66話 イベント四日目と親子
イベント四日目。
「おは、トリア」
「おはよう、ミーナ」
早朝、目が覚めた美唯菜とトリアは挨拶を交わして起き上がる。
いつも通り美唯菜は窓を開けて奏に「おはよう」と呟く。トリアが見て見ぬふりをすると、いつの日からか母の美蓮が買ってきた服に着替えた。
一緒に部屋を出て美唯菜は台所に、トリアは風呂場へ。
美唯菜がおかずを作り終わり、米が炊き上がるのを待つだけになると丁度トリアが風呂から上がってくる。入れ替わりで美唯菜が風呂に、トリアが朝食の用意を引き継いだ。
トリアは美唯菜の作った朝食を皿に移し変えてテーブルに持っていく、いいタイミングで米も炊き終わり朝食の準備が完成した。
「おはよう、トリア」
「お、おはよう。母さん」
いつもなら父もリビングに来るはずだが、少し前から仕事で暫く帰ってこない。
未だに慣れない朝に美蓮は微笑みを浮かべて座る。どこからか紙とペンを取り出すと何かを書いてトリアに見せた。
「こんな漢字でどうかしら?」
美蓮が見せた紙には『登里亜』の文字があり、自信満々な美蓮にトリアは苦笑した。
「少し刺々しくないかしら?」
「えー、そうかしら。威圧感があっていいと思うのだけど」
「私はもう少し、その……角がないような」
「可愛い感じがいいのね!」
「かあさん!」
せっかく曖昧な言い方をしたのにっと頬を膨らませるトリア。
美蓮はふふっと笑いながらまた新しく紙に文字を書いた。
「おはよ、姉ちゃんは?」
「美唯菜ならシャワー浴びてるわ、蓮も早く起きたなら後で入ってきなさい」
「へーい」
蓮は軽く返事をして適当に寛ぐ。
じきに美唯菜が風呂から上がり、父を除いた4人で朝食をとる。もうすでにトリアが高江家の食卓にいることが当たり前となっていた。
「蓮くん、今日は随分と早いわね」
「寝てないからね」
トリアの疑問を返す蓮は少し隈が出来ていた。本当は学校も休みたいが母がそれを許さない。
ある一定のラインを超えると謎カプセルのセーフティモードが起動する、それゆえ寝てないといっても一睡もしていないわけではない。美蓮の目が厳しくなるが咎めはしなかった。きっと今夜は強制的に寝かされるだろう、美蓮によって。
「蓮、いべんと……どう?」
「ふっふふ……聞いてくれよ! なんと40層超えたんだよ! その時のボスなんだけど──」
美唯菜が蓮にイベントの進捗を聞くが、それが蓮の何かに火をつけたようである。胸を張って自慢げに話す蓮を見て奏が攻略済みだということは胸にしまっておいた。
「そういえばソウが全階層突破してたわね」
トリアがポツリと呟いて美唯菜は固まった。言っちゃった。
蓮も固まった。持っていた箸が床に落ちて美蓮に怒られていた。
蓮は前髪をかきあげて天を仰いだ、上は天井だった。そのあとショックを受けたようにテーブルに肘をつけて頭を支える。
「まじかぁぁああ」
「えっ、あの、えっと……」
トリアは何故そんな反応をするのか分からなくてあたふたしていた。蓮を見て美蓮を見て美唯菜を見る、フォローしてくれる唯人は仕事中。
そして固まっている美唯菜を見てトリアも固まった。残った美蓮は一人笑っている。
「よし! 今日にでも奏に聞きに行くか!」
暫くして蓮は落ち込んでいられないと顔を上げた。先に攻略したなら何か攻略のヒントが隠されているはずである、奏なら何か知っているだろう。
「じゃ、いっしょ、登校……する?」
勝手に復活した蓮に美唯菜が話を広げる。美唯菜と奏は約束しなくても毎日登校しているから今日も必ず一緒に行くことになる、たまには弟と登校するのも悪くない。
「よしそうする! 姉ちゃん! さっそく用意してくる!」
「待ちなさい蓮! 朝食がまだよ」
勢い余って席を立つ蓮だったが、美蓮に取り押さえられると強制的に座らされた。ゲームの事となると冷静な判断が出来なくなるのは奏と少し似ている。美唯菜が少し笑うとトリアも硬直から脱したみたいでホッと息をついていた。
蓮はその場からいち早く逃げようとしたが、美蓮が蓮の箸を取ろうとしたところで従順になる。もう二度とあんな屈辱は味わいたくない。母に強制的に"あーん"されるなど……あってはならない!!
