく若い二人を見送るエトワールの視線は、身内を送り出すというよりも品定めをする職人のようであった。
◇◆◇
宰相府の長い廊下を歩きながら、エリシュとロズヴェータは言葉を交わす。
「受けたのね、依頼」
「ああ、そっちこそ」
二人だけの会話は常に言葉少なめだった。【学園】の時代から彼女は貴族らしい長ったらしい前置きや、口舌を嫌う。性格そのままに、単刀直入に切り込んでくる。
対してロズヴェータの方は、婚約破棄の事件以来、常に発する言葉は少な目だった。自分の発する言葉が、何にどんな影響を及ぼすか恐ろしくなったからでもあるし、その影響を図り切れていないということもある。
彼が必要以上に長く喋るのは、乳兄弟であるユーグの前だけだ。
「資料は読んだ?」
「これからだ」
「終わったら、打ち合わせしましょ」
騎士隊同士で合同での依頼という形になれば、互いのメンバーの顔合わせを含めた役割分担から色々と決めねばならないこともある。どの程度動けるのか、実力はどの程度か等、エリシュは騎士校時代から勝利への執念は人一倍だったし、ロズヴェータは、全員を生還させるため依頼を受ける前に出来ることは全てやり切るべきだという信念を持っている。
「必要だろうな」
「猪野鹿亭で」
エリシュから出た店の名前は、よく【学園】の生徒が利用する場所だった。広いスペースを確保するのは都合がいいが、少し遠い。
「騎士校の近くのか?」
「覚えているでしょ?」
頷くロズヴェータを確認して、強引に彼女が決定する。あまり人の話を聞かない所も変わっていないようだった。
副題:ロズヴェータちゃん、強敵との再会。




