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リバースサイド  作者: 曾良
第二幕
11/13

第五章 霊槍と鬼

「五行の理を以て、命ずる。金気を帯びし霊気、鋭なる刃を生みて、悪鬼を討たんッ――――錬金術……!急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 意識を一点に集中させる。身体の奥底から湧き上がる霊気を御し、術式を展開するのに必要な量だけを抽出していく。それでも夜鷹の大味の制御では、完全に霊気をコントロール出来ていなかった。制御を振り切った霊気が、霊体から徐々に溢れだしていく。


「漏れてます! 意識を術式だけに集中してください!」


 楓の檄が飛び、夜鷹は再び意識を術の展開だけに集中させた。楓は簡単そうに言うが、夜鷹してみれば途方もない作業だった。普段、人間は霊気を意識して制御下に置いてはいない。霊気は常に一定量、霊体から生み出されている。が、同時にそれと同じ量霊体から放出されている。呼吸と同じだ。意識しなくとも、霊体は霊気の放出と生成を行う。人は霊気の循環を意識しなくともよいのだ。


 だが、呪術となるとそうはいかなかった。霊気そのものを意識下で制御することができなければ、呪術を扱うことは出来ない。霊気を操るためには「見鬼」である必要がある。これは陰陽師や山伏、リバースサイドならば誰でもが持つ才だ。だが、霊気をコントロールする才となると話が違ってくる。器用な者もいれば、不器用な者もいる。手先と同じだ。こればかりは才能というより、経験と努力という意味合いが強かった。勿論、先天的に霊気の制御が得意な者もいるだろう。だが、慣れというもの時に才能すらも凌駕する。熟練者にもなると、微細な霊気コントロールを無意識に領域で行うことだって可能だ。事実、楓や陣内が呪術を行使する際、霊気の配分を意識することはなかった。


 そして、夜鷹はこの霊気コントロールが大の苦手だった。手先同様、不器用なのだ。霊気の容量というべきものが多い分、何かと大味になりがちだった。


「うぬぬぬぬっ!」

「力まない!」


 またも霊気が乱れ、多量の霊力が術式へと流れ込んだ。それを楓が注意していく。霧散しかけた集中力を再び取り戻そうと、夜鷹が再び力を込める。

 金行は金属を司る五行だ。そのため金行の性質を持った呪術の多くは、金属に関するものが大半を占める。代表的なものとしては、夜鷹が菊音との戦闘で使用した『金属生成』などがあげられる。そして、今まさに夜鷹が発動させようとしている術こそ、金行の呪術。通称「錬金術」だった。

 無から有を創りだす。錬金術と呼ばれる金行の呪術の基本的なコンセプトはそれだ。いわば、創造の呪術。それが今、夜鷹によって発動されようとしていた。

 術式は既に展開されている。あとは霊気コントロールによる、術式に注ぐ霊気の量を調整するだけだ。だが、これがなかなかうまくいかない。楓のオーダーは「包丁サイズの刀剣類の生成」だった。大きくもなければ、小さくもない緻密な霊気コントロールを必要とする指示だった。だが、夜鷹の霊気を操ることにおける器用さは楓の予想をはるかに下回っていた。下手すぎる。極端に膨大な霊力を術式に流し込んだかと思えば、次は術式に流し込む霊気が少なすぎて術が発動しなかったり。とにかく、両極端だった。


 霊気のコントロールと格闘を続けること、五分。ようやく、展開されていた術式が霊気によって発動した。

 顕現したのはそれはもう、見事なまでに細やかな刃だった。サイズ的には一般的な釘よりも大きく、目標の包丁の二回り以上も小さい。とてもではないが、成功と言える出来栄えではなかった。


 沈黙が舞い降りた。居心地の悪い沈黙だった。今日で何度目か分からない失敗作を目に、夜鷹も楓も言葉を失っている。


「…………飯抜き」

「え、ええ……!?」


 残酷で無慈悲な楓の判決に、反論の余地はなかった。せめても意地で抗議の声をあげてみたが、それも尻すぼみにかすれていってしまう。確かにここまで出来が悪いとなると、もはや呪術云々というレベルの話ではなくなってくる。霊気のコントロールは呪術を扱う上で、基礎中の基礎となる技能だ。野球でいうならば、キャッチボール。これが出来ていなければ、呪術を扱うことなど到底不可能だった。呪術を「ただ単に使う」というのならばよい。しかし、「呪術を自在に使いこなす」となればそうもいかなかった。

