ージット村の見送りー
ジット村。
小さな畑と、石造りの教会が佇む静かな村。
その傍らに建つ孤児院の前には、数人の子供たちが集まっていた。
年齢は六つから十歳ほどだろうか。
その瞳には不安の色が浮かび、
けれどどこか、眩しいものを見るような期待も混じっている。
子供たちは、旅装を整えた一人の少女をじっと見つめていた。
初めてこの村に現れた時、教会の鐘が鳴り響いた。
だから、彼女の名はベル・ジット。
この村で育ち、この村で名をもらった。
背中には小さな荷物。
首には、あの日と同じ真っ赤なスカーフ。
腰には赤いベルトを締め、その指には十本の指輪が静かに光を湛えている。
「ベル、本当に行っちゃうの?」
子供の一人が、縋るように小さな声を上げた。
ベルはその場にしゃがみ込み、子供と同じ高さまで目線を下ろす。
「うん。ちょっと、遠くまでね」
「すぐ帰ってくる?」
問いかけに、わずかな間があく。
「……ちゃんと、帰るよ」
ベルは笑った。
その笑顔には、いつもより少しだけ、自分に言い聞かせるような強がりが混じっていた。
教会の重厚な扉が、ゆっくりと開く。
そこから姿を現したのは、柔らかな金髪の女性だった。
くりくりとした髪に、愛らしいそばかす。
慈愛に満ちたその瞳の持ち主は、かつて村一番のお転婆と呼ばれた少女。
今は教会のシスターを務めるミーファ、二十一歳。
ベルと共にこの孤児院で育った、かけがえのない幼馴染だ。
ミーファは一歩ずつ、確かめるように歩み寄ってくる。
「……本当に行くんだね」
ベルはゆっくりと立ち上がった。
「うん」
二人の間に、一瞬の沈黙が落ちる。
共に野山を駆け回り、共に叱られ、共に涙を拭った日々。
積み重なった時間が、言葉にできない重みとなって空気に溶けていく。
ミーファは小さく息を吐き、大切そうに胸元から一通の封筒を取り出した。
清らかな白の封には、教会の証印が刻まれている。
「これ、持っていきなさい」
ベルがそれを受け取り、不思議そうに小首を傾げる。
「なあに、これ?」
「各地の教会への紹介状よ」
ミーファの表情が、シスターとしての真剣なものに変わる。
「私が昔いた王都の教会に、南の港町、それに山側の修道院……。
私の知り合いには、一通り連絡を入れておいたわ」
ベルは驚きに目を見開いた。
「えっ……」
「情報が欲しいなら、まずは各地の教会を回りなさい。そこにはアリス様の印が押してある。少なくとも、門前払いを食らうようなことはないはずよ」
ミーファは少しだけ、誇らしげに口角を上げた。
風が吹き抜け、ベルの赤いスカーフが激しくたなびく。
ミーファはさらに一歩歩み寄ると、
慈しむように、ベルの額へ軽く指先を当てた。
「一人じゃないよ。この村も、私も。
私たちは全部、あんたの味方なんだから」
ベルの瞳が、熱を帯びて揺れる。
「……ありがと」
その言葉を合図にするように、子供たちが一斉に駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、行っちゃうの?」
「お土産忘れないでね!」
「帰ってきたら、また絶対遊んでよ!」
ベルは再び腰を落とし、子供たちの頭を順番に、優しく撫でていく。
「ちゃんと強くなって帰ってくるから。
それまでみんなで、この村を守っててよ?」
子供たちは、弾かれたように元気よく頷いた。
「ベル」
静かな、けれど通る声。
ベルが振り返ると、ミーファがそこに立っていた。
その声は、わずかに震えているようにも聞こえる。
「無理はしちゃダメよ。……でも」
一瞬だけ、かつてのお転婆娘だった頃の顔に戻って。
「帰ってくるって言ったなら、這ってでも絶対帰ってきなさい」
ベルは、今日一番の笑顔で答えた。
「うん!」
そして、決然と村の出口へ向かって歩き出す。
背中に受ける子供たちの賑やかな声、そしてミーファの温かな視線。
見送る者たちの体温を、その背中に刻みつけるように。
ベルは一度だけ振り返り、大きく手を振った。
「行ってきます!」
始まりを告げるように、ジット村の教会の鐘が、
高く、清らかに鳴り響いた。




