チャプター71 決別
少女の目は酷く暗く、何もかもを拒絶する。目の前の敵も、かつての仲間もそして自分自身ですら拒絶するような目はシロを静かに睨み付けていた。少女の詩が完成した時、シロに黒い光が襲い掛かっていた。
「やめろ!!レイ!!」
零花が作り出した光を避け、シロは叫んでいた。少女は表情を変えることなくルシファーの横に並び立つ。悪魔は一命を取り留めたことに安堵はしなかった。それは安堵するということ自体が負けを認めるということになるからだろう。
「零花、どうした?こんなところにきて」
「私はただ見物にきただけ、そしたら死にそうな悪魔がいたからわざわざ助けてあげたの」
「死にそうになどなってない!!」
「そうだった?」
そんな他愛もない会話が続く中、一人の死神はさらに大きく叫んでいた。
「レイ!!」
黒髪の少女はゆっくりと目線を悪魔から死神に向かって行く。瞳は依然としてくらいままで、声をかけられたことが嫌そうに凝視する。
「なにかしら?一之宮シロ?」
「戻ってこい…レイ…みんな待ってる、お前のために…みんな戦ってるんだ」
「だから…何なの!!私は…私の存在なんてどうでもいい…」
「レイの存在は桐彦も!!このえも!!望月も!!認めてる。もちろん俺だって!!」
「そんなわけない!!私には聞こえるもの…」
「…聞こえる?」
「みんなが…世界が…言ってる…私なんか…いらないって…」
「そんなこと誰もいってない!!」
「貴方には…わからないよ!!」
劈く彼女の声は世界に広がり悲鳴となる。それを受け止めることができるのはシロだけだった。
「わかってるよ…そんな世界なら俺が壊してやる」
ただ目の前にいる少女に近づき、神の遺産を流すというだけの作業のためだけにシロは走り出す。
彼に確証はない。
ただ彼は確かめたかった。彼女が本心をさらけ出した結果がこうではないということを。
ただ彼は伝えたかった。自分たち死神がここにいる理由を。
ただ彼は助けたかった。彼女を彼女自身の束縛から、世界の束縛から。
零花は近づく死神が向かってくる理由がわからなかった。それが彼女に恐怖を与え、拒絶する。
彼女には絶望しかなかった。
ただ彼女は守りたかった。自分の存在を。
ただ彼女は信じたかった。自分自身の意味を。
ただ彼女は知って欲しかった。自分の苦しみを、怒りを。
迫り来る恐怖のまえに彼女の死力は増大していく。なりふり構わず扇子を作り出してはそれを投げる。シロにとってたった一人の死神は脅威ではない。脅威だったのは彼女の心に巣食う絶望だった。
悪魔の攻撃に比べれば、漆黒の髪をもつ少女の攻撃に対してなにもせずとも良かった。
少女はただ叫んでいた。
「なんなのよ!!あなた自身、自分のことを認めてないくせにえらそうなこと…言わないで!!」
「だからって、零花の存在が意味がないってことにはならない!!」
「もう…こないでぇええええ!!」
彼女の叫びは彼女の絶望を表し、その絶望に呼応するように彼女の死力は爆発的に増幅する。彼女の攻撃はさらに激しさを増していく。扇子は宙を漂う花びらのように漂い続け、シロの体を襲い続ける。それでも一之宮シロは歩みを止めない。
俺はあの時、レイの思いを受け取れなかった…
だから、今度は絶対に…
レイも大事な…仲間だ
シロは彼女に近づくたびに自分の思いの伝え方をどうすればいいのかと考えさせられる。言葉、態度、仕草、どれもこれも彼女に思いを伝えるのには足りない。それをわかっていた死神は誰に聞こえているかわからない小さな声で呟いた。
「嫌だ…俺はレイを助けるまで…思いを伝えるまで…見捨てない…彼女を苦しめる世界を…壊す…」
神の遺産と言われる力を解放したシロには考える。破壊したいという心を持ちながら守るという想いが成り立つのだろうかと。
根本的に破壊というのは手段であり、守るというのは結果。その理由からシロの結論は成り立つというものだった。
だからこそ、死神はレイに手を伸ばす。
それを黙って見ているほど傲慢の悪魔は優しくはなかった。
「よくやった。零花…さすがだ…”無戸室”」
零花に手が届くあと一歩のところで聞こえた悪魔の声は二人を引き離す引力を作り出す。地に着いていたはずの足は引力が作り出す浮力によって空を飛ぶ。零花も別の引力によって徐々に体を浮かび上がらせる。
「手を…手を伸ばせ!!」
「これで…いい…私は役にたてた…私の存在は無駄じゃなかった…」
「レイ…」
彼女の言葉はシロが過去に思っていたことを代弁する。それが仮初の希望だということに少女は気がついてはいない。本当の希望を未だ知らない零花はただ悲しそうに笑っていた。シロは彼女が抱いたものが仮初の希望であることに気がついているからこそ手を伸ばした。
「…それは違う」
少女は解せない表情で声を荒げた。
「なにが違うの!!存在が無駄じゃないとわかっただけで…私はもう…」