蓮と美唯菜は食べ終わるとすぐに学校へ行く用意を始める、トリアは未だに美蓮にお代わりを頼んでいた。この家の食費はここ数日で激増したと言えるだろう。しかしトリアが知ったことではない。
「い、行ってらっしゃい」
『いってき』
蓮と美唯菜は高校へ行く用意をすると家を出る。そのころにはトリアが朝食を終えて二人を見送った。
トリアは美唯菜が見えなくなるまで見送ってから、家に入り鍵を閉める。そのあと置いてきてしまっていた洗い物を洗うために台所へ向かうが、既に美蓮がすべて終わらせていた。
「もう、母さんったら。やりすぎだわ」
「あらあら、そうかしら」
トリアが頬を膨らませるも、美蓮は微笑を浮かべるのみ。
未だ甘えることに慣れていないトリア。本当にいやなら早めに朝食を終えていたはずである。
美蓮は笑顔のまま休むことなく部屋の掃除を始めた。
「まったくもう、母さんは働きすぎよ。少しくらい休んでも罰当たらないわよ」
「あらあら、それじゃあトリアは洗濯物お願いね」
「そんなことで騙されると思わないことね。任せて」
トリアも何かお手伝いがしたかったのだ。パタパタと尻尾を振るようにリビングを出ていくトリア、そのあと美蓮は口に手を当てて「うふふっ」と微笑んでいた。
甘えることが苦手なトリアに甘えさせるのも母親の務めである。手伝いたいだなんてどれだけ健気な甘えなんだろうか。
トリアのお陰で家事も順調に進み、昼頃には殆どの作業が終わっていた。美唯菜から炊飯を教えて貰った時のような失敗をしない為にカードは使っていない、トリアは日々学習するのだ!
「そろそろお昼ねぇ……先に買い物を済ませておきましょうか」
美蓮は満足気なトリアに笑いかける。
一緒に出掛けたいのだ、そろそろ買い物をしておかないと冷蔵庫の中が空っぽになることもあるのだが。
「それなら私が買い物に行ってくるわよ」
しかし思いは通じない。
「でも一人だと大丈夫かしら?」
「問題ないわ、一人で買い物くらいできるわよ」
トリアはトリアで手伝いたい気持ちが勝って美蓮の気持ちに気づかない。温かみのあるこの空間で、何かしないと受け入れてもらえないんじゃないか……そんな不安がトリアの中で小さく渦巻いて。
「買い物が終われば外で何か食べるつもりだけど、それでもかしら?」
「一緒に行きましょう! 楽しみだわ!」
トリアへの秘密奥義である、即落ちだ。食欲には勝てなかった。
もともと買い物の後に外食する予定だったのは美蓮の心の中にしまった、頑張ったトリアへのご褒美。食費は大丈夫だろうか。
「決まりね、それじゃあ私は着替えてくるね」
「ええ、私もおめかししようかしら」
美蓮は部屋に戻り外出用の服に着替え出す。
トリアはそれを見送ると指を鳴らした。するとトリアの服が光に包まれ、次の瞬間には違う服を来ていた。トリアが考えた外出用の服である、気合バッチリだ。
美蓮は着替え終わりリビングに戻ると、トリアを見て一瞬固まる。
「……服も一緒に買いに行きましょう?」
「……? え、えぇ」
敢えていうと気合が入り過ぎたのだ。普段のトリアはこうでないとだけ言っておこう。
昼食だけじゃなく、服も美蓮と買いに行けてトリアは嬉しそう。
美蓮とトリアはさっそく家を出て買い物に行く。
場所は駅前近くのデパート、数日前に美唯菜が学校帰りに寄った所である。
スーパーの食材コーナーに行くと、籠を持とうとした美蓮を遮ってトリアが籠を持つ。
「これくらいさせてちょうだい」
「あらあら、じゃあお願いしようかしら」
トリアは満足気に籠を持つと意気揚々と出発した。そして数歩進んだところで美蓮の所まで戻る。
「どこへ行けばいいか分からないわ」
「ふふふっ、一緒に見て回りましょ?」
「……そうね」
美蓮の差し出した右手をトリアが握る。美蓮に連れていかれるように出発だ。
恥ずかしそうにしているトリアと、とんでもなくご機嫌な美蓮。