 術の精度や威力、効果のほどは術式に流し込んだ霊気によって左右される。より多くの量の霊気を流し込めば効果や威力は跳ね上がるし、逆に少なければ霊気の不足によって術式そのものが機能しない。そう考えれば、霊体が作りだす霊気の総量が多い夜鷹は有利のように思える。が、生憎そうではないのが夜鷹の運の悪いところだった。


 霊気は何も、常に目一杯消費すればいいというものではない。一度に多量の霊気を消費していれば、当然その枯渇も早くなる。枯渇すれば、呪術どころか戦闘術すら使えなくなる。生え抜きの実力者であろうとも、そうなってしまえば一般人と相違はない。相手から見れば格好の獲物だ。霊気という特殊なエネルギーによって超人的な能力を発揮する陰陽師にとって、それは自殺行為に等しかった。だからこそ、制御する必要がある。戦況と相手の実力を判断し、加味したうえでどの術をどの程度で使うべきか。陰陽師にとっては、そういう一瞬の状況判断と戦術の組み立てこそが最も重要な能力なのだ。

 夜鷹にはそれが欠けていた。未熟で、この年まで才を持て余しろくな修行を課されていなかったからだ。それが今になって、夜鷹を追い詰めている。


「これは当分、術の修行よりもそちらに集中したほうがよさそうですね」

「ちっ。戦闘術の時は大雑把でいいって言ったくせに」


 ふて腐れるように夜鷹が口を尖らせた。夜鷹が不器用なのは今に始まったことではない。修行を開始した当初からあった、夜鷹の決定的な欠点だった。だが、それでも楓はそのことをあまり問題視していなかった。戦闘術は飽くまでも身を守る、護身術の意味合いが強い技術だ。呪術とは違って一種類の霊気でのみ発動が可能なため、陰陽師なら誰もが習得しているといっても過言ではない。その性質上、戦闘術の構造はそこまで複雑ではなかった。戦闘術そのものが、大雑把な代物といってもよい。

 戦闘術でも数少ない攻撃の技である『霊砲』と、自身の移動速度を加速させる『翔歩』を例にとろう。

 まず『霊砲』だが、これがまた大味な夜鷹にぴったりな技だった。掌に集めた霊気を掌底の要領で一気に放つ『だけ』のなんともシンプルな技なのだ。理屈もへったくれもない。ただ霊気を相手にぶつけるだけの技である。もはや技といっていいのかすらも、判断しかねるものだ。

 『翔歩』もそれと似ていた。違いといえば、これは掌ではなく足の裏に霊気を集中させるところだった。ただこちらは『霊砲』よりも、少しばかり難易度は高めだ。単純に相手めがけ放てばいい『霊砲』と違い、『翔歩』は加速だけではなく、加速中のバランスや減速のことまで念頭に置いておかなければならない。下手すれば、加速するだけ加速した後、どこかに勢いよく激突することだってある。それはいくらなんでも格好が悪い。それを防ぐため、『翔歩』の使用中は意外に神経を使う。とはいえ、この二つは戦闘術の中では初心者向けといってもいい。

 戦闘術の数の膨大さは、陰陽師の歴史と同一だった。陰陽師の数ほどに、戦闘術はある。構造が単純なため、戦闘術は容易く新しい技が開発されているのだ。体系化された術の多くは、最初の内はどこぞの陰陽師が知らぬ間に開発していた技が大半だった。そう思うと、戦闘術は呪術とはまた違った奥深さがあるようだった。


 閑話休題。


 楓が夜鷹に教えた戦闘術は『翔歩』と『霊砲』だけであったため、彼の不器用さはあえて注意をしていなかった。ある程度不器用であっても、その二つは慣れさえすれば扱えるからだ。だからこそ、この壁にぶち当たってしまった。彼の不器用さを見誤っていた。予想外だった。ここまで酷いとは、思っていなかった。


「はあ……戦闘術と呪術の違いがわかりますか?」

「……霊気種類?」

「半分正解、半分不正解です。やはり夕飯は抜きということで」


 夜鷹の回答に楓ががっかりとしたように肩を落とした。「そ、そんな……」と夜鷹は顔面蒼白になる。育ち盛りの夜鷹にとって、夕飯を抜くというのは拷問にも等しかった。夜鷹の持ち金では夕飯分は補えないし、もしここで楓を説得できなければ地獄を見る羽目になるのだ。それだけは避けたかった。


「不肖の弟子を持つと、教える側が苦労します。やはり主に教えを乞うのはまだ当分先ですね」


 ぐうの音も出なかった。悔しさを噛みしめるように、夜鷹は奥歯に力を込めた。折角、式神を手に入れ一人前の陰陽師になるべく修行を始めたというのに、なんたる様か。


『やはり、妾の見る目は正しかったようじゃ…………おぬしは最高じゃ。くくくっ』


 夜鷹の後方では彼と正式な式神の契約を結んだ菊音が、顔を真っ赤にさせて笑いを堪えていた。黄金色の刺繍が入った黒色の着物が、九の字に曲がっている。決壊寸前のようだった。

