第93話 究極生物
半島とは宿命的に戦火に愛されている。イベリア半島はイスラム教徒に支配され、再征服運動によりキリスト教は復興した。バルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ幾度も爆発して、歴史の転換点の日露戦争では遼東半島が舞台となった。
半島は支配者が幾度も変わり複雑な歴史を重ねる。歴史から成り立つ国家の自己同一性も複雑な物となる。
その複雑性は数の分だけ利用価値のあるものとなる。
ジョンが国盗りをしようとしている半島に食指を伸ばしているのは帝国だけではない、魔族が流れて緩やかな国家を成した半島はバルティカ王国にとっても権利を主張するのに十分だった。
半島から遠く離れた吸血鬼国家にまで不穏な軍事活動は聞こえて来ていた。ジョンは大胆だが、抜け目の無い性格だ。バルティカ王国が動いているのも察知しているだろうが、半島の攻防で関わっている暇は無いだろう。私のほんの一欠けらをジョンに残していったが、ジョンにはそれほどの焦りが感じられなかった。
勝算があるのだろうか?
いや、無いだろう。
あったとしても、霞を掴むような不確かなものだ。
戦争と言うのは彼我だけではなく、無数の要因が絡みあう。ジョンが天才的な騎馬運用をしようとも、一騎当千の武力を持っていようとも、確定要素が不確定要素に負けることは良くある事だ。
だが――それは全てのことに言える。
何もかも全ては未定だ。
「姫殿下」
「何?」
私が吸血鬼国家に来てから数ヶ月が経とうとしている。春は過ぎ、夏は過ぎ、秋も深まり再び冬の気配が近づこうとしていた。
私は枯れる草原に寝そべり、晩秋の風に睫毛を遊ばせていた。風は寒いけど、温かな日光が身体を十分に温めてくれた。吸血鬼になってから味わうことの無かった太陽は、この世界に来てから当たり前の物になりつつあった。
それでも愛おしいものである。
「アルカード様がお呼びで」
「そう、分かったわ」
男にして女の体に閉じ込められたオセロだった。人間の皮膚を被り、畏怖すべき太陽の下を歩いている。人間の皮膚を丹念になめして、牛革で裏打ちしているため簡単に破れはしない、だが私の爪はいとも簡単それを破るだろう。
その衝動を抑えながら、死ぬ死ぬと言いながらナカナカ死なない吸血鬼の祖の元へと向った。草叢を踏むたびに虫が飛び交い、虫の知らせと言うものなのだろう。心がざわついた。
これが人類最大の天敵である吸血鬼の末路なのだろうか。
肌は老人のように皺だらけになり、真っ白な肌に黄疸があらわれて、迂鈍な印象が眼光から感じられた。精彩の感じられない動きに、腐敗臭の漂う唇の合間に耳を近づけた。蚊の飛ぶような声が、私の耳に届いた。
「この国を頼む」
「はい」
それは当然の返答だった。
すでに私は後継者として認められ、吸血鬼たちから姫殿下と呼ばれている。
御父様は咳き込み、吸うべき筈の血を吐いて布団を赤く染めた。不老不死と呼ばれた吸血鬼に終わりが近づこうとしている。それを目撃した者はいなかったのだろう。もうすぐ歴史に新たな一ページが刻まれようとしていた。
「死ぬのは分かって、いた」
御父様はそう言うと、全てを吐き出すように声音が大きくなった。
「吸血鬼は不、老でも不死で、も無い。それは知、っていた」
「それは本当ですか」
ならば何故、前世の時に教えてくれなかったのだろう。
「とんでもな、く長生き、だけだ。だから――」
「だから――」
「お前が『作られた』」
とくん、と冷血が身体を巡った。
御父様の断続的な声は聞き取りづらかったが、私は理解できた。
誰もが夢想したことがあるだろう。西洋の暗黒時代に入る前に、帝政ローマ時代から地続きに世界は発展しなかったのかと……我々吸血鬼が不恰好ながらもそれを受け継いだ。細々としたもので、すぐに廃れてしまったが、古代の人間が追い求めたように同じ物を吸血鬼たちも求めた。特に古くからの吸血鬼たちは本当の不老不死で肉体も今以上のものを求めた。稲の収穫量を増やすように、豚肉を良質の味にするように、果物をより甘くするように、吸血鬼をより完璧なものにするために……。
それがお前だと。
だが完璧な吸血鬼は多くの犠牲を産み、何度実験を重ねても必要条件だった要素が欠けてしまった。それは子を為すという生産機能の欠如だった。
完全なる吸血鬼――世界に唯一つ命が……私と言うことだ。
だから子供は生まれなかったのか。ジョンとの数世紀に及ぶ蜜月も、愛の果実を残すための苦労も、全ては下劣な性欲に堕してしまった。
その後の重要な会話は私の中を透過して無意味なものと化した。
半島の戦争が激しくなる中、呆然としながら日々を過ごした。御父様は人間が老衰して死ぬように死に、盛大な式典が開かれた私は正式に吸血鬼の国王となった。
「姫殿下!」
熱っぽい国民の声も、足場の無くなった自我は応えてくれなかった。
寒々とした玉座も解決すべき政治的出来事も心を熱くしなかった。
「本当に寒いな玉座は……」
オセロたちが作成した人工血液を飲み下した。だが飢餓感があった。とてつもない飢餓感が胃を襲い、自分を破滅させるような堕落をしたくなった。
「姫殿下……」
「どうした。オセロ」
オセロは喜悦に満ちた表情をしていた。
それが憎かった。
「お子を作りたく無いですか?」
「当たり前だろ」
私は持っていたグラスを砕いてしまった。
「ならば……試してみましょう」
私はオセロを見下ろした。
この女――いや男は御父様の後継者をこの国につれて来たわけではなかった。
完全なる吸血鬼をより完成させるために――。
実験動物を連れてきたのだった。




