第47話 矜持より重きもの
息も詰るほどの緊迫感に包まれた謁見室で、その原因である男女が睨み合っている。
一人はここアルストリアの領主ガスパール。
巨大な体を銀色に鈍く光る全身鎧で包んでいる彼が、急に椅子から立ち上がった姿は神話にある巨人を思い浮かばせ、今にも剣を抜くかと思われるほど物騒な形相で鞘を握り締めている。
もう一人は神馬バヤール、が変化した女性である。
こちらはガスパールに負けず劣らずのその巨躯を、濃い緑色をしたワンピースで包んでおり、その上に袖のない短めの白い上着を着て、頭には花のような模様を織り込んだ布を被り、そこから長く赤い髪を背中に流している。
性別は違えど、双方ともに筋骨の逞しさたるや常人の及ぶ所ではなく、ガスパールの従兄弟にあたるカロンですら、気迫に満ちた彼らの前では見劣りがするほどであった。
「……そもそも貴様がバヤールであると言う証拠をワシは見ておらぬ。フィリップ候の子息であり、使者の任務によって遠路はるばるとこのアルストリアまで赴いてきたアルバトール殿の供と言うことで信用はしたが、本当はただの人間なのではあるまいな」
(誰がどう見てもただの人間には見えないと思います。ガスパール伯)
いつの間にか、互いに手が届く距離にまで近づいた両者。
そしていつの間にかいがみ合う二人から離れ、ベルトラムの所まで移動して難を逃れたアルバトールがそう心の中で呟いた時、文官のジェラールが騒ぎを止めようとしてか、慌ててアルバトールに頼みごとをする。
「お二人ともお止めなされ。アルバトール殿、確かにガスパール様が言うように、我々はこの女性がバヤール馬であると言う証拠を見ておらぬ。この場を収める為にも、貴公は疑いを晴らすための証を立てるべきではないか?」
(え? なんで今頃になってそんなことを?)
書簡を渡し、目的を告げ、了承も得て、すべての用事は終わった後。
それなのに一度終わった話を蒸し返すかのように、今さらバヤールの正体を聞いてきたガスパールたち。
その考えが読めないアルバトールは腕を組み、少し悩む素振りを周囲に見せ、バヤールに顔を向ける。
「仕方ない、頼むよバヤール」
「承知しました、我が主」
了承の意を返すと彼女はいきなりもろ肌を脱ぎ、鋼の鞭を寄り合わせたような強靭な乳房を周囲に見せ付ける。
「これが私がバヤールだという証拠だ」
異様な光景に誰もが呆気にとられる中、その誇らしげな説明に正気に戻った彼らがバヤールを見れば、その谷間の奥底に星の形をした模様が、ひっそりと光を放っていた。
「誰がバヤールに連なる証拠を見せよと言った。貴様が馬に戻ればいいだけのことを、なぜ脱いだ」
しかし証拠を見たガスパールは納得するどころか、がっくりして肩を落とし、下を向いて右手をこめかみに当て、心底呆れたと言う様なため息をついていた。
「ほう。神馬に対する礼節を弁えぬ輩に、我が真の姿を見せよと言うか?」
「この先も貴様がアルバトール殿に付き従うのであれば、必然的に多くの者や敵に姿を見せることになるであろう。遅かれ早かれ一緒のことではないか」
「ふん、良かろう。後悔するなよ、人間」
ガスパールの説明にバヤールは不敵な笑みを浮かべて目を閉じる。
――するとその姿が淡い光を放ちながら、ゆっくりとその姿を転じ――
「ブルルルルルル……ヒン! ヒヒヒーン!」
「……」
巨大な馬の姿に戻ったバヤールは、その前足の下にガスパールを踏んづけていた。
うつ伏せの状態で下敷きになったガスパールは、子供に捕まえられた虫のように手足を暴れさせてバヤールの足から逃れようとするが、それが叶う気配は一向に無い。
「ぬぅんッ!」
疲れたのだろう。
ガスパールはしばらく暴れてから一旦休憩し、乱れた息を整えた後に気合の声を上げて再び暴れ出すが、やはり逃れることは無理のようであった。
そのじたばたするガスパールの姿を、謁見室に居た全員が呆然と見つめていたが、いち早く正気に返ったアルバトールが慌ててバヤールに叫ぶ。
「大丈夫でございますかガスパール伯! バヤール! 早くその足をどけて!」
「ヒン! ヒーン!」
その叫びにバヤールは首を振る仕草を見せた後、不意に天井を見上げる。
するとその次の瞬間に、アルバトールの頭の中には声が――聖霊による念話――響き渡っていた。
≪我が主、そろそろガスパールも懲りたようですか?≫
≪そうだね。なんだか僕も懲り懲りって気になってるけど≫
≪承知しました。馬の姿では上手く人の言葉が話せなくなるので、あまり戻りたくはなかったのですが、我が身が潔白であると示すためなら仕方がありませんね≫
アルバトールの嫌味を無視し、再び人の姿と大きさに戻っていくバヤール。
そのバヤールの蹄から解放されたガスパールと言えば、その額に青筋を走らせ、怒りを爆発させる一歩手前と言った様子だったが、それでも伯爵号の誇りが彼を踏み止まらせているのか、静かにアルバトールへと話しかける。
「こやつが事ある毎にワシを侮辱するような態度をとるのは、争いの種を蒔きたいがゆえかな? アルバトール殿」
「いえ、とんでもございません」
「だから私が姿を戻す前に、後悔するなと言ってやったのだがな、人間。このような狭い場所で私が元の姿に戻ったらどうなるかくらい、少し想像しただけで判るだろう」
「お願いだから余計なことを言わないで!」
だが空気を読めないバヤールが余計な一言を付け加えたため、ガスパールは歯を剥き出しにして凶悪この上ない形相となり、アルバトールは再び窮地へと追い込まれる。
その上ガスパールの鎧についた蹄の跡を見たアルバトールは、先ほどの地面にへばりついた状態で暴れる姿を思い出してしまい、噴き出しそうになっていた。
(しかし! この程度の揺さぶりで内心を表に出してガスパール伯を怒らせてしまっては、父上に申し訳が立たない!)