 主を立てない式神に夜鷹は顔をしかめるが、彼女はもともとそういう主従関係なるものとは縁遠い性格をしている。ここで幾ら夜鷹が注意しようが、それは直らないだろう。なら、いっそのこと放置しておくのも手だった。式神と対等な立場で接するのが淡海夜鷹の陰陽師としてのスタイルだ。そう思えばいい。夜鷹は半ば強引に自分を納得させた。そうしなければ、心が折れそうだった。


「いいですか? 戦闘術、正式名称『陰陽式戦闘術』はいわば護身術です。式神がない、または何らかの理由で式神との繋がりが絶たれた場合を想定したもので、呪術との相違点は陰と陽どちらか片方の霊気のみでも発動が可能だという点です。ですから、呪術ほど多彩というわけではありません。幅があるとはいえ、それは応用ですから」


「……へ、へぇ」 


 そう相槌を打つ夜鷹の顔は頼りなく笑っていた。理解しているか、甚だ不安になる表情だった。そんな夜鷹に楓は無表情のまま、小さくため息をついた。


「しかし、それに対して呪術とは陰と陽、本来交わらないはずの二つの霊気を組み合わせることによってこの世界の理にアクセスし、理から逸した力を得るもの。理の中で人が起こす奇跡が『陰陽式戦闘術』とするならば、呪術とは理から外れた、いうならば「霊的存在」なのです。理から外れた力は、本来人の手に負えるものではありません。神の領域の術です。しかし、それを得なければ人は「霊的存在」を修祓することはできません。ですから、呪術はとても難しく、繊細なのです――――わかりましたか?」


 一通り説明を終えた楓が確認するように夜鷹に視線を送った。夜鷹が申し訳なさそうに顔をそむけた。


「……半分くらいは」

『おぬしの頭は一体何が詰まっておるのじゃ……』


 夢と希望だ、と答える気力は今の夜鷹にはなかった。


    


      *        *       *


 夏のさんさんたる陽射しも鳴りを潜めだし、秋の足音が段々と近づいてきた。ぬめっとした湿気を孕んだ風が頬を這いずるように過ぎ去っていく。西の空を見上げると、沈み切った夕日の残滓に彩られた空に濃い雨雲が確認できた。一時間もすれば一雨来そうだった。

 夜鷹が困ったように眉を寄せた。夜鷹は雨が嫌いではないが、濡れるのは嫌いだった。あの重くなった布が肌に張り付く感覚は、何度見舞われようが慣れるものではない。ぞわりと全身の毛が逆立った。思いだすだけでも、このありさまだ。実際に遭遇すれば、さぞ気持ち悪い思いをすることだろう。手に提げたレジ袋を今一度持ち直し、夜鷹は少し歩を早めた。


『にしても、夕立がきそうじゃのう。あれは結構な大振りじゃな』

「わかるのか?」

『妾が何年、生きとると思うておる。年の功を甘くみとると、痛い目ぞい』

「甘くは見てないんだが……強く降るってんなら、走るか。濡れるの嫌だし」


 空を仰ぎながら、夜鷹は気だるげに地を蹴った。菊音のこういった予想はよく当たる。年の功とはよく言ったものだ。彼女の長年培われてきた勘や見識は、人間では到達できない領域にまで達していた。それこそ「霊的存在」であるからこそ可能な芸当だ。無下にすると、こちらが痛い目を見る。彼女のアドバイスの類は荒唐無稽でない限り、聞き入れたほうが身のためなのだ。

 空が段々と黄昏から濃い闇夜に変わりつつあった。分厚い雨雲もそれに合わせて、こちらに向かってきていた。鉄臭い雨のにおいが鼻腔をくすぐり、降雨の予兆を知らせてくれる。

 こんな時に「翔歩」でも使えれば早く家に着けるのだが、生憎緊急時以外に陰陽術(呪術、戦闘術といった陰陽師が駆使する能力の総称)を使うのは御法度だ。陣内からもきつく言い含められていた。飽くまでも陰陽術とは「霊的存在」を祓うためのすべである。ただでさえ陰陽師は、人の領域を超えた術を使う集団だ。世間一般的に広く認知され始めた現代でも、畏怖の対象として見られがちだった。そういった印象を払拭するためにも無闇に力を使うのは望ましくないのだろう。