二人は会話に花を咲かせる……ことなくブツブツと食材を吟味していた。
「……このキャベツはなんだか軽いわね」
「このごろ白菜が高いわねぇ」
「ふむ……230g。これなら三つ入りの玉ねぎよりもバラで買った方がいいわね」
「あら! ジャガイモが安いわ〜」
一通り物色すると次は魚コーナーへ。
「あら、蓮が好きな鮎があるわ」
「脂がのってるわね……でも少し高いかしら」
「アサリが安いわね、今日は酒蒸しでもしようかしら」
「酒蒸し? 母さん、それはどういったものなの?」
「うふふっ、それはね──」
魚コーナーから離れて試食コーナーを横切ると、トリアから猛烈な視線が。
トリアは涎を出して美蓮に目で語っている、試食させろと。
「ほかの人も食べるから、食べすぎてはだめよ?」
「も、もちろんよ!」
頬をいっぱいに膨らませて言う言葉ではなかった。試食販売を担当しているオバチャンも苦笑いだ。
美蓮はとりあえず販売していた商品を一つ取ってトリアの持つ籠に入れた。
そのあと色々と見て回り、レジを済ませて袋に入れる。
その袋を美蓮が持とうとするが、その前にトリアがカードを取り出し袋に当てた。
「空のカードね、懐かしいわ」
「これなら持ち運びが楽よね」
「ふふっ、頼もしいわね」
空のカードに買い物した袋を入れると、トリアはそのカードを懐にしまう。
これなら買い溜めしていても楽に持つことができる。重量はカード1枚分だ。
「そろそろご飯にしましょうか」
美蓮はポンっと手を合わせてトリアに問い掛けた。色々と見て回っていたら予定より時間が過ぎてしまっていた、でもそれならお昼時よりは空いているだろうし並ばなくて済みそうである。
「トリアはどこか行きたいところある?」
「そうね……ふぁみれす? って所に行ってみたいわ」
ファミリーレストラン、それはファミリーでレストランする所である…………主に一般的な家族が利用することを想定したレストランである。
美蓮は「あらあらまあまあ」と凄く嬉しそうだ、トリアは深く考えもしないでいっただけに首を傾げていた。
「決まりね!」
美蓮はトリアを連れてファミレスまで迷うことなく突き進む。何度も通っているのだ、迷うはずもなかった。
お昼時より少しずれていただけに、ファミレスには待つことなく入ることができた。それでもある程度賑わっていたのだが。
「トリアは何にするの?」
「…………お子様ラン……いえ、日替わりランチに」
「メガ盛りランチもあるわよ」
案内された席で美蓮とトリアがメニューを見る。
メニューは時間帯的にもランチメニューである。一瞬お子様ランチに目を惹かれたトリアだが、量に不安が残って日替わりランチに。それを汲んだ美蓮がメガ盛りランチを勧めた。
「その……少し高くないかしら」
少しは食費の心配をしていたみたいだ、朝食をあれだけ食べておいて今更なのだが。そんなトリアを見て美蓮は少し吹き出してしまう。
「そんな心配しなくてもいいわよ、トリアの食費くらいで揺らぐ家計じゃないわ」
「食費だけじゃなくて……もちろん食費もだけど、これからの事とか」
「それだってトリアが気にする程のことじゃないわよ、トリアは私の大切な娘なんだから」
最悪唯人が休みなしで働けば……なんて口に出かかったことは内緒である。
美蓮の言葉にトリアは嬉しいのか恥ずかしいのかよく分からない顔をする。慣れたといってもまだ再会して数日だ、そんなこと言われて戸惑う気持ちも分かる。美蓮もそんなトリアを見てこそばゆい様な気持ちに駆られた。
「じゃ、じゃあトリアはメガ盛りランチでいいわよね」
「え、えぇ……か、母さんはもう決めているの?」
「そそ、そうねぇ。お子様ラ……Aセットにしておくわ」
お互い吃りながら急くようにメニューを決めた。
血は繋がっていなくても流石親子である、咄嗟にお子様ランチを言うあたり目を惹く所は同じなのだ。
