3人目の英雄核保持者ー
ベルはそこで、思わずその姿を見つめた。
アラランの服装は軍人というより、どこか気だるい貴族のようだった。
胸元を覆う赤い布は簡素ながら目を引き、そこに銀の装飾がいくつも連なっている。首、手首、足首、そして腰にも細い金属の輪が巻かれ、動くたびにわずかに音を立てた。
下は透け感のある紺のズボンで、光の加減で色が揺れるように見える。
そして椅子の背後、壁に立てかけるようにして長い湾刀が一本置かれており、腰には短い湾刀が収められていた。
全身に刻まれた紋様は、顔にまで及び、うっすらと風の流れのような模様が肌に溶け込んでいる。
その姿なのに、本人は今にも眠りそうなほど気だるげだった。
ビビが小声でぼそっと言う。
「アラランも〜わたしのこと怒ってたりしないかな〜」
アラランはその声に反応する気もなく、椅子の背にさらに沈み込む。
「で……今日は何ですか……私は昼寝の途中なんですけど……」
アダラは部屋に入るなり、椅子に沈み込んだアラランを見て肩をすくめた。
「お前はほんとに寝てばっかだなー」
アラランは目を細めることもなく、気だるげに視線だけを動かす。
「やることやっていれば、文句を言われる筋合いもないでしょう」
淡々とした返答。
アダラはふっと息を吐き、軽く身体を起こして背伸びをした。
「王女とは言え、同じ遊撃隊隊長なわけですし」
アラランはゆっくりと瞬きをし、だるそうな声で続けた。
「それで、本日はどのような?」
アダラは腕を組み直し、軽く顎を上げる。
「前にも話したと思うけど、魔王殺しが来てくれたぞ」
その言葉に、アラランの細い瞳がわずかに鋭くなる。
空気が一瞬だけ変わった。
ビビが床に座ったまま、のんびりと手を振る。
「英雄核〜とってもらお〜よ。スッキリするよ」
その軽すぎる提案に、アラランは目を細める。
次の瞬間、胸元を片手で押さえながら、静かに言い切った。
「お断りします」
声は淡々としているが、その中には揺るがない拒絶があった。
アダラは片眉を上げたまま、軽く肩をすくめる。
「なんでだよ?」
その問いに、部屋の空気がわずかに止まる。
アラランは椅子にもたれたまま、ゆっくりと目を細めた。
「理由ですか……」
一拍置いて、淡々と続ける。
「英雄核は、私にとっては“力”です。失えば、家も、地位も、全部崩れる」
その声には焦りも怒りもない。ただ事実だけを並べている。
「それに……私は英雄核そのものは嫌いですよ。身体に馴染んだ毒みたいなものですから」
アラランは軽く息を吐き、視線を天井へ向ける。
「でも、それでも手放せば、私はただの没落貴族です」
そして視線を戻し、静かに言った。
「それは、もっと嫌ですね」
ビビは「ふーん」と気の抜けた声を出し、アダラは小さく舌打ちした。
アダラは表情をわずかに引き締めたまま、静かに告げる。
「わかってると思うけど、今のままじゃ、2年後には英雄核を抜き取られて死んじまう」
アラランはまばたきもせず、淡々と答えた。
「もちろん承知しています」
「それまでに……何とかできる保証あんのかよ?」
問い返すアダラの声は、少しだけ低くなる。
アラランはゆっくりと視線を動かした。
「そちらこそ、ビビのように英雄核を問題なく取り出せる保証があるのですか?」
「それは……」
アダラは言葉を詰まらせ、横目でベルを見る。
ベルは小さく息を吸い、視線を落としたあと、顔を上げる。
「……保証はない、みたいだけど……でも、なんとかする。と思う」
その曖昧で、それでも真っ直ぐな言葉に、アラランは小さくため息をついた。
「……せめて、なんとかできる方法が決まってから言ってくれませんか?」
アダラは苦い顔で頭をかいた。
「それについては……私らが悪いかもしんねぇけど」
ベルはすぐに首を横に振る。
「大丈夫。あいつがなんとかするって言ったなら……絶対なんとかする」
その言葉に、アラランの目がわずかに細くなる。
「それが身内贔屓じゃなきゃいいんですけどねぇ」
軽い皮肉。
アダラは一歩前に出て、真剣な目を向けた。
「できるようになったら……やってくれるか?」
空気が少しだけ重くなる。
アラランはしばらく沈黙したあと、静かに答えた。
「やりませんよ」
即答だった。
アダラの眉が動く。
「アララン……」