「ばれなきゃ、罪にはならん」

『妾がいることを忘れてもらっては困るのう』

「なんだよ、告げ口でもするのかよ」

『説教を受けるおぬしも中々面白うてな』

「趣味が悪いんだよ!」


 悪態をつき、あからさまに舌打ちをする。菊音とはここ数週間の付き合いでしかないが、その濃さだけでいうと鐘ヶ江や陣内に勝るとも劣らぬものだった。何しろ、一日二十四時間ずっと一緒にいるのだ。式神という立場上、離れることができない。というより、したくても出来なかった。そのため二人の付き合いというのは、短いながら非常に濃かった。長い時間一緒にいるせいか、彼女がどういった性格なのか、どういったものを好むのかというのが大体だが夜鷹はわかりつつある。その中の一つが、夜鷹にとっての小さな不幸だった。要は彼女にとって夜鷹の不幸は蜜の味なのだ。何もない道端でこけたり、あとで食べようと思っていたアイスを陣内に食べられていたり。そういう小さな不幸に見舞われる夜鷹が、菊音は面白くてたまらない。顔を真っ赤にして、品の良い笑い声を上げることも珍しくなかった。

 恐らく、ここで夜鷹が「翔歩」を使えば、彼女はそのことを楓に報告する。そして、呼び出され注意を受ける夜鷹を見て、楽しむのだ。離れられない上での、この仕打ち。質が悪かった。


 菊音の性格の悪さに辟易しながらも、夜鷹は仕方なく徒歩で帰宅を急いだ。しかし、自称運のない男はまたもや、不運を釣り上げてしまうのだった。


「うわっおっとと」


 奇妙な声をあげながら、夜鷹が前のめりに倒れる。受け身は取れなかった。おかげで夜鷹の顔面は勢いよく、アスファルトで舗装された道路に突っ込んだ。


『大丈夫か?』

「ああ、大丈夫……」


 強打した鼻が痛かった。触ってみると、べっとりした液体が流れ出てきていた。遅れて鼻の奥がじんわりと熱を帯び始めている。そして、徐々に真っ赤な血流が夜鷹の鼻筋へと垂れてきた。咄嗟に鼻を押さえたが、一度決壊した血管はとめどなく夜鷹の鼻から鉄の臭いと血流を溢れさせた。十秒もしないうちに、押さえていた手が真っ赤に染まる。

 不快な血の感触に眉を顰めながら、夜鷹は顔を後ろへと向けた。足を取られた原因と思しきものは、すぐ足もとに転がっていた。夜鷹の眉間がさらに深く皺を刻んだ。


 人間が倒れていた。それも夜鷹と似た年頃の男だった。


『ふむ、ぴくりとも動かんのう。死体か?』


 指先で倒れている男を何度も突きながら、菊音が言った。冗談か真剣か分からない声音で彼女がいうと、妙な説得力があった。「見鬼」を介して男を見ていなかったら、半ば信じていたかもしれない。


「いや、生きてるぞ。ただ、霊気がすげえ不安定だな。寝不足か、空腹か……いずれにせよ、死んではないな」


 「見鬼」は霊気を視る。病気や怪我による体調不良は、霊気に影響を与える。程度にもよるが、微細な霊気の乱れが生じるのだ。陰陽師の中にはそういうことを専門にして、医者としても活躍する者もいる。夜鷹の場合、魂を視ることによって通常の「見鬼」よりも、霊体そのものの状態を確認できた。状態をより正確に判断することが出来るのだ。とはいえ、現在の夜鷹の知識と経験ではその大部分が勘によるものだった。


『じゃな。息はしておるし…………意識はないみたいじゃが』


 うつ伏せに倒れているせいで、胸の上下運動を確認することは出来なかった。しかし、微かに漏れる呼吸音は聞こえる。息をしていないというわけではなさそうだった。意識の有無は言わずもがな、ないようだ。


「……腹減った……」

「あ、喋った」

「腹減った……」

『まるで寝言じゃな』

「腹……た」


 男の口からはうわごとのように言葉が紡がれている。相当腹が減っているのか、その内容はどれも同じだった。繰り返し呟かれるその言葉には、どことなく後がないさまがにじみ出ていた。

