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第十六章 苦渋の選択

「この者の名は、ホン・ユンソン。漢城府ハンソンブ参軍チャムグンを務めている男です」

「何……?」

 思わず、息を呑んだ。

(ホン・ユンソン……だと?)

 ホンウィは、もう一度人相書きを見直した。たった一度だけ会ったことがあるはずだが、今よりも幼い頃だったので、顔ははっきりとは覚えていない。

 ホン・ユンソン――漢城府参軍にして、通禮門トンニェムン奉禮郎ポンニェランであり、兵曹ピョンジョ佐郎チャランでもある男。

 そして、漢城府の参軍は、訓錬観フルリョングァンの参軍を兼任している場合が多い。訓錬観とは、主に武官の試験と育成・訓練を担っている部署である。

「……殿下。ホン・ユンソンをご存知で?」

「……まあな」

 ホンウィは、それ以上を口に出さなかった。だが、ユンソンは確か、父が亡くなった日に思政殿サジョンジョン南回廊での密談の目撃者を、一人ずつ脅迫したらしい男だ。

「……問題は、こいつが医女たちを殺した現場を、誰も見てねぇってことだな」

 無意識に言葉が崩れるが、ホンウィは気付かなかった。サンピルも、気にした様子はなく、ただ頷く。

「左様です。部外者として義禁府ウィグムブへ入りはしましたが、暴力で押し入ったという事実はなく、また、医女たちに面会を求めはしたものの、彼女らを殺害する現場を誰一人目撃しておりません」

「それだけじゃ、引っ張る材料にならねぇか」

「捕縛に向かった先で、本人が自白すれば別でしょうが……」

 難しい、という言葉を、サンピルは口にしなかった。代わりに、顔全体がそう言っている。

 ホンウィも、それは嫌と言うほど理解していた。

 そもそも、目撃者を脅迫して回るような男だ。状況証拠だけで自白するとは、とても思えない。

「ッ……!」

 クソ、と言い掛けて、危うく呑み込む。

「……手詰まり、か」

「申し訳ございません」

「……騒ぎを聞いた者がいる、ということはないか」

「女囚用牢と男囚用牢の間に、宿直の者が使う宿舎があります。そこで、女の悲鳴を聞いた者が、何人かはいたのですが……何せ、犯罪者の牢に挟まれた場所ですから、揉め事が起きてもいちいち確認に行かぬが慣例と……牢番に任せればいいと思ったようで」

 はあ、と思わず溜息が先に出た。

「申し訳ございません」

「……よい、とは言えぬが、そなたを責めても始まらぬ。代わりに、当夜、当直だった者をすべて罷免せよ」

「はい、殿下。承知致しました」

「それと、今後、同様のことがあった際は、必ず現場へ駆け付けるよう、指示を徹底せよ」

「心得ております」

「それと、そなたは義禁府の提調チェジョに留任とする」

「殿下! しかし、それは」

「申したであろう。よいとは言えぬが、この件でそなたをいくら責めようが、解任しようが、死んだ者は帰らぬし、時間も戻らぬ。ならば、失敗を踏まえた上で、今後、同様の事態の再発防止に心を砕くほうが、建設的ではないのか」

 サンピルは、驚いたように目を見開く。ホンウィは、それを見ながら腕組みをして背もたれへ背を預け、言葉を継いだ。

「一度の失態でいちいち組織を刷新していては、結局同じことを繰り返す。処罰は、ある程度は大事かも知れぬが、罷免だの死刑だの、余程でなければ必要ないだろう。辞めて責任を取ろうなど、一番楽な引責の方法だ。あとを後任に丸投げして、自分はもう知らぬと言っているのと同じだぞ。まして、死んだらやり直すこともできぬではないか。ただ、此度こたび罷免とした者は、現場にいながら駆け付けず、結果死人を出した挙げ句に、犯人を特定し損ねた。それゆえの処罰だが、行き過ぎだと思うか?」

 彼は、やはり瞠目しっ放しだったが、やがて目を伏せ、恭しく頭を下げる。

「……いいえ。仰る通りです」

 下げた頭を上げると、サンピルはどこか慈しむような目をしてホンウィを見た。

「……殿下は誠、賢いお子ですな」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りです。殿下が世孫セソン〔皇太孫〕様か世子セジャ様と呼ばれていたみぎりは、わたくしは殿下に直接お目に掛かる機会はなく、ただ世宗セジョン大王殿下か、先王殿下のお話を聞いていただけでした。殿下は、誠、賢く聡明であられると。こう申しては不敬と思われるかも知れませんが、わたくしは正直、ただの祖父バカ、親バカではないかと思ったほど、褒めちぎられておいででしたが……」

