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第46話 対峙

 夜が明けて間もない早朝。


 アルストリア城へ向かう街道を、二組の人馬と巨大な赤毛の馬が走っている。


 朝もやと、遠くに位置する山脈に邪魔され、未だ太陽自体はその顔を見せていなかったが、それでも走っているうちに朝もやは晴れ、そしてついに稜線から顔をのぞかせた朝日が大地を照らしだすと同時に、地上には二つ目の太陽にも似た光が産まれていた。


「何度見ても、朝日が顔を出すこの瞬間は良いものですね、アルバ様」 


 執事服を着た銀髪の青年、ベルトラムが地上に現れた二つ目の太陽、先頭を走っている騎士らしき青年へと声を掛ける。


 部分鎧を身に着けたその青年はまばゆく光る金のくせっ毛を持っており、それが朝日を乱反射させて彼の姿を眩しく光り輝かせ、その光は彼の持っている幼い顔と合わさって、まるでその青年――アルバトール――を絵画にある天使のように見せていた。


 いや、正確に言うならそれは違う。


 天使のようにではなく、彼は実際に人より天使の身に転生した存在であり、天使と魔族の戦いに於いて、天使側における必要不可欠な存在だった。


 しかしその重要人物であるアルバトールは、仏頂面をして馬に乗っており、ぶつぶつと何かを呟きながら街道を飛ばしている。


 それは彼を良く知らない人が見れば、何か由々しき事態でも起こったのかと思われても仕方のない形相であった。


(……まぁ、手に余ると言われては仕方がないんだけどさ)


 事の次第は、出立時に彼を馬ごと跳ね飛ばしたバヤールの処遇について尋ねるため、アルストリア騎士団の隊長のところへ戻ったところから始まる。



 領内の財は全て領主の物。



 つまりアルストリア領の森の中に住んでいるバヤール馬は、必然的に領主であるガスパール伯の物、と言うことになる。


 本来であれば、いくらヤム=ナハルがこの馬をお前達にやる、と言っても通らぬ話なのであるが、それをややこしくしたのがバヤール自身であった。


 よもや彼……彼女が人に姿を転じることが出来、自らの意思を人に伝えることが出来るとは誰も思っておらず、その上に彼女自身がアルバトールたちに着いて行くと言い出したのだから。


 困ったアルバトールは急ぎ戻り、騎士隊長にバヤールの身柄の引渡しをしようと相談したのだが、相談された側の騎士隊長もこのような事態は想定しておらず。


 少し思案した後、騎士隊長は彼の主君であるガスパールに相談するように、とアルバトールに答えたのだった。


「心配要りませぬ。昨日お渡しした書簡に加え、仔細を説明した報告書も持って参りますので、あれを見せればガスパール様も貴方様が馬盗っ人では無いと信用し、話を聞いてくれるでしょう」


 周囲は朝もやに煙っており、とても爽やかな朝とは言えない物だったが、それを吹き飛ばすほどの爽やかな微笑みをアルバトールに見せると、騎士隊長は封蝋で封をされた書簡を建物内から取ってくる。


「アリガトウゴザイマス」


 しかし、アルバトールはその笑顔の下に潜む騎士隊長の思惑を、子供の頃からの長年の経験で得た観察眼によって見抜いていた。


(ええ判ってますともこっちに丸投げの厄介払いですよね。こっちもそのつもりだったから文句は言えませんけど)


 彼が幼い頃、エルザの司祭付きに選ばれてから何度も見たその目。


 こちらに警戒心を持たせないように、笑顔で悪意を覆い隠して相手に頼み込む。



 何度その笑顔に騙されたことか。



「宿から馬まで手配していただき、まこと感謝の念に堪えません」


「いえいえ、こちらはやるべきことをやっているまで。どうかお気になさらず」


 と、このような経緯を経て。


 アルバトールが再び旅立った時には、新しい仲間が一頭増えていたのだった。


(本音を隠し、建前を自らの行動の基準とする。これで僕も大人の階段を一つ登ったんだなぁ)


 そんなことを考えながら、彼は一路アルストリア城へと馬を走らせた。




 アルストリア領の中心、アルストリア城。


 現在の城主はガスパール=ミュール=アルストリア伯爵。


 聖テイレシア王国における東方の防壁と言える存在であり、実際に幾度も死線を潜り抜け、他国の侵攻を退け続けてきた生粋の武人である。


 しかしその考えは王侯貴族の特権に凝り固まっており、アルバトールの父親であるフィリップ=トール=フォルセール侯爵の、民衆を優先させる考えとは対立する物である為、両者は犬猿の仲と噂されている。


