「前編」
俺には両親がいない。幼いときに二人とも事故で死んでしまった。
一応親戚が引き取ってはくれたけど、鬱陶しく思っていたみたいで。何かと辛く当たられた。
あまり迷惑はかけたくないからと言って、中学卒業を機に一人暮らしすることにした。彼らも喜んでくれたし、こちらとしてもせいせいした。
高校はどうしたかというと、これでも学力はあったからね。学費免除で入れるところが見つかったのが幸いだった。お金はないから、部屋は学校の近くにある安いボロアパートを借りた。
生活費を稼ぐために夜遅くまでバイトをして、帰ってきたら勉強。それで一日が終わる。ほとんど友達とも遊べないけれど、別にそれで不幸だと思ったことはなかった。何のことはない平穏な毎日を過ごしていた。それだけの、いたって普通の高校生だった。
けれどそうだった日々は、今は遠いことのように思える。
***
事の発端から始めよう。最近、よく変な夢を見ていた。
真っ暗な空間がどこまでも広がっていて、ぽつんと俺が立っている。目の前には、女の子が立っている。艶やかに流れる黒髪を肩の少し上まで伸ばした、可愛らしい女の子だ。
俺は、彼女と見つめ合っている。まったく知らないのに、なぜだか赤の他人の気はしなかった。
それよりも、むしろ――。目の前の少女に対して、まるで俺自身であるかのような――もう一人の自分がそこにいるかのような、そんな不思議な感覚を覚えてしまっていた。
常識的に考えれば、おかしな話だ。確かに俺は声も高めで、女顔だ。あまり男らしくないってよく言われる。けどそれでも、体つきはそれなりだし、背も平均的にはある。間違いなくれっきとした男だ。
彼女は俺よりも柔らかな印象だ。背も少し低いし、ほどよく膨らんで形の整った胸が、女性をはっきりと主張している。どう考えたって別人に違いないはずなのに。
ところが、彼女の綺麗で可愛らしい顔には、確かに俺の面影があった。全身から放たれる雰囲気まで似ていた。その目つきはどことなく凛々しく挑戦的であり、少々男勝りな印象を与えている。だがよく見れば、それはまったく俺の目つきそのものだった。
夢の中の俺は、彼女に向けて手を伸ばす。同時に彼女も俺に手を伸ばす。鏡合わせのように対称的な動き。
そして二人の手が触れた瞬間、不思議なことが起こった。両者の境界が失せて、互いにすり抜けるようにして入り込んでいく。次第に俺の体が彼女に融け込み、混ざり合うようにして一つになっていく。
自分という存在がまるっきり作り変えられていくような、妙な感覚が全身を包み込む。身体中に蕩けるような快楽と、燃えるほどの熱さを感じて――。
……いつも、そこで目が覚めるんだ。
これと同じ夢を何度も見た。内容が内容だけに、頭がおかしくなったんじゃないかとも心配した。でも、このおかしな夢以外には何も異常はなくて。
所詮夢は夢だと思っていた。気にすることじゃないって、そう考えていた。
だけど、違ったんだ。
***
十六歳の誕生日を迎えた夜。その日も夜遅くまでバイトだった。
帰り道の途中で、異様な人物が電柱にもたれて立っているのを見かけた。金髪の女性だった。
何が異様かと言えば、まず服装だ。まるで中世の魔女みたいな、現代日本にあるまじき奇抜な恰好をしていた。何のコスプレかと、思わず三度見しそうになる。
しかも右手には、何やら装飾された黒い杖らしきものまで持っている。そのままゲームに出しても通用しそうな感じだ。
深夜のこの辺りは人通りがまったくない。見るからに怪しい彼女は、誰かを待っているにしても不気味だった。絡まれたら怖いなと思わせるには、十分な佇まいである。
――というか普通にやばいよね。あれ。
できるだけ何気無い振りをして、さっと横を通り抜けようとした。だがそのとき、
「星海 ユウね」
「えっ!?」
いきなり俺の名前を呼んできた。あまりのことに動揺して、変な声が出てしまう。
――どうしてこの人は、俺の名前を知っているんだ!?
こちらの混乱をよそに、彼女は妖しげに頬を緩め、くすりと小さく笑った。
「その反応。当たりね。やっと見つけた」
――見つけた? 見つけたってどういうことだ。
《バルシエル》
その言葉の意味するところを考える暇もなく、彼女はもう動いていた。意味不明な言葉を唱えつつ、勢いよく杖を振るってきたのだ!
俺はまともに反応もできず、ただびくっと身じろぐばかりだった。
――な、なんだ急に!?