「……私の身の置き所がないな。恥ずかしい祖父と父だ。すまぬ、忘れてくれ」

 手を挙げて遮り、思わず机に突っ伏す。空いた手の指先で、火照った頬を冷やしていると、「いいえ」と上から声が降った。

「世宗殿下も先王殿下も、過大評価はなさっておられなかった。今、わたくしの身をもってそれを確認できました」

 チラと視線を上げると、サンピルは満足げに微笑している。

「わたくし、キェ・サンピル。繋いでくださった首に賭け、心より殿下にお仕えいたしますと共に、それを誇りに思います」

 どう返したらいいか分からなかった。

 あんたも大概恥ずかしいな、と思ったが、そのまま口にも出せない。

 何とも面映ゆい気分で、再度机に伏せた顔を上げられずにいると、「殿下」と外から声が掛かった。

「何だ」

 これ幸いと、頭を切り替え、顔を上げる。

「失礼致します」

 入ってきたのは、イム尚膳サンソンだ。

「ただいま、表に大司憲テサホンと、領議政ヨンウィジョン様、左議政チャウィジョン様がお越しです」

「分かった。通してくれ」

「はい、殿下」

 一礼して退出した尚膳と入れ違いに、コンとファンボ・イン、キム・ヂョンソが入室して来た。

「殿下、おはようございます」

「おはようございます、殿下」

「朝のご挨拶を申し上げます、殿下」

 口々に言う三人に、会釈するように答えて、空いた席を示す。

「三人とも、座ってくれ。朝の業務報告か?」

「……にかこつけて、昨日の件についてご相談に上がりました」

 コンに言われて、「ああ……」と、首肯とも吐息とも取れる声が漏れる。

「そのことか」

「はい、殿下。殿下は、チョン御医オウィの供述を如何お考えですか?」

 ホンウィは、瞬時目を伏せて、慎重に口を開いた。

「……私は……あの者は、嘘は言っていないと思う」

「わたくしも同感です」

「しかし、殿下。それが誠ならば、由々しきことですぞ」

 そう言ったのは、インだ。

「領議政と左議政は、あの場にいなかったな。大司憲から話を聞いたのか?」

「はい、殿下」

 チョンソも、目礼で答える。

「いかがでしょう。チョン御医の口から首陽スヤン大君テグン様のお名が出たのなら、大君様を呼び出して尋問なさっては」

 これには、インが反論した。

「ですが、大君様は殿下には叔父上です。甥が叔父を尋問するなど、聞いたことがございませんぞ」

 だが、チョンソは揺るがなかった。

「されど、コトは先王殿下弑逆(しいぎゃく)に関わります。兄王を死に追いやった弟は、罰せられなければなりません。たとえ、それが現王殿下にとって叔父君であっても、王殿下を弑逆したのなら、例外はあってはなりません」

「……叔父上には、昨日の内に話を聞いている」

 ホンウィの発言に、室内にいた全員がこちらを見た。

「……それで、大君様は、何と?」

 恐る恐る口を開いたのは、コンだ。

「叔父上の言葉をそのまま借りると、『私は何も知らない。私は、思政殿の南回廊で、ヨンと御医、ファンボ・インとキム・ヂョンソが談笑していたのを見たという都承旨トスンジの話を聞いただけだ』……だそうだ」

 投げるように答えると、一瞬その場は静まり返った。

「……恐れながら、殿下」

「ん?」

「殿下は大君様に、調査の結果をお話なさいましたか?」

「ああ。ちゃんと調べは付いてるって言ったんだけどな、居直られちまった。『ならば、こんな所でぐずぐずしていないで、さっさと捕縛して裁きを下せばよいではないか』ってさ」

 コンを相手にした所為か、また少し言葉が崩れる。

 その為か、それとも首陽の受け答えが理由か、コンの眉間に深い皺が刻まれた。

「……残念ながら、大君様をどうにかするのは、難しいでしょうな」

「私もそう思う」

 ホンウィが頷くと、インが反駁はんばくした。

何故なにゆえです、殿下! チョン・スヌィの自供によって、最早大君様の罪状は明らか! 王族だからとて、例外は許されませぬ! 元より、その為の義禁府ではないですか!」

