第48-1話 目に見えるもの、見えないもの
先ほどまでの大騒ぎもようやく収まり、アルストリア城の謁見室では再び真面目な話が行われていた。
(一応ここに、さっきの騒ぎもやっている当人たちは大真面目だったと言うことを付け加えておくが)
「エカルラート・コミュヌ、ですか」
「そう。アギルス領の山奥に住んでいると言う、あの吸血鬼の集団だ。そやつらが急にアギルス領から我がアルストリア領に攻め入り、領境の集落や警備隊を散発的に襲い始めたのだ」
「そこに僕が現れたので、渡りに船とばかりに救援に差し向けようとしたと?」
ガスパールは軽く首を振る。
「丁度と言っては何だが、天魔大戦に向けて準備をしていたから、すぐに領境へ兵を向けることは出来た。だが今度はバヤールが連れ去られたとの通報が入り、慌てて追っ手を差し向けたと言う訳だ」
「なるほど」
アルバトールは領境での一件を思い出して納得した。
「何しろバヤールは我が領地の安寧の象徴でもあるから、盗まれでもしたらワシの面目はともかく、領民への影響は無視できん物となるからな」
「……ガスパール伯の面目より重要とは、領民へどのような影響があるのですか?」
意外、と言っては失礼だろう。
だが自らより領民を優先させるようなガスパールの発言が気になり、アルバトールは思わず質問をしていた。
「以前バヤールが森から消えた時期があってな。それからすぐに領内に大量のバッタが湧き、かなりの範囲で作物を食い荒らしたのだ」
その答えを聞く途中で、アルバトールはガスパールの顔から、揺れ動く頭部――髪の毛――へ視線を転じる。
なぜかガスパールが話すたびに頭頂部の髪が前後に移動する為、それに注意を向けずにいられなかったからであるが、いつまでもそうしてはいられない。
「バヤール、その話の内容に覚えはあるかい?」
アルバトールは横目でバヤールに視線を送って話を振ると同時に、咳き込んだふりをして精神状態の仕切り直しを図る。
「私、と言うよりは魔神どもの指導者であるアバドンの移動に伴う物でしょう」
「アバドン……蝗害をもたらすと言われる伝説の魔神か」
「その昔、彼奴めが身の程知らずにも私に求婚をしてきまして、それから逃げる為に身を隠したのですが、彼奴が私のことを諦めて移動する際に、腹いせに蝗害を引き起こしたのだと思われます」
「なるほど」
その場にいる全ての者が感慨深げに頷く中で、ひときわ大きく頷くベルトラム。
アルバトールはそのベルトラムの様子を見て、何故か全ての逃走経路が塞がれたような心持ちになり、気持ちを切り替えようとガスパールの厳めしい顔を見つめた。
(……何これ怖い)
しかしそちらはそちらで、黒々としていたはずのガスパールの頭頂部でウィッグが人のような形を取っており、更に腕組みをして考えるような素振りをしている。
それに伴ってガスパールの頭頂部は黒く艶やかな防御を失うこととなっており、その結果すだれのような模様で彩られてしまっていた。
「………………ゴホン。ガスパール伯、それで私にそのエカルラート・コミュヌを討ち果たして欲しいと?」
ガスパールのウィッグにより、しばらく重々しい沈黙を守らざるを得なかったアルバトールは、ついに踏ん切りがついたのか、事態を進めるべく口を開く。
その問いに対し、ガスパールは深く頷くことで応えたのだが。
(ちょっ!? 危ない! 危ないって!)
