花嫁と鬼神【壱】
まるで、巨大な迷路だ。社の中を案内されながら、私は余りの広さに驚愕する。一度でも迷子になってしまったら、其の場所から出る事が出来ず、永遠に彷徨い続けてしまいそう……考えただけでも、背筋がゾッとした。
隣を歩いている女中の方は、鬼神に仕えていると云うだけあって迷う事なくスタスタと足を進めて先を行く。その横顔をチラッと見れば、私は流石だと思った。
「……ひ、広い。迷路みたい」
「ふふ、そうでしょう? 本当に迷路みたいで、あたくしも此処にお仕えして最初の頃は御社の広さに驚きましたし……其れに、よく迷子になっていましたわ」
無意識の内に、思っていた事が自然と口から出ていたみたいだ。女中の耳には私の言葉が確りと聞こえていたらしく、彼女はクスっと小さく笑い、自分も過去に社の中で迷子になってしまったと云うエピソードを、面白可笑しく話してくれる。
声が出てしまっていたと云うのは少々恥ずかしかったが、唯黙々と案内をされるよりは、些細な事でも、何かちょっとした話題があった方が楽しくなる気がした。面白可笑しく話してくれた彼女に便乗する事にして、私は「そうなんですか」と、相槌を打てば会話を広げていこうと考える。
「女中さんでも、迷子になったりしていたんですね」
今の彼女を見ていると、その様な姿を想像する事が出来ない。着物の着付けもプロ並みの領域に達していて、動きの一つ一つにも一切の無駄が無く、真面目でしっかりとした印象を受ける。私よりも歳下(前世の方だと恐らく外見年齢的に私の方が歳上)なのに、純粋に凄いと思ったのだ。そんな彼女でも、迷子になっていた過去があるのだから、鬼神の社の広さは半端じゃあないのだろう。
「……大変御恥ずかしい話ですが、そんな時期も有りました」
空いている片手を頰に当て、女中は頰を微かに紅らめながら、困った様に苦笑する。そんなに恥ずかしがらなくても良いのに、しっかり者の彼女にもそんな過去があった事を知り、私は寧ろ親近感が湧いていたのだ。
私が今より、もう少し大人だったなら、彼女とは『鬼神の花嫁』と『女中』と云う堅苦しい関係では無く、もっと別の––––––––例えるならば、“友人”になれただろうか。
繋がれた私の手は、女中の大きな手によってスッポリと隠れてしまっている。子供の身体は便利だ。疲れていても、次の日には大分元気になっているし、大人達に甘やかして貰える。嫌な仕事なんて無く、守ってくれる人がいる。背が低く、弱っちい事を除けば意外と悪い点はない。
けれど、今はちょっぴり、自分の子供の身体を恨めしく思うのだ。
***
「花嫁様、そろそろ休憩に致しましょうか」
「…………」
疲れた。
多分、まだ社内の半分も案内されていないだろう。今日だけで案内された場所は、確か書庫と昨日儀式を行った『桜花の間』、使用人達が使う部屋となっている『菊月の間』と、食事を作る厨房に湯浴みをする場所等……なんか他にも色々案内された筈だけど、途中から段々疲れてしまい、何処を如何案内されたのか、詳しくは覚えていない。
体力は子供にしては割とある方なのだが、社内は広い上に構造がかなり複雑で、一つの場所との距離が離れている。子供の身体でなくとも、大人でもかなりキツいだろう。
「……そ、そうね、休憩にしましょう」
「では、中庭の方に御案内します。今の時期は庭の花達が、丁度見頃となっております故、とても綺麗なのですよ」
彼女にそう言われれば、中庭をまだ案内をされていない事に気が付いた。ずっと室内ばかりを案内されていたので、社の敷地内とはいえ、外に出られるというのは嬉しい。
結構疲れてヘトヘトの状態だったのだが、私は見た事がない中庭と花を想像するだけで、何だか気分が上がってしまい、隣を歩く女中よりも足は自然と速くなり、パタパタと駆け出していた。
「は、花嫁様! お待ち下さいませっ」
大まかにではあったが、中庭の場所が何処にあるのか道中、少し聞いていた。自力で行けるかもしれないと思考するも、普段着慣れない着物姿だった事もあり、動きにくく、思っていたより速く走る事が出来なくて、後ろから走って来た女中に直ぐ追いつかれてしまい、私はあっさり捕獲されてしまう。
「そ、其処までお急ぎにならなくとも、花は逃げたりしませんから……」
ガッチリと両手で私の腰を『逃がさん』という様に抱え、肩で息をしながら台詞を言う彼女。対する私の方も、疲れている中走ったせいで、一歩も動けない……否、動きたくなかった。足も痛いし走ろうと思っても、もう無理だろう。結局私は女中に背負われる形で、中庭に移動をする事になってしまった。
かなり恥ずかしい。
「ふふ、花嫁様は意外とお転婆な面もあるのですね。子供にしては、随分と大人びた態度を取っていらっしゃいましたから、少々驚きました」
「ご、御免なさい。庭の花が気になってしまって……」
「謝る必要など御座いません。可愛らしい一面を見る事が出来、あたくしは嬉しかったのですから」
背負われているから、彼女がどんな表情をしているのかを見る事は出来なかったけど、その声と背中はとても温かく、言葉はとても優しいものだった。