髪留め
「なら、こちらは?」
次にリドディエが差し出して来たのは、黒と緑、ピンクや紫といった色鮮やかな印象を与えるミイロタテマイの蝶が象られた髪留めだった。
「とても、綺麗ね……」
「ああ。エクリーユに、よく似合うと思ってな。ずっと、目をつけていた」
「そう、なの?」
「信頼関係がうまく構築されていない状態で指輪を送ったところで、恐怖を感じるだけだろう。髪飾りなどであれば、肌見放さず身につけられる」
「ええ……。これだったら、心配いらないわね」
少女は差し出されたヘアアクセサリーを手に取ると、それを使って右上部につけた。
「どうかしら……?」
「エクリーユの魅力が、何倍にも引き立っている」
「そう……?」
「ええ。先程まで感じた影の薄さが、霧散いたしましたわ!」
エクリーユは遠回しに女性店員から「存在感がない」と言われているような錯覚に陥り、悲しそうに眉を伏せた。
(私だって、第2王女なのに……)
誰かに敬われたいと思うのなら、王族らしい気高さを身につけるべきだ。
(体力づくりだけではなく、リドディエ様が放つ王に相応しきオーラも、勉強しないといけないわね……)
エクリーユはぼんやりと婚約者を見つめながら決意を新たにする。
その様子を見ていたリドディエは、少女に向かって思いも寄らない提案をした。
「君は、動きやすい服装のドレスがほしいと言っていたな」
「ええ。そうよ」
「膝丈の和装は、ピッタリなのではないだろうか」
「言われて見れば……」
第2王女は店員と国王から距離を取り、外に繋がる扉の前でぴょんっと飛び跳ねる。
フリルがふんだんにあしらわれたスカートは重さを感じるものの、踝丈のドレスよりは動きやすい。
(夜着に比べれば、布地もしっかりしているし……)
恐らく、この衣服であれば使用人たちに見られても驚かれることはないだろう。
エクリーユが小さな身体をくるりと回転させて動きやすさを確認していれば、満足そうに目元を和らげたリドディエと目が合った。
「何よりも、遠くからでもエクリーユを見つけられるのがいい」
「王城では、私しか着ないから?」
「ああ」
「陛下の婚約者様が好んで着用なされていると噂が回れば、我が店も景気がよくなって助かるのですけれど」
「国民たちが押し寄せてきても、1人で裁けるのか?」
「人気者になりすぎるのも、大変ですわね」
一瞬叶わぬ願望をいだいた女性店主は、すぐさま陛下の指摘を受けて考え直したようだ。
彼女は呆れたように肩を竦めると、手慣れた手つきで乳母とともに壁際へ控えていた側使えと何やら金銭のやり取りをし始めた。
「お洋服は、このまま着ていかれますの?」
「ああ。着慣れておいたほうがいいからな。それに……。これから街の様子を、見て回る予定だ。宣伝にもなるだろう」
「陛下のお心遣い、感謝いたしますわ」
エクリーユがぼーっとしている間に、2人の中でやり取りが終わったらしい。
わざわざ身に纏っていたドレスに着替える必要がない以上、ここにいても仕方ないと考えたのだろう。
「行こう」
「またのお越しを、お待ちしておりますわ」
少女は彼のエスコートを受け、呉服店を出た。
「リドディエ様……。本当に、よかったの? 髪留めだけではなく、衣服まで……」
「ああ。ちょうどいい機会だ。遠慮せず、着倒してくれ」
「でも……。頂いてばかりは、なんだか恐縮してしまうわ……」
エクリーユが他者に何かをしてもらった記憶など、ほとんどない。
プレゼントなんて、その最たるものだ。
(どうせ何かを誰かから頂いたとしても、すぐに壊してしまうもの……)
もしも自国にいた時、リドディエから贈り物をしたいと言われても――少女は絶対に受け取ろうとは思わなかっただろう。
殴る蹴るの暴行を日常的に受けていたからこそ、どんなにそれらを大切にしたいと思っていてもできないと自覚しているからだ。