 鼻にこべりつく鼻血を手の甲で拭い、夜鷹が男の顔を覗き込む。頬がこけていた。顔色も優れていない。『妾もこのようになった人間は、数百年ぶりに見たぞ。飢饉にあった百姓の如き、顔つきをしとる』菊音が懐かしむような表情で男を見た。確かに、ここまで痩せこけた人間も稀だ。昔と違って比較的食料が手に入りやすくなった現代では、食糧不足による行き倒れは殆どないといっていい。最近となると、戦後や江戸時代の大飢饉にまで遡らなければここまでの人間はお目にかからないだろう。菊音は「霊的存在」として何百年もこの世に留まり続けていた。戦乱の世から現代に至るまで、長い時の上に彼女の道はある。生き字引といっていい。そのような彼女が、「数百年ぶりに見た」というのだ。この男の程は相当酷い。菊音の言葉が遠回しに、この男の状態を物語っていた。


「どうする?」

『妾に聞くな。おぬしで考えろ』

「いやでも……なぁ」


 その心中を表すように、夜鷹は眉をひそめた。菊音にも彼の言いたいことはわかっている。夜鷹は迷っているのだ。別段、夜鷹に男を助ける義理などない。ここで無視し、雨が降る前に家へ戻るのも選択肢の一つだ。街中にいけば、酔いつぶれて道端に寝転んでいる男など数多くいる。その大勢の中の一人だと思えば、無視するというのもある意味妥当な考えだった。


 だが、良心の呵責というものがあった。この男は酔っ払いではない。自分と同じぐらいの年頃の男の子で、明らかに衰弱しきっている。身なりからして貧乏というわけではなさそうだが、食べ物に困っていることは火を見るよりも明らかだった。ここで放置するのは、気が引けた。決断する前なのに、罪悪感が芽生えてくる。「腹……減った……」男のうわごとがさらにそれを加速させていく。

 救急車は呼べない。呼ぼうにも、携帯は先日の菊音との戦闘で見事なまでに消し炭にされてしまった。新しく契約しようにも、陣内から「いい機会や。偶にはアナログちゅうもんを体験してみい」と言われており、期待できそうもなかった。それに夜鷹は陣内家に下宿させてもらっている身の上だ。あまり我儘は出来なかった。

 近くに見知った人物の家はなく、病院らしき建物もない。公衆電話も、今や廃れてしまって限られて場所にしかなかった。つまり、電話による医療機関への搬送は難しいということだ。


 残る手立てとしては、夜鷹が陣内家まで男を連れていきそこで手当をしてもらうことだが、これは一つ問題がある。


「楓さん……部外者嫌うんだよなぁ」


 楓は陣内を主とする絡繰式からくりだ。楓の場合は少し違うが、絡繰式はなによりも主の命令とその主従関係を尊ぶ。主を絶対的な存在と位置づけているのだ。酷い場合だと、宗教のような妄執的に主を慕う者もいる。そして、楓はその妄執的に主を慕う者だった。彼女は陣内と自分との間に他人が踏み入ることを何よりも拒絶し、嫌う。夜鷹も当初は、相当今以上に毒舌を吐かれ、厳しい仕打ちを受けてきた。今ではそれなりに打ち解けているはいるが、それでも夜鷹は陣内に直接修行をつけてもらえない。恐らく、夜鷹と陣内が師弟という特別な関係になるのを恐れているのだ。自分だけが主、陣内にとって特別な存在でありたい。彼にとっての特別は自分だけいいのだ、と。

 それが絡繰式の定めだとはいえ、楓の場合少し主旨が違う。彼女の場合、主従関係というよりは独占欲だった。本来絡繰式にはない、人間的な感情。どこまでも主とその臣下、従者であることを望む絡繰式とは真逆の心理だ。

 それ故にこの男を家に連れていくのは、いささか藪をつついて蛇を出すことになりかねなかった。出るのが蛇ならまだよい。しかし、場合によっては鬼が出る。夜鷹も、菊音ですら敵わない正真正銘の鬼だった。


『迷ったら、己の直感を信じるのもまた一つの手段じゃ。自分が、最初にこうすべきだと思った方を実行せい』


 菊音の言葉が後押しになって、夜鷹の決意は固まった。ここで見捨てていけば、男が廃る。それに夜鷹の目指す陰陽師とは何も「霊的存在」だけを救えばいいわけではない。そもそも「霊的存在」だけを救い、人を見捨てていては本末転倒だ。人も救い、「霊的存在」も救わなければ夜鷹の目指すものにはなれない。夜鷹の言う救いとは、限りある誰かのためにあるものではなかった。「救い」はそれを求めている者にこそ、与えられるべきものだ。


「よし、運んでいこう」

『じゃな。こんなところで死にかけておるのに、見捨てるというのはいささかその酷な選択じゃ。よいよい、見直したぞ』


 夜鷹の信念は徐々に形となって、彼を形成していく。それが彼を翻弄する残酷で美しい運命の始まりとも知らずに、彼はその道を歩き出そうとしていた。

 不吉な予感を裏付けるかのように降り出した雨が、夜鷹の髪を濡らした。それは果たして歓喜の涙なのか、それとも――――――悲嘆の涙なのか。



  


