0年目 第1話 サッカー事業部を作ろうと思う
第1話 サッカー事業部を作ろうと思う
「サッカー部を作ろうと思う」
俺の発言に会議室は静かになった。
さっきまで聞こえていなかった空調の音が聞こえてくるほど……。
長机を囲む役員たちの視線が、一斉に俺へ集まっていた。
誰も何も言わない。
いや、正確には――何を言っているんだこいつ、という顔をしている。
「……サッカー部、ですか?」
最初に口を開いたのは管理本部の日下だった。
「社員向けの部活であれば、お好きにしたらよろしいかと。
ただ、ここでわざわざ言うということは、会社として展開するサッカー部ですよね?」
「もちろん」
「なるほど……」
日下が眼鏡を押し上げ、沈黙する。
まだ反対意見は言っていないが、反対していることがありありと表情で分かった。
俺は椅子に座ったまま、目の前に並ぶ役員たちを見渡した。
ノードシード株式会社。
俺が大学を出て間もない頃に立ち上げた、小さなIT企業。
とある特殊能力を使った結果、最初は数人しかいなかった会社も、十年ほど経った今では社員数も増え、売上も数十億円規模になった。
ここ京南市では、そこそこ名前を知られる会社になっている。
もちろん、ここまで順調だったわけじゃない。
何度も失敗したし、資金繰りで眠れなかった夜もある。
それでも何とか会社は大きくなった。
そして今日。
三十二歳になった俺――久世悠真は、その会社の経営会議でサッカーチームを作ろうとしている。
「久世社長」
こいつが役職付きでわざわざ呼んでくるときは注意したほうがよい。
「いくつか確認してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
日下の眼鏡が光った気がした。嫌な予感しかしない。
「聞きたいことは山ほどありますが、まず、なぜですか?」
いきなり一番難しい質問が来た。こいつはやはりできるやつだ。
「地域貢献」
「もう少し具体的にお願いします」
「……ですよね」
何人かが笑った。
少しだけ空気が緩む。
日下と俺がやり合うことは日常茶飯事だ。
俺は席を立ち、会議室中央の上に掲げている経営理念を指さした。
――ITで社会に貢献する。
創業したときから掲げている言葉だ。
「ノードシードも、会社としてはそれなりに大きくなってきた。でも、俺はずっと思ってたんだよ。うちって、京南に本社を置いてる割に、この街との接点が少ないよなって」
システムを作る。
企業の業務を効率化する。
ウェブサービスを開発、運営する。
俺たちの仕事は確かに社会の役に立っている。
でも、その相手の多くは京南市の外にいる。
東京だったり、大阪だったり、最近では海外の会社と仕事をすることも増えた。
それは会社として正しい。
ただ――。
「もう少し、目に見える形で地元に何かできないかなって」
「それがサッカーですか?」
「そう」
日下は納得していない。
まあ、当然だ。
「サッカーなら、いろんなことができると思ってる。子ども向けのスクールもできる。地域のイベントにも参加できる。将来的には人が集まる場所にもなる。それに、うちの技術を試す場所にもできる」
「技術?」
別の役員が反応した。
「例えば選手のコンディション管理。睡眠時間、心拍、運動量、食事、トレーニングデータ。そういうものを集めて、AIで一人ひとりに合ったトレーニングを提案するとか」
「なるほど、それは確かにうちならできそうですね」
今度は何人かが頷いた。
IT企業の会議らしい話になったからだろう。
技術担当の様子を見ていると、すでに具体的な方法を考えていそうな顔になっている。
「社内で実証して、使えるものになれば外販もできるかもしれない。スポーツだけじゃなく、社員の健康管理とかにも応用できる」
「新規事業の実証環境としてサッカーチームを持つ、ということですか」
「もちろんそれもあるが、主目的は地域貢献の方だ」
「サッカーチームができる。それを応援して地域が一つになるところを俺は見たい。
サッカーチームと共に地域が発展していったら最高だ。 それに……」
「それに?」
「……俺がサッカー好きだから」
また会議室が静かになった。
日下が目を閉じた。
「社長」
「いや、ちゃんと言っといた方がいいかなと思って」
「今までの説明が台無しです」
「台無しではないだろ。地域貢献も新規事業も本気だよ」
「では、サッカーが好きだから会社のお金でサッカーチームを作りたい、と」
「言い方に悪意があるだろ、それ」
今度ははっきり笑いが起きた。
でも、日下は笑っていなかった。
「社員にどう説明するんです?」
その言葉で、俺も表情を戻した。
「サッカー部の選手だけ会社から特別扱いされている。そう感じる社員は必ず出ます」
「うん、そこはちゃんと説明する」
「事業として利益が出る保証もない」
「うん、でも保証がある新規事業なんてないだろ?」
「確かに、まぁ他よりも可能性は低いですが。
また、地域貢献なら、ほかにも方法はあります」
「それもそうだな」
「だったら――」
「だから、ちゃんと事業としてやる」
日下が口を閉じた。
「俺の趣味で会社のお金を使うつもりはないよ。やる以上は、ノードシードの事業として意味のあるものにする。
なのでサッカー部じゃなくてサッカー事業部、だな」
サッカーだけをする選手を雇うつもりもなかった。
