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第2話:潜伏の10年と、嘲笑の旅立ち

6歳で刺客を屠ったあの日から、別館でのマリアの日常は一変した。 表面上は「病弱で魔力もない不遇な三男」として世間の記憶から薄れていく裏で、ヴォルクによる地獄のような教育が始まっていた。

「甘いです、マリア様! 気配が僅かに散っています!」

深く鬱蒼とした私有地の森の中。 木々の隙間を脱兎のごとく駆け抜けるマリアの背後から、ヴォルクの放った木刀が風を切って迫る。

マリアは振り返ることなく、最小限の身体操作でそれをかわした。 小柄でしなやかな肉体は、10年の歳月を経て、余分な筋肉を削ぎ落とした「暗殺者」のそれへと洗練されている。

(——『思創』起動)

マリアが心内で呟くと、踏み込んだ足元に小さな透明の「踏み台(高密度摩擦場)」が具現化した。 空中を蹴り上げるような軌道修正。物理法則を無視した動きでヴォルクの背後へ回り込むと、指先で作った『概念切断』の刃を、ヴォルクの首元数ミリでピタリと止めた。

「……見事です。元Sランクの私でも、今の動きは捉えきれませんでした」

ヴォルクは木刀を収め、嬉しそうに目元をほころばせた。

この10年間でマリアが突き詰めたのは、能力の「圧倒的な効率化」だ。 前世の論理的思考を駆使し、『思創』を発動する際のイメージ構造を徹底的に削ぎ落とした。

例えば「刀剣」を創る場合、刃の美しさや柄の装飾など不要な要素を削り、「切る」「突く」といった運動エネルギーのベクトルの補正だけを『思創』で重ね合わせる。 結果、消費魔力は数千分の一に低下。外からは「魔力を使っている痕跡」すら感知できない、完全不可視の術式群が完成していた。

さらに、ヴォルクからは実戦における「気配の遮蔽」「敵の視線誘導」「心理の隙の突き方」を叩き込まれた。 強力なスキルがあっても、使う人間が素人なら殺される。ヴォルクの苛烈な仕込みにより、マリアは技術面でも一級の戦士へと仕上がっていた。

「……ですが、坊ちゃま。本当にこのままでよろしいのですか?」

汗を拭うマリアに、ヴォルクが手拭いを渡しながら尋ねる。

「明日で、ちょうど15歳……ですね」

「ああ。そろそろ『あのババア』が動く頃だ」

マリアは冷ややかな笑みを浮かべた。 15歳。この国では成人とみなされ、貴族の子弟は例外なく「王都グランベル魔導皇立学園」への入学義務が生じる。

もちろん、本家の第一妻エレノアが、無能と蔑むマリアに高貴な学園の教育を受けさせるつもりなど毛頭ない。 「学園へ送り出す」という体裁を取りながら、道中か学園内で事故に見せかけて完全に処罰する——それがエレノアの描くシナリオのはずだった。

そして、その予想は寸分違わず的中する。

その日の夕刻。 何年ぶりか分からない、本家からの使いが別館を訪れた。

渡された手紙には、第一妻エレノアの優雅で、かつ悪意の滲む筆跡でこう記されていた。

『憐れなマリアへ。15歳のお誕生日おめでたく思います。侯爵家の情けとして、あなたを王都の学園へ入学させてあげましょう。……なお、侯爵家の名誉のため、あなたが我が家の人間であると軽々しく口にすることは禁じます。道中の護衛もつきません。自力で王都へ辿り着きなさい』

手紙を読んだヴォルクの額に青筋が浮かぶ。

「……どこまでも浅はかな。道中で野盗に襲われて死んだことにする腹づもりですな」

「分かりやすくて助かるよ。わざわざこちらから王都へ行く手間が省けた」

マリアは手紙を『思創』の熱素で一瞬にして灰に変えた。

10年待った。 牙を研ぎ、力を隠し、奴らが油断しきったこの瞬間を。

「ヴォルク。準備は?」

「万全です、マリア様。冒険者ギルドへの裏ルートの手配、王都での拠点確保、全て完了しております」

「よし」

マリアは鏡の前に立ち、自身の姿を映した。 白磁のような肌に、長い黒髪。男とは思えない繊細で美しい容姿。 周囲はこれを「不器用で弱々しい無能」と誤認する。その油断こそが、最大の武器だった。

「行こうか、ヴォルク。まずは学園を『主席』で奪い取って、奴らの顔面を蒼白にさせてやる」

「御意に」

誰にも見送られることなく、ソノリア侯爵家の別館を後にする二人。 無能と嘲笑され捨てられた少年が、世界を揺るがす「最強」として表舞台へ踏み出した瞬間だった。


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