「左議政の意見はどうだ?」

「……恐れながら、わたくしも領議政様と同意見です」

「キェ提調もか?」

「公平に見れば左様ですが……」

 サンピルも、コンと同様に、難しい顔をした。

「何だ。何が問題だ?」

 インが、サンピルに視線を向ける。

「まず、第一に、チョン・スヌィの証言だが、残念ながら公式に記録されておらぬ」

 ホンウィが答えると、インが目を剥いた。

「はあ!?」

「それは、どういうことですかな」

 チョンソが、例によって落ち着いた声音で問い質す。

「どうにも、口を割りそうになかったのでな。記録しなければ話してくれるかと言ったら、最終的には何もかも吐いてくれた。そなたたちが大司憲から聞いたのは、その内容だ。だが、王命により、記録を取らなかった」

「そ、そんな、殿下ッッ!! いくら何でも、取り調べの記録を取らぬなど、あり得ぬことです!!」

 唾を飛ばしまくるインに、ホンウィはふんぞり返って「うん、すまない」としれっと言った。

「それは率直に謝る。私の失策だった。だが、そうでなければスヌィの自供は得られなかったことは、理解してくれぬか」

「し、しかしですな!」

 まだ何か言い募りそうなインを手を挙げて遮ると、ホンウィは「第二に」と言葉を継いだ。

「たとえスヌィの証言が公式記録に残されていたとしても、だ。それこそ拷問か、でなくても何か強引な手段を用いなければ、叔父上は私に話した以外のことは言わぬと思う。おおやけの場で、スヌィが昨日と同じことを言ったとしても、叔父上は多分否定なさる。そうしたら、すべてスヌィの虚言で終わってしまうだろう。どの道、これ以上の追及は難しいと言わざるを得ない」

 「ですが」とチョンソが静かに口を挟む。

「思政殿の南回廊で都承旨とチョン御医、首陽大君様が密談していた場を見た者は、多いのでは?」

「最初のスヌィの証言通り、その後の対応を協議していた、と言われればそれまでだ。会話内容まで聞いた者はおらぬのだからな」

 チョンソは、口を開き掛けるが、結局何も言わずに目を伏せた。

 ホンウィの言ったことが、単に叔父を庇おうとするものでなく、客観的な事実だったからだろう。

「それに、公の裁きの場に、目撃者を引き出すのも厳しい。理由は聞いておるな?」

 腕組みして、背もたれに背を預けながらその場に目線を投げる。

 インもチョンソも、渋り切った顔を益々渋くした。それが、如実に答えを示している。

「となれば、台諫テガンと義禁府が提示した刑を執行するのは、チョン御医に関してはやはり難しいと思うが、大司憲とキェ提調の考えは?」

 指名した二人に視線を転じると、コンもサンピルも、それぞれに宙を睨んで難しい顔をした。

 発言がないと見たホンウィは、机に両肘を預け、トントンと指先で机を叩きながら口を開く。

「一連の件に関して、一通りの調査は終わったと見ることができると思う。チョン・スヌィ以下、合計八名の医官と都承旨カン・メンギョンの調べ、首陽叔父上への確認、そして義禁府での医女と牢番殺害事件。ほかに、調査すべきことを見落としていると思った者は、忌憚きたんなく述べるがよい」

