ージット村の見送りー
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※本作は、序盤は二人の旅立ちを丁寧に描く構成となっております。本格的なバトルや逃走劇は第3話以降から加速しますので、ぜひそこまでお付き合いいただけると嬉しいです!
豊かな緑に抱かれた小さな畑と、歳月を感じさせる石造りの教会が静かに佇むジット村。
その傍らにひっそりと建つ孤児院の前に、数人の子供たちが集まっていた。
六つから十歳ほどの幼い彼らの瞳には、得体の知れない別れへの不安と、同時にどこか眩しいものを見上げるような期待の色が入り混じっている。
子供たちの視線の先には、長旅に備えた出で立ちの少女が一人、静かに立っていた。
彼女が初めてこの村に姿を現した日、教会の鐘が高らかに鳴り響いたという。
ゆえに与えられた名は、ベル・ジット。
この穏やかな村で育ち、この村で名を得た彼女の背中には、必要最小限の小さな荷物が背負われている。
首元に巻かれているのは、あの日と同じく鮮やかな真っ赤なスカーフ。腰に締めた赤いベルトが引き締まった身体のラインを際立たせ、両手の指にはめられた十本の指輪が、朝の光を受けて静かに、そして神秘的な光を湛えていた。
「ベル、本当に行っちゃうの?」
不安に耐えきれなくなったのか、子供の一人が縋るような細い声を上げた。
ベルは嫌な顔ひとつせずその場にしゃがみ込み、幼い子供と同じ高さまでゆっくりと目線を下ろす。
「うん。ちょっと、遠くまでね」
「すぐ帰ってくる?」
無邪気な問いかけに、ベルの言葉がわずかに詰まった。ほんの一瞬の、ためらいの間。
「……ちゃんと、帰るよ」
ベルは安心させるように柔らかく笑った。しかしその笑顔の裏には、いつもより少しだけ、自分自身に言い聞かせるような微かな強がりが滲んで見える。
その時、教会の重厚な木扉が軋み音を立ててゆっくりと開いた。
薄暗い堂内から姿を現したのは、柔らかな金髪を揺らす一人の女性だった。くりくりとした癖のある髪に、鼻梁に散る愛らしいそばかす。
慈愛に満ちた穏やかな瞳を持つ彼女は、かつて村一番のお転婆と名を馳せた少女の面影をどこかに残している。
今は教会のシスターとして村人たちから慕われるミーファ、二十一歳。ベルと共にこの孤児院で寝食を共にし、同じ時を刻んできた、かけがえのない幼馴染である。
年齢の割にはとても背が低く、子供達よりさらに小柄で華奢だ。だがその眼光は力強い。
ミーファは別れの事実を一つひとつ噛み締めるように、ゆっくりとした足取りでベルへと歩み寄った。
「……本当に行くんだね」
ベルは子供たちから視線を外し、静かに立ち上がって親友と向き合った。
「うん」
短い返答のあと、二人の間にどこか心地よい、けれど切ない沈黙が落ちた。
泥だらけになって野山を駆け回り、大人たちに揃って叱られ、悲しい夜には寄り添って共に涙を拭った遠い日々。積み重ねてきた濃密な時間が、あえて言葉にする必要のない重みとなって、朝の澄んだ空気の中へと溶け込んでいく。
やがてミーファは小さく息を吐き出すと、修道服の胸元から大切そうに一通の封筒を取り出した。清らかな純白の封には、厳格な教会の証印が深く刻み込まれている。
「これ、持っていきなさい」
差し出された手紙を握り、ベルは思いがけない贈り物に不思議そうに小首を傾げた。
「なあに、これ?」
「各地の教会への紹介状よ」
先ほどまでの幼馴染へ向ける柔らかな表情が消え、ミーファの顔つきがシスターとしての真剣で凛としたものへと変わる。
「私が昔いた王都の教会に、南の港町、それに山側の修道院……。私の知り合いには、一通り連絡を入れておいたわ」
その言葉が意味する労力と厚意に、ベルは驚きのあまり目を丸くした。
「えっ……」
「情報が欲しいなら、まずは各地の教会を回りなさい。そこにはアリス様の印が押してある。少なくとも、門前払いを食らうようなことはないはずよ」
頼れる姉のように、ミーファは少しだけ誇らしげに口角を上げてみせた。
不意に強い風が吹き抜け、ベルの首元の赤いスカーフが炎のように激しく空にたなびく。
ミーファはさらに一歩距離を詰めると、まるで祈りを捧げるかのように慈しみを込めて、ベルの額へとそっと指先を当てた。
「一人じゃないよ。この村も、私も。私たちは全部、あんたの味方なんだから」
その温もりと力強い言葉に、ベルの瞳がたまらず熱を帯び、かすかに揺らいだ。
「……ありがと」
絞り出すような感謝の言葉。それを待ち構えていたかのように、周囲を取り囲んでいた子供たちが一斉にわっと駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、行っちゃうの?」
「お土産忘れないでね!」
「帰ってきたら、また絶対遊んでよ!」
ベルは再びゆっくりと腰を落とすと、自分を取り囲む小さな頭を一つひとつ、愛情を込めて順番に撫でていった。
「ちゃんと強くなって帰ってくるから。それまでみんなで、この村を守っててよ?」
涙ぐみそうになるのをこらえながら、子供たちは弾かれたように力強く、元気よく頷きを返した。
「ベル」
喧騒を縫うように響いた、静かで、けれどよく通る声。
ベルが振り返ると、背筋を伸ばしたミーファがそこに立っていた。真っ直ぐに見つめてくる彼女のその声は、どこかこらえきれずにわずかに震えているようにも聞こえる。
「無理はしちゃダメよ。……でも」
その瞬間、シスターとしての顔が崩れ、かつての泥だらけで笑い合っていたお転婆娘の素顔が覗いた。
「帰ってくるって言ったなら、這ってでも絶対帰ってきな!」
ぶっきらぼうな、けれど最大の愛情が込められたエールに、ベルは今日一番の、雲一つない満面の笑顔で力強く頷いた。
「うん!」
そして踵を返し、決然とした足取りで村の出口へと向かって歩き出す。
背中に絶え間なく浴びる子供たちの賑やかな声援と、ミーファの温かな祈るような視線。いつまでもそこにある見送る者たちの体温を、自身の背中に深く刻みつけるようにして。
村境に差し掛かったところで、ベルは一度だけ振り返り、空に向かって大きく手を振った。
「行ってきます!」
新たな旅の始まりを祝福するように、ジット村の教会の鐘が、どこまでも高く、清らかな音色を朝の空へと響かせた。