     *       *      *


「いやー、助かったばい。ついでにがん御馳走まで。ありがとうございます」

「いやいや、困ってる子供を助けるのも僕ら大人の領分や。夜鷹君が拾ってきたときにはどうなるや思うたけど、なんや元気になったみたいやな」

「危うく死にかけていたところば助けてもらって、感謝してもしきれんませんばい」


 九州の強い訛りのある方言で千布将人ちぶまさとは謝意を述べた。数時間前まで死人同然だった彼も、陣内と楓の治療によってすっかり元気を取り戻していた。乾ききっていた目にも活力が戻ってきている。飢饉の百姓から、現代の青年に戻っていた。


 陰陽術での治療を施したとはいえ、彼の回復力は驚異的だった。陣内や楓すらも、これには驚きを隠しきれなかったようだった。陰陽術を施したとはいえ、飽くまでもそれは応急処置だ。彼の容体は重体だった。肉体的にも、霊体としても衰弱していた。そんな彼を見て陣内は「専門医に見せるべきやな」という結論をつけた。彼が見ても、医療機関に行くべきだと判断したのだ。だが、それでも彼は数分後、げっそりと痩せ細った身体で寝かせてあった場所から這いずり出てきた。「飯を……食料を……ばい」とかすれた声で何度何度も呟き、夜鷹達に迫った。


「さすがに、これは勘弁やわ」


 とは陣内の弁だった。異様なまでに食にこだわる彼に、夜鷹も陣内は慌てて簡素な一品を作り、彼に差し出した。大の陰陽師二人が人間一人に情けないとは思うが、それほどに彼の気迫(というより、狂気)が凄まじかったのである。

 二人が作った間食を瞬瞬く間に食べ終わった彼は、糸が切れたように眠りについた。そして、数十分後彼が目を覚まし、事情を聴いたところで今に至る。因みに、談笑する陣内の隣では楓が不機嫌そうに無表情を貫いていた。勿論、楓はその鉄仮面の裏に潜む感情を面には出していなかった。最初の内は煙たがっていたが、陣内が彼の治療を始めたあたりから諦めているようだった。そのせいか、彼が目覚めてから楓は一言も声を発してはいない。その視線と気配だけで、彼女は陣内に無言の圧力をかけ続けていた。


 プレッシャーという名の槍に刺され続けた陣内はついに耐え切れなくなって、将人に話しかけた。いつもの何倍はある食事を次々と胃へと運んでいく将人は、その手を止めることなく陣内に視線を移した。


「そういえば、君なんで倒れとったんや。しかも、あんな場所で」

「…………あ、ああああ!?」


 陣内の言葉にわかりやすく将人が狼狽した。何かを思い出した様子だった。今まで止まることなく料理を摘まんでいた手が止まり、頭を抱えた。


「忘れっとたばい……盗られとったぁ……」

「盗られてたって……ひったくりでもあったか?」

「そうばい。いつものように道で寝とった隙に、なくなっとった」

「いや、道で寝てたせいだろ。自業自得じゃねえか」

「金がそこをついたと。しかたなか」


 至極当然と言わんばかりにその表情は真剣だった。まだ未成年である彼が金がなくなったから道端で寝る。それが当然というのはあまりにも時代錯誤な考えだ。これには無関心に食事を続けていた楓も、尻目で将人を見た。その目には彼の真意を見極めようとする光があった。


「それで何を盗られたのですか」


 楓が厳かに問うた。冷徹で感情が介在していない声だった。明らかに彼を警戒していた。


「うわっ!? なんや、あんた喋ることが出来るとや? 脅かさんでよ、てっきりそういう絡繰式からくりかと思うたやん」


 一通り瞼を瞬き、安堵したように将人は息を吐いた。だが、逆に夜鷹ら三人は表情を強張らせた。この時は珍しく、陣内が間抜け面を見せた。かけていた眼鏡が下にずり落ちた。


「なんや、君……案外こっちの人やったんか?」


 ずれた眼鏡を人差し指で押し上げながら、陣内が感心するように言った。楓は外見だけで判断すると、普通の人間と区別がつかない。表情に乏しいが、食事もする。陰陽師のように「霊気」を視ない限りは、彼女が人間でないと判断するのは難しい。だが、彼ははっきりと言った。楓は絡繰式だったのか、と。それはつまり、彼もまた霊気を視ることが出来る「見鬼」の才を持つ者だということに他ならなかった。


