第六章 冷たい緋色
決意を新たにする私の隣で、一会もまた、ぶら下がる死体を睨め上げていた。
静かに足を進め、その下に向かう。そこには、血の水たまりができていた。当然、頭上の死体から流れたものだ。
「咲夜さん」
陽気に質問をしまくっていた人物と同じものとは思えない、いやになるほど冷静な声が響く。
「こちらの彼女を発見したのは誰です? その時刻は?」
「私です。ちょうどあなたたちと出会う直前に」
「この広間に来た理由は? ここは廊下の端ですし、用がないと訪れる場所ではないはずです」
「一人妖精が行方不明になっていたもので、それを探しに。……こうして見つかりましたが」
「そうでしたか。――それでは、今すぐ彼女を降ろしていただけますか。シャンデリアの縄はそのままで、首に掛かった方を解いて」
言われるままに、咲夜が素早く動く。実に手際よく、手伝う必要もないほどに、作業はすぐに終わった。
血だまりから離れた床に、妖精の死体をあおむけに寝かせる。黒々と口を開ける胸元の刺し傷から、むん、と血のにおいが鼻を突いた。
「うっ……!」
咲夜が急激に顔をしかめたので、どういうことかとその視線を追い、私も同じ顔をすることになった。
しばらくすれば復活する妖精には、死という概念は薄いはずだ。なのに。
こんな顔をするのか……。
恐怖、怯え、苦しみ、そして、……困惑?
妖精の、愛らしかったであろうその顔は、突然の悲劇に大きく歪んでいた。
目をかっと見開き、頬には乾いた涙の痕が見える。開いた瞳孔は自分を死に至らしめた者を、最後まで見ていたのだろうか。半開きになり、一筋の紅い線が流れるその口は、悲鳴を上げて助けを求めたのだろうか。
しかし、救いはなかったのだ。泣きわめき、もがく彼女を、その殺害犯は無理やり押さえつけて、それで――。
どうにもやりきれない気持ちになって、私は右手を強く握りしめた。顔の筋肉が強張っているのを感じる。
一会がさっと動いて、ポケットからハンカチを取り出し、彼女の顔に被せた。小さな声で詫びるように言う。
「……あまりにも、デリカシーが足りなかった。真っ先にやるべきことだった。――すまない」
「……一会……」
その謝罪はきっと私ではなく、この亡くなった妖精メイドに向けた言葉だったのだろう。しかし彼の悲しげな面持を見て、我に返った。
この怒りを抱えているのは、私だけじゃない。一会も、咲夜も同じように思っている。今は、許せないと憤っている場合じゃない。先に進まなければ。この惨劇を止めなければ。
そのために必要なのは? どうすれば進める? 止められる?
「――こいし。捜査だ! 捜査をしよう!」
その答えは、名探偵が知っている。
◇◇◇
「面倒くさい。指紋検出粉とか、ルミノール試薬とかあればなあ。一発で犯人が分かるかもしれないのに」
「幻想郷だもん。そんな便利なものあるわけないよ」
「ホームズでさえ、科学捜査の重要性を語っているというのに!」
唇を突き出し、さっそく愚痴りだす一会。言いながら、手は忙しなく動いている。
咲夜は、館の住人に私たちの存在を知らせに行った。この後移動することを考えると、その行動はありがたい。また侵入者扱いをされるのも避けたいし。
ついでに美鈴へ謝罪にも行ってくれるらしい。平謝りする一会に微笑んで、彼女は一瞬で広間から消えていた。時間操作の能力で時を止めたのだろう。本当に規格外の能力だ。
「ねえ、一会。咲夜がいないうちに、話があるの」
「ふぅん? いいよ、どうしたの」
咲夜がいかに好人物とはいえ、信用しきるわけにもいかない。彼女も立派な容疑者の一人だ。
それに、この話は別の理由で咲夜なしに話したかった。
「うん、それじゃあね。――どうしてあんな無茶な賭けをしたのっ!?」
「うわっ!」
耳元で怒鳴りつけると、さすがの一会も仰天してのけぞった。
死体を見て、私の中の何かが切れたようだ。たがが外れた、と言うのか。普段言えないことも、今なら言える。
館に入ってから、ずっと思っていたこと。一会は無茶をしすぎだ。
「耳が……。なんで君が怒るんだ」
「私はね、これでもあなたの助手として、パートナーとしてやっているつもりだよ? 役に立ってないかもしれないけどね」
そんなことは、と否定しかける一会の声をさえぎる。
「とにかく! いくら捜査権が欲しいからって命を懸けるなんて! しかも自分で決めて、勝手にやって。レミリアは本気だよ。ああ言った以上、負けたら確実に取引を遂行する……」
「……君、もしかして……僕のことを心配しているのかい?」
「それは……うん、当然!」
そうか、と彼は俯く。
「それは悪かったね。でもその心配は無用だ。僕は絶対に負けないから」
「信じてはいるよ。でも……」
心配なんだ。ただの人間の一会が、無茶をして死にそうなのが、心配なんだ。
そう言うと、一会は口元をゆがめて微笑み、とんでもないことを言った。
「ふむ。うすうす思っていたんだが、君は妖怪らしくないな。実に人間臭い。ああもちろん、褒め言葉のつもりだよ。妖怪の君にとっては気に食わないかもしれないけどね」
「え……?」
突然、何を?
