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第一章 不平等談義

 ホンウィは一瞬、自身の耳を疑った。

 この若さにして、本当に耳が遠くなったかおかしくなったかと、本気で心配した。

「……今……そなたは何と申した? 領議政ヨンウィジョン

 意識まで飛びそうになるのを、どうにか現実に踏み留まる。辛うじて問いただした声は、自分の発したそれであるのに、どこか遠くから聞こえた。

「殿下には、しばしまつりごとから身を引いていただきたいと、お願いいたしました」

 無情にも、ファンボ・インの口から、同じ言葉が繰り返される。

 だが、それが却って、ホンウィを正気づけた。

「……なるほど。私に在位最短記録を更新せよと申すか。いい度胸をしておるな、領議政」

 鼻先で笑って返す。

「ここまでで、王位に就いた者は、私を含めて六人……その中で、最も在位が短かったのは、二代目・恭靖王コンジョンワン殿下の二年二ヶ月か。しかし、在位わずか八日で、臣下に退位を迫られる王など、この先も出るまい。何とも名誉なことだ」

 しかし、インも顔色を変えずに言った。

「殿下。我々は、殿下に位を退いていただきたいなどとは申しておりませぬ。そのように恐れ多いことは決して、考えてもおりません。ただ、しばし政を我々大臣にお任せいただき、殿下は一歩下がって静観していただきたいのです」

「それは、私の年齢ゆえか」

「それも、理由の一つでございますが」

「無礼な!」

 インの言上を遮るように叫んだのは、右参賛ウチャムチャンのイ・サチョルだ。

「確かに、殿下の年齢は幼うございます。しかし、それゆえに大臣に政務を任せよとは、領議政様とは言え、あまりに出過ぎた物言いですぞ!!」

「では、どうされよと?」

 インが、静かに問い返す。

「こういう時は、垂簾スリョン聴政チョンジョンを実施するが慣例でございます」

「だが、殿下にはお母上も祖母上もすでにおられぬではないか」

「何を仰います。確かに、殿下には母君も祖母君もご他界済みだが、貴人クィイン様がおられるではありませんか」

 ここで口を開いた左賛成チャチャンソン韓確ハン・ファクの言ったことに、ホンウィはかすかに眉根を寄せる。

 しかし、自分たちの議論に集中し始めた大臣たちは、もう誰一人こちらを見てはいない。

「左賛成こそ何を言われる。貴人様は確かに先王殿下のご側室であられた。だが、それだけではないか。先王殿下のご側室が垂簾聴政をなさるなど、聞いたこともない!」

 インもその例に漏れず、もうホンウィを気にすることなく反駁し、ファクも同様に言葉を継ぐ。

「確かに、貴人様はご側室です。だが、存じておりましょう。母君を生後一日で亡くされた殿下に乳を与えたのは、ほかならぬ貴人様です」

「左様です。それだけではなく、先王殿下の王妃様が亡くなられたあと、正式にその地位に就くことこそなさらなかったが、実質、王妃として内命婦ネミョンブを取り仕切って来たのも、貴人様……いえ、内宮ネグン様ですぞ」

 ここぞとばかり、サチョルも援護射撃した。

「よって、内宮様には充分にその資格があるものと存じます。殿下、いかがでしょう」

「なりません、殿下!」

 透かさず、ホンウィに向き直ったインが遮ろうとする。

「垂簾聴政は、本来代々の正妃にのみ与えられた権利。となれば、いくらその役を果たしていたとは言え、貴人様にその権限を与えることは、慣例と法に反します」

「左様です」

 口を添えたのは、キム・ヂョンソだ。

「先代、先々代の王妃様がお亡くなりの今、政務はしばし、大臣が預かるが道理。ここは、我々にお任せくださいませ、殿下」

何故なにゆえ、私が政務を離れることが前提なのだ」

「は?」

「先刻、そなたたちは、私の批答ピダプに対する回答がそれだと申したな。年齢以外にも理由がありそうだ。詳しく説明してみよ」

 冷えた声音で淡々と問いながら、ホンウィは行儀悪く膝に頬杖を突いた。

「それでは、恐れながら申し上げます。殿下」

 臣下を代表するのは、その地位からして当然なのか、インが頭を下げて握った両の拳を床へ付ける。

 ホンウィが政務を離れるというその一点では、すべての者が同意しているらしい。インが口上を述べようとするのを、先程まで彼らと言い争っていた、サチョルやファクも、止めようとしない。

