これまでと、これからの話ー
ベルとアンジュが北大陸から戻ってから、すでに半年が過ぎていた。
中央大陸の街は、いつも通りに騒がしく、いつも通りに平和だった。
カフェの窓際で、ベルとミリィは並んで座っている。
ミリィは焼き菓子を口に運びながら、軽く周囲を見回した。
「ここ、本当に落ち着きますね」
ベルは飲み物をストローでかき混ぜながら、窓の外を見ている。
「うん。こういうの、普通って感じ」
人々は笑い、歩き、買い物をしているだけで、何かを警戒している様子もない。
ベルはそれを見ながら、ただ静かに時間を過ごしていた。
「それにしても……すごいですね」
「何が?」
「魔王核討伐数です」
「あー……マリーナさんやアルティシアも興奮してたよねー」
「誰だって興奮しますよ!だって……昨日でもう108体ですよ?」
ミリィは身を乗り出し、カップをそっとテーブルへ置いた。
「魔王核を消滅なんて、ベルさん以外誰もできませんもの」
ベルはストローをゆっくりと回しながら、窓の外へ視線を投げる。通りを行き交う人々は、何も知らないまま笑っていた。
「あいつ、1000体全部倒すってはりきってるもんねー」
言葉は淡く、まるで天気の話でもするような響きだった。
ミリィはすぐに首を振る。
「もう!すごいことなんですよ?もっと驚いてください!」
ベルは少しだけ目を細める。
「驚いてるって、これでも」
ガラス越しの光が、テーブルの上で静かに揺れていた。
「...私は何も...してないけどね」
その一言だけが、やけに軽くカフェの空気に落ちる。
外では、変わらない日常だけが続いていた。
「半年で100体……5年あれば1000体、倒せ……ますね」
ミリィは指を折りながら計算するように呟いた。
ベルはストローを軽く回し、氷の音を鳴らす。
「12体は誰が持ってるかも、わかってるし」
窓の外では、変わらない日常が流れている。
ミリィは小さく息を吐いた。
「決して無理ということも、なくなってきましたね」
その言葉に、ベルは特に反応を返さないまま、ただカップの中を見ていた。
「魔王を1000体倒したら……どうなるんだろうね?」
ベルはカップの中の氷を揺らしながら、ふとした調子で呟いた。
ミリィは一瞬きょとんとし、それから少し考えて答える。
「え……?平和に……なるのでは?」
「そーかなー……?魔王がいる今も、そんなに困ってることないと思うんだけど」
ベルの言葉は軽く、どこか現実感の薄い響きだった。
ミリィはそこで言葉に詰まる。
「そ、それはたしかに……」
カフェの外では、人々が笑いながら通り過ぎていく。
平和そのものに見える風景の中で、二人だけがほんの少しだけ、答えのない問いを置き去りにしていた。
「なんか気になるんだよね……どうして1000体の魔王を封印した勇者様は、どうして倒さずに封印したのかなー、とか」
ベルはカップの縁を指でなぞりながら、曖昧に空へ視線を投げた。
ミリィは少しだけ間を置いてから、現実的な声で答える。
「それは単に……ベルさんと違って、魔王核を消滅させられないから、では?」
「それもたしかにあるかもだけど……でも1000体も封印できるなら、相当強いでしょ?」
ベルの言葉に、ミリィは一瞬だけ言葉を選ぶように黙る。
カップの中の氷が、小さく音を立てて崩れた。
「……そうですね。普通に考えたら、倒すより封印のほうが難しい場合もありますし」
ベルはそれを聞いても、特に納得した様子もなく、ただ窓の外を見る。
人の流れは変わらず、何事もないように続いていた。
「じゃあ、なおさら変だよね」
その一言だけが、静かなカフェの中に落ちた。
「勇者に関する伝承は実は意外と少ないんです……」
ミリィはカップを両手で包みながら、少し声を落とした。
「全魔王を封印なんて……すごいことしたのに?」