「こっち側? 何の話たいね」

「お前も「見鬼」かどうかって話だ」

「けんき? なんや、そいは」


 首を傾げる。どうやら本当に意味を理解していないようだった。「君は、霊気を視ることができるんかどうかちゅう話や」見ていられなくなった陣内がすかさずフォローに入った。


「うん? おお、そういうことや。霊気がどがんとかは知らんばってん、見えとらんよ。少なくとも、おいにはね」

「じゃあ、なんで楓さんが絡繰式だってわかったんだよ」

「え? 見ればわかるやん、そがんと。人とはどがん頑張っても違うけん」


 これもまた将人は不思議そうに夜鷹を見た。まるでなぜそのような当然のことを訊くのか、というような面持ちだった。夜鷹からしたら「こっちの台詞だ」と言いたかった。将人と夜鷹の間には何か決定的な違いというものが存在するようだ。陰陽師、リバースサイドとしてではなく常識的な部分での食い違いがこの差異を生み出している。そのことに気付き、夜鷹は歯噛みした。

 一方で陣内と楓は彼の言葉にただうなずくだけで、何も言わなかった。


「それで。何を盗られたんだよ」


 仏頂面でぶっきらぼうに夜鷹は言った。ふて腐れ気味であった。


「おお、忘れとったばい。危ない危ない。盗られとったのは、千布家の家宝『霊槍・魂狩たまがり』たい」


 深刻そうな表情で、声音はやけに軽かった。顔と声のテンションが一致していない。楽観視していい状況なのか、いけない状況なのかが彼の言葉からは判別することができなかった。困惑顔で、夜鷹が陣内を横目で見た。彼もまた同様に眉を顰め、事の真意を見極めようとしていた。「それで、その魂狩たまがりちゅうものは、なんや? えらいけったいな名前ついとるが」陣内は自らの記憶にそれと同名の呪具や業物がないか探しながら、将人に問いかけた。


「千布家に代々伝わる、霊的な術式を埋め込まれた槍ばい。千布家の家宝たいね」

「なんでそんな大事なもんを不用心に置いとくんだよ……」

「だから、金がなかったと」

「だからってなぁ……まぁいいや。それで? 盗られたのっていつなんだよ」

「一週間ほど前ばい。盗られたとに気付いて、飲まず食わずでここまで犯人を追いかけてきたとばってん、さすがに力尽きて今に至るとよ」


 何度も頷き、将人は再び食事を再開した。凄い勢いで消えていく食事を前に、夜鷹はため息をこぼした。先の話には、多少なりと引っかかるところがあった。いや、多少どころではない。むしろ、多すぎる。


 第一に、飲まず食わずで一週間も犯人を追いかけていたという点からしておかしい。そもそも、一週間も犯人を追跡して捕まえることもできずに追いかけている時点で疑問が浮上する。そんな時間を費やして、なぜ捕まえられないのか。そして、なぜ追跡し続けることが出来たのか。飲まず食わずで本当に一週間も犯人を見失わず、追いかけることが果たして可能なのか。そもそも、そこまで逃げ続ける犯人とは一体何者なのか。


 いくら馬鹿だと罵られる夜鷹でも、こうもはっきりとした不審点を見つけられないほど落ちぶれてはいなかった。


『魂狩か……また嫌な名を聞いたものじゃ』


 前触れもなく菊音が背後に現れた。険しいその口調が、妙に重く鼓膜を打った。頭の中を覗かれたようなタイミングだった。

 彼女の表情はあまり芳しくない。不快そうに眉をひそめていた。


「知ってるのか?」

『知っているも何も、妾としてはあまり相対しとうない類のものなのじゃが』


 彼女にしては珍しい物言いだった。夜鷹の式神となるまでの数百年。全国のありとあらゆる場所で面白いと思うものを探していた彼女とってみれば、霊的な力を持つ槍など格好の対象だろう。だが、当の本人はそれを嫌悪する反応を見せた。数週間前、自らを瘴気で侵しながらも面白き戦いを望んだ人物の言葉とは思えなかった。

 熱でもあるのだろうか。夜鷹が本気でそう考えるほどに、今の発言は彼女らしくない。


「お前が嫌がるってそれはそれで嫌な予感がす……る――――――ッ!?」


 不意に背筋が寒気を感じた。何かが背中を這いずるような、不快な感覚。霊気の乱れを「見鬼」が感じ取ったのだ。それも近い。少なくとも半径一キロの内にある。途轍もなく大きな霊気の乱れだった。