「殿下は、先の御前会議にて、身分・性別を問わず、すべての人間は皆平等だと仰いました。殿下ご自身も、奴婢でさえ、等しく皆、一人の人間だと」

「ああ。確かに申したな。その通りではないか」

「それに対して、我々は上疎を上げました。そのようなお考えは、身分秩序や男女の別を乱し、延いては国の根幹を揺るがすものだと。伏して、お考えを改めていただけるようにと。その上疎の数は、殿下もご覧になったはずです」

「確かに見たな。どういう嫌がらせかと思ったが」

 半分、冗談のように吐き捨てると、「殿下!」とインが険しい表情で顔を上げた。

「今一度、直接、命を懸けて申し上げます。どうか、そのお考えは捨て、奴婢は財産と、人はそれぞれ生まれ持った身分をわきまえるべきとお認めくださいませ。周易にも、男は天であり女人にょにんは地、男は貴尊であり女人は卑賤とあります。能動的に動くのは男の役目であり、女人は本来何も考えずただ男に従っていればよいものですから、医女が御医オウィのすることに反論証言など、できるものではございません。奴婢についても同様です。卑しい者の言葉など、お聞きになる必要はないのです」

「どうか、考えをお改めください」

「どうか、考えをお改めください、殿下ー」

 どうか考えを改めろ、の斉唱をしながら頭を下げ始めた大臣たちを見ながら、ホンウィは唇を噛み締めていた。膝に置いた拳を、掌に爪が食い込むほど握り締める。

 そうしないと、叫び出しそうだった。

 そういう考えが、そもそも父の死を招いたとなぜ分からないのか、と。

 しかし、叫んだら最後だ。

 口に出したら、それはどういう意味だと質されるに違いない。そうしたら、非公式のチョン・スヌィの証言まで話さなくてはならなくなる。

 けれども、スヌィを呼び戻したところで、彼がこの場でこちらが求める証言をするはずもない。そうしたら、はっきりとした証拠もないのに叔父を裁くのかと、またぞろ上疎がてんこ盛りになるだろう。

 てんこ盛り上疎攻撃くらい、怖くはない。

 一番怖いのは、父の死の真相がこのまま永遠に葬られることと、不公正な裁きが最終裁可になってしまうことだ。

(……それだけは嫌だ)

 自身の治世で、身分が低いゆえに泣く者を、決してそのままにしておきたくない。

 父の治世も祖父の治世も、その先代の世も分からない。ホンウィのあとの王の治世も、多分ホンウィが知ることはないだろう。

 だが、せめて自分が治める間だけでも、身分や性別が理由で理不尽な思いに泣いたり、苦しんだりする民を出したくなかった。

 目を閉じれば、たった一度会っただけのヒョンソンの顔が浮かぶ。話をしたこともなかった医女や軍士クンサたちの死に顔も――スヌィが、特権階級層の人間すべてを憎む表情も。

 死んだ者も、スヌィの憎しみも、両班ヤンバンや王族が、平民以下の身分の人間を自分たちより下に見て、何をしても許されると思い上がった結果、生まれたものだ。そして、友を殺されたヒョンソンや、ほかの遺族の悲しみも。

(身分が低ければ……人間じゃないってのか? 女は意思のない人形だって?)

 それがまず、どうしても納得できない。

 相手が人間でなければ、こともあろうに法で人間でないと定められていたら、何をしても許されるのか。たとえば、人殺しを迫っておいて、その罪を一人でかぶれと命じることさえも。

首陽スヤン、叔父上。あんたは何で……そんな残酷なことを言えたんだ?)