心の動揺を気づかれないように、アルバトールは常に無く顔をひきしめてじっと目前に迫ったガスパールの瞳を見つめる。
(ん、んー……? あれー? なんだか額が髪に対していびつな形で優勢に……?)
結果、彼は余計なことに気付いてしまう。
そのアルバトールの視線に気付いたのか気付かないのか。
「なるほど、まさしく本物に相違あるまい……ワシがこやつに会おうと森に単身で入り込んだ時以来よ……」
ガスパールは半身の構えを取り、鬼気迫る形相でバヤールへ向き直る。
その告白に何か心当たりがあるのか。
「なるほど、その左頬に走る古傷にどこかで見覚えがあると思ったらあの時の小僧か。随分と大きくなったものだ」
バヤールは腕を組み、眉間にシワを寄せてしばらく思案する素振りをしていたが、何かを思い出したのか、急に口をニタリと吊り上げる。
「あの時は世話になったなバヤールよ。やり合った直後に姿を見なくなったのは、ワシを恐れた故か?」
挑むようなガスパールの口調に、バヤールはきょとんとした表情をすると、すぐさま嘲笑を始める。
「ああ、確かに恐れた。なにせ私が泉で水浴びをしている所を覗き、更には襲い掛かってくるような輩相手では逃げるしか手立てがなかったからな」
まさしく一瞬だった。
その場に居る全員の視線がガスパールに突き刺さったのは。
「従兄弟殿、まさかそのような……い、いや、武人であればさもありなん……?」
「隣国ヴェイラーグ帝国のオレーシャ姫との政略結婚の時も、和議を結ぶためとは言え、あのようにご立派なお姿の姫君と婚姻とは……と、このジェラール思っておりましたが、実は自ら望んでのことでございましたか」
「私もそのような深慮の下にバヤールを手元に留めておきたいとの考えだったとは気付きませんでした。元よりバヤールはアルストリア領に住まう存在。どうぞお引取りを」
「確かにこの神々しいまでの肢体、我を忘れてしまうのも無理はないでしょうな」
「え」
ベルトラムが不意に放った一言に、場の視線はガスパールから一気にベルトラムに移る――が、それも一瞬のことであった。
「何を勘違いしておるかッ!! ワシが見たのはバヤールが馬の姿の時じゃ! 武一辺倒に生きてきたワシとて、貴婦人に対する接し方くらい知っておるわ!」
「ほう、人間の姿より馬の姿に興奮するとは、実に見所のある人間じゃ」
「誰もそのようなことは言っておらん! この場で切り刻まれたいか!」
常ならば、その場に居る者すべてを残らず萎縮させるであろうガスパールの怒り。
だがその怒声が原因でガスパールの髪が更にズレたため、怒りは周囲に居る者たちに押さえきれぬ動揺と、自身の額への更なる注視を産んだだけであった。
「……た、確かに性別と外見的に貴婦人に属しますな、従兄弟殿」
「その貴婦人に相応しきドレスであれば、オレーシャ妃の物がまだ残っていたかと」
「このアルバトールもバヤールの気位の高さ、確かに貴婦人に相応しい物と思います」
「バヤール馬が伯爵から逃げていることが判るほど何度も追いかけたのですな。その気持ち、実に判りますぞ」
「えっ」
再び視線はベルトラムに集中し、またすぐにガスパールへ戻る。
「ええい! そんなことはどうでも良いわ!」
「それほど必死に誤魔化すとは、余程あの時の覗きを引け目に感じていると見える」
「貴様は黙っておれバヤール! 話がややこしくなる!」
収まるどころか、どんどんエスカレートしていく騒動。
その様を傍から見ていたアルバトールは、先ほど感じた違和感についてじっくりと考えることで、自分だけでも冷静さを取り戻そうとしていた。
(今になってバヤールの処遇について騒ぐのは遅すぎる。僕が紹介したと言っても、国家機密を話し合うこの場に、部外者の可能性があるバヤールを最後まで居座らせたのは如何にも不自然だ。となれば何らかの目的があったと言うことになるけど……)
そこまで考えると、アルバトールは目の前の罵り合いを半眼で見つめる。
(まぁ、深く考えるまでも無く目的はこれだよね。気位が高く、人の生業に囚われないバヤールを敢えて無視して騒ぎを起こさせる。ガスパール伯は一度会ってるみたいだし、そもそも昔からこの地に住む存在だから性格もある程度知れ渡ってるだろうな)
そしてもう少しで口論が殴り合いにまで発展しそうな二人を見て、溜息をついた。
