リシーロとムガルバイトの結婚
――リドディエに白百合が嫌いなことを打ち明けてから数日後。
エクリーユの炎によって塵となった花々の代わりに、黒百合が植えられた。
(もう、カーテンを締め切りにする必要はないのね……)
少女は勢いよく光を遮る布を開け放ち、窓を開けて身を乗り出した。
時折吹き込む風がさらりと頬に当たるのが、心地よく感じる。
(やっと精神的な安定を、得られた気がするわ……)
この国に来てテラマと再会してから、彼女はいつだってエクリーユのそばにいてくれた。
しかし、侍女という立場でいる限り、国王の機嫌を損ねたら再び離れ離れになってしまう。
一時的な安寧を得られても、本当の意味で安心などできなかったのだ。
だが――彼と街中を散策して周り、言葉を交わし合った効果か。
第2王女はここで暮らすのが、当たり前になりつつある。
(リドディエ様のそばは、天国のような環境だわ……)
毎日真新しい洋服に身を包み、1日3食の食事が与えられ、毎日入浴ができる。
誰にも加害されることなく続く、穏やかな暮らし――。
(このままずっと、こうして静かに過ごせたらいいのに……)
リドディエが一国を担う王であり続ける限り、ささやかな願いは叶わない。
彼の隣にいたいと望み続ける限り、王妃として陛下を支える義務があるからだ。
公の場に顔を出す機会も訪れるだろう。
当然、母国の人間とも顔を合わせることになる。
(冷静でなんて、いられるかしら……?)
中途半端ではあるが、己を痛めつけていた兄たちに対する罰は充分すぎるほどに与えたつもりだ。
あとは妹さえこの世から葬り去れば、エクリーユの復讐は完遂する。
(リドディエ様は、こんな私にも優しくしてくださった……。とても素晴らしいお方だわ……)
果たしてそんな人を、復讐に巻き込んでもいいのだろうか?
エクリーユは何度も、心の中で自問自答を繰り返す。
(あの方を、失望させたくない。もっと、好きになってほしい……)
捨てられるのが怖いと、一度でも感じたら駄目だった。
少女は背筋が凍るような思いに顔を顰め、窓を閉めるために取っ手へ指をかける。
「聞いたか? アティール王国の話」
「ああ。なんでも、大規模なクーデターが起こったんだろ?」
「そうそう。まさか、新しい国王が、妹を婚約者にすると宣言するなんて……」
だが――震える指先が窓の開閉を終えるよりも早く、噂話はエクリーユの耳まで聞こえてきてしまう。
「しかも、王太子じゃないんだよな」
「そう。アティール王国の国民が、ずっと王になって欲しいと打診していた第4王子が玉座につき、第3王女と婚約を結ぶと言ったんだ」
「より濃い血を持つ子を成すためにってことか? イカれてるなぁ」
ムガルバイトが王になって、忌々しい妹が彼の婚約者になった。
それは奇しくも、かつて自身が愛した人と殺したいほどに憎んだ人で――。
「え……?」
「なぁん」
エクリーユが驚きの声を上げた直後、猫の鳴き声が聞こえた。
こちらの異変を悟り、心配してくれたのだろう。
「なぁ、あれって……」
「陛下の黒猫と、アティール王国の第2王女様……」
「やべっ!」
「おいおい、冗談だろ!?」
少女はガタンと勢いよく窓を閉じたが、恐ろしい噂話を口々に囁き合う男性たちが焦る声を防ぐことはできなかった。
(兄様と、あの女が……婚約……?)
エクリーユはその場にドサリと崩れ落ち、力なく虚空を見つめる。
彼は自分ではなく、妹を選んだ。
深い悲しみに包まれたエクリーユは、ムガルバイトと決別を告げたはずだった。
なのに――あの2人が恋仲になったと聞いて、強い衝撃を受けている。
それを信じたくなくて――。
「んにゃあ……」
「あ、あ……っ。猫、さ……っ」
ガタガタと全身を震わせる少女に「怖くないよ」と身を寄せる獣の姿を目にしたら、もう駄目だった。
小動物を抱きしめたエクリーユの瞳からは、大粒の涙が頬を伝ってこぼれ落ちる。
「姫様?」
ドサリと大きな音がしたからだろう。
席を外していたはずのテラマは、と様子を見に来たらしい。
「どう、して……?」
うわ言を呟く王女の姿を目にした侍女は、悲鳴のような声を上げたあと即座に踵を返す。
「陛下を呼んでまいります!」
ひと目見ただけで自分の手には終えないと判断して他者へ助けを求めるのは、簡単なことではない。
(こういう時、テラマがいてくれて本当によかったと思うのに……)
今はその優しさが、ありがた迷惑でしかない。
ムガルバイトに嫌悪をいだいている彼が己の傷ついた姿を見れば、きっと心を痛めるだろう。
(私は陛下に、笑っていてほしいわ……)
自分は彼に、迷惑をかけてばかりだ。
(こんな私なんて、いないほうがいい……)
負の思考に飲み込まれたエクリーユは、何かに突き動かされるように黒猫を離す。
「にゃあん!?」
少女はよろよろとおぼつかない足取りで立ち上がる。
再び窓を開け放つと、獣が足元で己の足首を引っ掻く痛みすらも気に留めた様子もなく、外に向かって身を乗り出す。
「なぁん!」
小動物は必死にエクリーユを止めようとしたが、小さな身体では静止をしきれず――。
(リドディエ様……。私はあなたと一緒に過ごせて、幸せだったわ……)
こうして王女は人知れず彼に対する謝辞を並べ、再び命を投げ出そうと試みた。
「ひっ!?」
「エクリーユ!」
しかし、またしても邪魔が入ってしまう。
少女が身を投げるよりも、乳母が陛下を呼んでくるほうが早かったのだ。
侍女の引き攣った悲鳴と自らの名を呼ぶ怒声を耳にした少女は、背中から己を羽交い締めにして止めた彼に向かって声を震わせる。




