十六夜の月は妖しく照らすのかな
秋の夜長に空騒ぎは似合わない。
(実りの秋って言うけど。恋のことも含まれているのかしら)
窓の外では、さらさら、さらさらと、夜風に揺れるススキ林が、青白い月光を浴びて銀色に波打っている。ロメーヌは昨日のことを思い返す。
国境の大使館裏にあるビアガーデンで、中秋の名月を眺めながら賑やかにジョッキを傾けていた。ジュリヤンカが冗談へ混ぜ込むように喋る。
「綺麗な花っていうのはね、ロメーヌ。君のことなんだよ」
眼差しが熱く感じられたロメーヌ。
(本気なのかしら。ううん、本当は、私がどう応えるかにかかっているんだよ)
それでも、サユリが証拠を掴みたい視線を送ってくるし、ツギダヨンも案外陽気で「おお!告白か」と囃し立てる。
(大人の人間関係ってものかしら、この二人は)
どういうわけか、シノビメとオコンも参加していた。思えば、直接に敵対していたわけじゃないし、ジュリヤンカの知り合いとして来ていた。そして、性別不明な三人の人物たちを連れてきて、オトナの会話を冗談で茶化しながら話していた。その状況で告白みたいなことを言われたわけだ。
(二人っきりならね。ここで言うかしら、普通は)
笑ってはぐらかす。
「花は嫌だ。すぐ枯れるし」
それでも、耳たぶは火照る気がして、髪を弄りながら隠す。サユリはツギダヨンと冗談を言い合っていた。ここで、探偵ごっこをやる雰囲気も消えつつあった。
強がりをジュリヤンカは見透かしてもいたらしい。帰り際に、明日は十六夜の月を二人きりで見るデートを、密かに約束したのだった。
今まで部屋の窓から漏れていた、わずかなランプの明かりがふっと消えた。月明かりだけが差し込む静かな部屋で、ジュリヤンカが静かに距離を詰めてくる。その低く、かすかに震える声音に、ロメーヌの心臓はドクンドクンと、耳の奥まで響くほどの早鐘を打ち始めた。
「愛してるよ、ロメーヌ。君を、この腕に抱きたい」
(真っ直ぐすぎるよ! こういうのって、もっと段階とか雰囲気ってものがあるでしょ)
「せっかちだね。せっかくのススキと、十六夜の月よ。風流に和歌のひとつでも詠めないのかしら」
(私もそんなに得意なわけじゃないけど。いきなり『抱きたい』なんて、直球すぎて心の準備が追いつかないし)
もっとじっくりと、心の温度が上がっていくのを楽しみたいのだ。
(まずは落ち着こう)
トントンと板張りを踏んで窓際へ歩み寄った。月が、こんばんわ、と挨拶したようだ。
「月だな」隣へジュリヤンカも並んだ。
「十六夜ね」
口をついて出たのは、あまりにも当たり前すぎる言葉。頭の中は、今必死に和歌の言葉を探していた。
「穂先たち ススキは伸びる」
ジュリヤンカが、横顔を月光に美しくきらめかせながら、真剣な表情で呟いた。
(へえっ。こんなに真面目な顔、初めて見たかも)
思えば、これほど互いの吐息が触れ合うほどの距離に近づいたことなんて、今まで一度もなかった。
「月と愛でたや。おっと、抜けたか」
(ふふ、独り言まで言っちゃって)
半分は、ロメーヌへ聞かせるためにわざと口に出しているのだろう。
「よし、これだ」
ジュリヤンカは少し勿体ぶった口調で朗々とよみあげた。
「穂先たち ススキは伸びて 夜もすがら 月と愛でたや 月見団子。どうだい?」
「素敵ね。だけどちょっと、完全に字足らずじゃない。それに、ここでその結びねぇ」
せっかく「穂先たち(起ち)」に男としての情熱を引っかけたかもしれないのに、最後の最後で『月見団子』では、あまりにも色気がない。
(でもさ。男の人って、案外こういうところが抜けていて可愛いのかもね)
「さあ、次は君の番だ」
ジュリヤンカが、期待に満ちた瞳で、じっと見つめてくる。
(あ、そうだった。一応、私も考えてはみたけど)
返歌なんていう器用な真似はできない。思い浮かんだ秋の風景をそのまま口にした。
「くりひろい」
(うわっ。そんなに覗き込んで見ないで)
「面白いな。君こそ食い気じゃないか」
ジュリヤンカが顔を近づけて、悪戯っぽく覗き込んでくる。彼の髪から漂うシトラスの香りと体温が間近に迫り、鼓動がさらに跳ね上がる。ちょっと、ぶっきらぼうに言う。
「違うっつーの。ちゃんと繋げるから」
(もう、月を見てよもうっと)
恥ずかしさを誤魔化すように、月を見上げたまま一気に詠みあげた。
「くり拾い ともに供えし 花ススキ 月影風に 揺れてもさやか。どうよ」
「うん、よくできました」
笑い合ううちに、二人の距離が完全にゼロになったのは確かだった。
ジュリヤンカが、愛おしそうにロメーヌの髪を大きな手で撫でてきた。掌のじんわりとした温かさが頭頂部から全身に染み渡る。
(すごく柔らかい。男の人の手って、こんなにも優しく、大切そうに触れてくれるものなのね)
彼の方に顔を向け、微かに上気した息を漏らした。
「あれ、だね。良い、よね」
(あぁ、もう、私ったら。何を言っているのよ)
頭が真っ白になって、言葉がうまく紡げない。この時、生まれて初めて、目の前の人を猛烈に「男」として意識していた。
「月が、雲に隠れるかな」
ジュリヤンカが呟く。空をゆらゆらと流れる薄雲。煌々と輝いていた十六夜の月は覆われて朧にかすんでいった。
「月はね、俺たちのことを見て、恥ずかしがっているんだよ」
いくぶんか暗さを増した部屋。カーテンが風に揺れて左腕を撫でた。
「もっと、君の顔を見せて」
彼の優しく柔かい指に促されるまま、彼女の顎がそっと上を向く。
やがて、雲の切れ間から、再び眩いばかりの月明かりが部屋に射し込んできた。四畳一間の小さな部屋には、あらかじめ真っ白で清潔な寝具が設えられている。恋人たちが夜を過ごすための、そういう特別な施設なのだ。
(男も、こんなに柔らかく触れるんだ)
恋というものは、ただ相手に会いたいと願い、触れたいと望み、そして、いつしか境界線をなくして、ひとつに溶け合いたいと願うもの。
(良いよね。私は、ジュリーを信じる)
彼の胸に顔を埋めると、ドクドクと力強く脈打つ鼓動が直接肌に伝わってきた。相手へすべてを委ねたいという情愛が胸に満ち、身体を強張らせていた最後の緊張が、嘘のように消えていく。身体の緊張も取り払われると、ロメーヌの理性と布団が吹っ飛んだ。
―― 終わり ――