 それらの経緯から、貴族の特権を貪ることしか頭にない一部の貴族たちから祭り上げられ、フィリップと対立する派閥の象徴となっていた。



「随分と早く着いたな……早速ガスパール伯に面会を申し込むか」


 順調にいけば夕刻までにアルストリアに着く。


 そう思っていたアルバトールだったが、実際にアルストリア城に入ったのは夕刻と言うにはまだまだ早い時間であった。


 よって彼は着いたその足で衛兵に自らの身分を告げ、証を立てると、領主であるガスパール伯に面会を求める。


「ではこちらで少々お待ちくださいませ」


 そのまま控えの間まで案内されたアルバトールたちは、謁見した時に失礼の無いように、と鎧などの汚れを拭き取りながら、入念に身支度を整え始める。


 程なく入り口の方で、我が主を待たせるとは良い性根をしておる、などとバヤールが衛兵に因縁をつけ始めたので、それを止めることも忘れない。


 至急の使者と言うことを念入りに衛兵に言い含めておいたのだが、彼らは少なからずの時間を控えの間で過ごし。


 結局、アルバトール達の面会が適ったのは三十分ほど経ってからであった。




「まず至急の使者を待たせたことについて詫びよう。我が領は現在、少なからず問題を抱えていてな、そちらの対処を疎かにする訳にはいかなかったのだ」


 ひざまずいたアルバトールの前方より、ややくぐもってはいるものの、重厚な声が響いてくる。


 その声の持ち主ガスパールは、フィリップよりやや年少ではあるものの、王家を古くから支えてきたアルストリア家の当主である。


 エンツォを凌ぐ巨体を持ち、よわい五十に届こうかとする今でも全身を鉄板で包み込むフルプレートアーマーを、まるで薄衣のように着こなす筋力を保持している。


 黒々とした髪を肩の辺りまで伸ばし、眉間には苦渋を乗り越えてきた証であるシワが深く刻み込まれ、石柱のような太い首は、半ばまでを鉄線の如き髭が覆い隠す。


 その彼が巨大な椅子に腰掛け、アルバトールを見下ろしてくる姿は、まるで地獄の裁判官を思わせるものだった。


「そちらの事情は書簡である程度了解した。またそなたの後ろに控えておる……女性、についても、我が信頼する騎士の報告書で把握させてもらった。だが、こちらに伝わってきている情報と違うもの、古いものとの摺り合わせを多少したい。よいかな使者殿」


 否も応も無く、ただ頷くアルバトール。


 遠く離れたアルストリアに来た彼は、一々往復して双方の意思を確かめる無駄を省くため、それなりの裁量を父から預かっている。


 とは言え、彼は基本的に単なる言伝役であり、元より主導権は向こうにあるのだ。


「まずシルヴェール殿下が未だ行方不明である件だが、こちらに入ってきた情報では殿下の身は既にフォルセールにあるが幽閉されており、フィリップ候が王都奪還を名目に諸侯の兵力を集め、それを基に国家を我が物にしようとしている、とのことだが?」


 アルバトールは内心うんざりとしながら、それを気取られないようにガスパール伯に返答する。


「その件については全く事実無根と言えましょう。そもそも今まで新たな領地を下賜かしすると言われても固辞して来た我が家系、我が父でございます。それが今更権力を欲する理由がございません」


「今回は規模が違う。国全体となればその誘惑に耐え切れぬのではないか?」


 ガスパールの左に控えているローブ姿の老人、アルストリア領の文官筆頭であるジェラールが、目と頭頂部を光らせながら即座に質してくる。


 ジェラールは特に才に秀でているわけではないが、長年の執務に基づいた堅実な献策をするとの評判の人物であった。


「偶然、唐突、計算外に目先に転がってきた機会を利用し、国全体を欲するような輩が、どうして私財を投げ打って先を見据えた領地の保全に努めましょう」


 アルバトールは父に対する侮辱ともとれる発言をやり過ごし、ジェラールに答える。


「国を手に入れても、保持ができなければまったく意味が無く、先の我が父が行った治水事業からも判るように、父は……フィリップ候はそのような一時の誘惑に目が眩むような人ではありませぬ」


 ふむ、とガスパールは呟き、さらにアルバトールに質問をした。


「では、フィリップ候は自らを国を統べていく器ではないと思っている、と?」


 ガスパールの余裕たっぷりの態度に、アルバトールは世間の噂がまるで当てにならないことを今更ながらに痛感する。


(これは意地の悪い質問だなぁ。今回の件には関係がない、と質問に答えなければ痛くもない腹を探られ、器であると答えればそれを元に反逆の意図があるかどうかを聞かれ、思っていないと答えれば、息子とは言え、なぜ考えが判るのかと聞かれるだろう)


 失言を招こうとするガスパールの質疑に、内心舌を巻きつつアルバトールは答えた。


「近くで父を見てきた息子の視点から申し上げるに、父フィリップは国を統べる器であるかどうかなど考えたことは無く、この聖テイレシアを統治する王の臣下であること、フォルセールの民と共に生きることに自らの価値の基準を置いていると思われます」


「ほう」


「人に尽くし、結果としての笑顔に喜びを感じるその姿勢、聖職者も勤まりそうだと幼少の頃は思ったものです」


 そのアルバトールの返答に面白そうに口の端を吊り上げ、ガスパール伯は新たな質問を投げかけた。


「では、現在フォルセールに集まっている戦力についてどう思う。明らかに過剰な物とは思わんか」


「それに関しては、自分も一枚噛んでおりますので答えかねます」


「人間であった頃の意見でよい。天使となり、人の範囲に納まらぬ力を手に入れ、更にはこれからの成長も保障されている今のそなたの目線では、人である我々の気持ちは判りにくかろう」


