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第92話 神皇の血

 帝都を囲む城壁は威容であり、内側と外側に境界を作る。城壁は三段階に建造されており、一番内側は皇帝の犯さざる領域だ。領域の一角に僅かな原生林が残っており、遥か昔に外と断絶された動物たちが住んでいる。研究者垂涎の動物たちは、原生林の出入口に住む管理者によって生かされている。

 その管理小屋に僕は蟄居していた。外とは隔絶した場所で反省させるために閉じ込めているのだろうが、人々から見離された生活は愛おしいものだった。

 晩冬、囚人たちに屈辱的な敗北をしてしまい、蟄居を命じられていた。

 僕は皇帝の長男といえど、所詮は不義の息子である。誰もが知っているが、公然の秘密とされていることだ。現皇帝が叔母と交接して出来たのが、僕だった。公には下賤の身分の股から生まれたとされているが、秘密とは隠せないものだった。

 不義の子――しかし、神皇の血をもっとも濃く受け継ぐものとなった。その為か、貴族たちから娘たちを預けられることが多く、皇帝もそれを黙認していた。己よりも神皇の血を濃く受け継ぐ者――僕を疎んでいたこともあり種馬として絞りつくして殺そうとした。

 僕もそれで良いと思っていた。

 だが、あの監獄で気持ちは変わった。

 プレスターという男に斬り殺された時に、種馬扱いされてきた塵芥の命にしがみついてしまった。帝国から見れば無残な敗北も、僕にとっては人生の素晴らしい転換期だった。

「御本を持って参りました」

「うん、ありがとう」

 ミュウが部屋に入り、机に本を重ねてくれた。バルティカ国から流れてきた本の数々だった。講談本も多くあるが、思想書や兵法書も多くある。僕は此処から始めようと思っていた。貴族たちや女たちは神皇の血よりも自らの安息を望んだ。他人の眼から見れば、僕が弟たちとの政争に混じることも出来ないと感じたのだろう。

 唯一残った女はミュウだけだった。当然といえば当然だ。彼女とは男女の関係だけではなく、同じ乳を飲んだ仲でもある。彼女の母親は僕の乳母であり、皇帝が手をつけた下賤の女と言われていた。世間から見れば、僕とミュウは血を分けた姉弟と言うことになっている。

「若様。執行官のシェリダン・ヴォルデンブルグのご報告が来ました」

「ああ……聞かせてくれ」

 夏から秋にかけて、半島では魔物たちの内乱が起きた。帝国から見れば陸続きの場所はすべて帝国の版図ということにしている。地図に線を引けるほど明確では無いが、帝国内外でそのような認識だったため、帝国としては兵を出さざるを得なかった。

 前線から送られてくる戦況報告は簡潔であり、装飾が全くされていない。執行官のシェリダン=ヴォルデンブルグが指揮権を握っており、緒戦は互角の戦いを繰り広げていたようだが、徐々に戦線を後退させられているようだ。

 プレスターという男は監獄の戦いのときも感じたが、馬に対する執着が常人とは異なっていた。兵糧の確保すらままならない状態で、あそこまで馬を温存するのは戦略と言うより執念だった。

「個人対個人では負けないが、集団対集団では防戦一方だそうです」

「報告を何度か聞いているが、無理もない」

「と、言いますと?」

「ミュウは知らないだろうけど。騎兵というものは、当然の如く軍隊に組み込まれているけど、騎兵を自由自在に操れる軍人は百年に一度も現れない。それを、あの男はしている」

 僕は戦況報告を眺めた。

「寡兵で多数を打ち破るのが戦術家の誉れと思われているが、戦争の基本は多数で少数を打ち滅ぼすことだ。あの男はそれを分かっている。敵が兵を分散した時には、多数で少数を打ち滅ぼす戦いをしている。だが相手が強大であり勝つ見込みが無さそうな時は逃げ、肝心要の時に騎兵の機動力を使って状況をひっくり返す。まさに呼吸をしているが如くだ。こんな戦い方をされていては、シェリダンの兵力では何もできないだろう」

 ミュウがこちらを見つめていた。

「何?」

「いえ、随分と楽しそうだったので」

「僕は――あの男が嫌いでは無い。ミュウを助けてくれたからな」

 執行官の巨人――ヴォルデンブルグが無差別殺戮を繰り広げた時に、ミュウも触手に掴まれて危うく食い殺されそうになった。その時に、助けてくれたのが女の姿に変身していたアイツだ。

「僕が嫌いなのは執行官だ」

 巨人のヴォルデンブルグは味方を殺そうとした。その他にも執行官とは確執が続いている。皇帝や貴族の間では執行官が特殊能力を持っているのを知っているが、その能力は魔族とほとんど変わるところが無かった。その執行官の上にいる司教たちも普段話しているときは普通だが、時々恐ろしいほどの威圧感を放っている時がある。

「あいつらは信用できない」

「どこで耳がいるか分かりませんよ」

 ミュウのいう『耳』とは間者のことだろう。帝国の中には暗殺教団ハッシシがいたりと、特殊な訓練を積んだ者たちが存在する。

「ああ、そうだな」

 僕は黙ってミュウを手招き、二人しかいない空間で声をひそめて話した。しばらく半島の話を繰り広げて、話は雑談となった。

「母さんは元気か?」

「ええ、少し体調が悪いみたいですけど」

 僕が言う母さんは乳母のことだ。

「特に――若様の蹴りの話を聞いて……泣いていましたよ」

「あれは、スッキリしたけど」


 皇帝から蟄居を命ぜられた後に、本物の母が皇帝に刑を軽くしようと懇願しに行こうとした。たっぷりと僕に恩を着せようと眼を輝かせて、母は腐りきった胃の臭いを口から放ち、分を弁えない行動をとろうとした。皇帝を説得する前に、僕に今一度皇帝に頭を下げさせようと僕の足に抱きつくようにして今更な説教をした。

 母は国母になる夢を諦めていないのだろう。

 皇帝を誘惑した美貌がまだ健在の如く、皇帝を説得しようとした。

 その醜さが僕の心を沸騰させた。

 気付いたら、足が実の母親を蹴っていた。


「今までの恨みを晴らせた」

「お母上が皇帝を説得していれば、今頃外へ出られたと思うのですが」

 鼻で笑ってしまった。

「帝国が僕を必要とするなら、どうせ出られる。それに――」

「それに?」

「しばらくミュウと二人っきりで静かに生活するのも悪くは無い」

 ミュウは軽く笑った。

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