 そんな残酷なことを考え、実行できたのがあの叔父だというのが、ホンウィには未だに信じられなかった。

 いつしか、大臣たちの斉唱はやんでいた。いや、やんでいるとホンウィが錯覚していただけで、実際はやんでなどいない。

 けれど、ホンウィはおもむろに立ち上がり、きざはしを下りる。

 すると、大臣たちはパタリと静かになった。

「……殿下?」

 訪れた静寂の中、口を開いたのは、インだったのか。

 だが、確認する気にもなれないホンウィは、構わず大臣たちの間にできた道を進む。

「殿下、お待ちください!」

 そう言われて、ひとまず足を止めた。

「……何だ」

「どうかお聞き入れください。人には生まれ持った身分があり、男には男の、女人には女人のなすべき役割と道がございます。それは、いくら殿下でも変えられるモノではないのです。ご理解ください」

「ならば訊くが、奴婢は人ではない、と?」

「当然です。奴婢は家や官公庁の財産です。人の形をしてはいますし、言葉も通じます。ですが、あれらは道具です」

妓生キセンがよい例でしょう。あれらは、解語花ヘオファと呼ばれております。言語を解する花の意――つまり、人間の女人ではないのですから」

 そう言ったのは、別の声だ。インではなく、チョンソでもない。

 だけれど、どうでもよかった。

「……それを、認めろと?」

 問うと、明らかにホッとしたような声音で、「左様でございます」とインが答える。

「殿下は、まだ幼うございますから、間違うこともございましょう。ですが、ご自分に失望したり、恥じる必要はございません。その都度、我らが道を正して差し上げますゆえ、安心して我らの申す通りに歩まれませ。我ら大臣一同が、全力でお支え申します」

「全力でお支えいたします、殿下」

 しかし、「それについては是非もありませぬが、領議政様」とサチョルが遮った。

「やはり、政務をすべて、我々大臣が預かるのは出過ぎたことかと存じます」

「だが、そなたらの推す貴人様……いや、内宮様は、どこまで行ってもご正妃ではない。実質的な身のあり方と現実とは、あくまで切り離して考えねばならぬ。ゆえに、垂簾聴政の権限はありませぬぞ」

「その件に関してだが」

 ホンウィが口を挟んだことで、大臣たちは一斉にこちらを注視する。

「理屈は理解している。されど、私としては内宮様に垂簾聴政を頼むのは、些か気が進まぬのだ」

 些かどころではなく、全力で気乗りしない。けれども当然、大臣たちはそんなことには気付かない。

何故なにゆえでございます」

 『心底分からぬ』と顔全部で言いながら、サチョルが眉尻を下げた。

「内宮様は、殿下の乳母でございます。言わば、母君もご同然。母君をまさか、おいといでございますか?」

「母というなら、私にはむしろ、惠嬪ヒェビン様のほうが近いのでな。彼女ではならぬのか?」

 惠嬪こと、ヤン・ヨジンが垂簾聴政を引き受けてくれるなら――彼女が傍にいるなら少しはマシだ。色々と頼りにもなる。

 だが、途端大臣たちは色めき立った。

「惠嬪……様、ですと!?」

「ご冗談でしょう!」

「左様です! 確かに惠嬪様は世宗大王殿下のご寵愛厚く、お人柄も格別とは存じますが、あの方は女官上がりではございませぬか!」

「その通りです、殿下! 引き換え、内宮様は後宮フグン揀擇カンテクにて入宮された、先代王殿下の正式なご側室で、しかも名家のご出身です!!」

 後宮揀擇とは、側室を選ぶ為の審査のことである。

「その上、内宮様は、殿下に乳を差し上げた功績もございます」

「ならば、惠嬪様はどうなるのだ。我が祖父上のご側室で、祖父上が直々に私の養母にとご命じになった。それを受け、私を我が子同然に面倒を見てくだされたのだぞ。百歩譲って、その功績はなかったこととしよう。だが、そなたたちは、祖父上の御命までも軽んじるのか」