店員を呼んで注文する。
メガ盛りランチやAセットにはドリンクバーが付いて、さっそく美蓮が席を立った。
「トリアは何にする? 一緒に持って来るわ」
「ありがとう。母さんと同じものでお願い」
「ふふっ、了解したわ」
美蓮は笑ってドリンクバーの所へと向かっていった。スキップしそうな勢いで。
そして1.2分後……戻ってきた美蓮にトリアは絶句することになる。
「なに……これ」
「母さん特製ミックスジュースよ」
ミックスジュース。そう言えば聞こえはいいが、ソレは見ただけでも胃が痛くなりそうであった。
緑色で、それでいてドス黒く、ボコボコと浮かんでくる泡のような物はまるでマグマのよう。
「見た目は少しアレだけど、味は保証するわよ」
少しどころではなかった。
ご丁寧にストローまで用意されている。トリアは冷や汗が止まらない。
「あっ、その反応は信じてないわね?」
「い、いや、そんなことは」
無理もない。
しかしこのままでは美蓮を悲しませてしまうことになる。……覚悟を決めなければ!
「ふふっ、唯人もそんな反応だったかしら」
意を決して得体の知れない飲み物へ手を伸ばそうとすると、美蓮が口に手をあてて小さく笑った。
人前ではあまり言わない唯人呼びにトリアは一瞬驚く。
「あら? ごめんなさいね、つい懐かしくて」
唯人に似ている部分を見つけて嬉しい。
クスクス笑う美蓮にトリアは胸が温かくなる。少しだけ二人の事を知ってみたい……そんな思いがトリアから芽生えた。
「二人の事、よかったら聞いてもいいかしら?」
「……ええ! もちろんいいわよ。じゃあまずはあの人との初デートから話そうかしら」
当然美蓮がトリアの願いを聞き入れないわけが無かった。多少恥ずかしさはあるものの、トリアが興味を示してくれた嬉しさの方が勝っていた。
そして聞きながら自然と美蓮特製ミックスジュースに手を運ぶトリア。見た目がグロテスクでも飲んでみたら案外美味しい、ハッと驚くトリアに笑う美蓮。そして「唯人もそんな顔してね〜」と美蓮は言葉を続けた。
★
「どうかしら? 美唯菜はイベント楽しくやってる?」
唯人との昔話も終えて昼食も終えると、美蓮はトリアにイベントの進捗を聞いた。
先ほどの話で空気がいつもより柔らかめに流れていて、美蓮は何の気兼ねもなく聞くことができた。
「もちろんよ、クラスメイトの友達と仲良くやっているわ」
「あらあら、それは嬉しいわね」
「もうそろそろ40階層に到達するのよ」
「あらあら、美唯菜ったら案外やるのね」
うふふっと笑う美蓮に目を細めるトリア。
美唯菜の話をしているトリアはなんだか楽しそうだ。美唯菜の事を思い出しているのか、120%の笑顔を美蓮に見せてくれる。
「奏が昨日全階層を攻略したから美唯菜が張り切っちゃってね」
「あの子、結構負けず嫌いなところあるものね」
想像がつくと美蓮は美唯菜が階層を攻略している姿を連想した。
きっとお友達を連れて走り回っているに違いない。
「そうなのよ、初めは『流石私の奏っ!』……ってはしゃいでいたのだけどね」
「ふふっ、向上心が上がって大変結構だわ。だけど、そう簡単に階層を突破できるものなの? 40階層というと結構高くないかしら?」
「私がいるのよ、それくらい造作もない事だわ」
ふふんっと胸を張るトリアに美蓮は苦笑した。一体どんな裏技を使ったのか……。階層ボスなんて層を重ねる毎に強くなるのがセオリーだろう、美唯菜やクラスメイトにそれが倒せるとは信じ難い。弱体化させたり、トリアパンチで粉々に……。
「……一応言っておくと弱点を教えたり、カードショップで特別効果のあるカードを買わせただけよ?」
「も、もちろんそうよね。流石にシステムに介入するわけにはいかないものね」
心を読まれるほど表情に出ていただろうか、トリアが半眼になって見つめてくる。
これはまずい!