アラランは指を軽く組み替えながら、まるで当然のことのように続けた。
「1、2年以内に、英雄核を完全覚醒させる。2、英雄の子を産む。3、将来の資質を見せる」
眠たげな目のまま、淡々と言い切る。
「ま、1つくらいなんとかなるでしょ」
ベルは小さく眉を寄せた。
「けっこー……大変だと思うけど」
アダラは腕を組みながら、天井を見上げる。
「そこはなぁ……」
ビビも床に座ったまま、のんびりと頷いた。
「それはね〜」
ベルの表情がわずかに強張る。
「もしかして……」
アラランは間を置かず、あっさりと言い放った。
「最悪、魔王殺しの子を孕めばいいだけだ。簡単なことさ」
「やっぱり……」
ベルは小さく息を吐く。
アダラも肩をすくめる。
「ま、そうなるよな」
ビビも悪びれもなく笑った。
「なるなる〜」
その空気の軽さに、ベルはわずかに眉をひそめる。
「でも……なんでみんな、あいつの子供を欲しがるの?英雄が生まれる保証なんてないのに」
その一言に、空気が一瞬だけ変わった。
ビビ、アダラ、そしてアララン。
三人が揃って、ベルを見る。
意外そうな目だった。どこか理解できないものを見るような、静かな驚き。
アラランは、ベルの言葉を聞いた瞬間、ほんのわずかに目を細めた。
「おまえ、本気で言ってるんですか?」
ベルは一瞬戸惑いながらも、こくりと頷く。
「え?……は、はい。本気だけど」
アダラは腕を組み、しばらく目を閉じたあと、静かに息を吐いた。
「なるほど……そういうことか」
ビビも小さく頷きながら、どこか納得したように呟く。
「……わかって〜なかったんだね〜」
ベルは少しむっとしたように眉を寄せる。
「わかってるよ。でも、強い人の子供だからって必ず強くなる保証なんてないでしょ?英雄になるかどうかなんて、わからないよ」
その言葉に、アダラはもう一度腕を組み直し、しばらく考えるように目を閉じた。
そして、ゆっくりと目を開く。
「わかったわかった。説明してやんよ」
少しだけ真面目な声音だった。
「生まれた子供が英雄になるかどうか、強いかどうかなんて、関係ねぇんだよ」
ビビが隣で、うんうんと頷く。
ベルは眉をひそめる。
「え……どういうこと?」
アラランが気だるげに視線を上げて、淡々と続ける。
「つまりは、史上で初めて魔王を殺した魔王殺し。その子供であったなら、生まれた時点で英雄なのです」
「……え?どうして?」
ベルの声には純粋な疑問しかなかった。
アダラは軽く肩をすくめる。
「1000年前じゃねぇんだ。魔王もいないこの時代に、英雄の強さが欲しいわけじゃない」
一度言葉を切る。
「英雄っていう“存在”が欲しいだけなのさ」
静かな部屋に、その言葉だけが落ちるように響いた。
ベルは小さく息を呑んだ。
「なにそれ……」
アダラは肩をすくめる。
「つまりさ、誰もが英雄だと思うなら、なんだっていいのさ。極端な話、人間でなくともな」
軽い調子のまま、しかし言葉は妙に重い。
「西大陸の民全てが“英雄”だと信じるなら……なんだってな」
ベルは目を見開く。
「そ、そんな……」
アラランは気だるげに視線を上げる。
「説得力だ。我々が求めるのはな」
短く、断定するように言った。
ベルはわずかに震える声で呟く。
「それじゃあ……プレレッサは一体何のために……」
その名に、空気が一瞬だけわずかに変わる。
アダラは目を細め、静かに腕を組んだ。
「一緒さ」
低い声。
「英雄核10個と、英雄の遺体。その上で英雄と同等の戦力を持つなら、それはもう英雄と呼んでもいい」
一拍置いて、淡々と続ける。
「あれはそういう実験だ」
ベルは唇を噛み、声を落とした。
「ひどい……あんまりだよ」
アダラは一度だけ視線を伏せる。
「わかってるさ……ビビ達の英雄核だって同じ。ひどい話さ」
アラランは椅子にもたれたまま、淡々と目を細めた。
「私にとっては、そうでもない。シュプリムにとってもね」
その言葉が落ちると、部屋の空気がさらに冷たくなる。
ベルは小さく息を吐きながら、ぽつりと続けた。
「だから……みんなあいつの子供を欲しがるのね……」
アダラは短く息を吐き、視線を天井へ向けた。
「そうさ。妊娠さえすれば、確実に英雄となれる子なんだ」
一度だけ間を置き、静かに言い切る。
「あいつは今、そういう存在なんだよ」