 惠嬪の出自や身分がどうのとピーチク騒いでいた大臣たちは、最後の一文で水を打ったように押し黙った。

 さすがに、今本人がすでに亡いとは言え、名君と謳われた世宗のめいを軽んじる、という言葉に、『はい』と返す度胸はないらしい。

 ホンウィは、これ見よがしな溜息を挟んで言葉を継いだ。

「……とにかく、今日の夕刻会議の議題は、あくまでもチョン・スヌィ御医以下、先王殿下の担当医師団とカン・メンギョンの処遇についてだ。その件については一段落したゆえ、それ以外については後日としたい」

「では、殿下。どうか、垂簾聴政の件だけでもこの場でご承諾を」

「いえ、殿下。それはなりませぬ。どうか政務は我々大臣にお任せを」

「この場で返事をせねばならぬのか」

 やや苛立った声音で言うと、ビクともせず「是非に」と答えたのは、やはりインだ。

「時に皆、このあとの予定は?」

「は?」

 欲しい回答から明後日に外れまくった答えだった所為か、インが間抜けな声を漏らす。

 ほかの大臣たちも、声こそ出さないが、皆一様に、唖然と口を開いていた。

 だが、ホンウィは構わず問いを重ねる。

「聞こえなかったのか。このあとの皆の予定を訊ねておる」

「え、あ、あの、殿下。それは如何いかなる……」

「先の質問を忘れたわけではないから、とにかく答えよ」

 インの目を、ヒタと見据えると、彼はオタオタと視線を外した。

 ほかの者も、それぞれに床を見つめたり、近くの者と顔を見合わせている。

「誰から答えればよいか分からぬのなら、私が順に訊こう。まず領議政。そなた、このあとは何をする予定だ」

「あ、その……恐れながら、このあとは議政府ウィジョンブに戻って本日の残務を簡単に片付けたら、帰宅致します」

「なるほど。寄り道はせぬということかな」

「はい」

「左様か。では、次。左議政チャウィジョンはどうする予定だ?」

「……恐れながら、殿下。わたくしも大方似たようなものでございます」

右議政ウウィジョンや右参賛、左賛成らも、議政府勤務の者は大体同様か?」

「……は。仰せの通りにて」

 戸惑ったように、最初に名を上げられた所為か、右議政が床に拳を突いて答えた。

「なれば、の部署勤務の者も、大方似たようなものであろうな。もう酉時ユシの初刻〔午後五時〕まで二刻〔約三十分〕を切っている。これ以上帰宅が遅れれば外出禁止の刻限に引っ掛かる者もいよう」

「恐れ入りますが、殿下。一体何を仰りたいので?」

 やや苛立ったように眉尻を小さく震わせながら、サチョルがホンウィを斜に見上げた。それに流し目をくれて、ホンウィはクスリと小さく笑う。

「だったら、垂簾聴政に関しての返答を急ぐ理由はあるまい。一晩考えてもこの場で返事をしても、どうせ対応は明日以降のことになる」

「殿下! 恐れながら、返事を引き延ばしたとて、殿下が一度政務を退しりぞかれることに変わりありませぬ」

 サチョルが、身を乗り出すようにして膝行し、ホンウィを半ば睨み上げた。

「なれば、返答はお早めにされるに越したことはありませんでしょう。ご返事をグズグズと引き延ばすことで、政を停滞させることはあってはなりませぬ」

「そなた、私の話を聞く気がまったくないようだな」

 今度は呆れたような笑いを漏らし、ホンウィは腰を屈める。同時に、彼の耳に素早く手を伸ばし、痛くない程度の力で引っ張った。

 一杯に見開かれた彼の目と視線を合わせて、口を開く。

「聞こえておらぬ上に頭に残らなかったようだから、そなたに訊ねる。今ここで、たとえばそなたの望む通り、内宮様に垂簾聴政を任せることに決めたとする。しかし、それが効力を発揮して実行されるのは、いつのことだ。今日中か? それとも、明日の朝一か?」