 目の前にいる計四人は、各々目を見交わすと、揃ってホンウィを見た。

「いいえ。不足はございませぬ」

 インが答え、チョンソが続ける。

「あとは、正式な御前会議にて最終的なご裁可を頂ければ、此度の件はひとまずの終息を見ることができましょう」

「……しかし、納得がいき兼ねますな」

「同感です」

 あとに口々に言ったのは、コンとサンピルだ。

「これだけ状況証拠が挙がっているというのに、肝心の本人の自供が取れぬなど」

「思いは同じだ、大司憲。限りなく黒に近いというのに、決定打に欠けるばかりに捕縛どころか尋問もできぬとは……」

「とにかく、今日の夕刻の会議で、正式に沙汰を下す。領議政と左議政は下がってくれ。大司憲とキェ提調には少し話があるゆえ、残れ」

 未練だらけでキリがなさそうな、コンとサンピルの談義を強制的に打ち切ると、四人がまた一瞬ホンウィに注目した。

 やがて、インとチョンソは、一礼して席を立つ。

 二人が完全に退出するのを見澄まし、ホンウィは残った二人に向き直った。

「……して、殿下。我々にお話とは」

「うん。そなたたち二人の意見には、実は私も同感だ。よって、公の調査は今日で打ち切るが、そなたたちには今後も密かに動いて欲しい」

 コンとサンピルが、瞠目する。その視線をしっかりと捉え、ホンウィは言葉を継いだ。

「此度挙がった容疑者から、容疑が晴れたと確信できるまで、決して目を離すな。此度の調査打ち切りは、すなわち犯人の無罪放免ではない。決定打が足りぬゆえ、仕方なくこの段階で仮の裁可を下すだけだ。決定的な証拠が挙がれば、その時は反撃に出る。だからその為に、今後も証拠を集め続けて欲しいのだ。それも、容疑者たちに気取られることがないよう、密かにな。頼めるか?」

 二人の顔が、パッと明るくなった。

「殿下! そのように、臣下を気遣うようなことは仰いますな」

「左様です、殿下。むしろ、願ってもない。殿下からお話がなければ、こちらからお願いいたすところでした」

 どこか嬉しそうな答えに、ホンウィは苦笑する。

「そうか。しかし、通常業務や今後の囚人警備など、改善すべき点もおろそかにされては困るのだ。無理があれば、いつでも申せ」

「滅相もない。無理などと、そのようなことはございませぬ」

「左様です、殿下。どうか、お気遣いはご無用に願います」

 口々に言われ、ホンウィは再度苦笑を浮かべた。

「気遣うなと言われても困るが……正直ありがたい。では、二人とも頼んだぞ。捜査方法は、それぞれに任せる」

「はい、殿下」

「承知いたしました」

「それと、大司憲」

「はい」

「これから、司憲府サホンブへ行く。先に戻って、チョン・スヌィたち四人を、昨日の取調をおこなった部屋へ集めておいてくれるか」

 え、という顔をして、コンは首を傾げた。

「それは構いませぬが……また、何故」

「此度の裁可は、お世辞にも公正とは言えぬ。それを、正式な決定の前に、詫びておきたいのだ」

「殿下!」

 噛みついて来たのは、サンピルだ。

「そのようなことは、決してあってはなりません! 仮にも国王であられる殿下が、罪人に頭を下げるなど……」

「提調様」

 すると、言い募るサンピルをコンが制した。

「申し訳ありませぬが、席をお外しください」

「しかし……!」

 まだ言い足りない、いや、言うべきことはこれからだ、と顔全体で訴えるサンピルと、コンの無言の攻防が続いたのは、短い間のことだった。

 やがて、サンピルは、「分かった」と言って立ち上がる。

「では、殿下。御前、失礼致します」

「うん。ご苦労だった」

「は」

 一礼して、サンピルの気配が完全に執務室から遠ざかると、コンは改めてホンウィに向き直った。

「殿下。提調様のご意見には一理ございます。何をお考えになって左様なことを?」

「……言った通りだ。今回の裁きは全然公正じゃねぇからな」

 二人きりになると、ホンウィは吐息とともに背もたれに背を預ける。

「あれだけ大口叩いたんだ。頭の一つや二つ下げねえと、割に合わねえだろ」

「しかし、スヌィが先王殿下を手に掛けたのもまた事実でございます。処罰の軽重はともかく、どの道、裁きを受けるのですから、そこまでなさらずとも」

「スヌィも被害者だ。あいつだけを責められない」

「……と仰いますと?」

「あいつが言っただろ。選択肢はなかったって。その通りだと思うぜ。まだ信じたくねぇけど、本当に叔父上が……父上を死なせるようにとそう言ったのなら、断った瞬間、医官の首なんて簡単に飛ぶ。先々の名誉か、それとも、今自分の命を守るか……いや、相手が王族って時点で、名誉さえ守れる保証もない。そんな選択を迫るなんて、叔父上は……スヌィの話が本当なら、王族として、絶対にやっちゃならないことをしたんだ」

「王族として……してはならぬこととは」

「身分で、自分より下の身分の人間を威圧したり、踏み付けたりすることだ。それは……相手を人間として尊重してねぇってことだって、俺は祖父じい様から教わった。それは人を殺すのと同じくらい、やっちゃいけない。人の尊厳や精神を殺すのは、命を奪うことと同じだ。たとえ、身体が生きててもな」