「楓!」


 陣内が鋭く命じる。それに応じて、楓が動いた。「了承」と短く呟き、目にもとまらぬ速さで外へと走る。あの一瞬で霊気の出所を探し出したのだ。夜鷹よりも遥に強力な「見鬼」の才を持つ二人だから、出来る芸当だった。それに楓は絡繰式だ。普通の人間よりも、その肉体が繰り出せる最高速度は数倍速かった。彼女ならば目的地に五分とかからずにたどり着けるだろう。


「夜鷹君は、ここに待機。今回は君が出しゃばれるような幕やないで」


 まだ何も行動を起こしていないにも関わらず、陣内は夜鷹にくぎを刺した。それだけ事が重大なのだ。菊音との一件とは違う。未熟者が手を出していい領域を超えている。だから、ろくに呪術も扱えない夜鷹には大人しくしていてもらいたいのだ。


 夜鷹はうなずいた。自分の力量は弁えていた。これは自分が手を出していい領域ではないと、先の感知で理解していた。


 だが、夜鷹には理解できてももう一人の馬鹿には理解できていなかった。いや、理解できなかったというべきか。彼は「見鬼」ではなかった。ならば、この異様な霊気を感じ取ることが出来ないはずだ。恐らく、彼は何かしらの特別な能力を持っている。そういう人種だ。だから、何か大きな力が現れた、というのも感知できたのだろう。


 将人が立ち上がり、走り出していた。


「ちょ、将人君!?」

「おい、馬鹿っ!」


 二人の静止も耳に入ってないのか、将人はそのまま玄関を飛び出していった。陣内が面倒くさそうに舌打ちした。


「夜鷹君、さっきの言葉は取り消しや。今すぐ将人君を連れ戻してこい。このタイミングで飛び出していくちゅうことは、つまり彼も今のあれを感じ取ったんやろうな。もしかすると、さっきの魂狩とかいう槍に関係するかもしれへん」


 陣内の言葉に先ほどの将人の表情が頭をよぎった。食事中のへらへらとした笑い顔から一変した、真剣な眼。あれは本気の眼だ。何かを成し遂げようとする者の眼だった。


『要は妾達はあの小僧を捕まえておればよいのじゃな?』

「さすが、菊音君は話が早くて助かる。ほな、行こか」

『いや、待て。一つだけ、一つだけおぬしに言っておいた方がいいことがある』


 出ていこうとする陣内を菊音が呼び止めた。「なんや」と陣内が振り返る。


『今回の相手。もしかすると、妾の知っている者の可能性があるかもしれぬ』

「ほう。幽霊仲間ちゅうことか。で、誰やねん、その顔見知りちゅうのは」


 愉快そうに表情を緩める。この緊張感の中、彼は笑っていた。だが、いまだかけたままの眼鏡の奥から覗く双眸は異様なまでに霊気を迸らせていた。


 たいして菊音の表情はあまりよくなかった。言いよどんでいる様子ではなかった。だが、夜鷹の「見鬼」が感じ取っているのは――――――拒絶と嫌悪だった。


「お、おい菊音……」


 霊的回路で繋がっているうえ、魂を視る「見鬼」の才を持つ夜鷹には彼女の不自然さに気付いた。まただ。先の「魂狩」の話題が上がった時と同じだった。どこか彼女らしくない。

 嫌な予感が腹の底から上がってきた。今から彼女が言おうとしていることは、恐らく途轍もないことだ。直感でわかる。それは、図らずともこれから先の未来対峙する者の名だ。そう魂が告げている。

 一瞬の間が、何十分という時間に引き伸ばされたような感覚だった。彼女が口を開くまで、一体どれほどの時間があったのだろう。数秒となかったはずだ。しかし、体感ではその何十倍という時間の中にいたような気がしてならなかった。


『鬼じゃよ。端的言うとじゃが』

「……鬼やて? そら、ほんまか」


 菊音の言葉に陣内が虚を突かれたように驚愕した。表情が見る見るうちに、鋭いものに変わっていく。


『しかもただの鬼ではないのが、これまた厄介でのう』

「まさか、名前付きとか言うんやないやろうな」


 もったいぶった言い方に少し苛立った口調で陣内が急かした。『まさかじゃよ、そのまさかじゃ』と菊音は言葉を紡ぐ。

 言わなければいけなかった。嫌悪感が勝っていようとも、教えなければならない。魂狩が出てきた以上、彼女の存在は確認しなくともいるという確信があった。菊音の考えが正しければ、必ずあの女はこの一件に関わっている。



『茨木童子』



 過去に出会った者の中でも、最高に狂った鬼の名前を口から吐き出していく。


『片腕を失った過去の亡霊じゃよ』

 それは伝説の隻腕の鬼。愛に狂い、今もなお狂気に支配され続けている女の名だった。

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