第四章 後日談
ここからは後日談ということになるのだが、何から記せばいいのか。
そういえば存在を忘れかけていた陣内だが、彼はあの騒動の後しばらくしてからようやく姿を現した。どうやら渋滞に巻き込まれていたようだ。プロの陰陽師ならば他に手があったのではないかとも思えるが、陣内としても出来る限りの手は尽くしたらしい。しかし、逆にプロであったからこそむやみやたらに陰陽術を使えなかった、というのもあってそれ以上楓や夜鷹から咎められることはなかった。
だがしかし、夜鷹たちは咎めなくとも夜鷹達が咎められないということはなかった。次は陣内の説教の番だった。
「まったく、無茶にもほどがあるで! 君、病み上がりなんよ? なのに、今度は骨折て……しかも、学校のグラウンドに大穴開けてもうて、校舎のあちこち煤だらけ。一体、どういう戦い方したらああなるっちゅうねん!」
大目玉をくらってしまった。グラウンドの一件は夜鷹の責任だが、校舎内を煤だらけにしたのは夜鷹ではなく菊音の責任だと言うと「式神の失態は主の失態や。これ常識やで」と、額に青筋を浮かべながら言われてしまった。とはいっても、今回の一件は前回菊音を陣内が取り逃がしてしまったから(その一件もまた、夜鷹のせいで取り逃がしてしまったようなものだったが)起きたようなものだ。それなりに責任を感じているのだろう。それ以上、とやかく言われることはなかった。
夜鷹の怪我の方は、今度ばかりは呪術では治さないという陣内の意向で、再び入院する羽目になった。一度折れたにもかかわらず、無理して動き続けたから骨がより複雑に折れてしまっているとのことだった。『魂の憑依』による副作用のこともあるため、大事を取った形だ。おかげで医者から奇異な目で見られてしまったのは、苦々しい思い出となった(一か月で二度も入院してくるものも、珍しい)。
さて、菊音。彼女についてはまだ、正式な式神化の儀式は行われていない。今は『魂の憑依』による一時的に霊的回路がつながったことにより、式神もどき、のような状態になっているらしい。定義も非情に曖昧であり、式神でもなければ、一般的に「霊的存在」と呼ばれる存在とも違う。これには陣内も頭を悩ませているようだった。敵ではない、だが味方と呼ぶにはまだ足りないものがある。夜鷹のほうが完治するまで、式神化の儀式は執り行うことは出来ない。それに彼女は今回の一連の事件における首謀者であり、共犯者だ。本来ならば修祓対象となってもおかしくなかった。だからこそ、この間の彼女の処遇には陣内も頭を悩ませていた。問題児が一人増えたようで、陣内は思わず「勘弁してくれや」と愚痴をこぼしていた。
そして、もう一人この後日談を語るにおいて重要な人物がいる。
「……暑い」
七月ももうすぐ終わろうとしている。夏もついに本格的な暑さともに本番を迎えようとしていた。ぎらぎらとアスファルトを照らす日光を恨みがましく睨み、春奈はもう一度額から流れる汗を拭う。地面からの反射熱が異様なまでに暑かった。おかげで服がびっしょりと濡れてしまっている。汗臭くないかな、と思いつつ一方で帽子を持ってくればよかったと後悔した。
ここまで来るのに、約一時間。夜鷹が入院しているという病院を陣内から聞きだし、書いてもらった地図に従ってここまで来た。どうやら自分の知らぬ間に、また事件に巻き込まれていたらしい。一カ月に二度も「霊的存在」絡みの事件に巻き込まれるなど、運が悪いにもほどがある。彼は陰陽師だから、その点本職を全うできるチャンスだとか思っているようだが、前回の一件の時はあっけなく返り討ちされていたのを見ると信頼は出来なさそうだった。
夜鷹の入院している病院は陰陽師や山伏や異能者といった通称、『リバースサイド』と呼ばれる者たちを専門的に治療する、特殊医療機関と呼ばれるところらしい。要するに、現代科学では説明のつかない現象で患者を治療する病院ということだ。夜鷹はそこに一週間ほど前から入院しているという。
しばらく歩いていると、目的地が見えてきた。多少離れているこの場所からでもその全貌がはっきりとしない巨大な建物が、そこに聳え立っていた。「おお、大きい」近づいていくと、改めてその大きさに圧倒される。中に入ると、思いのほか涼しい空調が春奈を出迎えてくれた。まるで外とは別世界のようである。汗ばみ肌に吸い付く服に辟易しながら、春奈は近くにあった院内図に目をやった。病棟の位置を確認するためだ。
「えーと、確か302号室……っと」
位置を確認してから、病棟に移動し夜鷹の部屋を探し始める。この病院、見た目通りとてつもなく広いところ、病室の数も春奈のかかりつけよりも遥に多かった。おかげで知人の病室を探すのにも、一苦労しなければならない。病室を見つけると、今一度ナンバーの書いてあるプレートと名前の欄を確認する。「よしっ、あ、汗臭くないよね……?」誰に会うとしても身だしなみに気を遣うのは、女性と当然だ。その相手が異性ともなると、拍車をかけて気を遣う。しかし、汗臭さといったものは自分では確認することもできない。来る前に買っておいた汗の臭い防止するスプレーとやらを振りかけておいたが、もうそれにかけるしかなかった。
「やーやー、ごきげようー。元気して……た、かな?」
元気溌剌な第一声がピークだった。それから急降下して、春奈の言葉は尻際には疑問詞に代わっていた。「か、鐘ヶ江!?」と夜鷹の上擦った声がみっともなく響く。
『おや、これはこれは……あの時の娘っ子ではないか』