「僕は妖怪の研究家ってわけじゃないが、幻想郷に来てから人間観察も妖怪観察も、職業柄よくしている。僕が思うに、失礼――妖怪ってのは、かなり淡白な死生観を持っているね。ごく身近な仲間でもない限り、そのほかのことにはちっとも関心を払わない。そうとう乱暴に言ってしまえば、目の前で他人が死のうが大したショックも受けないってわけだ。個人差はあるけどね。人間の僕としては違和感を感じる考え方だ。真正面から否定しようとは思わないが」
確かに、レミリアはあっさり命を懸けさせた。幻想郷の弾幕ごっこの前口上では、物騒な言葉も飛び交う。とはいえ、かなりうがった考え方ではないだろうか。
「それなのに君は、まだ会って数週間の僕のことを心配するし、話したこともない妖精メイドの死を悼む。彼女を殺した犯人には、強い怒りを感じている。僕だってそうだが、君ほどじゃない。僕は、知人に言わせれば、割と冷たい人間だからな。どこか心の中で冷めているところもある。なのに――どうしてだい? どうして君はそこまで他人を想える?」
一会の目は真剣そのものだった。捜査もほったらかしにして、ただ私の次の発言だけに集中している。
「私にも、よくわからない、かな……。当たり前に思ったことなんだもん。どうしてもなにも、ないよ」
「……そうか。いや、それでいい。いいんだ。――僕はいくつか自分の中に、信条っていうものを持っているんだが、その一つに『どんなものにも例外がある』というのがある。君はその例外なのかもしれないな」
「例外?」
「妖怪たちが死生観に加えて、他人に対してどこか排他的なのは、それはこの幻想郷にいくつかの派閥があるからだ。ここ紅魔館しかり、人里しかり……。そのどれもがほかの派閥に負けぬように、どこか競っている。だが君は、それを一つ飛び越えた考えを持っている、ということだよ」
無意識を操れる私は、一会と会う前には、よくあちこちをあてどもなく放浪していた。警備が厳しいとされる妖怪の山にも簡単に忍び込めるし、行こうと思えばどこにだって行ける。私の中に派閥という考えはそもそもなかったのかもしれない。一応、地霊殿という派閥に入るのだろうか。
「僕としてはうれしい限りだけどね。もしかしたら、僕たちはこれから幻想郷のどこか別の場所で事件を解決することになるかもしれない。そうなったとき、君が平等な視点を持ってくれるのなら、それに越したことはない。まあ、今はこの仕事を片付けないとね。そうしなければ未来もないわけだし。この話は終わりだ。じゃ、続きをやろうか」
と、私が何か言う暇も無く、一会は一方的に会話を切り上げてしまった。
彼は結局何を言いたかったのか。それを知るのは、ずっと先、この出来事をとっくに忘れてしまった未来でのことだった。私にはわかっていなかったが、これは彼にとって重要な会話だったのである。
◇◇◇
まだ咲夜は帰ってきていない。広間には私と一会、そして息絶えた妖精メイドしかいなかった。
一会がふたたびかがみこみ、ナイフを抜き、自前の袋に入れ、傷口を観察している。そのあと、頭部を見て、両腕、両足と入念に調べていた。
そして、わかっていたことだが、一会は妖精が着ているメイド服を脱がせる作業に移った。裸体を観察するつもりのようだ。彼に恥じらう様子はない。淡々と、機械的に胸元に手を当て、
「おや、これは」
「どうしたの?」
見てはいけない気がして、できるだけそっぽを向こうとしていた私だったが、彼の声に振り向いてしまった。
一会は、まだ脱がせてはいないメイド服の首元の方を指している。ここを見ろ、と言うことらしい。
「よく見てくれ。このメイド服は首から裾までボタンで留められている。そして、第一ボタンまでしっかりしまっているが……」
「あれ、第二ボタンが閉まってない?」
第二ボタンが外されていて、その第二ボタン用の穴(ボタンホール、というらしい)に第三ボタンが留められていた。そこから下も同様に、第三ボタンのボタンホールに第四ボタン、となっていて、つまり、第二ボタンの地点から、一つずつボタンの掛け違いが起きていたのだ。もちろん一番下では、一つだけ留められていないボタンホールが残っている。
「掛け違えたけど、気づかなかったのかな?」