「母さんは私のことを一体なんだと思っているのかしら」
「ちが、違うわトリ──」
──バリんっ!
店内のシャンデリアが一つ落下した。それはファミレスにいる客が逆上して魔法を使ったのだ、出鱈目に撃った魔法がシャンデリアを支える柱を直撃し落下した。
飛び交う怒声に騒然となる店内。
「──ア。ご、誤解よ!」
「誤解……ねぇ」
美蓮作の謎ジュースを飲みながらニヤけるトリア。買い物で少し気が緩んだのだろうか、いつもより高揚していた。普段言わないような冗談も言えるのだ。決して慌てる美蓮が珍しかったわけじゃない、じゃない。
店内では一人の男性を中心に他の客が距離を取っていたが、トリアや美蓮はガン無視していた。
というより気付いていないくらい話に夢中であった。美蓮に至っては弁解なのだが。
「ほ、ほらっ、もしトリアがペナルティーを負うようなことがあったらと心配だったのよ」
「その時は父さんになんとかしてもらうわ」
胸を張って父に頼る娘、トリア。
唯人の首一つでなんとかなるかしら……と真面目に考えていた美蓮だった。
──ドンっ!
またもや男の魔法で何かが破壊される。店員はしどろもどろだ。
無駄に力を持ってしまって増長しているのだろうか、したり顔である。
「ところで母さんは何のソフトをしているのかしら」
話が急に変わるのは女子トークでは普通のことである、美蓮は内心ホッとしながらもバツの悪い顔をした。
トリアが聞いた内容は『WORLD FANTASY』『WORLD CREATURE』『WORLD SIM』のうち、美蓮がやっているゲームのことだ。
「実は何もしてないのよ」
頬をかいてきまりが悪そうに笑う美蓮を見てトリアは少し驚いた。
死活問題である。このご時世、その三作品のどれかをしていないと身の危険度は周囲の人とは一線を画す。
「空間書換型バーチャリティーカプセルは持っているのよ? ただソフトを買うとなると……ね」
気持ちはとても分かった。トリアだってチュートリアルを他のAIに任せていたかもしれない、美唯菜という存在がいなければトリアは逃げていただろうから。
「それじゃあ母さんは少し隠れて」
「あらあら、どうしてかしら?」
「危ないからよ」
男が少しやけ気味に魔法を連発していた。
流れ弾でも防ぐ術を持たない美蓮は危険である。周りの客や店員は男のMPが切れるまで待つつもりだが、それまでに美蓮が何かあればトリアは鬼と化すだろう。
トリアが心配してくれている事に美蓮は喜びを隠せない、そんな美蓮に笑っている場合じゃないと怒っていた。
「大丈夫よ。どうしてかは分からないけど、警察の人達がずっと私たちの後を追っているみたいだから。きっとその人達がなんとかしてくれるわ」
ギクッ! 近くのテーブルで聞き耳を立てていた警官が小さく体を揺らした。
その様子にトリアは「そうみたいね」と呆れたような視線を浴びせる。いつから気付いていたのか知らないが、周りを囲んでいた警察官からすると驚愕の事態だ。ちなみにトリアは美蓮に言われて気づいた。
『……け、警察だ! 危険能力使用の現行犯で逮捕する』
『な、なにぃぃーー!』
きっと捕まった男は店内で暴れた分の賠償金を支払うことになるだろう。あっという間に取り押さえられる男、取り押さえた警察の唇にマスターソースが付いていることは誰も突っ込まなかった。突っ込めなかった。
「そろそろ行きましょうか」
「そうね」
荒らされた店内を悠々と歩き、レジで会計を済ませる美蓮。
コネッキングから表示された金額をボタン一つで支払う。店員さんもそんな美蓮とトリアに戸惑いながらもレジを進ませたのだった。
少しハプニングもあったが、概ね満足した二人が次に行くところは服屋さん。
トリアはある程度自分の服を任意に変えることが出来るが、母に服を買ってもらうなんて生まれて初めてである。指先一つ意識一つで変えることが出来る服よりも、手間のかかる服の方が価値があった。
美蓮は今トリアが来ている服が、昔に自分がデザインしたものだと口が裂けても言えなかった。
「見てトリア、この服良くないかしら?」
「そ、そうね」
正直美蓮が選んでくれる服なら何でもいいなんてトリアも口が裂けても言えなかった。
恥ずかしいというか納得がいかないというか……ミーナ一筋だから!