ベルはストローを止め、わずかに目を細める。
ミリィは頷く。
「英雄の方がまだ、逸話も伝承もたくさんあるくらいで」
窓の外では、人の流れが途切れず続いている。
ベルはしばらく黙ったまま、カップの中を見つめていた。
「今度、勇者のこと、アルミナにでも聞いてみようかな……」
その言葉に、ミリィの耳がぴくりと動いた。
「……例の北大陸の方、ですか?」
露骨に機嫌が曇る。
ベルはその表情を見て、小さく首をかしげる。
「……まだ怒ってるんだ?」
「……別に……怒ってないです」
だが声は明らかに冷たい。
北大陸から戻って一部始終を聞いて以来、ミリィはアルミナを含む北大陸側に対して、いまだに納得していない部分があるらしい。
ベルは視線を落とし、ふとミリィの手を取った。
「それにしても……両手の傷、跡も残らなくてよかったね」
ミリィは少しだけ視線を逸らす。
「骨も折れてたので……しばらく不便でしたけど」
ベルは静かに息を吐く。
「ミリィが怪我させられたって聞いた時のあいつったら……久々に本気で怒ってたんでしょ?」
その言葉に、ミリィの頬がわずかに赤くなる。
「……大袈裟なんですよ。門〈ゲート〉を破壊してでもクレタさんをぶっ飛ばすって……みんなで宥めるの大変だったんですから」
ミリィがため息をつく。
ベルは小さく目を細めた。
「その節は……あいつがご迷惑をおかけしました」
ミリィは慌てて首を振る。
「い、いえ!あれはもう……結果的には助かりましたし……」
「それで……そのクレタ、さんは?」
ベルが何気なく尋ねると、ミリィは少し困ったように笑った。
「それが……仮釈放となってから、本人のたっての希望で……私の実家で、お父様のお抱え騎士に、なりました」
「え……」
ベルは一瞬だけ言葉を失い、それから目を瞬かせる。
「ほんと……なんでそんなに懐いちゃったのかな……?」
ミリィも肩をすくめながら苦笑する。
「でも……パティからの手紙によると、真面目にお仕事してるそうですよ」
ベルはカップを揺らしながら、小さく息を吐く。
「それは……元剣聖がいるんじゃ、ねぇ……」
窓の外では、相変わらず平和な通りが続いていた。
「ベルさんが言ってましたけど……魔王核が30個を越えたあたりから……魔王核に遭遇する頻度が増えてるって……」
ミリィの声は、少しだけ慎重だった。
ベルはストローを止める。
「なんか……そうらしいよね。最近じゃ行く先々で、探そうとしなくても、あっちから近寄って来てるんじゃないかって」
「……それも、すごい話ですね」
空気がわずかに重くなる。
ベルは一度息を吸い、言葉を続けようとした。
「実家の話も出たことだし...元剣聖と元騎士団長、それにパティとクレタもいるなら申し分ない」
ベルは自分に言い聞かせるように呟き、深呼吸し、そしてー
「それで……ね?この先、もっともっと危険になるから……」
その言葉は途中で遮られる。
「絶対……嫌です」
「……まだ何も……」
「私に……実家に帰れと……言いたいんですよね?」
ベルの言葉が止まる。
ミリィはまっすぐにベルを見る。
「絶対、イ・ヤ・です!」
「ミリィ……この先どんなことになるか……」
「それでも!嫌なんです!」
声は強いのに、どこか震えていた。
カップの中の氷が、静かに音を立てて溶けていく。
「ミリィ……気持ちはわかるし、私だって離れるのは嫌だけど……でも」
ベルの言葉はそこで一度、途切れる。
ミリィは小さく首を振った。
「弱い私がこんなこと言うのは……わがままなのはわかってます……でも……お願いですから、一緒に連れて行って……ください」
声が震える。
視線が揺れ、溜め込んでいたものが零れそうになっている。
ベルは一瞬、言葉を失う。
「ミリィ……」
それ以上、続けられないまま、ただその名前だけが落ちた。