「い、いえ……その」

 サチョルの目が、ウロウロと泳いだ。ホンウィはそんな彼の耳を、今度は力を入れて殊更引っ張る。

 すると彼は、歯を食い縛った。痛い、と言いそうになったのを、息を詰めるようにして堪えたのが、ありありと分かる。

「少なくとも、今日明日のことではあるまい。なれば、一晩考える時間をくれたところで、そなたたちが心底困るほど、政務が滞ることはないのではないか? ん?」

「ッ……、殿下……」

「どうなのだ、右参賛。私は何か、間違った、筋の通らないことを申しておるか?」

 キリキリと、言葉の区切りごとに、サチョルの耳を引っ張り続けてやる。すると、「殿下!」と脇から待ったが掛かった。

「恐れ入ります。その手を、どうか離してはいただけませぬか」

「何故、離さねばならぬ」

 冷えた声音で返しながら、声の主であるファクを横目で見据える。

「こうでもせねば、この者は私とまともに話をする気がなさそうなのでな。どうにも、私を王ではなく、単なる十歳そこそこの子どもと侮りまくっているらしい。ま、それはこの者に限らぬだろうが」

「殿下。右参賛様の非礼は、重々、このわたくし、ハン・ファクが慎んでお詫び申し上げます。どうか、此度だけわたくしに免じて、右参賛様のお耳を解放してはいただけませぬか」

「それは、詫びではない。これから詫びを申し上げるという表明だな。仮に詫びたとしても、それはそなたの詫びであって、この者の詫びではない。ゆえに、聞き入れられぬ」

「殿下! そのように子どもじみた戯れ言は、聖君に相応しき態度ではありませぬ。どうか」

「論点のすり替えはやめて貰おうか、左賛成」

 吐息と共に、投げるように言って、ホンウィはサチョルの耳を離した。

 サチョルは、はあっ、と覚えずといった様子で溜息を漏らし、耳に当てそうになって手を握り締める。

「さて、気になる痛みが消えたところで、もう一度訊くぞ、右参賛」

「……は……」

「垂簾聴政にしろ、大臣たちが執政を行うにしろ、今、この場で、私が決定を下さねば、明日からの政務に直ちに、深刻なほどに差し障るのか?」

「……いえ……」

「何も、五日も六日も考えたいなどと申しておらぬ。一晩時間をくれというのが、そんなに子どもじみた(・・・・・・)、自己中心的な考えか?」

「……滅相もないことです……」

 ホンウィは、再度、鼻先から吐息を漏らすように小さく笑って、屈めていた腰を伸ばした。

「ならば、今日の会議は解散ということでよいであろう。異存ある者はおるか?」

 室内を睥睨へいげいすると、その場にいる大臣は皆、残らず俯いて沈黙している。

 ホンウィは一つ肩を竦め、自身も無言のままその場をあとにした。


***


(……疲れた……)

 何度目かで、今度は長い溜息を吐きながら、ホンウィは思政殿サジョンジョンの広間を出た。

 もう少し気力に余裕があれば、ここで立ち去った振りで、このあと繰り広げられるであろう大臣たちの不平不満を盗み聞きしているところだ。けれど、今日はなぜか本当に疲れた。その疲れが、肩先と言わず頭と言わず、全身にのし掛かっているような気がする。

 無意識に首筋に手を当てて、頭を回しながら、まっすぐ康寧殿カンニョンジョンへ足を向けようとした。が、ふと思い留まる。

「……殿下?」

 急に足を止めたホンウィを不審に思ったのか、イム尚膳サンソンが声を掛けた。

「どうかなさいましたか?」

「いや……錦城クムソン叔父上か永豊ヨンプン叔父上はまだ、宮中においでか?」

「いいえ、殿下。お二人とも、私邸へお帰りになられました」

「そうか……」

「お呼びになりますか?」

「いや、構わぬ。じきに、外出禁止の刻限だ。お呼び立てしては、よりによって王族が法を破ることになる」

 平民以下の民の模範ともならなければならない王族が、率先して法を犯しては話にならない――と、続けてそこまで考えて、ハッとする。

「殿下?」

「……いや、何でもない」

 しかし、それより先を口に出すことなく、ホンウィは康寧殿への歩みを再開した。


©️神蔵 眞吹2019.

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