……現在トリア混乱中。
「ど、どうかしら」
促されるまま服を着替え、美蓮に見せるトリア。
「とっても似合うわよ!」
パァァっと笑顔になるトリア、そのあと恥ずかしいのか顔を伏せてしまう。
とりあえず美蓮は黙って写真を撮った。美蓮も美唯菜の同類である。この場合は美唯菜が美蓮に似たというべきか。
暫くトリアは美蓮の着せ替え人形になると、一喜一憂を繰り返した。
美蓮が選んだ服はどれもトリアを輝かせるもので、どんどんと美蓮がヒートアップしていく。そんな美蓮にトリアは仕返しを一つ思い付いた。
「母さんにはこれが似合うと思うわ」
「えーっと、私は……」
「もちろん着るわよね」
トリアが美蓮に選んだ服は決して変ではなかったのだが、美蓮にとっては……若すぎた。
一人の母親が着るにはとても勇気のいるもので、ヒートアップした思考を冷すには充分すぎた。しかし時すでに遅し、トリアにここまでさせてしまった以上断るわけにいかなかった。
「……は、恥ずかしいわ。トリア」
とても似合っていた。
年を重ねても揺らぐことのない体型は、その若々しい服を余すことなく着こなしていた。
外に出れば街ゆく男から熱い視線が注がれること間違えなしだ。
「それじゃあ次はこれね」
「……あらあら?」
「……来てくれないのかしら」
美蓮に拒否権はなかった。
美蓮が新しい服を受け取ると、トリアがふふふっと笑みを浮かべる。眉を下げて楽しそうに笑うトリアに美蓮は小さく息を吐くと──まあいいか、と頬を緩めた。
「次はこの服ね」
「あらあらあら?」
★
「ただい、ま」
「あら、おかえり。美唯菜」
家に帰るとママが出迎えてくれる。
というよりママがいつもより綺麗! いつも綺麗だけど!
「おかえり、ミーナ。夕飯出来ているわよ」
「ただま」
トリアも可愛い!
いつもより柔らかい服装で、ママと並んだら姉妹みたい。
でもいったい今日はどうしたんだろう、聞いてみよう。
「服、どったの?」
「ふふっ、今日母さんと買い物を言った時にね」
トリアは指をスライドさせて画像を空中に表示させる。
その中にはママが服屋さんで色々な服を着こなしていた、中には際どいような服まで。
「これって」
「あっトリア! もう、恥ずかしいわ」
トリアに写真のことを聞こうとしたらママがやってきた。トリアはすぐに写真を消して笑っていた。
なんだか思っていたより仲良くなってる。いいことだね。
「どうしたの? 美唯菜?」
「トリア……私の、だから……ね」
でも取らないでね。まだ私はトリアと服屋さんに行っていないのに、ママに先を越されてしまった。
いいもん。これからトリアと一緒にゲームするんだから。
「母さん……うちのミーナが可愛すぎるわ。」
「私の娘よ。当たり前じゃない」
「ふたりとも。もう……いくから、ね」
真顔でそんなこと言われると恥ずかしいよ。
私は照れ隠しで部屋まで一人早歩きで向かった。「天使だわ」とか「ね、可愛いでしょ」とか聞こえるけど……やっぱ聞こえない!