辺りをきょろきょろしてみるも、特に何も起こってはいない様子。落ち着かないまま、とりあえず視線を相手に戻す。
彼女は、あからさまに顔をしかめていた。
「この星の自然現象である、風に関わる魔法ならギリギリ使えるかと思ったけど。どうやらここは異常に許容性が低いらしいわね……」
小声でぶつぶつ言っているようだけど、さっぱり意味がわからない。
――何なんだ。いったい。この人は。
すっかり混乱してしまい、その場で棒立ちになってしまっていた。
――なんか危ない人みたいだし、さっさと逃げた方がいいかな。でも俺に用があるらしいから、一応話を聞いてみるべきだろうか。どうしよう。
もしほんの数秒でも猶予があったなら、普通に考えてやっぱり逃げようとなっていたと思う。
「仕方ないわ。時間もないし」
まだ結論が固まらないうちに、相手は次の行動に出た。手に持っていた杖を弄り始めると、先端から何かが突き出す。
――刃物だ。杖の先が、鋭い刃物のように尖っている。
ぎょっとした。キラリと光る尖端は、明らかに危険な匂いを放っている。
――え……なに。ちょっと待って。まさか。
正直、嫌な予感しかしなかった。最悪の想像はそのまま的中する。
あろうことか、彼女は凶器と化した杖を、いきなり俺の胸元目掛けて突き刺してきたんだ!
――うわあっ!
咄嗟に身を捻った。よく動いた。奇跡的に素晴らしく身体が動いてくれた。当たれば間違いなく致命傷となる一撃は、脇のすぐ横を掠めていった。
でも助かったと思う暇もない。彼女は杖を突き出したままの姿勢から無言で立て直すと、すぐに凶器の杖を構え直した。
――あれ。表情が変わった……?
それまで心の乱れなんて微塵も感じさせない動きだったのに、明らかに困惑を隠し切れていない様子だった。
「おかしい。あなたに私の攻撃をかわせるはずは――まさか、身体能力も落ちるというの? この星は」
相変わらず、言っていることは意味不明だ。ただ、向けられた殺意にだけは理解が追いついていた。
――殺されるかもしれない。
そのことをはっきり認識したとき、ありふれた日常は一瞬にして極限の非日常へと転化した。この身を襲う未曽有の危機に戦慄した。
足が震える。逃げたいのに、逃げられない。背を向けられない。彼女を視界から見失うのが、怖い。
辛うじて振り絞った声は、自分でも情けなくなるくらいに弱々しかった。
「なんで、俺を……?」
その問いを向けられた彼女は、なぜかひどくもの悲しげな顔をした。
「ユウ。あなた、最近自分のことでおかしなこと、あるいは不思議なことはなかった?」
「それは……」
あると言えばあるけど。あの不思議な夢はそれに当たるのだろうか。
彼女は沈黙を肯定とみなしたようだった。
「どうやら心当たりがあるようね。それは、兆候よ」
「どういうことだ?」
「あなたは、間もなく特異な能力に目覚めるわ」
「え?」
急に何を言ってるんだ。わけがわからない。
「そのとき、あなたもまた星々を渡り歩く者になるのよ。私がそうであるようにね……」
まるですべてに絶望して、ただ笑うしかない者が浮かべるような、そんなひどく暗い笑みを浮かべた。
――能力だとか、星々を渡り歩くだとか。一体何を言ってるんだよ。こいつは……。
唖然としてしまう。
すると彼女は、立ち尽くす俺にずいと詰め寄ってきた。戸惑う間もなく、頬に手が触れて、顔を引き寄せられてしまう。
息がかかるほど近づけて。じっと見つめる緑色の瞳が、哀しげな光を湛えている。どうしてそんなに悲しそうなのだろうか。
そのまま俺の耳元に口を寄せ、囁いた。
「つまりね、ユウ。あなたはもう、この星には居られないのよ?」
電撃が走るような衝撃だった。
――この星には居られない、だって!?
彼女はもう耳元から口は離していたものの、身体の方は逃がしてくれなかった。突然の宣告に驚き戸惑う俺に、改めて向き直る。
「あなたは流されるまま星から星へと、この宇宙を永遠に彷徨うことになるの。そう、永遠にね……」
そう言う彼女自身も、心底嫌な顔をしていた。まるで自分の言葉を噛み締めるように。
――何が宇宙を彷徨うだ。ふざけた冗談を言うな!
そう言い飛ばしてやりたかったのに、からからに乾いた口からは何も出てこなかった。
だって有無を言わせぬくらい、真剣な顔をしていたからだ。それに心底俺の身を案ずる目をしていたからだ――まるですべて、本当のことみたいに。
影を縫い付けられてしまったかのごとく、目を背けることができなかった。
そんな俺を伏し目がちに見据えながら、言葉を続ける。彼女なりの切実な思いが込められているように思えた。
「もう時間がないの。今のあなたには、まだわからないでしょう。けれど、今ここで死ななければ、あなたはきっと生きてしまったことを後悔する。それだけは確かよ」
そして、懇願するようにこう言ったんだ。
「今ならまだ間に合うわ。だから、お願い。手遅れになる前に、私にあなたの命を終わらせて」
何も答えられなかった。いくらなんでも滅茶苦茶な話だと、理性ははっきりと告げている。
どこの誰とも知らない人が言った絵空事のために、どうして死ななくちゃならないのか。
でも……。
真剣な目を見ると、どうしても下らない嘘だと笑い飛ばすことはできなかった。それに下手に刺激すれば、またすぐにでも刃を向けてくるかもしれない。
――もしも。万が一、この人の話が真実だとするなら。星々を渡り歩くなんて、まったく想像を絶することだ。
言う通り、本当のところなんて経験してみなければわからない。けど、死んだ方がましなんてことがあるのだろうか。
いきなり殺されそうになって。こんなわけのわからない話をされて。何だか悪い夢でも見てる気分だ。くらくらしてきた。
嫌な汗が流れる。動悸がする。
最初は具合が悪くなったのだと思った。でもなんか、変だ。
心臓の鼓動が、どんどん激しくなっていく。明らかに異常なほどに。
身体の様子が、おかしい。ますます胸が苦しくなる。急激に体中が熱くなっていく。
――どう、なってるんだ! 熱い! 苦しい!