 質問から逃げられないことを認め、アルバトールは私事であるならば、と断りを入れて話し始める。


「まず異常な戦力の元凶……いや中心になっている人物がフォルセールにその居を構えていること。そしてフォルセールが国の内地に位置しており、天魔大戦以外に戦乱に巻き込まれることが少なく、安寧を求めた人々が集まりやすいこと等が理由でしょうか」


 人為的では無く、自然に集まったのであれば問題は無い。


 そう考えたアルバトールは、フォルセールの地理的な条件を利用する。


「確かに他の領地から見れば異常ですが、それはエルザ司祭が居を構える領内に付いて回る問題。よってエルザ司祭が王都に移転すれば良い問題なのでしょうが……それはそれで新たに深刻な問題が出るでしょう」


 答えている最中に深くため息をついたアルバトールを見て、その場のほぼ全員が納得するが、その中に一人だけ口を開いた者がいた。


「……戦力については、その他にも理由はありそうだが?」


 今度はガスパールの右に控える、アルストリア騎士団団長のカロンがアルバトールを責め立てる。


「フォルセールには他領地どころか、王都にすら存在しない武具や防具、例えばそなたの従者が持っているような物が、他にも存在すると言う噂がある。これは明らかな背任行為ではないのか?」


 齢三十を少々超えたばかりのカロンはガスパールの従兄弟であり、彼そっくりの風貌を持つ偉丈夫である。


 既に隣国とのいくさを幾度も経験しており、豊富な実戦経験を積んでいる彼は、ガスパールの右腕とも言われる重臣だった。


「私も時々耳にしたことはございますが、その詳細は把握しておらず、よって答えかねます。ただ、後ろに控えておりますベルトラムが持つ槍はエルザ司祭から預かった物。仔細をお望みであれば、エルザ司祭にお聞き頂いたほうがよろしいかと思われます」


「む……」


 流石にエルザの名声はアルストリアまで響いている。


 王侯貴族の影響を持たぬ、独自の権力を持つ教会の人間と言うことも合わさり、カロンもそれ以上を聞いてくる気配は無い。


 他人の名声を借りて説得の材料とすることは情けなくもあったが、今回は時間に余裕がある訳ではなく。


 利用できる物は何でも利用したい所であった。


「質問は以上だ。使者殿、ご苦労であった。フィリップ候がワシへの使者に自らの嫡男をわざわざ選んだことで、そちらの誠実さは事前に判っていたが、立場上やらなければならんことでな」


「お察しいたします」


「うむ。ではささやかながら、使者殿の労をねぎらう為の酒宴を今宵は開く予定だ。フィリップ候への返答の書簡は明日までに作成してそなたに預けるゆえ、今日はこの城でゆっくりしていってくれ」


「……では、お言葉に甘えて長旅の疲れを癒させて頂きます」


 思ったよりあっさりと会見が終わったことに驚くアルバトール。


(先ほど言っていた領内の問題に関係があるのかな?)


 あまりにもあっさりと終わった為に、アルバトールは会見に先立ってガスパール伯が言っていた領内の問題について気にし始める。


 何か手助けを申し出ようかとも思ったが、彼も明日には書簡を持ち、アルストリア領を発つ身であり。


 よって無責任に手助けを申し出るわけには行かなかった。


(申し訳ないけど、このまま何事も無く領内に帰ることを……)


「私の処遇はどうなっている。わざわざこのように空も見えぬ狭苦しい所で我慢してやったのを、何も無いでは済まされぬぞ領主」


(優先したいんだけど! 無事に済んだ会見を何で混ぜ返すの!)



 会談の内容を水面下で行われた静かなものに例えるとすれば、今のバヤールの発言は、巨大な石を腹いせに水面に投げ込んだと言う様な、激しく劇的な変化をその場に与える物だった。


 唐突な発言に謁見室は一瞬だけ静まり返り、バヤールに視線が集中する。


(な、なんだ!?)


 しかしふいに大きなきしみ音が上がり、驚いた全員が振り返ると、そこには肘をついて椅子に座っていたガスパールが、その肘掛を握り締めてバヤールを睨んでいた。


「元より処遇は決まっている。森へ戻るがいい、バヤール。ここまで同席を許したのはせめてもの情けだ」


「私の望みは主に同行することだ。たかが人間の領主如きが、神馬であるこのバヤールの行動を制限するとは不遜な」


 二人の剣幕に耐えきれず、全身鎧を着込んだガスパール伯の体ですら容易に支えていた椅子が悲鳴を上げる。


 そんな睨みあう一人と一頭の間に挟まれながら、アルバトールは親しい間柄の人に買って帰る、アルストリア土産の内容を考えていた。


(まぁ僕のこれまでの人生経験から言って、無事に済むはずも無いよね。こんな状況すら当たり前に感じてくるって、人間の順応性って凄いなぁ)


 その顔は少々涙目であった。

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