「その古傷も上手く誤魔化しているようだが、いくら私が寛大でも、それが私に付けられた傷ではなく、逃げ出そうとした際に転んで自らの剣でつけた傷と言うことを、いつまで黙っていられるか判らんぞ」
「若年者は失敗を糧として成長する物! 今でも貴様に敵わぬかどうか、今この場で試してやろうか!」
「やれやれ、その後に気絶したお主を介抱してやったのも忘れたか。そうそう、そう言えば意識のないままに、母親の名を呟きながら私の乳房に吸い付いてきおったのう」
「こちらの意識が無かった事を良いことに、戯言を申しているのではあるまいな!」
(そろそろ間に入って、強制的に止めた方がいいかも知れないな)
アルバトールはそんな感想を覚えつつ、フィリップの薫陶に従い、今回の騒ぎの結果で得られる利益をガスパール伯の視点で考慮して、更に思考を進める。
(つまりバヤールに争いを起こさせ、それによって伯が受けた侮辱の責任を僕に取らせると言う名目で、おそらくさっき言っていたアルストリア領に起きた問題に僕を巻き込み、解決させるのが目的だろうな)
前進するガスパール、後退していく生え際。
これを進歩と言うことが出来たなら、どれほど多くの人々が救われるだろう。
アルバトールは深呼吸し、内に芽生えた動揺を抑えこむ。
(領内の問題解決を外部の人間、しかも犬猿の仲である相手の子に頼むのは伯自身の矜持、そして自身の統治能力の評価に関わる問題。だから一芝居うって、ガスパール伯への詫びを兼ねて僕が進んで協力した、という流れにしたいのだろう……と言うことは、そろそろ動きがありそうだな)
アルバトールの読みどおり、バヤールと言い争っていたガスパールはいきなりアルバトールの方を振り向くと、目を血走らせた凄まじい形相で彼に詰め寄る。
「ここまでの侮辱、このガスパールもはや勘弁ならぬ! 幾らフィリップ候の嫡男に付き従ってきた者とは言え、ここまでの雑言はさすがに見逃せぬ! どう責任を取るつもりだアルバトール殿!」
既に地肌を三分の一ほど見せてしまった頭とウィッグを振り乱し、ガスパールはアルバトールに怒りで赤く染まった顔、そして額に連なる頭部を近づけた。
「お待ちください。お言葉ながら、未だこのバヤールの処遇は決まっておりません。確かにここまで連れてきたのは私ですが、従者として従える権利を持っていない私にその責を取らせるのは横暴かと」
ガスパールの迫り来る顔、加えて頭頂部にかろうじて引っかかっている儚げな、それでいて圧倒的な存在感を持つ頭髪に、思わずアルバトールは後ずさる。
しかし間髪入れず、その開いた距離を更にガスパールは詰めてきていた。
(くっ……! 何という圧力! このままではガスパール伯のアレを見て噴き出しかねない! このまま何とか持ちこたえて場をやり過ごし、退出しなければ……!)
アルバトールは礼拝堂での修行の日々を思い出し、平静を取り戻す為に深く呼吸をして精神の集中を図り、外から持ち込まれる破壊的なまでの衝動を隔絶しようと試みる。
「では、このアルストリア領主ガスパールが、バヤール馬をアルバトール殿が従者とする事を認めよう! これで逃げられんぞ!」
「しかし、従者として認定されたのはたった今でございます。罪の遡及は、権力者の民衆弾圧にたやすく繋がる物として国法で硬く禁じられております」
「ぬぅっ!?」
ついに彼の目前に迫った、目を血走らせたガスパールの少々油がにじんだ顔と、その額半分で彼以上の存在感を見せつけるウィッグを見て、アルバトールはこれまでの人生にない程の動揺をする。
しかしガスパールがそこで動きを止めた為、徐々に彼は冷静さを取り戻していった。
(……どうやら勝ったな。ここで僕が噴き出してしまっては、バヤールの責を負うどころの問題じゃなく、僕自身がガスパール伯の不興を買ってしまうことになる。一時はどうなることかと……ちょっと待てバヤール何をしようとしてる)
一息つこうとしたアルバトールの視界に、きらりと光るガスパールと、その背後で興味深そうにガスパールのズレたウィッグを見つめるバヤールが入ってくる。
「なんじゃこれは。お主、馬のシッポを被るほど馬に懸想しておるのか?」
そう言ってバヤールがガスパールのウィッグに息を吹きかけると、モップのような黒い繊維が執務室の壁まで飛んで行き、ガスパールが慌ててその後を追いかけていった。
決壊。