とうとう立っていられなくなり、倒れ込んで喘ぎ声を上げた。
「あっ、ううっ!」
「どうしたの? まさか!? いや、そんなはずはっ! 覚醒はまだあと少し先のはずなのに!」
身体中が融けるような感覚は、まるであの夢のようだった。
――どうして。どうして今、現実にこれが起こっている!?
肉体が急激に変化していくのを感じる。あり得ないことがこの身に起こっていた。自分でも自分がどうなっていくのかわからない。怖い。
全身を包む熱気と、脳内物質が異常分泌されているのか、蕩けるほどの気持ち良さが同時に襲ってくる。
とても動けない状況で、会話だけが耳に入ってきた。金髪の彼女ともう一人。どこから現れたのか、少年らしき者の声が聞こえる。
「ごきげんよう。エーナ」
「はっ!? ウィル!? あなた、どうしてここに!? 一体ユウに何をしたのっ!?」
「能力の覚醒を少しばかり早めてやっただけだ。それより、お前こそ何をしていた。フェバルを眺めるのが僕の趣味なんだ。せっかくの暇潰しを失くすような下らないことはやめろよな」
「あなた……なんてことを! せっかく忌まわしい運命から救えるはずだった人を!」
「もう遅い。そんなことよりだ。調べたらこいつの能力、面白いぜ」
「何が面白いのよ」
「通常フェバルの能力は、エーナ、お前の【星占い】や僕の【干渉】のように、この世の条理を覆してしまう力ばかりだよな」
「ええ。それが?」
「だがこいつは――ははははは! 確かに条理は覆るさ。何せこいつは、性別の垣根を越えられるんだからな!」
「なんですって!?」
「くっくっく。男女がスイッチのように瞬時に切り替わる。何ともおかしな能力さ」
――男女がスイッチのように、切り替わる!? なら、この身体の蠢きは、まさか!?
ウィルと呼ばれる少年の声が、まるで一人演説のように弾む。
「聞けばこの星の神とやらは雌雄同体で、自らの写し身として人の男女を作り出したという話があるそうじゃないか。だとすれば、男女を兼ね備えたこいつはある意味で神の器と言っても良いかもなあ? そうだな――ならこいつの能力は【神の器】とでも呼ぼうか!」
――神の、器……。
「ははは、こりゃあいい! 随分と大層な名前じゃないか! 僕は見たいね。この新入りが、そのふざけた能力でどうやって生きていくのかを! 見ろよ! 胸が張ってきてるぜ!」
嫌な視線を感じる。ひどく恥ずかしかった。
――やめろ! 見ないでくれ! 俺は、見せ物じゃない!
「んあ、あああっ!」
出したくないのに嬌声が漏れる。その声が、おかしい。いつもより高い。
「おかしい。あなた、さっき男女は瞬時に切り替わるって言ったじゃない! 【干渉】でわざと変化を遅らせているわね!」
「なあに。反応が面白いんで、ちょっと遊んでいるだけさ」
――な、んだって!? ウィルとか、いうやつ、め!
「う、ううんっ……!」
「やめなさい! 苦しんでいるじゃないの!」
「そうか? 僕にはむしろよがっているように見えるがな」
悔しいけど、彼の言う通りだった。苦しいのに、同時におかしくなっちゃいそうなくらい気持ち良くて、仕方がないんだ!
「くっくっく。まだ喘いでやがる。そうだな。ぼちぼち変化も終わらせて少しばかり挨拶してやるか」
「ユウに何をする気!? これ以上勝手なことは――」
「お前、うるさいな。ちょっと黙れよ」
エーナと呼ばれていた女性の悲鳴が聞こえた。それを最後に、彼女の声はもう聞こえなくなった。
***
どれほど長いこと悶えただろう。身体の変化が落ち着いてきたのか、ようやく苦しみと快楽の渦から解放されそうだった。
――まだ、身体中が火照っている。いったい、俺は――あれ?
自分のことを俺と呼ぶのに違和感があった。
――俺、じゃない。私だ。
自分を私と呼ぶ方がしっくりきた。なぜそう思ったのか。それを教えてくれたのは他でもない、変化を終えつつある私の肉体だった。