「……ども」
夜鷹の反応に何事かと顔を上げた菊音が上品な仕草でお辞儀した。その動作があまりにも堂に入っていたために、春奈もつられて戸惑い気味に挨拶を交わした。
しばらくの沈黙があった。春奈と菊音、それぞれが相手を何者なのかと観察するように瞳を動かしている。意味もなく、張りつめた緊張感が漂い始めてきた。春奈はその顔を訝しむように歪め、対して菊音は余裕たっぷりの笑みを浮かべている。
「これはどういう状況で……?」
沈黙破ったのは春奈だった。そこには困惑と疑問が混じった表情がある。
「あのだな……まぁ、見ての通りだ」
ほかに説明しようがない、と夜鷹は言って早々と釈明を放棄した。もうこの状況で何を言おうと、言い訳にしか聞こえない。ならば、潔く事実を認めることにしたしよう。「見ての通りって言われても……」と夜鷹の説明放棄に、春奈はさらに困ったように眉をひそめた。
『簡潔にいえば、夫婦の営みじゃな』
爆弾は不意に投下された。「え?」という春奈と声と「おい」という夜鷹の声が重なり、菊音に二つの感情がぶつけられる。一つは驚愕が理解を超え、今一度確認を取ろうとするもの。もう一つは、いい加減鬱陶しくなってきた一連の流れに対する呆れ、だった。
では、ここでひとまずこの室内で起きている出来事について、説明しておこう。
まず、春奈の主観で見た状況だ。
夜鷹がベットの上に仰向けに寝転がって、その上に覆い被さるようにして菊音が彼の身体に乗っかっている。言われてみれば、今まさにそういうこと(つまりは、夫婦の営み)を行おうとしていたようにも見えた。男と女の位置が逆なのでは、とも異見があるかもしれないが、最近は男が女の尻に敷かれるという「かかあ天下」というのも珍しくない。男性が消極的で、女性が積極的だった場合、このような形になる可能性とて無きにしも非ずなのだ。だから、菊音の言う「夫婦の営み」というのは一見すると間違っていない。事実としては間違いだらけであるが。
次は夜鷹の主観からの状況だ。
ここ一週間立て続けに起きている、菊音からの夜這いならぬ襲撃に合っている最中に運悪く春奈が訪ねてきた。そして、菊音の妙な発言により更なる誤解が広まろうとしている。
最後は菊音の主観から見た状況。
最高に面白い、修羅場が展開されようとしている。
すべてを要約しよう。夜鷹が菊音に襲われ、貞操の危機(菊音は霊体であるが、実体化することもできるため本当に危機)に陥っているとき偶然春奈が訪ねてきた。一見すると、妙な光景が広がっているものだから春奈は唖然とする。そして、それを見た菊音が面白がって、誤解を招く言葉を発した。
これがこの張りつめた緊張感の理由である。
「なるほどね。ツッコミどころは多いんだけど、理解できたわ」
「何よりだ」
一連のあれこれ(菊音のことや、先の襲撃のことについて)を説明し、夜鷹はため息ついた。なぜに、自分がここまで気を張り詰めなければならないのか。本来ならば、もっとゆったりとした時間を過ごせるはずだったのに、何を間違ったのだろう。しばらく、黙考する。思いつく節がありすぎて、逆にこれが原因とはっきり言えなかった。
「ところで、式神……なんだよね、一応」
「ああ。正式な式神じゃないんだが、一時的に霊的回路がお互いに通ってるからな。実質、式神のようなもんだ」
「式神って、その……いうなれば部下みたいなものなんでしょ?」
「種類にもよるがな。絡繰式とか、格が高い神格レベルの使役式だったら、部下というより対等か、場合によっちゃ術者よりも上だってあるんだそうだ。まぁ、術者によってばらつきがあるから、一概にそうとは言えないがな」
夜鷹の説明に「う、うん?」と首をかしげながら、春奈はうなずく。どうも理解が追いつていないようだった。
「じゃあ、君とその……菊音さん? の関係はどうなの?」
「勿論、俺の忠実な」
『互いを愛という確固たる想いで結ばれておる、夫婦じゃ!』
夜鷹の言葉に割り込むようにして、菊音が言葉を挟む。これにはさすがの夜鷹も春奈も閉口した。まだ言うか、と思いがあるがここまでされると逆に本気で言っているようにしか聞こえなくなってきた。
『おぬしが言ったではないか。俺にはお前が必要じゃと。あれはつまり、そういうことじゃろう? 妾と生涯ともにいたいという、ぷろぽーず、的な』
「ちげえよ!? 確かにいったけども、あれは式神として必要って意味でな!」
『会ってまだ一日も経っておらん、女子に伴侶になれなどという者は何百年と生きてきて中でも初めて見たわ。それを承諾する、妾も妾じゃが……』
何を思いだしているのか、菊音が突然その頬を真っ赤に染めた。熟れたトマトの比ではない、それはまるで炎の如き紅蓮の色だった。
「…………へえ」
「こっちも怖っ!?」
半眼で夜鷹を睨みつける春奈の瞳には、どこか敵意めいたものが宿っていた。もはや、一目瞭然としてご機嫌ななめである。どうして機嫌悪いのか尋ねても、「別に」とか「君が、誰と付き合おうともお姉さんは知りませんから」といつの間にかお姉さんなっていたりして、はぐらかされてしまう。どうしたというのか。
「……勘弁してくれ」
まだ見ぬ未来を予見して、夜鷹は憂鬱そうに頭を抱えた。
夜鷹の陰陽師としての道は、まだ歩み出したばかりだ。その先に何が待ち構えているのやら。しかし、少なくとも――――――――修羅場が待っているのは確実だった。
これは、裏に住む者達が歩む表の物語。