「レイの存在は誰のもでもない…悪魔のものでも…世界のものでもない…」
「だったら…私は誰のために、何のために存在してるっていうの!!」
「誰のためでもない…零花が教えてくれたんだろ?自分自身のために存在してるんだ!!だから…これでよかったなんて言わないでくれ…」
その言葉は零花に少しだけ希望を抱かせる。少しだけでもそれは本当の希望だった。彼女の頭の中では否定される目の前の青年の言葉。けれど、心は自分の考えを否定し、目の前で必死に手を伸ばす青年を求めていた。体は心に同調し、青年にむけて手を伸ばす。それを阻止したのは青年の言葉を否定した頭であり、伸ばされた手は戸惑いを隠せずに引き返そうとするが、青年が伸ばされた手を見放すわけはなく強引に捕まえていた。
少女の手を握り自分のもとに引き寄せ、抱きしめながら彼は願った。
頼む…零花を救ってくれ…
悪魔の呪縛を…壊してくれ…
彼女の痛みを壊せ…
白い光は二人を包み込む。光の中で彼女は自分の存在を感じていた。自分の心に救う絶望はゆっくりと砕け散る。
簡単なことほど見失いやすい、だからこそ人は迷うのだろう。
青年が与えてくれるわずかな希望がゆっくりと心に染み渡り、溢れ出た希望は一筋の光になって零れ落ちた。
「ごめん…なさい、シロさん…ごめん」
「レイ…謝らなくいい…」
優しい声が腕の中で聞こえていた。安堵すると同時にシロは、むしろ自分が彼女に謝らなければならないことを思い出す。
「ごめん…レイ…レイのつらかったことをわかってあげられなかった…」
「ううん…私が弱かっただけ…シロさんは悪くない」
未だ引力は二人を引き込もうとする中で悪魔は一度だけ舌打ちをしていた。
「解けたか…」
全てが終わったことを察した悪魔は溜息を吐き出した。
シロは願った。この戦いが終わること、つまり悪魔を破壊することを。
その思いは白い光となり、ふたたび彼に力を与える。死神は鎖をつけた大鎌作り出して、鎌を地面に投げ込んだ。地面に突き刺さった鎌を手繰り寄せるように鎖に力をこめ、引力の支配から抜け出す。少女を腕から解き放し、地面に突き刺さったままの鎌を抜き、一人立ち尽くす悪魔に向けて走り出していた。
死神が迫り来るが、それでも悪魔は動かない。シロは容赦なく鎌の刃を悪魔の首もとに添えて引き切った。悪魔の体は力をなくし、崩れ落ちたのだった。切り離された頭が地面にゆっくりと落ちていく中で、シロは悪魔の言葉を聞いた。
「その力は破壊の遺産…全てを壊す破壊の遺産…君はその重さに耐えれるかな…」
その言葉の意味を理解することなくシロは体を回転させて、残った頭部を完全に破壊した。
シロと傲慢の悪魔の戦いは幕を閉じた。シロは神の遺産を発動をとめ、周囲を見渡した。他の悪魔たちも無事に戦いを終えたようで辺りは静寂が支配する。
それぞれの戦いを終えた死神たちが近寄ってくる。零花の姿をみた篠崎と望月は満面の笑みを浮かべながら走り出す。
桐彦も戦いで消耗したことを忘れて走ってくる。
その光景がシロに戦いが終わったことを自覚させ、彼もまた力を抜き笑顔になる。自分が作り出してもいない表情を初めて見せたシロがそこにはいた。
「シロさん…終わったんすね」
そんな桐彦の言葉に静かに同意したシロの心は穏やかだった。先ほどまで自分がいる世界を憎み、破壊するという乱暴な感情は消えうせていた。
「ああ…終わった、やっと…」
彼の言葉の裏には仲間とともに帰れるという安らぎだった。シロは振り向き、改めて自分が戦った痕跡を見つめていた。彼は遠い過去のように感じられる戦いの痕跡が仲間のいる世界を勝ち取った。そんな誇らしい気分にさせてくれる。過去を振り返っても仕方が無いというようにシロは正面を向く。。
みんなが元気に死神の世界に帰ることができる喜びを共有しようと歩き出すが、桐彦や、望月、篠崎、そしてレイまでもその場から動こうとはしなかった。
”帰ろう”そう声をかけようとしていた。
死神たちの表情は重かった。先ほどまでの笑みはなくなり、ただ悲しげに下をむく。何が起こっているかわからないシロに残酷な現実を宣告するように桐彦は必死に言葉を作り出していた。自分たちがおかれている状況が作り出す未来に暗雲が潜んでいる。
桐彦の言葉はそれを突きつけるのには十分だった。
「これで…お別れっすね…」
なぜ?それがシロの率直な思いだった。
”お別れ”…その言葉は子供でも、青年でも、大人でも、老人であっても意味はわかる。シロであってもその言葉の意味はわかっている。シロがわからなかったのはなぜ今”別れる”という単語が使われてしまったのかということであった。
少女たちは桐彦からその言葉を聴いたとき、さらに表情は曇っていく。彼女たちはわかっていたのだろう。
今、"別れる"という言葉が使われている理由を。




