着物
(さすがは大国……。母国に比べると何もかも、スケールが違うわ……)
執務室、客間、ダンスホール、厨房――ゆとりのある広々とした部屋の数々を目にした少女は、真紅の瞳を輝かせてその光景をうっとりと見つめていた。
(お城で働くみなさんも、とってもいい方たちで……。これもすべて、陛下のお人柄がいいからなのでしょうね……)
使用人たちから「姫殿下」と呼ばれて笑顔を向けられることに驚きを感じながら。
エクリーユは彼とともに王城内を一周し終えると、馬車に乗って街に繰り出した。
*
エクリーユは風景画でしか民家の立ち並ぶ光景や平民たちが行き交う姿を目にする経験がなかった。
そのため、陛下のエスコートを受けて馬車から降りた少女にとって、平民の日常は非日常に写ったのだろう。
少女は感嘆の声を上げながら、ぽつりと呟いた。
「みんな、お揃いの服を着ているのね……」
「麻布のワンピースは、平民の一般的な平服だからな」
「そうなの?」
「ああ。ドレスを身に纏う資格があるのは、裕福な家庭に生まれた貴族や王族だけだ」
「だから、私はドレスを纏うことを許されなかったのね……」
平民以下の扱いで充分だと思われていたからこそ、エクリーユは長い間着たきり雀で真新しい服を与えられなかった。
隣国の国民たちが自分よりもいい扱いを受けている姿を目にして悲しそうみ目を伏せた第2王女の姿が、気がかりだったのだろう。
リドディエは絡めた腕に力を込め、半場引き摺るようにしてある場所を目指す。
「リドディエ様……?」
「僕は君に、そんな顔をしてほしくてここへ連れてきたのではない」
「ごめんなさい……。わかっているの。悲しい過去なんて、さっさと忘れなければいけないと……。でも……」
「ああ。だから、今すぐ、つらい思い出を吹き飛ばせるところに行こう」
「それは、一体……」
不思議そうに問いかけるエクリーユにどこへ向かうのかを伝える前に、2人は目的地へ到着した。
「いらっしゃいませ。いつもご来店、ありがとうございます」
「ああ」
「今日は、お連れ様もご一緒なのですね」
「僕の婚約者だ」
「まぁ……。とても可憐な方。お会いできて、光栄ですわ」
異国情緒溢れる、袖が長く女子らしいラインをピッタリと覆い隠す不思議な布を纏った女性の姿をぼうっと眺めていれば、店員らしき女性はくすくすと声を上げて笑いながら解説してくれた。
「これは浴衣と呼ばれる生まれ故郷の民族衣装と、貴族たちが身に纏うドレスのいいところを融合したものですのよ」
「キモ、ノ……?」
「ええ。もしよろしければ、着てみては? 婚約者様は黒髪ですから、きっとお似合いになりますわ」
エクリーユは判断に迷い、隣に佇むリドディエに視線を移す。
彼は紫の瞳を和らげると、少女の背中を押した。
「興味があるなら、身に纏うといい」
「リドディエ様の貴重な時間を、私のような人間が奪うわけには……」
「気にするな」
「では、陛下。婚約者様を、お預かりいたしますわ」
「ああ」
「あ、あの……っ。店員さん……!?」
戸惑う第2王女から、彼が手を離す。
陛下の代わりに己の細い腕に纏わりついた女性は、そのまま奥の部屋にエクリーユを誘導した。
「わぁ……」
ふかふかとした感覚に戸惑いながら下を向けば、床は見慣れた茶色ではなく、緑色になっていることに気づく。
(これは、一体……)
少女が不思議そうに小首を傾げている間、店員はハンガーラックの上に立てかけられた色とりどりの着物を物色する。
彼女はエクリーユに似合う着物に見定め、嬉々としてそれを見せびらかした。
「婚約者様は、肌が白いもの。百合の花が、きっとお似合いですわ」
大嫌いな白百合の花がふんだんにあしらわれた着物を差し出されたエクリーユは、己の身体の奥底から湧き上がるふつふつとした怒りを必死に押し殺すように唇を噛みしめる。
(でも……黒を基調とした配色は、悪くはないのよね……)
「黒百合の花を象ったものは、あるかしら?」
「用意はありますけれど……普段着としてお使いになるのは、少々不吉ですわ」
店員には難色を示されたが、大嫌いな白百合の花を纏うよりはずっといい。
エクリーユは彼女の手にした着物ドレスを指差し、口元を綻ばせた。
「私は、それがいいの。着替えを、手伝ってくださる?」
「もちろんですわ」
女性は意気地になることなく、少女に希望通りの品を着せてくれた。
(洋服に、着られているような……)
店員は「とってもお似合いですわ」と満面の笑みを浮かべて口にしたが、自己肯定感の低いエクリーユは騙されない。
(商売ですもの……。たとえ似合っていなくたって、誰に対しても同じ言葉を伝えているに違いないわ……)
少女は呆れたように肩を落とし、女性に告げた。
「もういいわ。ありがとう」
「陛下がお待ちかねですわ!」
「このような姿をリドディエ様に見せたって……」
「とってもお似合いですもの。きっと、喜んでくださいます。さぁ、参りましょう!」
「わ……っ。ま、待って。私は……」
女性とは思えぬほど強い力で引っ張られてしまえば、なすすべもない。
エクリーユはあっという間に、店内の机に並べられた装飾品を品定めしていたリドディエの前にその姿を晒す羽目になった。
(似合っていないと言われたら、どうしましょう……)
自分に好意をいだいてくれている相手から否定的な言葉を聞きたくなくて、第2王女は彼から視線を逸らして俯く。
「エクリーユ……」
「陛下。私……」
「とても、綺麗だ」
リドディエから発された言葉を反芻したエクリーユは、思わず彼を呆然と見上げてしまう。
声を聞いただけでは、聞き間違いかもしれないと疑ったからだ。
しかし――陛下が自分に向ける視線は、とても優しい。
そんな光景を見てしまったら、疑う余地などなかった。
(リドディエ様が、私の容姿を褒めてくださったわ……っ)
少女の頬には、自然と熱が灯る。
婚約者の愛らしい表情を目にしたリドディエは紫の瞳を和らげると、第2王女にあるものを差し出した。
「これは、一体……」
長く尖った太い針のようなものの先端に、黄色を基調とした身体と黒い縁取りが印象的なアゲハチョウを象ったモチーフのついたそれは、一見何に使用するのかよくわからない。
エクリーユが呆然と問いかけた直後、陛下はそれが何かを丁寧に説明してくれた。
「簪だ。長い髪を、纏めて束ねる」
「こんな、鋭利な刃物を……? 髪に……?」
「ああ」
「寝返りを打ったら、頭に突き刺さってしまいそうで怖いわ……」
「外出時には、己の身を守る武器となる。エクリーユにピッタリだと思ったんだが……」
「陛下のご厚意は、とても嬉しいわ。でも、これはちょっと……」
エクリーユは体力づくりのために外へ出ることはあっても、ほとんどの時間をリドディエの寝室で過ごす。
気がついた時には眠っている時も多いため、彼の手にした装飾品を身に着けようものなら、知らず知らずのうちに寝台の上で流血沙汰が起きてしまいそうだ。
難色を示す婚約者の姿を目にした彼は、それを贈るのは諦めたらしい。