(陛下が私をここに連れて来てくださって、本当によかったわ……)
やり方こそ多少強引だったが、彼のおかげでエクリーユは初めて大事にしたいと思える贈り物をプレゼントしてもらえた。
それを喜ばずして、どうするのか。
心が幸せでいっぱいに満たされた少女は、真紅の瞳を綻ばせて絡め合った腕に細い身体をピトリと密着させる。
「人酔いでもしたか」
「いいえ。リドディエ様のぬくもりを、感じたかっただけよ……」
「嬉しいことを、言ってくれるな。自らが王であることも忘れて、抱きしめたくなってしまう」
「陛下……」
彼は紫の瞳を愛おしそうに和らげ、少女の望みを叶えるかのように腰元に手を伸ばして引き寄せた。
より密着する体制になったせいか。
エクリーユの鼓動は高鳴り、頬に赤みが増す。
「君は本当に、愛らしいな……」
「リドディエ様が優しい瞳で、私を見守ってくださるから……。うちに秘めたる魅力が、引き出されたのかもしれないわ」
「無条件に曝け出されなくて、本当によかった。エクリーユが可憐で麗しい白百合であることは、僕だけが知っていればいい……」
エクリーユは婚約者の口から大嫌いな単語が飛び出してきたことに気づき、固まった。
先程まで恍惚とした表情をしていたのに、表情が曇ったのだ。
当然彼も変化に気づき、こちらを窺う。
「どうした」
「何も……」
「君の願いは、どんな無理難題でも叶えると言ったはずだが」
望みを促されてしまえば、伝えぬわけにもいかない。
エクリーユはどこか寂しそうに真紅の瞳を和らげ、ぽつりと呟いた。
「では、このまま予定通り、この国を見て回りたいわ……」
エクリーユの願いを聞いたリドディエは、拍子抜けしたように問いかける。
「そんな些細なことで、構わないのか」
「最初から、その予定だったでしょう?」
この場で「あなたが白百合の話をする度に、腸が煮えくり返って仕方がないのよ」と憎悪を迸らせたところで、彼が不快な思いをするだけだ。
(私だけが、少し我慢をすればいいだけ……)
エクリーユは作り笑顔を浮かべたあと、彼の腕にしがみつく。
リドディエはしばらく何かを言いたそうにこちらをじっと見つめているが、結局望み通りの言葉を引き出すことは諦めたようだ。
「わかった。行こう」
「はい」
こうして2人は、再び散策を続けた。
*
「ああ、楽しかった」
王城に戻ってきてすぐ、口元だけに笑みを浮かべた第2王女はまったく心の籠もっていない声を発した。
(この忌々しい花が目の前になければ、心の底からリドディエ様と過ごした時間が楽しかったと思えたのに……)
エクリーユがそう思えなかったのには、理由がある。
彼の寝室――今となっては少女の住居と化した窓から外を見渡した際、視界に飛び込んでくる花壇の前までやってきたからだ。
そこには枯れかけた白百合の花が、最後の力を振り絞って必死に咲いている。
「無理をするな」
「いいえ? 本心よ」
「エクリーユ。僕に何を、隠しているんだ」
一度ならず二度までもはぐらかすのは、さすがによくはないだろう。
(本当は、恐ろしくて堪らない……。私の本心を知ったら、陛下も自分を嫌いになってしまうんじゃないかって……)
エクリーユの脳裏にはいつだってそんな不安が過っていたが、彼が自分を心の底から心配してくれているのは、明らかなのだ。
(リドディエ様だったら、きっと……)
覚悟を決めた少女は陛下の腕に纏わりつくのを止めると、一定の距離を取ったあと両手を広げた。
「陛下はこの光景を、美しいと思うかしら?」
彼はエクリーユを、白百合の花だと称した。
だから、この答えは陛下が声を発する前から決まり切っている。
「ああ」
それでも問いかけたのは――本題に入るために、必要だったからだ。
(落ち着いて。平常心を心がけるのよ……)
エクリーユは浅い深呼吸を繰り返したあと、苦しい胸の内を語り始めた。