その為にウィッグが摩擦係数の低い頭からずり落ちそうになり、慌ててその謎の生命体は他の毛にしがみ付いて登っていく。
緊急事態と言わざるを得ないこの状況。
ついにアルバトールは、一つの決断をせざるを得なかった。
「ガスパール伯、無礼を承知でお願いしたいことがございます」
いきなりガスパールの方へ向き直り、決死の表情で伺いを立てるアルバトールに、軽くウィッグが驚き、同時にガスパールがアルバトールに応じる。
「お願いとは、そなたの助力に対してこちらが差し出す報酬についてか? それなら先ほどバヤールの完全なる譲渡と決めたはずだが。そして此度の手助けは、こちらの窮状を見かねて自ら申し出たと他者には説明する。それで合意したのではなかったか?」
厳めしい顔を更にしかめ、ガスパールが不機嫌そうな声で答える。
「……それとも先ほどのバヤールの説明を聞いて、ここにバヤールが常駐する義務は無いことが判り、更なる褒美が期待できるとでも思ったか?」
「いえ、今提示された全ての褒美を失う事となっても構いませぬ」
ガスパールの頭の上から覗き込んで来るウィッグを睨み、彼は願いを告げた。
「伯の頭上のウィッグを何とかして頂きたいのですが」
「ん? ワシのウィッグがどうしたのだ」
「先ほどからウィッグの働きをせずに、妙な生き物のような動きをしております!」
首を捻って考える様子を見せたウィッグは、再びガスパールの頭からずれ落ちそうになり、その姿を見てあやうく吹き出すところだったアルバトールは歯を食いしばり、眉間にしわを寄せる。
周囲から見れば怒り心頭と言った表情に見えなくもない彼の顔を見て、ガスパールは若干の困惑を見せながら答えた。
「ん……そうか。実はズレないように召喚魔術でウィッグに擬似生命を憑依させ、固定するようにしたのだが、どうも妙な副作用もついてきたようでな、時々ワシの考えを真似て動くだけでは飽き足らず、妙に大げさに動くようになったのだ」
「はぁ」
「まぁこれを見た者の反応が面白いから放置しておるのだがな」
豪快に笑うガスパールと、その頭上で腰に手をあて、笑うような仕草を取るウィッグを見て呆れ果てたアルバトールは、これからこの謁見室で起こる全ての細かいことを気にしないように心に決めた。
しばらく後、救援についての説明を受けたアルバトールはガスパールに了解した旨を伝える。
「委細承知しました。天魔大戦が起こった今、無駄に戦力を消費するのは確かに愚策でありましょう」
「ほう、そこまで見抜いていたか。フィリップ候は良い後継ぎに恵まれたようだな」
「お褒めに預かり光栄です。ガスパール伯に誉めていただいたとあれば、さぞかし父上も喜ぶことでありましょう」
「ふん、ワシに誉められたからと言ってフィリップ候が喜んでくれるかな? またそれが広まれば余計な火種が生まれ、貴族内の仲が面白いことになるかもしれんぞ」
脅しともとれる忠告の後、ガスパールは今宵の酒宴でな、と言って謁見室から去ろうとする。
しかしガスパールの去り際の言葉を聞いたアルバトールは、一瞬だけ迷った後にその後姿へ声をかけた。
「……よろしいのでしょうか? 領境では今この瞬間にも戦いが行われているかもしれないと言うのに、酒宴で私を足留めするのは如何な物かと思われますが。てっきり私は、このまま領境まで派遣されるものかと思っておりました」
「ワシの兵はそこまで充てにならんと?」
「い、いえ……しかし前線で苦労している兵が居ると言うのに、のんびりと酒宴に参加するのは少し気が引けます」
「アルバトール殿」
ガスパールに特に怒っている様子は見られず、声も平常と変わりはない。
しかし、静かに自分の名を呼ぶその姿に、アルバトールは抗いがたい力を感じていた。
「そなたの考えは判った。だが前線には前線の、後方には後方の役割と言う物がある。酒宴は普段話しにくいことや政策について論じる場でもあるし、加えてそなたはいずれフォルセールを統治せねばならん立場。ならばこんなことに慣れることも必要だぞ」
「それは……しかし……」
戸惑うアルバトールを畳みかけるように、ガスパールは次の言葉を告げた。
「おまけにアルストリア領まで旅をしてきただけではなく、昨日のこととは言え、魔物とも一戦交えたと報告にあるではないか。酒宴までゆっくり休むがよい」
その理屈に納得したわけではなかった。
しかしガスパールの目ははっきりとした拒絶の光を宿し、それはアルバトールの反論を無言で封じるものであった。
「非礼をお許しください、ガスパール伯」
頭を下げるアルバトールに、ガスパールは機嫌の良さそうな声で気にしていない旨を口にして退室する。