「夕飯までには戻ってくるのよー!」
「う、ん」
ママの言葉に返事をすると部屋のドアを開けた。
そのあとすぐに着替えて謎カプセルに入る。真紀ちゃんが待ってるから早くログインしないとね、トリアも呼んでママの手から救い出さないと。
今日は奏に私の子達を『守護』してもらってダンジョン攻略するんだ。奏は入れなくても奏の魔法は効果範囲内だってトリアが教えてくれたから。ふふふー! 今日こそはダンジョンを全部攻略するぞぉー!
★
「『身代わりの人形』を一つ下さい」
「はいよ。いつもありがとう」
「いえ。ボクの方こそ……」
街の端にある商店。ミズキは今日もひよりの家に来ていた。
未だに解決の糸口は見当たらず、寝る間を惜しんでみたものの効果は皆無であった。
「ひよりちゃん、いますか?」
「ひよりなら多分部屋にいるよ。私があまりひよりと遊んでやれないから、君が居てくれて助かっているよ」
「そんなこと……いえ、上がらせてもらってもいいですか?」
「もちろん構わないよ」
店主の了承も得てミズキはさっそくひよりの部屋に行く。その後ろ姿を見て店主が何かを言いたそうにしていたことをミズキは知る由もなかった。
2度扉をノックしたあと、ひよりの声と同時に扉が開く。
ひよりはすぐに笑顔を作ってミズキを部屋に入れた。
「ひよりちゃん? 今日はなんだか顔色が悪い? 出直した方がいいかな」
ミズキの言う通りひよりは体調が優れないのか、顔が青くなっていた。風邪かもしれない、もしかしたらおじいちゃんと同じ病気を患ってしまった?
思考が定まらないままミズキは反射的に昨日までひよりが作っていた薬の方へと目がいく。
「……え?」
机の上。ひよりがすり鉢を使い薬を精製していたすぐ隣。
そこにあるはずの物が…………無かった。
「ひよりは大丈夫だよ、ありがと……おねーちゃん」
これはきっと気づかなかったら良かったと思えるような、それでも気付かずにはいられない……確信にも似た予感。
再度ひよりを見てミズキの脳内をある疑問が駆け巡る。
──どうして初めに会った場所がここから遠い……寂れた広場だった?
──イベント初日にひよりがソウと会った時に驚いたのは何故?
──どうしてひよりちゃんはおじいちゃんの病気を治す方法を知っていた?
──ひよりちゃんが知っているならおじいちゃんも治し方を知っているはず。……どうしておじいちゃんは薬を精製しなかった?
──そもそもどうして一瞬で病気が治ったかどうかなんて分かる?
──だったら机に置いてあったあの薬はなんだ?
『……パパとママはお星様になっちゃった』
『お馬さんに連れていかれたんだ』
『だからひよりがおじいちゃんと一緒にいるんだ。おじいちゃんが寂しくないように』
──今このタイミングでひよりが何故体調を壊した?
──あの薬は何の薬だ?
『ひよりはおじいちゃんといれれば良かったから』
『でもおじいちゃんの病気が治ってほしいから、ひより頑張るんだ』
──あの薬がただの病気を治す薬じゃなかったら?
──あの光り輝く薬は解毒薬などではなく……。
「あぁ……」
ミズキは上を向いて額に手を置いた。
つい漏れてしまった感情を覆い隠し、納得した。最後の疑問、何故このサブイベントは途中で辞めることができるのか……というのも。
目の前で首を傾げているひよりを見て、言い様のない気持ちがミズキの胸を貫いた。
ミズキは帰り際ひよりのおじいちゃんの元を寄る。そしてミズキのその表情におじいちゃんは察してしまった。
「少し……時間を貰ってもいいかい? 明日話そう」
「……分かりました」
ミズキが何かをいう前におじいちゃんが先に口を開いた。ミズキもおじいちゃんの言葉を了承し、頭を下げた。
まだ心の整理を付けていない、まだ迷っている。それはミズキもおじいちゃんも同じだったから。