ノードシードの社員として働く。サッカーをする。地域にも関わる。
そして、会社のIT技術を使って新しいものを作る。
そんなチームにしたかった。
まだ頭の中にしか存在しない。
選手も監督も、練習場すら決まっていない。
それでも、なぜかできる気がしていた。
「それで」
日下がため息をついた。
「どの程度の規模を想定しているんですか?」
「そうだな、最初は社員の選手を集めて普通のサッカーと仕事の両方をしてもらう。
いや、サッカーも仕事だから、サッカーとITの両方の仕事をする、だな。
なので規模的にはどれくらいだろう、まだ試算してないや、すまん。
ただ最終的にはプロを目指す」
「……はい?」
「プロサッカークラブにする」
今日一番の沈黙が訪れた。
「ちょっと待ってください」
「はい」
「今、何と?」
「プロサッカークラブ」
「聞き間違いではなかったんですね。
プロサッカークラブにするためにどれ程の……」
日下は額に手を当てた。
「京南市をホームタウンにして、プロリーグに参加する。JF3、JF2……いつかはJF1まで行けたら面白いよな」
「『面白いよな』でプロクラブを作らないでください」
「でも、夢があるだろ?」
「夢ではなく事業計画を出してください」
正論だった。
俺は素直に頷く。
「それは作る」
「予算や事業計画、それに……」
「必要なものは全部作るよ。でも手伝ってくれよな」
「それはもちろん、現実を見ていない計画では困るので……。
厳しい目線で書きますよ」
「頼む」
日下とのやり取りが落ち着くと、他の役員からも矢継ぎ早に質問が来た。
社長に対しても臆せず意見を言ってくれるとは、頼もしい社員じゃないか。
「選手は?」
「これから」
「まさか人を見る目があるからサッカー選手も大丈夫って思ってないですよね?」
「そこは自信あるから大丈夫」
「監督は?」
「これから」
「練習場は?」
「これか……会社の横の土地、空いてるだろ?」
「事業用地ですが、いけるのかな? でも土ですよ」
「サッカーはできる」
「小学生みたいなことを言わないでください」
会議室のあちこちから笑い声が上がる。
日下だけは笑っていなかった。
「チーム名はどうするんです? ノードシードFCですか?」
「いや、京南市に根付くチームなので当然京南FCだ。
ノードシードFCじゃ単なる企業チームになっちゃうだろ」
「そこはちゃんと考えているんですね」
「どうやったらプロリーグに参加できるんですか?」
俺は席へ戻り、用意していた資料を一枚取り出した。
そこには、日本のサッカーリーグの構造を簡単にまとめてある。
頂点にJF1、その下にJF2、JF3と続く。ここまでがプロリーグだ。
さらにその下には、アマチュア最高峰の全国リーグ、NAL――National Amateur
Leagueがある。
その下に関東地方、関西地方などで分けた地域リーグ。
そして都道府県リーグ。
「まあ、最初からJF1に入れるわけじゃないからな。当然、一番下から始める」
「一番下というと?」
「京都府リーグ、そこの……」
俺は資料に視線を落とした。
「六部」
誰かが吹き出した。
「ろく!?」
「六部」
「一部じゃなくて?」
「六部」
日下が資料を手に取る。
上から順番に指で追っていった。
「社長」
「はい」
「プロまで何回昇格する必要があるんですか?」
「…………」
俺も改めて数えてみた。
思っていたより多い。
「たしかに結構あるな」
「今気づいたんですか?」
「いや、もちろん知ってたよ」
「今数えてましたよね」
「あ、暗算に手間取っただけ」
また笑いが起きた。
でも。
俺は資料の一番上を見た。
プロの舞台、JF1。
遠い。とんでもなく遠い。
今の俺たちには選手、監督すらいない。
そこから日本のメジャースポーツのトップリーグまで行く。
普通に考えれば、無茶だ。
たぶん日下の言っていることの方が正しい。
それでも。
「いいじゃん」
「何がです?」
「遠い方が」
日下が怪訝な顔をする。
俺は資料を机に置いた。
「せっかくゼロから作るんだからさ」
人も実績も知名度もない、まさにないないずくしだ。
あるのは会社と、少しのお金と、IT技術。
あとは夢、目標だな。
それから――俺には、ほかの人にはないものが一つだけある。
「府六部からプロまで行ったら、面白いだろ?」
日下はしばらく黙っていた。
やがて、大きなため息をついた。
「……まず事業計画を作ってください」
「じゃあ、検討はしてくれる?」
「計画を見てからです」
「よし」
「まだ何も決まってませんからね」
「分かってるって」
「その顔は絶対分かってないです」
失礼な。
俺はもう一度、リーグ表を見る。
一番下。
京都府リーグ六部。
そこが俺たちのスタート地点になる。
このときの俺は、まだ知らなかった。
これから集まる選手たちのことも。
一度は壊れかけるチームのことも。
この街に紫色の旗が増えていくことも。
子どもたちが俺たちのユニフォームを着て走り回るようになることも。
何も知らなかった。
ただ一つだけ。
本気でやれば、何とかなる。
いつものように、そう思っていた。
――この日。
京南FCという、まだ何者でもないサッカークラブが産声を上げた。
【補足】
京南市:京都南部に位置する架空の市。人口10万人程度。京都、大阪、奈良に通うベッドタウンとして発展。