「首元に一つ分のしわが寄ってるんだぞ。しかも見ての通りボタンホールは一つ余っている。これは気づかなかったというよりは、むしろ……これのせいだろうな」
次に指差した先は、妖精メイドの手だった。見ると、両手ともに包帯がぐるぐる巻きにされている。右手は強く握り拳を握っていた。さっきの私のように。
「包帯をめくってみたんだが、やけどの跡があった。いや、今回の事件の分じゃない。水ぶくれになってしばらく経ってるみたいだ。料理か何かでやけどして、それ以降こうして包帯を巻いていたんだろう」
それにしても、両手の全体をやけどする、というのはただ事ではない気もするが。まあ、あり得ることだろう。妖精だし。
「そして、この包帯を巻いた手じゃ、上手くボタンは留められない。苦労して、時間をかけて、留めたんだろうな。そうしたら――」
「掛け違いをしていた、と」
さすが妖精。どこか抜けている。
「そう。時間もなくて、そのままの状態で本日の業務に入ったんだ。休憩時間にでも直すつもりだったんだろう」
大した発見ではなかったということだ。一会は肩をすくめて、ボタンを外しにかかった。
十数分後。私は結局見ていることしかできなかったのだが、一会は単独で観察を終えたようだった。服を着せ直し、元のように寝かせている。
私はふと気になって、妖精の握りこまれた右手に目をやった。左手は力が抜け、開いた状態なのに、右手だけ、こうだ。
これ、何か怪しいぞ。
「一会、妖精の右手なんだけど、なんだか不自然じゃない?」
「うん? 確かにこぶしを握っているが……。開いて見てみるか」
しかし、死後硬直して硬くなっている手を開かせるのは至難の業で、私と一会は四苦八苦しながら半ば強引にこじ開けた。
自分の赤くなった手をプラプラさせながら、一会は開いた右手を覗き込む。
おお、と二人同時に声を上げた。
「――発見だな。これは手柄だ」
ハンカチを使い、そっと手の中にあるそれをつまみ出す。
妖精メイドが最期に握りしめていたのは、紅く、冷たい陶器のかけらだった。
◇◇◇
長さは五センチほど。細長く薄くて、三角形のそのかけらは、わずかに湾曲していて、私にはもともとのものがなんだったのかはよくわからない。
赤く見えたのは片面だけで、裏を返すと美しい白だった。食器か何かの破片だろうか。
「なにかわかる? 一会」
「ふむ、そうだな……」
一会はルーペを使って破片を凝視していたが、わかったのは少しのことだけだった。この破片の割れ傷は新しく、小さい粉もついていることから、壊れてすぐに妖精が握ったに違いないということ。そして、おそらくカップの破片だということ。
「カップ? 紅茶を飲むカップのこと?」
「それ以外のカップは知らないな。この曲がり具合と両面を見た限りでは、たぶんだがカップのかけらだ。紅い方が外側、白い方が紅茶を注ぐ内側だ」
妖精メイドが別のかけらを持っているのではないか、と私たちは再び探したが、死体からも、広間からも、何も見つかりはしなかった。このカップのほかの破片はいったいどこにいったのか。
「見つからないか……仕方ない。妖精がこれを後生大事に握っていた理由を考えようか――」
「――失礼します」
「うわっ!」
十六夜咲夜が、なんの前触れもなしに目の前に立っていた。一会が本日二度目の叫び声を上げる。私も驚いた。本当に心臓に悪いからやめてほしい。
「驚かせて、申し訳ありません。ですが緊急事態なもので――」
「緊急? 何かあったんですか」
驚いて気が付かなかったが、咲夜は額から汗を流していた。息もわずかに荒い。どうやら急いできたらしい。
「厨房で事件が。いえ、殺しではありませんが、このタイミングで起こったもので、別件とも思えず」
「……そうですか。詳細はあとで聞きます。さっそく向かいましょう」
「厨房は廊下の角を右に曲がってすぐです。妖精たちがパニックになっているので、先に行って落ち着かせます。失礼します」
言うや否や、咲夜は消えていた。非常に焦っているようだったが、何があったのだろうか。
一会がカップの破片をハンカチに包み込み、立ち上がる。
「一体何が何やらだが……カップの件は後だ。厨房か。急ごう、こいし」