 整った顔が、険しく歪む。ホンウィは、目線を落として拳をきつく握り締めた。

「そして俺も……今からスヌィに対して、叔父上と同じことをするんだ」

「殿下? どういう意味です」

「だってそうだろ。命じたのは叔父上なのに、全部自分(スヌィ)の失策にして罪を背負わせるんだ。これまでの名医だったって名誉まで奪うんだぞ。叔父上の犯した罪の決定的な証拠がないっていう、ただそれだけの理由で」

「殿下、そのような」

 悔しい。

 それは、口から漏れなかった。だが、出し抜けに視界が曇って、熱いモノが頬を伝う。

 嗚咽を堪えようと唇を噛み締めるが、パタパタと落ちる滴は隠せなかった。

(チクショウッ……!)

 父を殺した者を正当に裁けないことも、首陽が本当のことを話してくれないことも。片手落ちと分かっていて、その上で仮にでもそんな裁可を下さなくてはいけないことも――それだけではない。

 義禁府で殺された者たちや、その家族の無念も晴れないままだ。

 それら何もかもが、ただ悔しくもどかしかった。

(父上……祖父様)

 ギュッと目を閉じると、尚のこと涙が溢れる。

(俺は、どうしたらいい)

 もっと、首陽に対して強気に出るべきなのだろうか。これまでの関係を壊してでも、ただ真実を追及すべきだったのか。

 すべての鍵は首陽なのだから、冷静に考えれば、国王の立場なら、そうでなければならないだろう。

 父の死に、もしも首陽の影がなければ、躊躇ためらわずそうした。

 父を殺したのが、スヌィ一人の意思だったなら、遠慮なく彼だけを憎んで思い切り罰して罵倒して、きっとそれだけで済んだ。

 けれど、何よりも一番許せないのは、裁きは公正でなければと口では言いながら、大好きな叔父は罰したくなく憎みたくないという勝手な理屈を捏ねる自分だ。

 首陽がたとえ本当に父を殺したのだとしても、九割九分九厘そうだと理解できていても、それでもどうしても心底から彼を憎むことができない。未だに、夢だと思っているのかも知れない。

 彼が曖昧な言い逃れをし、証拠不充分で捕らえられないという口実を与えてくれたことに、心のどこかで感謝さえしている自分が、吐き気がするほど情けなく恥ずかしかった。

 そして、その一方で、首陽をひどく恨んでいる自分がいるのも確かだ。

 大好きな叔父が、大好きな父を殺したというそのことが、未だにうまく呑み込めない。

 父を殺した相手が心底憎いと思ったはずなのに、それを画策した首陽は、簡単に憎むことなどできない相手だ。

(……何でだよ、叔父上)

 どうして、首陽が父を殺さなければならなかったのか。そんなにまでして、この座が欲しいのか。

 父を殺し、スヌィの人としての尊厳と医官としての名誉を粉々にしてまで手に入れなければならないものか。

 今まで心から慕ってきた首陽は、そんな考え方をする人間だったというのか。

(チクショウッ……!!)

「殿下!」

 ハッと顔を上げると、険しい表情を浮かべたコンと視線がぶつかる。彼の手は、ホンウィの手首を握っていた。無意識に、机に拳を叩き付ける寸前だったらしい。

「……落ち着いてください、殿下」

 彼は、握った手首をそっとホンウィの膝へ導くと、床へ片膝を突いて、ホンウィと視線を合わせた。

「大丈夫です。殿下がご自分を責められる必要はございません。すべてが己の意思ではなかったとは言え、チョン御医が先王殿下を弑し奉ったのは、紛れもない事実です。酌量の余地はございますが、その事実に関しては、彼にも負うべき責任があります」

 ホンウィを慈しむようなコンの瞳は、どこも似た所などないのに、祖父を思い出させる。

「それに、殿下ご自身が仰ったではありませんか。この決定が、真犯人の無罪放免ではないと。殿下の御命通り、我々が、必ず動かぬ真実を見つけ出します。その時こそ、先王殿下を弑逆した犯人を、決して逃がしませぬ」

 コン、と呼んだつもりの声は、掠れて喉に絡み付き、音にならない。

「さ、お顔を整えられませ。わたくしは、先に司憲府でお待ちしております」

 柔らかく微笑したコンは、ホンウィの肩をポンポンと優しく叩いて立ち上がる。

 一礼してきびすを返したコンの背を見送ったあとも、ホンウィはしばらくその場で放心したように呆然としていた。


©️神蔵 眞吹2019.

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