それを見届けた後、アルバトールはしっくりと来ない胸の内を押さえつけ、見えなくなったガスパールの後姿へ一礼をすると、自分へ割り当てられた部屋に向かった。
日が沈んでより一時間後、アルバトールを主賓とする酒宴が開かれる。
程よく時間が過ぎた頃、アルバトールはガスパールの息子二人を紹介されていた。
昼の会談で話に出ていたオレーシャ妃は、末子の出産の際に既に亡くなっているが、ガスパールは後妻を迎えないまま男手一つで子供三人を育て上げていた。
「こちらが長男のジルベール。今年で十三歳になる。こっちは次男のエクトル。今年で十一歳だ。後一人、長女で今年十八歳になるジルダがいるのだが、今は領境に遣わした軍の指揮を執っておるのでここにはおらん」
「……尚更僕がここでのんびりしている場合ではないと思うのですが」
「そうかも知れんな。……ジルベール、エクトル、もう良いぞ。下がって先生に教えを乞うがいい」
「承知しました父上。それでは天使様、またお会いできる日を心待ちにしております」
そう言って退出する二人をガスパールは見送ると、アルバトールをバルコニーの方へと誘った。
半ば夜の闇に包まれたそこには先客が三~四人ほどいたが、ガスパールとアルバトールの姿を認めると彼らは無言でその場を譲り、一礼をして広間へ入っていく。
二人きりとなり、やや緊張したアルバトールの顔を見てガスパールは酒杯へとワインを注ぎ、それを手渡して少ししてから口を開いた。
「ノブレス・オブリージュ……当然知っておるな、アルバトール殿」
「昔栄えたある国に於いて、国政を左右していた元老院と呼ばれる組織。その誇り高き構成員が体現させた尊き精神。人はその地位に応じた責任を持つ、ですね」
「うむ。彼らは多くの権利と豊富な財産を持ち、非常に豊かな暮らしをしていた。だがいざ隣国と戦争が起きれば率先してその戦いに赴き、外敵と戦った。元老院の構成員が代替わりする原因の第一が戦争に拠る死亡、と言うことからもそれは確かだ」
「……つまり、ジルダ殿もその精神に従って出陣したと?」
ガスパールは手元の酒盃を見つめて頷き、アルバトールに一つの質問をした。
「国が衰退する時、それは国の舵取りをする王侯貴族の腐敗から始まる。原動力となる民衆ではなく、な。なぜか判るか、アルバトール殿」
少し考え、アルバトールは一つの答えを導き出し、それを口にする。
「民衆は腐敗するほどの権利や財産を持ち合わせません。自らの身に余る物を持つとき、人は破滅する。人々に正しき教えを伝えることが至上のはずである教会ですら、稀に教義を守らず私利私欲に走る者が出ることからも、それは明らかです」
「いい答えだ。人は守るべき物、財産や家族を持った瞬間に強くも弱くもなる……それでは、どうして王侯貴族は自らを腐敗させる財をわざわざ蓄えるのだと思う?」
アルバトールは妙な流れになったな、と思った。
何故なら貴族の特権にこだわっているガスパールが、自己擁護を始めたのではないかと感じたからである。
民衆などの弱者の視点に立った考えを幼き頃から教わっていたアルバトールにとって、ガスパールのしようとしている話は居心地の悪い物でしかなかった。
「……それが生まれ持った権利だから、でしょうか」
「フッフフ、心ここに在らず、と言った返事だな。このような話題にはまるで興味がない、と言いたげな雰囲気がこちらに良く伝わってくる。正直で好感が持てるぞ」
ガスパールのウィッグがむくりと起き上がり、アルバトールの顔を覗き込む。
「まぁ、そう不思議そうな顔をするな。ワシは確かに武一辺倒に生きてきた男だが、それでも四十余年を生きてきたのだ。人の感情の動きも少しくらいは感じ取れる」
アルバトールはウィッグの動き、そしてガスパールの表情を元にその考えを推し量ろうとするが成し得ず、困惑するばかりであった。
「まぁ良い、話してやろう……と偉そうに言うが、ワシも自らの考え、他者の行動に基づいた理由しか話せん。すまぬがそれを踏まえたうえでこれからの話を聞いてくれ。さて貯める理由だが……それは領内で大きな問題が起こった時に備えて、だ」
ガスパールの当たり前と言えば当たり前の答えに、アルバトールは拍子抜けをした。
「なるほど、確かにその通りですが……しかし、その何かが起こった時にきちんと放出しなければ意味がないではないですか」
「確かにそなたの言うとおりだ。しかしなぜ放出しないかまでは考えたことがあるか」
アルバトールはその発言に咄嗟に反論をしようとし。
「一応言っておくが、ワシの場合は私利私欲に走ったからではないぞ」
すぐさま告げられたその内容に、彼が開こうとした口の動きと思考は停止した。